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11 父と息子 唯一の孫娘

 春祭の翌朝、城の執務室には静かな光が差し込んでいた。

 長机の上には、分厚い資料の束がいくつも積み上げられている。西領地から中央の大学に進学した奨学生の記録、さらには大学の学科ごとに学生の出身地を記したリスト、ここ十年の入学試験傾向を分析した書類まで。

 チェリの家庭教師の選定のため、ハリュークはそれらを一枚一枚丁寧にめくりながら、筆を走らせていた。


 「……数学、魔法理論と実技、文法と論述、歴史。これらの指導者は選び放題だ。次は……竜生学」


 竜生学の文字を見て、ハリュークの筆がぴたりと止まった。


竜生学――竜の生態、行動、文化史的意義を総合的に扱う学問。かつては、竜の実態を積極的に調査し、あるいは人とのコミュニケーションを試みようという機運もあったが、現在ではほとんど廃れている。


 竜の個体数自体は少なくないものの、人に懐く性質ではなく、飼育の成功例は極めて稀。空を飛ぶため捕獲調査も困難であり、さらに飛行中の個体をこちらも飛んで追跡しようとすれば、攻撃的な行動に出るという、非常に扱いづらい存在である。


 基本的に竜は人間に興味を示さず、こちらが空を飛ばない限り、敵対行動を取ることもない。

 そのため、過度に関わらず距離を保つのが賢明とされ、人間は竜に対して観察以上の関与を諦めてしまっている。


 「……やはり、なかなか見つからないか」


 ハリュークはそう呟いた。西領地から中央の大学に進学し、竜生学を修めた者の記録はいくつか確認されていた。しかし、専門の教師として任せられるほどの人物は見当たらない。ほとんどが、竜生学を単位取得の一環として履修していただけで、専門的な研究には至っていないようだった。


 ただ一人、竜生学の卒業論文を提出し、首席で学科を修了したという際立った成績の人物がいた。だが、その名の横には「所在不明」と記されている。卒業年からするともう老年に差し掛かっているので、所在が分からないのは仕方のない事かもしれない。

 だが。


 「……気になるな」


 小さく呟いたその時、執務室の扉が控えめに叩かれた。


 「お呼びでしょうか」


 入ってきたのは、ハリュークの三男――実の息子であり、秘書も務めるナテュークだった。

 きっちりと整えられた身なりと、機械のように無駄のない動きは、彼が一流の官吏であることを物語っていた。


 「この名を調べろ。お前の世代よりもかなり上なので情報が少ない。中央の資料室にも協力を仰げ」


 「かしこまりました」


 ナテュークは書かれた名前を一瞥すると、手早く書類を受け取り、懐にしまった。


 「すぐに連絡網を使って、動きます。知人関係にも心当たりがあるので、非公式な接触も試みましょう」


 「抜かりなくやれ」


 ハリュークが短く言い、それで話は終わるかに思えた。


 だがナテュークは、去りかけて足を止めた。


 「……父上。一つ、身内としての心配を申し上げてもよろしいでしょうか」


 その声色は、先程までの官吏としての硬さからわずかに外れていた。


 ハリュークは眉を動かすことなく、資料に視線を落としたまま「なんだ?」とだけ言った。


 「……チェリに……私の娘にだけ、特別すぎやしませんか」


 その一言に、室内の空気がわずかに変わった。


 「孫は四十八人おります。なぜチェリ一人にこれほどの手を尽くすのですか。彼女は――娘は確かに才覚がありますが、それは他の孫も同じです。ガンマは剣の才に恵まれ、ナハヤは学問に長けています。いずれも跡取りに相応しい器になりつつある」


 彼は一息置いてから、静かに続けた。


 「親族の間に、疑念と軋轢が生まれています。……昔から、チェリには特別に接しておられたとは思っていましたが、最近は――贔屓がすぎます」


 ナテュークの声音はあくまで抑制されていたが、その瞳には困惑がにじんでいた。

 己を含む息子たちにもいつでも公平で、ここまで一人だけに心を砕いたことはなかった。

 一人の孫娘にこれほどまで入れ込むとは、父らしくもない――そんな戸惑いが、言葉の端に滲んでいた。


「行き過ぎれば……領内にも不和を生むことになりかねません」


 だが、ハリュークは顔を上げない。

 机の書類を丁寧に揃え直しながら、ただ一言、低く呟いた。


 「……そうか」


 そして静かに言葉を継ぐ。


 「ならば、よく見ていろ」


 その声には、静かな熱があった。誰に弁明するでもなく、ただ己の信じる道を貫こうとする意志の色だけが、淡く残っていた。


 ナテュークは一礼し、無言で執務室を出ようとした。

 だが、扉の前でふと足を止める。


 「……父上にも、血を分けた者への“愛”があったとは」


 皮肉のような響きを込めて、ナテュークは静かに言った。


 「寄付を積めば無条件で入れるであろう所を、あえて受験させているのだ。十分に厳しくしているつもりだが?」


 ハリュークはため息混じりにそう吐き捨てた。


 「確かに」


 ナテュークは短く同意を返す。だが、その顔に浮かぶのは納得ではなく、釈然としない思いだった。


 「でも……受験をさせること自体、特別扱いにしか見えないんですよ」

 

 呟くように言い残して、ナテュークは静かに部屋を後にした。

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