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14 断る者 臆する者

 小さな村のはずれの小高い丘の上に、古びた農家が一軒、ぽつんと建っている。


 ハリュークの秘書ナテュークの直属の部下である若い書記官は地図を確認しながら、その目的の家を見上げた。

 西領地のさらに西端、村というにはあまりに人の気配が少なく、道すがら出会ったのは放し飼いの山羊と遠くの畑で黙々と鍬をふるう人影だけだった。


 農家の木戸をノックすると、中から足音がし、ゆっくりと戸が開いた。


 現れたのは、うねるような灰白の髪と濃い眉をたたえた老人だった。背はやや曲がり、手のひらには土を耕した日々の跡が刻まれていた。だがその目だけは、まるで曇っていない。


 「……中央の大学の話など、もう何十年も聞いていないがね。まさか今さら、そんなことで訪ねてくるとは」


 書記官は丁寧に頭を下げ、持参した書状を差し出した。

 竜生学で首席を修めた人物を探していること。領主の孫娘が竜を育てており、来年の大学入学を目指していること。そして、どうしても適任の教師が見つからないということを伝えた。


 「一年だけで構わないのです。住まいも食事もすべてご用意します。もし条件面でご不安があれば、そちらも――」


 老人は書状に目を通すことなく、しずかに言葉を切った。


 「無理だ。私はもう、そういう世界から離れて久しい。畑と山と山羊に向き合ってずっと生きてきた。それが私には合っていたんだよ」


 書記官は言葉を選びながら、それでも食い下がった。


 「あなたを本気で必要としています。真剣なお願いなのです。その子らの未来のために、どうかお力添えを――」


 しかし、老人は首を振った。


 「私はあの時、たまたま仲間と研究対象に恵まれて、たまたま良い成績を収めただけだ。人にものを教える器などではないよ。遠くから来たのに申し訳ないが、期待には応えられない。帰ってくれ」


 そう言って、老人は背を向け、木戸を閉じた。

 

 戸口の外でしばらく立ち尽くした書記官だったが、やがて深く一礼し、来た道を引き返し始めた。


 ふと背後から聞こえてくるカタカタという音が気になって振り返る。

 老人の家の屋根から一本、奇妙に長い棹が空に向かって立てられているのに気づいた。


 風見鶏ではない。竿の先には風車が縦に何個も取りつけられていて、風も吹いていないのに勢いよく回って音を立てていた。

 村の他の家には見られないものだった。


 (――変わった飾りだな)


 そう思いながら、彼は向き直って、風車の音を背に再び歩き出した。


 * * *


 春祭が終わって数日。

 城の空気はすっかり落ち着きを取り戻していた。中庭にあった、春祭の竜の張り子作りの為の足場や道具や材料も一旦片づけられた。

 使用人たちは淡々と仕事をこなし、領主の執務室には再び厚い帳簿と報告書の束が戻っていた。


 そんな静かな朝、領主の城門の前で一人の若い女性が立ち尽くしていた。


 「……ちょっと待って、話が違う」


 それが口をついて出た第一声だった。


 春の風に揺れる深緑のマントの裾を押さえながら、彼女――サジットは重く息を吐いた。下を向いたせいで、ずれて下がってしまった眼鏡を慌てて元の位置に戻す。


 城門を警備する衛兵は、その様子を不審者を見るような目付きで見ていたが、声を掛けて書状を確認すると、態度を改め、敬意をもって案内のための使いを呼んだ。


 しかし、サジットはその場から動けなかった。


 「領主のお孫さんの教師なんて、聞いてない……」


 声はかすかに震えていた。驚きというより、もはや呆然とした困惑が色濃い。


 サジットは下級貴族の生まれで、中央の大学を卒業したばかりの若い家庭教師だった。

 卒業後すぐ、領地内を転々としながら、貴族の子弟たちに文法や論述、地理や基本的な歴史と、大学合格へのノウハウを教える家庭教師を続けてきた。


 この国では、平民の子どもたちは学校に通うのが一般的になっている。

 西領地では領主ハリュークの施策によって、各地に「下の学校」が整備され、誰もが読み書きと計算を学べるようになった。さらに成績優秀者は「上の学校」へ進み、そこでも成果を上げれば、奨学金を得て中央の大学へ進学する道も開かれている。

 一方、貴族の子弟にとっては、昔ながらの慣習として家庭教師による個別教育が基本とされている。家庭で学びを受けた後、大学へ進学するのが通例だ。


 上級貴族の中には、大学に高額な寄付を行い、「寄付枠」で子どもを無試験で入学させる者がほとんどである。

 しかし、下級や中級の貴族にとってはそうした手段を使うことはできず、大学に進むには入学試験に合格するほかない。


 サジットは、下級中級貴族の子弟――とくに中央の大学を目指す者たちに特化した家庭教師だった。


 受験特化の家庭教師には一定の需要がある。

 おかげでサジットは「結婚しろ」という親の圧から逃れつつ、実家からも程よく離れた場所で暮らせている。

 ありがたいことに、担当した生徒の合格率は高く、受験特化型の家庭教師としての評判も上々だった。


 そんな折、「長期契約あり、待遇良好、住み込み可」という求人があり、飛びついてしまった。

 受験シーズンが終わり、受験特化の家庭教師の需要が減ってきた時期だったせいもある。次の教え先の確保のために焦って決めてしまったのだ。


 契約内容をよく確認しなかった自分を責めながら、サジットは顔を両手で覆った。


 「まさか、領主のお孫さんがわざわざ受験して入学するなんて思わないじゃない……」


 お金があるんだから寄付で入学すればいいのに!という言葉はすんでのところで飲み込んだ。


 「あの、先生……?」


 案内をしに来た若い使用人が恐る恐る声をかけると、サジットはびくりと肩をすくめた。


 「す、すみません。今行きます……」


 覚悟を決めるように深呼吸をしてから、城門をくぐる。

 舗装された石畳の道、整えられた芝、そして遠くにそびえる白い塔。


 ここが西の領主の本拠地――「西の英雄」とまで称される、あのハリュークの住まいだ。


 (私、なんてところに来ちゃったんだろう……)


 紋章の刻まれた格式高い大扉が、静かに開かれる。

 彼女の教師としての一年が、静かに幕を開けようとしていた。

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