32 初めての試験 混乱と静寂
「学校の試験って、物語の中でしか読んだことなかったな」
チェリは試験を前にしてぽつりと言った。ワクワクしているのか緊張しているのか、自分でもよく分からない。
「入学試験とは違うのかな」
ガンマが言うと、ナハヤが答えた。
「そっちはもっと範囲が広いでしょ」
「やっと鉛筆を使ってきた成果が出るね」
チェリがそう言うと、ガンマが「もうなんか魔力筆で書く方がめんどくさくなってるし!」と笑った。
ナハヤは「さすがにそこまでは……」と小さくつぶやいた。
「それでは試験を始めます。お喋りはやめてください」
教壇から三人の様子を見ていたサジットが、紙の束を手にしながら呼びかけた。
「……今の、なんかすごく試験っぽい!」
お喋りを禁じられたのに、チェリは嬉しくてうっかり声を出してしまった。
「はいはい、静かに!」
サジットが試験の出題の冊子と答案用紙を配る。出題の冊子だけは裏返しにして、三人の机に置いていった。
「……では始めてください」
サジットの声で、三人は答案用紙に向かった。
教室はしんと静まり返った。鉛筆が紙の上を走る音だけが響いている。シルヴァーンは後ろのテーブルの籠の中で丸まって、おとなしくしていた。
チェリは問題を読みながら、鉛筆を走らせた。歴史の問題は得意だ。数学も、ガンマほどではないが大丈夫なはずだ。論述は……少し考えなければいけない。
(集中しなきゃ)
そう思った時だった。
「ガウッ!!」
シルヴァーンが突然、鋭い声を上げた。
三人は一斉に顔を上げて振り向いた。シルヴァーンが籠の中でじたばたと暴れている。籠がテーブルの上で激しく揺れ、今にも落ちそうだ。
「な、何?どうしたの!?」
チェリが立ち上がろうとした瞬間、籠が傾いた。
その拍子にシルヴァーンが飛び出して、教室の中を走り回り始めた。
「シルヴァーン!!」
「ちょ、答案が……!!」
ガンマが答案用紙を押さえようとしたが間に合わなかった。シルヴァーンがガンマの机の上を踏み越えて走り抜ける。答案用紙がはらりと床に落ちた。
「落ち着いて、シルヴァーン!」
チェリが呼びかけるが、シルヴァーンは聞いていない。教室の中を縦横無尽に走り回り、ナハヤの机に飛び乗ったかと思えばすぐに飛び降り、サジットの教壇の周りをぐるぐると回る。
「ひゃああああっ!皆さん、落ち着いて! 試験中です! 試験中は試験をしましょう!!」
サジットが混乱したような悲鳴を上げたが、シルヴァーンは止まらない。チェリはシルヴァーンを捕まえようと手を伸ばしたが、するりとかわされた。
「なんで急に……!」
「理由が分からん……!」
ガンマが床に落ちた答案用紙を拾いながら言った。ナハヤは机の上に散らばったものを静かに集めていたが、その表情には困惑が浮かんでいた。
* * *
廊下を歩いていたハリュークは、教室の中の騒ぎに気づいて足を止めた。
壁越しに、シルヴァーンの気配がした。ひどく興奮している。
ハリュークはしばらくその場に立っていた。それから、静かに口元に指を持っていった。
「……シーッ」
静かに、のジェスチャーをした。
壁の向こうで、シルヴァーンがぴたりと止まった。
しばらく壁のほうを見つめた後、ハリュークは何事もなかったように廊下を歩き去っていった。
ハリュークの後方、廊下の突き当たりでメイドのディラは息を呑んだ。たまたま通りかかって、その一部始終を見ていた。
(今のは……何だったんだろう)
ディラは、今日は試験があることをチェリから聞いている。教室の中が気になったが、試験中ならば中に入って確かめるわけにもいかない。
何があったのか後でチェリ様に聞いてみればいいか。そう思いながら、ディラはその場から足早に立ち去った。
* * *
教室の中で、チェリは目を丸くしていた。
シルヴァーンが突然、嘘のようにおとなしくなっていた。さっきまであれほど暴れていたのに、今は教室の真ん中でちょこんと座って、きょろきょろと辺りを見回している。
「きゅ〜」
シルヴァーンは首をかしげてから、上を向いて一声だけ鳴いた。
「……何?急に」
ガンマが呆然として言った。
「分からない……」とナハヤが静かに答えた。
チェリはシルヴァーンに近づいて、そっと抱き上げた。シルヴァーンはおとなしく抱かれている。さっきの興奮が嘘のようだった。
「……なんで急に落ち着いたんだろう」
チェリが首を傾げると、誰も答えなかった。三人とも理由が分からないまま顔を見合わせた。
「……皆さん」
サジットが静かに口を開いた。乱れた教壇を整えながら、普段通りの落ち着いた声で言った。
「気を取り直して、続きをやりましょう。時間はまだあります」
三人は散らばった答案用紙を集めて、席に戻った。チェリはシルヴァーンを籠に戻してから、鉛筆を手に取った。
シルヴァーンは籠の中でおとなしく丸まっていた。さっきのことなど忘れたように、目を細めてうとうとしている。
(何だったんだろう、シルヴァーン……)
チェリは首を傾げながら、答案用紙に視線を戻した。理由は分からないまま、試験が再開された。




