30 嘆きのお茶会 縁談と勘
「厳しすぎると思うの」
エルナダが紅茶のカップを置きながら言った。その声には珍しく、はっきりとした不満がにじんでいた。
「チェリがあんなになってしまうなんて……」
ネイディーアも静かに俯いた。テーブルを囲むおばあさまたち五人は揃って沈痛な面持ちをしていた。
礼儀作法の授業が始まって数日。チェリたちが日に日に疲弊していくのは、誰の目にも明らかだった。今朝の朝食の席でのチェリの顔色、ガンマのぐったりした様子、調子の悪そうなナハヤの姿を思い出した。だが、ヴァーシャラから授業への口出しは無用と言いつけられているおばあさまたちには、どうしようもなかった。
「ガンマなんて、さっき廊下でばったり会ったんだけど、目が死んでいたよ」とリッテが言った。
「ナハヤも随分と疲れた顔をしていた……ヴァーシもやりすぎじゃないかな」とミルザが続ける。
「でも、私たちには何も言えないし……」
サリアがため息をついた。テーブルの上には手付かずのお菓子が並んでいる。五人のお茶会がこれほど静かになることは、滅多にないことだった。
「呼んだかい?私の話をしていたろう」
突然の声に、五人は揃って固まった。
いつの間にかヴァーシャラが部屋の入口に立っていた。濃い紺色のドレスに、白髪をきっちりと結い上げた姿はいつも通りだったが、その口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
「ヴァーシ……いつから」
「今来たところです。扉が開いていたので」
ヴァーシャラは断りもなく椅子を引いて座った。サリアが反射的に紅茶を用意し始める。長い付き合いの成せる所作だった。
「ところで」
ヴァーシャラは紅茶を受け取りながら、さらりと言った。
「私がなぜ西領地にいて、こんなに早く教師として城にやってきたか、話しておいた方がいいでしょうね」
「……聞きましょうか」
ネイディーアが静かに促すと、ヴァーシャラは紅茶を一口飲んでから続けた。
「実は南の領主から頼まれているのよ。ハリュークの孫と縁談をまとめてくれないかと。あなたたちと懇意にしているということで、会う度にせっつかれてね。本当にうんざりしていたので、話をつけに行くと適当を言って、西領地に滞在していたの」
そこまで一気に話すと、ヴァーシャラはまた一口お茶を飲んだ。
「そこに教師として来てくれという話が来たので、これ幸いと飛びつきました。西の領主と接触したと報告できるからね」
テーブルが静まり返った。
「縁談……チェリちゃんの?」
エルナダが悲鳴のような声を上げた。
「「「「「まだ早い!」」」」」
五人が口を揃えて言った。ヴァーシャラは少しも動じなかった。
「そうでしょうね。だから先方には断られたと言っておきます」
「……え?」
「それでいいの?」とリッテが目を丸くした。
「断られたという実績ができたのでもう十分です。南の領主にはそう伝えます。もう私には縁談をまとめろという話は来なくなるでしょう」
ヴァーシャラはそう言って、また紅茶を一口飲んだ。
「それに」
少し間を置いて、続ける。
「あの子は南の領主の孫にはもったいないからね」
ヴァーシャラはニヤリと笑った。
「よその領主も虎視眈々と狙っているでしょうが、あの子の相手になるのはなかなかいないんじゃないかしら」
そう言って、ヴァーシャラはティーカップを置いた。メイドが追加の紅茶を注ごうと動いたが、ヴァーシャラはもう結構、と目配せをした。
「私は見込みがないなら厳しくしませんよ。ハリュナル坊やよりも優秀そうだったから、つい、ね」
五人はハリュナルの礼儀作法の授業のことを思い出していた。チェリと同じようにぐったりとしているハリュナルとナツァークの姿が五人の脳裏に浮かぶ。全員から苦笑が漏れた。
「それにしても……あの子があんたたちの旦那様と同じ運命を持っているというのは、あながち間違いではないみたいね」
「やっぱり!?」
ネイディーアが驚いて椅子から立ち上がりかけたが、一つ咳払いをしてすぐに姿勢を正した。
「……ネイ、まさか」
隣の席のサリアが何かに気づいたようにネイディーアのほうを見た。ネイディーアは軽く頷く。
「聞いてないわよ。勝手にそれは……良くないわ」
エルナダは眉をひそめた。
「ちょうどいい機会だと思ったの。チェリは……最近特に何かトラブルに巻き込まれがちだから、何か分かればと」
ネイディーアは目を伏せた。
「……心配なのは分かります。分かりますとも」と言いながらエルナダは口を尖らせた。
「で、続きをいいかしら。チェリにはハリュークと同じ『相』が見えたわ。あんなのは他では見たことがない。とても珍しい」
ヴァーシャラは静かに言った。
「……それで、チェリはハリュークと同じ、何か特別な宿命……能力……?なんかを持っているのかしら?」
ネイディーアが恐る恐る口を開いた。
「そんなのは分かりません」
「えっ」
「大まかな人となりがうっすら雰囲気として見える、私が分かるのはそのくらいのものよ。過信しすぎではなくて?」
ヴァーシャラには、人を見抜く能力があるとしか言えないような特殊な勘を持っている。
ネイディーアは、今回の礼儀作法の教師を頼む時に、チェリについてその目で確かめてほしいと頼んでいた。
チェリが生まれた時にハリュークが「同じ運命を持っている」と言ったことも伝えている。「同じ運命」というのが何らかの能力のことかもしれないと、ネイディーアは目星をつけていた。
「でも、彼の人生のような、トラブルにトラブルが重なるような運命があるようには思えないわ。別の部分で共通点があるみたいな……まあ、勘だけど」
「勘ねえ……」
ネイディーアがため息をついた。
「悪いようにはならないと思うから、安心なさい。そんなに心配しなくても、放っておけばいいのよ。勝手に育つタイプなんだから。いいかげん、皆さん、孫離れなさいな」
五人は顔を見合わせた。それから、ネイディーアが静かに口を開いた。
「……ヴァーシ、あなたは相変わらずね」
「友人としての忠告です」
ヴァーシャラは涼しい顔で言った。
* * *
今日の礼儀作法の授業が終わったのは夕方近くだった。
応接室から出てきたチェリたちは、廊下でしばらく無言で立っていた。
「……やっと……終わった」
ガンマがぽつりと言った。
「終わった」とチェリも繰り返した。
ナハヤは何も言わなかったが、壁に背を預けて天井を見上げていた。ナハヤがそういう姿勢を取るのは珍しかった。
「俺、立ち方だけで一時間やらされると思わなかった……」
「私は笑い方で怒られた。笑い方で」
「歩き方、右足の出し方だけを延々とやり直し……」
三人はしばらく廊下に力なく立っていた。
それでも、チェリは不思議と嫌な気持ちにはなっていなかった。
厳しいのは確かだった。ヴァーシャラの目は容赦がなく、少しでも気を抜けばすぐに指摘が飛んでくる。疲れた。心底疲れた。
でも、ヴァーシャラの言葉は一つひとつが的確だった。なぜそうするのか、何のためにそうするのか、必ず理由があった。形だけ覚えさせるのではなく、意味から教える。それがヴァーシャラのやり方らしかった。
(兄様たちも、これをやったんだ)
あのハリュナルが廊下にへたり込んでいたのも、今なら少し分かる気がした。
「……また明日もあるんだよな」
ガンマがうんざりした声で言った。
「ある」とチェリは答えた。「でも、慣れるしかないんじゃないかな」
「慣れるのか、これに」
「あの兄様たちでもできたんだから、できるはず」
ガンマはしばらく考えてから「……そうか……ナル兄もなあ」と言って、重い足取りで廊下を歩き始めた。二人もそれに続く。
「ナツ兄はともかく、ナル兄がこれに耐えられたなんてさ……」
ナハヤの言葉に、チェリとガンマは頷いた。チェリは「初日から逃げ出しそうなのに……」と失礼なことを考えていた。




