35 小亜竜の季節 立入禁止の森
夏の終わりが近づいていた。
朝の授業が終わると、サジットが「今日はここまでにしましょう」と言って教室を出ていった。チェリは伸びをして窓の外を見た。空はまだ夏の青さを残しているが、風の匂いがほんの少しだけ変わり始めている。
「今年も立入禁止の時期が来たな」
ガンマが机に突っ伏したまま言った。
今朝、ハリュークから城の裏の森への立入禁止令が出された。小亜竜の繁殖期が始まり、森に集まってきているのだ。夏の終わりから秋にかけてはいつもこうで、毎年の恒例だった。
小亜竜は竜よりもずっと小型の魔物で、人の子供くらいの大きさをしている。繁殖期の小亜竜は気が立っており、不用意に近づけば襲ってくる。立入禁止令はチェリたち子供に向けたもので、森に入る用事のある大人は十分に気をつけた上で入ることが許されている。
「まあ今年は勉強があるし、裏の森への探検とかやる暇ないよな」
ガンマがそう言うと、ナハヤが「去年は夏の終わりまでに三回行ったけどね」と返した。
「そんなに行ってたっけ」
「行った。二回目にチェリが蛇を捕まえて、ガンマが逃げ回ってたのは覚えてるよ」
「逃げてねえよ! 危ないから避けただけだ!」
チェリは笑いながら、ふと思いついた。
「ねえ、森のほう、尖塔から見てみない?」
二人の顔がぱっと明るくなった。
三人は教室を飛び出し、城にそびえる尖塔の螺旋階段を駆け上がった。最上階の小部屋は三人にとって馴染みの場所だった。狭いが窓が四方に開いていて、城の周囲が見渡せる。
チェリは鞄からミルザに借りた遠見の魔道具を取り出した。双眼鏡のような形をした道具で、覗き込むと遠くのものが大きく見える。
「ミルザおばあさまに借りてきてたの?」
「うん。ちょうどいいかなと思って」
窓から身を乗り出して、裏の森に魔道具を向けた。
森の木々が魔道具越しに大きく映る。木の幹の間を、何かが素早く動いていた。小亜竜だ。黒っぽい翼を広げて低い位置を飛び回っている。一匹、二匹、三匹。思った以上にたくさんいた。
「結構いるね」
チェリが魔道具をガンマに渡すと、ガンマが覗き込んで「うわ、いるいる」と声を上げた。ナハヤにも順番に回す。
「どれも木より低い高さを飛んでるな」とナハヤが言った。
「竜に見つからないようにしてるんだろうね」
チェリが魔道具を受け取って再び森を見ていた時だった。
一匹の小亜竜が、突然森の上空に飛び出した。別の小亜竜と喧嘩をしていたらしく、もつれ合うようにして木々の頂を超えてしまったのだ。
次の瞬間、上空から何かが降ってきた。
竜だった。
大きい。小亜竜とは比べものにならない巨体が、信じられないほどの速さで急降下してきた。小亜竜は反応する間もなかった。竜の顎が小亜竜を捉え、一噛みで砕いた。あっけないほどの速さだった。竜はそのまま翼を翻し、あっという間に空の彼方へ消えていった。
三人とも、しばらく声が出なかった。
「……うわ」
ガンマが最初に口を開いた。
「本当にすぐ竜は来るね」とナハヤが静かに言った。
「どこから見てるんだろう」
チェリは魔道具を下ろして空を見上げた。雲の間には何も見えない。だが、あの竜はどこかからずっと見ていたのだ。森の上空に飛び出したものを、見逃さずに。
これがあるから、人は空を飛んではいけない。
チェリは幼い頃のことを思い出した。空を飛んで、竜に襲われたこと。あの時の恐怖は今でも体のどこかに残っている。でも、不思議と暗い気持ちにはならなかった。
あの日から色んなことが変わった。ディラがそばにいてくれるようになったし、街にもよく出かけるようになったし、使用人たちと仲良くなれた。
良くも悪くもあの事件のおかげで竜について興味が湧いたのは事実で、シルヴァーンとの出会いや大学受験に挑むことにも繋がっているんだと思うと、悪いことではなかったように思えた。
「竜が降りてきたせいか、だいぶおとなしくなったな。森の中でも飛び回るのをやめてる」
ガンマが魔道具を借りて、また森を覗き込んでいる。小亜竜たちは動き回るのをやめて、それぞれ木の枝に捕まって上空を気にしている。一匹が犠牲になったことで、慎重になっているようだった。
「小亜竜は何のために翼があるんだろうな。高く飛べないのに」
「竜さえいなければね…」
ナハヤの言葉に、チェリは頷いた。
「でも私たちはいつか空を飛んでみたいよね……だって気持ちよかったし、飛ぶの」
チェリがぽつりと言うと、ナハヤとガンマが少し驚いた顔をした。
「……まあ、飛べたらいいなとは思うけど」
ガンマが空を見上げた。さっき竜が消えていった方角だった。
「いつか飛べる方法が見つかるかもしれないね、今は何も思いつかないけど」
ナハヤはそう言った後「もっと勉強すれば分かるようになるかもね」とつけ足して、チェリとガンマを促すように立ち上がった。
チェリは魔道具をしまいながら、もう一度だけ空を見上げた。高く、青い空だった。
秋の気配を含んだ風が、尖塔の小部屋を吹き抜けていった。




