23 竜生学 始まりの講義
翌朝、教室にはいつもと少し違う緊張感があった。
三人はそれぞれの席につき、いつもより背筋が伸びている。シルヴァーンの籠は後ろのテーブルの上に置かれていた。昨日からずっと、アリエに対して警戒を解いていない。
定刻通りに扉が開き、アリエが入ってきた。昨日と変わらない穏やかな笑顔だった。手の甲には薄い布が巻かれている。
アリエはシルヴァーンの方にちらりと視線を向けて頭を下げた。笑顔ではあるがどこか申し訳なさそうに見える。
「おはようございます。では早速始めましょう」
アリエは教壇に立ち、黒板に大きく文字を書いた。
『竜とは何か』
「竜生学というのは、竜の生態や習性を研究する学問です。ただ、竜を理解するためには、まず竜がこの世界においてどのような存在であるかを知らなければなりません。今日はそこから始めましょう」
チェリはノートを開いて鉛筆を構えた。ナハヤも静かに準備している。ガンマだけが、ちらりと後ろのシルヴァーンを気にしながら席に着いた。
「竜は、この世界の原初から存在していた生き物とされています。人間よりも、魔物よりも、ずっと前から。古い文献には、竜こそがこの世界の魔力の源であると記されています」
チェリは書き留めながら、なるほどと思った。竜の渡りの時にマナの風が吹くのも、竜と魔力が深く結びついているからかもしれない。
「各地に竜にまつわる伝承が残っています。西領地では竜の渡りを春の訪れとして祝いますね。東の地では竜は嵐を呼ぶものとして畏れられています。南では豊穣の象徴として祀られている。いずれも竜を単なる生き物としてではなく、特別な存在として捉えてきた。それは人間の本能的な認識と言えるでしょう」
ガンマが手を挙げた。
「竜が特別なのは分かりますけど、それって竜生学なんですか? 竜の体のこととか、習性とかじゃなくて?」
アリエは少し間を置いてから、穏やかに答えた。
「いい質問です。竜を知るためには、まず竜が人々にとってどういう存在だったかを理解することが必要なんです。生態や習性はその後でも学べますが、竜の本質を理解せずに表面だけを見ても、真の理解には至りません」
ガンマは「はあ……」と頷いたが、どこか腑に落ちない顔をしていた。
授業はさらに続いた。
古代の竜にまつわる神話、各地の伝承、竜を神聖視する文化の歴史。アリエの話は流暢で、引き込まれるような語り口だった。チェリは話を聞きながら、竜についての知らなかった話が次々と出てきて、純粋に面白いと思っていた。
ただ。
(……なんか、変な熱があるな)
チェリはふとノートを取る手を止めた。
アリエの話し方は穏やかで丁寧なのに、竜の話になると言葉の端々に妙な力がこもる。事実を説明しているというより、大切なものについて語っているような、そんな熱さがある。
(竜が好きなのかな。……いや、好きというより)
うまく言葉にできなかった。ただ、何かが少し、引っかかった。
(竜の神話とか伝承から興味を持って竜生学を学んだ人なのかもしれない。そういう人もいるのかな)
チェリはそう考えて、またノートを取る手を動かし始めた。
一方、ナハヤは静かにノートを取りながら、アリエの話す内容を整理していた。
(神話、伝承、宗教的な意味……。これは竜生学というより、竜にまつわる文化史や民俗学に近い)
竜の生態や魔力との関係について、まだ何も出てきていない。アリエの話は面白いが、竜生学の教科書に書いてある内容とは、かなり趣が異なっていた。
授業が終わると、アリエは穏やかに笑って言った。
「今日はここまでにしましょう。次回は竜の伝承がいかに各地の文化に根付いているかを見ていきます」
三人は礼をして、アリエが教室を出るのを見送った。
「……楽しかったけど」
チェリがぽつりと言った。
「うん。面白かった。でも」
ナハヤが続ける。
「竜の体の仕組みとか、魔力との関係とか、そういう話は全然出てこなかったね」
「俺もそれ思った。シルヴァーンのこと、もっと知りたかったんだけど」
ガンマが後ろを振り返ると、籠の中のシルヴァーンがアリエの去った扉をじっと見つめていた。
「……シルヴァーン、まだ唸ってる」
チェリは籠に近づいて、シルヴァーンの頭に手を置いた。シルヴァーンはチェリの手に顎を押しつけたが、扉から目を離さなかった。
「次の授業では生態とかも教えてもらえるかな」
チェリがそう言うと、ナハヤが答えた。
「リクエストしてみようよ。せっかく専門の先生が来たんだから」
「それもそうだな!」
ガンマが明るく言って、シルヴァーンの籠を覗き込んだ。
「なあ、お前のこと教えてもらえるかもしれないぞ」
シルヴァーンはガンマを一瞥して、舌を出してからそっぽを向いた。
「ぐっ……こいつケンカ売ってんのか!?」
ガンマはシルヴァーンを小突こうとして、ナハヤに止められてしまった。




