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29 兄たちからの報告 礼儀作法の教師

 ナツァークからの手紙が届いたのは、礼儀作法の授業を前倒しにすると決めた翌日だった。

 チェリ宛の手紙の他に、ハリューク宛に大きく分厚い封書が届いていた。ハリューク宛の封書は手紙というよりも報告書だった。


 チェリはディラから手紙を受け取るとすくに封を開けた。ナツァークらしい、丁寧で読みやすい字が並んでいる。


 大学にアリエ・キンディールという名の教授補は確かに存在していた。ただし、城にやってきた人物とは別人である可能性が高い。本物のアリエは親の病を理由に故郷へ帰るための長期休暇を取っており、城に教師として赴いた時期には大学にいなかった。同僚や学生から聞いた人相や人となりも、城に来た人物とはかなり異なっていた。

 偽アリエは大学に戻っていない。今も行方不明のままで、何者だったのかははっきりとは分かっていない。「蒼眼の竜」と呼ばれる宗教団体の工作員の可能性がある、とのことだった。


 最後に、ハリュナルの字で一行だけ付け足してあった。

 『チェリ、体に気をつけろ。あと勉強も頑張れ』

 チェリは手紙を折り畳んで、しばらく膝の上に置いていた。

 偽アリエが何者だったのか、誰に頼まれて城に来たのか、何も分からないまま終わった。アリエが「奴ら」と呼んでいたのは「蒼眼の竜」の関係者で、組織の末端として動いていたようだが、その全貌はまだ見えていない。


 (またいつか、シルヴァーンを狙ってくるかもしれない)

 チェリはそう思ったが「邪魔する者がいたら私が排除しましょう。この傷にかけて」という偽アリエの言葉が気にかかった。

 もしかしたら、偽アリエは今シルヴァーン誘拐の邪魔をしているのだろうか。


 シルヴァーンは籠の中でうとうとしている。チェリはその頭をそっと撫でた。シルヴァーンが目を細めた。

 今はまだ、できることをやるしかない。


 * * *


 礼儀作法の授業は、教室ではなく城の応接室の一つで行うことになった。サジットが確認を取ったその日のうちに話が決まり、三日後には教師が来るという。話の早さに三人は少し面食らった。


 「……そんなに早く来るんですか」


 「ええ。ちょうど西領地に滞在中だったそうで」


 サジットが答えると、ナハヤが「滞在中って、他の領地の方なんですか?」と尋ねた。


 「ネイディーア様やエルナダ様……奥様方たちの古くからのご友人だそうです。南領地からいらしているそうで」


 チェリはその瞬間、嫌な予感がした。


 おばあさまたちの友人。南領地。礼儀作法の教師。


 (……もしかして)


 * * *


 三日後、チェリの予感は当たった。


 応接室の扉を開けた瞬間、チェリは固まった。


 椅子に腰掛けていたのは、背筋をぴんと伸ばした老女だった。白髪を綺麗に結い上げ、濃い紺色のドレスを纏っている。年齢はおばあさまたちと同じくらいだろうか。だがその目つきは、おばあさまたちとは全く違った。値踏みするような、鋭い目だった。


 (やっぱりそうだ……!)


 チェリはハリュナルとナツァークがこの人の授業を受けていた時のことを思い出した。あの兄たちが、声も出せないほど緊張していた。ハリュナルが授業が終わった後に「もう無理」と言いながら廊下にへたり込んでいたのを、幼いチェリは遠くから見ていた。


 「遅い」


 老女が口を開いた。三人は反射的に背筋を伸ばした。


 「時間通りに来ることは礼儀の基本です。今日は初日だから許しますが、次からは五分前に部屋に入って待っていなさい」


 「……はい」


 三人が揃って答えると、老女は三人を順番に眺めた。


 「ヴァーシャラといいます。南領地からやってきました。皆さんのことはサリアからよーく聞いています。もちろん、ネイディーアやエルナダやリッテやミルザからもね」


 おばあさまたち全員の名前が出て、三人は息を呑んだ。


 「私の授業中は、あの甘々な五人組は部屋に入ってこないように言いつけてあります。心配なのは分かりますが、邪魔されては授業になりませんので」


 ヴァーシャラはそう言って、口元をわずかに緩めた。「あの子たちに孫の躾ができるとは思っていません。だから私が来たんです」


 「あの子たちって……」とガンマが小声で繰り返した。おばあさまたちのことを「あの子たち」と呼ぶ人物を、ガンマは初めて見たらしい。恐ろしいものを見るような目つきになった。


 「聞こえていますよ」


 ガンマはすぐに口を押さえた。


 ヴァーシャラは立ち上がり、三人の前をゆっくりと歩いた。


 「ハリュナルとナツァークの作法を仕込んだのも私です。二人ともなかなか飲み込みが良かった。皆さんはどうでしょうか」


 チェリはハリュナルが廊下にへたり込んでいた姿を思い出した。あれで飲み込みが良かったのか、と内心思ったが、口には出さなかった。


 「礼儀作法というのは、形を覚えることではありません。相手への敬意を体で表す方法を身につけることです。形だけ真似ても意味はない。では始めましょう」


 ヴァーシャラがそう言って三人に向き直った瞬間、廊下からこそこそとした声が聞こえてきた。


 「……ねえ、ちょっとだけ覗いてみましょうよ」


 「ヴァーシャラに見つかったら怒られるわよ」


 「でも気になるじゃない……」


 ヴァーシャラは扉の方をちらりと見た。


 「廊下で立ち聞きしている方々。邪魔なのでさっさとどこかへ行きなさい。あなたたちにはちゃんと後で報告します」


 廊下がしんと静まり返った。それからしばらくして、小さな足音が遠ざかっていく音がした。

 チェリたちはずっと肝が冷えっぱなしだ。


 「さて」


 ヴァーシャラは何事もなかったように三人に向き直った。


 「まず立ち方から見せてもらいましょう。そこに並びなさい」


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