03 西の英雄 五人の妻
「おまえ、何か――隠していることがあるんじゃないか?」
その問いに、チェリの思考が一瞬、止まった。
昨日の森の光景が頭をよぎる。
(え? まって、それって……“卵”のこと!?)
心臓がどんっと跳ねる。
返事を探して口を開きかけるも、言葉がつっかえる。本を持つ手がこわばり、視線は必死に窓の外を泳いだ。
「……え、えーと……な、なにが?」
ごまかしたつもりだったが、自分でも震えているのがわかる。
ハリュークは黙ってチェリを見つめていた。責めも詰めもしない。ただ、じっと。
その無言の視線が、いちばん怖い。
(絶対、バレてる……!)
チェリはごくりと喉を鳴らし、なんとか笑顔を作ろうとした。
「そうか。なら、それでいい」
ハリュークはふっと口元をゆるめ、あっさりと引き下がった。
(……うそ、終わり? なんで?)
その“終わり”の軽さが、逆に重い。
見逃されたのではなく、“泳がされている”としか思えなかった。
(やっぱり……気づいてる。でも確証がないから、様子を見てる……?)
胃のあたりが、ぎゅっと縮こまる。
怒られたほうが、まだ楽だった。
そんな張り詰めた空気を破ったのは、雷のような大声だった。
「ハリューク! どこにいらっしゃるのです!? 式典の準備はもう整っております!」
「チェリちゃん~? いるなら返事してちょうだい~。ちょっと急ぎの用事があるの」
「チェリ~! やっぱりここだったか。準備できてる?」
「……こんな高いとこまで登るなんて……階段って歳とるとほんっと膝に堪えるな……」
「チェリさん~、衣装が出来上がりましたよ~!」
扉がばたんと開いた。
そこに現れたのは、城でもっとも手強い存在――お祖父様の五人の妻。チェリにとってのおばあさまたちだった。
一番に入ってきたのは、冷静なネイディーア。銀髪をきちんと結い上げ、貴族の威厳そのものの佇まいでお祖父様をじっとにらむ。
「あなた、祭の開幕の挨拶をどうなさるおつもりですか? 皆さんがお言葉を待っているのです。まさか“忘れていた”などとは、口が裂けても言わせませんよ」
「……いや、ちょっとだけな。寄っただけだ。すぐに行く」
ハリュークはわずかにたじろいだ。
二番目に来たのは、籠を抱えて朗らかに笑うサリア。
「チェリちゃん~! これ、新しく仕入れた甘柑の砂糖漬けよ~! 祭で配ろうと思ってて、お味見お願い! “雪解け水の妖精”のブランドで絶対売れると思うのよ!」
「え、わたし!? 味見……?」
三番目に現れたのはミルザ。飄々とした雰囲気でふらりと入ってきて、空中にいくつかの魔力球を従えている。
「魔力の痕、ちょっと残ってた。まぁ、チェリはいつもここにいるよね」
(ああああ……ミルザおばあさまの魔力探知……!)
「今日は主役みたいなもんだからね。入念に準備しないと……衣装合わせはまだだろう?」
リッテはほんの少し息を切らしながら、しっかりと籠を抱えてきた。中には柑橘のパウンドケーキとくるみ入りの焼き菓子。
「チェリ、これでも摘んでから行きな。朝はちゃんと食べないと、元気が出ないよ?」
そう言って、いつものように膝に籠を置く。
思わず手を伸ばしてしまい、チェリは心の中で小さく食欲への敗北を認めた。
最後に姿を現したのは、華やかな衣装に身を包んだエルナダ。花の香りをまとって、優雅にチェリの手を取る。
「チェリさん、今日の衣装はあなたのために選んできたんです。桃色の花びらに合わせた香油もありますよ~。これで完璧な春の姫になれます」
「今日は誰がチェリちゃんを連れて行くかで、朝から大論争だったのよ」
「わたしは果実飴の屋台から回るって決めてるわ~!」
「竜の大道芸人が火を吹くってさ」
「たくさん屋台があるから、どこから回るか迷うねえ」
「今年も歌い手に選ばれたんですよ。おばあちゃんの晴れ姿をちゃんと見てくださいね」
もはや、ここが尖塔の最上階とは思えない騒がしさだった。
ハリュークはやや顔を引きつらせながら、ちらりとチェリに視線を向ける。
「……じゃあ、行ってくる」
と、逃げるように言い残し、そそくさと階段へ向かう。
「ハリューク、逃げないでください! 服の襟が曲がっています!」
「ちょっとちょっと!髪の毛はねてるわ!」
「帽子も被ってくださいね!春とは言え日差しで顔が焼けますから!」
ハリュークは背を向けたまま、苦笑を浮かべて下りていった。
五人の妻たちも、口々に文句と愛情を叫びながら後を追っていく。
「チェリちゃん、あとで絶対合流してね!」
「果実飴、取っておくから~!」
「逃げたら、魔力の痕跡で追いかけるからね」
(逃げ道、ないじゃん……)
チェリは窓辺に腰を下ろし、リッテのパウンドケーキを一切れかじった。
柑橘の酸味と蜂蜜の甘さがふんわり広がる。でも、胸の奥はまだ落ち着かない。
(……お祖父様も、魔力感知ができるんだよね)
だったら、昨日のあれ――森で卵を見つけて、印をつけたあの時点で、もう……
(絶対、気づいてる。なのに、なにも言わなかった)
問い詰めず、ただ見つめていた、あの眼差し。
優しさの奥に、底が見えない。
(……お祖父様って、ほんとうに、何を考えてるんだろう)
その沈黙の重さが、時々、怖くなる。
追いつかれるより、試されている気がしてならない。
開け放たれた窓から春風が吹き込み、果実の香りが部屋の空気にやさしく溶けていった。




