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20 兄の回想 守るべき者

 チェリが生まれた日のことを、ハリュナルは今でもよく覚えている。


 あの日、部屋の中にはハリュナルの家族が集まっていた。まだ幼かったナツァークも、父も。そして、他にも大人たち……一族のおじ様やおば様たちも何人かいた。

 そして祖父、ハリュークがやってきた。


 母は疲れたような顔をしてベッドに寝ていた。隣には生まれたばかりの赤子がいる。

 その赤子を抱き上げたハリュークの顔を、ハリュナルは忘れられない。あの人が、泣いていた。声を上げるわけでも崩れ落ちるわけでもない。目に涙をたたえて、小さな命をじっと見つめていた。


 ハリュナルはそれまで、祖父が泣く姿など想像したこともなかった。戦を収め、魔物を退け、寂れた領地に産業を興した、誰もが畏れる西の英雄。その人が生まれたばかりの赤子を前にして、静かに涙をこぼしていた。


 「この子は、私と同じ運命を持って生まれてきた」


 お祖父様がそう言うと、父やおじ様たちの顔色が変わった。


 (この子は、特別なんだ)


 幼いハリュナルは大人たちの雰囲気の変わりようから、そう感じ取った。


 しばらくして、ハリュナルの父がハリュナルとナツァークをベッドの近くに呼んだ。ハリュークからチェリを受け取り、ハリュナルの腕に抱かせてくれた。

 思っていたよりずっと軽かった。そして柔らかくて小さかった。

 こんな頼りないものをどうやって抱いていればいいのかと混乱しながら、赤子の顔をのぞき込んだ瞬間、ハリュナルの心に衝撃が走った。


 (なんだこれ、可愛い)


 それから、すぐに。


 (――守らなければ!)


 そんな気持ちが強く湧いてきた。

 突然やってきた、新しい家族。生まれたばかりの小さい女の子。

 ハリュークはこの子を見て涙していたが、ハリュナルの目は潤むことはなく、かわりに熱い炎が灯った。


 それまでのハリュナルは、一族の中で自分だけが特別だと言われて育ってきた。文も武も、他の誰よりもよくできた。祖父から名の一部を受け継ぐ唯一の者として、跡継ぎに相応しい器だと親族たちから口々に言われてきた。


 それがチェリの誕生を境に、変わった。

 親族の目がチェリだけに向くようになった。ハリュークが孫娘に見せる顔は、これまで誰にも向けたことのないものだった。

 一族のうち、チェリの一家だけが領主の城に住まうことを許された。チェリの安全と教育のためだという。


 チェリの存在が親族内の空気を少しずつ変えていくのが分かった。何もかもがチェリを中心に動いていくようになった。


 ハリュナルは親族たちに全く期待をされなくなった。だが、それについてはむしろ気が楽になっていた。

 やらなければいけない勉強や剣術をできるだけ早く終わらせて、チェリのそばにいたい。時間が惜しい。以前のように親族に呼び止められて挨拶やらお世辞やらを言われる無駄な時間がなくなって、むしろ助かったとさえ思っていた。


 ただ、ナツァークは少し違ったようだった。


 ある日、ナツァークが泣きそうな顔でハリュナルの元へやってきた。


 「兄様は……悔しくないんですか」


 何のことか、最初は分からなかった。


 「みんな、チェリばかり褒めるようになりました。あんなに兄様のことを特別だと言っていたのに。兄様は本当にすごいのに……私は悔しいです」


 ナツァークは、ハリュナルのために怒っていた。自分のためではなく。蔑ろにされているハリュナルのために。

 ハリュナルはそのことに気付いて嬉しくなって、少し格好をつけるような口調で言った。

 

 「そんなの、別に何とも思わない。褒められるためにやっていたわけじゃないから。周りが変わったとしても、私は何も変わってない」


 ナツァークは驚いたような顔をした。


 「でも……」


 「私は知ってるんだ、ナツァーク。特別だと言われ続けることの大変さを。期待される重さを。これからそれを全部チェリが背負うことになる。だから私たちが守ってやろう」


 ナツァークはぽかんとしてハリュナルの話を聞いていたが、

 「お前もチェリから兄様と呼ばれるようになるんだ。私たちは兄様仲間だ。一緒に守らないとな」

 そう言われると、ナツァークはハッとした顔になり、瞳を輝かせて力強く言った。


 「――はい、兄様!」


 ハリュナルは微笑むと、ナツァークの手を引いてチェリのいる部屋まで一緒に走った。

 走りながら、ナツァークがぽつりと言った。

 「……確かに、兄様は兄様です。何も変わってないです。すごいです」


 * * *


 「――というわけなんですよ、先生!」


 気づけばサジットは、教室後方の休憩用テーブルで、ハリュナルと向かい合って座っていた。


 いつからこうなったのか。確か授業が終わって、兄たちがまたやってきて、チェリたちと話し始めて、気づいたらハリュナルに椅子を引かれて座らされていて、それからずっと話を聞かされている。


 「兄様は、仲良くなった人には必ずこの話をするんです」


 チェリが申し訳なさそうにサジットに言った。ナハヤとガンマも同じような顔をしている。


 「ご迷惑をおかけしました。先生」


 「いえ、その……素敵なお話でした」


 サジットが正直にそう言うと、ハリュナルは満面の笑みになった。


 「でしょう! チェリは本当に可愛いんですよ。生まれた時から今まで、ずっと。先生もそう思いませんか」


 「は、はあ……」


 「優秀でしょう、チェリは。先生から見てどうですか」


 「それは……はい、飛び抜けて優秀です。質問の鋭さに驚くことが多いです」


 サジットが答えると、ハリュナルの目が輝いた。


 「やっぱり! それはですね、チェリが三歳の頃に――」


 「もう十分です兄様!!」


 チェリが素早く割り込んだ。


 テーブルの端で、ナツァークだけが静かにお茶を飲んでいた。先ほどから「あの時のナツァークは本当に可愛かった」とハリュナルに何度も言われ、その度に頭を抱えている。

 「あの時の兄上は……本当に頼りになるように見えたんだよ……まさかこんな……」

 トラブルメーカーになるなんて、というナツァークの言葉はため息に溶けた。 

 ナハヤとガンマはテーブルに突っ伏しているナツァークを慰めている。 


 サジットはその光景に小さく苦笑していた。


 ハリュナルがまた何か言いかけて、チェリに止められている。ガンマがツッコミを入れ、ナハヤが呆れ、ナツァークが静かに息をついた。

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