12 それぞれの事情 それぞれの決意
春祭の喧騒が過ぎ、静けさの戻った城内に、再び小さな波紋が広がり始めていた。
チェリ、ナハヤ、ガンマの三人が、来年から中央の大学への進学を目指すことになった。しかも、飛び級での入学に挑戦するという。
ナハヤとガンマも一年間はこの城に留まり、チェリと一緒に専任の教師をつけて学ぶ――その話が広まると、使用人たちの間に緊張が走った。仕事量や配置がどうなるのか、皆が気を揉みはじめたのだ。
加えて、今城内で話題の中心にあるのは、やはり子竜シルヴァーンの存在だった。
「一目でいいから見てみたい」――そんな好奇心から、使用人たち、特に年若い者は手すきの時間を見計らっては、代わる代わるチェリの部屋の前までやってくる。
その対応に追われていたのが、チェリ付き筆頭メイドのディラである。
チェリの部屋のドアの前に立ち、睨みを利かせる羽目になっていた。部屋を覗こうとする不届きな使用人を追い返している。
「……チェリ様にお願いして、皆に子竜をお披露目する機会でも設けた方がいいのかしら」
使用人の立場から持ちかけるには少々図々しいお願いだが、チェリはきっと耳を傾けてくれる――そう思わせるだけの、主人としての度量を備えた少女であった。
* * *
その頃、チェリは自室で、両親――父、ナテュークと母、リェンタと向き合っていた。
「教師の選定は進んでいる。それぞれの理解度に合わせたカリキュラムも組むので、みなしっかり勉強できるようになるはずだ。ただ、竜生学はなかなか適任が見つかりそうにないので、学べるのは少し後になるかもしれない」
父であるナテュークは、この先の予定を淡々と娘に伝える。
「……うん」
「大学に行くって、本当なの!?」
チェリの相槌を遮るように、母リェンタが口を開いた。優しい声の奥に、少しだけ不安と驚きがにじんでいる。
「うん。私、自分で決めたの」
チェリはしっかりと答えた。ナテュークは静かに頷く。
「子竜の責任を取らなきゃいけないし。あんな劇までやっちゃったんだし」
「そう……」
リェンタはそっとチェリの手を握った。その手は温かく、少しだけ震えていた。
「あなたが本気なら、私は何も言わないわ。でも一年後には中央に行っちゃうのよね。それが、ちょっとだけ、寂しいの」
母が微笑みながら、そっとチェリの手に触れる。
チェリは目を瞬かせた。
「あの……その前に不合格になるかも、って思わないの?」
チェリが苦笑混じりに言うと、母は首をかしげた。
「え? だってチェリちゃんなら絶対に受かるでしょ?」
あまりにあっけらかんと言い切るので、チェリも父も、同じように目を伏せて口を閉じた。
(……さすが、というかなんというか)
もはや否定する気も起きない。ため息交じりに、チェリは母の手を軽く握り返した。
少し間があって、母がぽつりとつぶやく。
「チェリちゃんは、寂しくないの?」
声は柔らかかったが、問いそのものには不意を突かれた。
チェリは一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに顔をしかめて言い返す。
「……もー、なにそれ。子どもじゃないんだから!それに大学には兄様たちもいるでしょ。特にナル兄様は毎日でも会いに来そうだし……」
そう言いながらも、チェリは母の手をまた強く握り返した。
「……正直なところ、私も心配している。少し前まで、こんなに小さな赤子だったお前が、もう大学を目指すなどと」
ナテュークは手で赤子の大きさを示すような仕草をしながら、しみじみとした口調で言った。
「まだ全然小さいよ。でも、やるって決めたからには、やらなきゃ」
チェリはナテュークを見上げると、自分の背丈を確かめるように一度背伸びをしてから、ぽつりと口を開いた。
彼女の身長は、同世代の女子と比べても高いほうではなく、本人もそれを少し気にしている。
「さっきは“もう子どもじゃない”って言ってなかったか?」
「……言ったっけ?」
「……きゃきゅっ!」
シルヴァーンは親子の会話など意に介さず、部屋の中をころころと転がっていた。
* * *
一方、ガンマは城の自室――客間として割り当てられた部屋で、両親の訪問を受けていた。
「勉強する気のなかったお前が、まさか大学を目指すとは……」
父のアキュークが笑いながら言った。母アルノも隣で頷いている。
「チェリちゃんに感謝ね。あの子がいたから、あなたもその気になったんでしょ?」
「べ、別に! 自分で決めたんだよ!」
「……あっ!わかった!竜目当てでしょ!大きく育てて背の背に乗ってみたいとか思ってるんじゃないでしょうね。危ないからやめなさいよ」
「は?乗るって……あっ、あー、うん……の、乗りてえー!竜!」
アルノは釘を刺すために言ったのだが、逆にガンマは目を輝かせ始めた。
「余計なこと言った……?でも、勉強をやる気になるなら悪くないのかしら。少し乗るくらいなら危なくはない……?」
ガンマとアルノの間の抜けたやりとりを見ながらアキュークは肩をすくめた。
「ま、やる気が出たなら何よりだ。ちゃんと応援するさ。強くなるには体を鍛えるだけじゃダメなのは身に沁みているしな。勉強、頑張れよ」
アキュークは、商人であるサリアの息子だが、商才には恵まれなかった。むしろ体を動かすことのほうが得意だったため、幼い頃から剣士であるリッテに稽古をつけてもらい、現在は武官の職に就いている。
今では、若い頃に真面目に勉強をしてこなかったことを密かに悔いており、ガンマが大学を目指すことには、むしろ賛成の立場だった。
「うん。そうだよな!……ありがとう!頑張る!」
ガンマは満面の笑顔で返事をした。
* * *
そして、ナハヤの部屋。
部屋に入ってきた母のリアーナは、椅子に腰を下ろす間もなく話し始めた。隣に立つ父は、ただ腕を組んで様子をうかがっている。そして、弟のジェイワは父の後ろに隠れていた。
「まあまあ、ナハヤ。チェリちゃんと一緒に大学を目指すんですって? 城での暮らしを認めてくださるなんて、お義父様のお眼鏡にかなったということね。よくやったわ」
「……母さん、そんなに嬉しい?」
「当然でしょ? お義父様のお気に入りになれば、うちの家にも何かと良い風が吹いてくるわよ。今まではチェリちゃんばかりだったけど、これからはナハヤも……」
ナハヤは露骨に顔をしかめた。
「そういう打算的な話なら、僕は関係ないから。それにお祖父様に気に入られたんじゃなくて、結局はチェリのためになるからで……」
「そんな弱気でどうするの。少しはお義父様に気に入られるように振る舞いなさい。他の従兄弟たちに負けるんじゃありませんよ!」
リアーナが本気で期待を寄せている子供は、チェリと親しくしているナハヤだけだった。この部屋にはナハヤの弟であるジェイワもいるのに、リアーナの視界には入っていない。母の重たい期待は、ただ一人ナハヤの肩にのしかかっている。
ナハヤは返事をせず、視線を窓の外へと逸らした。
部屋の隅に立つ父フィルユークは、相変わらず無表情で、ずっと腕を組んだまま何も言わなかった。
側にいるジェイワを構うこともなく、ただつまらなさそうにしている父に、ナハヤは視線を向けた。
「……父さんからは、何もないの?」
問いかけに、フィルユークはわずかに眉を動かしただけで、
「……好きにしなさい。お前の思う通りに」
と、ぶっきらぼうに返した。
その一言に、ナハヤはふっと苦笑をもらした。
「……まあ、いつものことか」
父がナハヤの意見に反対したことは、一度もない。けれどそれは支持でもなかった。ただ距離を置いたような態度に終始し、最終的には押しの強い母の意見が通ってしまう。父は自分の味方ではない――ナハヤには、そう思えてならなかった。
そしてきっと、チェリやガンマは、あの優しくて暖かい両親に背中を押されているのだろう。そう考えると、ナハヤの胸の奥には小さな痛みが残った。




