でるでる課新設、スカウトへ 〜ユキの救済〜
2人目、慈眼是親を訪ねた。
古いマンションの5階にある端部屋。中は畳にソファのある和洋折衷になっていた。
養父母は小規模の貿易会社を経営、現在は海外へ行ったきりになっている。養父方の父親が是親青年と暮らしていたが最近亡くなったらしい。
通された奥の部屋はかすかに線香の香りがした。
彼がお茶を淹れるために台所に立っている間、部屋の中を眺めた。物の少ない和室は小ざっぱり整えられている。地味な色合いの古い家具が並ぶ中、陶器に飾られた一輪の白菊が彼を思わせた。
白菊の隣には義祖父の写真があった。
「優しそうな方ですね」と言ったのを皮切りに、青年と義祖父の思い出話が始まった。
義祖父の蓮次さんは町工場の工場長を務めた人で、2年前に定年退職したと家族説明欄にあった。
青年によると、蓮次さんは面倒見が良く温厚な人柄だったと言う。仲が良かったようで囲碁や将棋打ったり、休日は一緒にスポーツ観戦や釣りを楽しむこともあったらしい。
「私は幼い頃に養子に来たそうです。でも昔の事はあまり覚えていないのです」
彼は湯呑を3つ用意してお茶を注ぐと、ひとつを故人の写真の前に置いた。
「人は忘れる生き物ですから」
青年の2年より前の記憶が捏造だと知っているので気まずかった。
しばしの沈黙があり、今日来た件を切り出そうかと思っていたところだった。
「……なんて。本当は、覚えているんです」
「えっ?」
「阿羅漢さんとは長いお付き合いになりそうなので、話しておきたいのですがよろしいでしょうか?」
「……はい」
是親青年は、自分が過去にガランを往復していることを話した。11歳の頃オキザリスに救われガランに転移したが、数年後にガラン危機でまた戻ってきたことを。
「私たち4人がガランから日本に戻ってきた時、六波羅市長がいくつかの魔法をかけました。主に精神魔法で、記憶の消去や改ざんに関するものです。それはオキザリスにとって都合が良いからですが、私たちに異国でのストレスを感じさせないための親心でもありました。
私には精神を操作する魔法はかかりません。でも、かかったふりをしました。養父母や蓮次さんとはずっと昔から一緒だった、そう振る舞えば皆安心してくれる。お互いにストレスが少ないと思ったので。
精神魔法ではない魔法封じはかかっています。現在も封じられた状態ですがいつでも自分で解除できます」
「そうだったのですか。精神魔法がかからないというのはあなたが賢者だからなのでしょうか」
「おそらく。発動してからしばらくして気づきました」
「すると……非常に聞きにくいことなのですが、あなたが幼少期にガランに行く事になった理由なども覚えていらっしゃるのですか? オキザリスが子供を救うのは命の危機に晒された時と聞いています」
「はい。すべて覚えています。助けていただいたお礼を言いたいところですが、忘れたふりをしているので言えないのがもどかしいです」
「ああ……なんと言って良いのか私には分かりませんが……お辛いことでしょう」
「辛いことも含め、私の記憶です。奪われたくはありません」
私ははっとした。雲水兄さんと再会して、オキザリスの本部で話を聞いていた時に感じた胸の痛み……その正体が分かった。記憶は持ち主の一部であり人生そのものだ。簡単に変えたり消したりしていいものではない。記憶を改ざんされる子供たちへの同情、それを行っている兄さんに対する憤り、そうせざるを得ない状況へのやるせなさや自分の無力感が痛みの正体だ。
マンションの外で子供たちがはしゃいでいる声がする。下校時刻なのだろう。
「私は上手くやっていると思っていました。でも蓮次さんは見抜いていたんです。お前は魔法なんてかかっちゃいない。ずっと前からここにいたという馬鹿馬鹿しいふりなんてしなくていい、と。何で分かったんですか? と聞いたら、お前を見ていれば分かるって言われました」
青年が嬉しそうに微笑む。
「何だか気が楽になって、それから蓮次さんとはよく話すようになったんです」
「なかなか慧眼の持ち主だったのですね」
「ええ。蓮次さんの仕事をご存知だったでしょうか?」
「工場長と聞いています」
「それは偽のプロフィールで、本当はヤクザの組長でした」
「それはまた……驚かれたことでしょう」
「袖をまくった時に気づきました。家では薄着でくつろいでいて、隠す気はないようでしたが」
「入れ墨ですね」
「ガランではよく見たので驚きはなかったです」
青年は空になった私の湯呑に2杯目のお茶を注いでくれた。勧められた茶菓子を口に入れると懐かしい味がした。
「阿羅漢さん、私は賢者になる資格などない人間なのです。ガランに避難する前、私は肉親に刃物を向けたことがあります。あと少しのところでした。
蓮次さんは、私が背負っているものに気づきました。私の長い話を聞いて泣きながら、刺さなくてよかったなと言ってくれました。
私の気持ちが分かったのは、蓮次さんが人を殺めた人だからでした。私は彼の事情、罪悪感と後悔について聞きました。私と蓮次さんは立場も状況も違いますが、自分の恐ろしい感情と消せない過去について誰かと気持ちを分かち合うことで、自分を許せないまでも終わらない地獄から脱出することができたのです。
長年刑務所にいた蓮次さんは、ちょうど私が養子としてここに来た時に出所してきました。それを出迎えたのは私です。養父母はその前に海外へ行きました」
「逃げたのですね、自分たちの親である蓮次さんをあなたに任せて。オキザリスの協力者にそんな人たちがいたのは残念です」
「今となっては感謝しています。私を救ってくれたのは蓮次さんですが、この複雑な運命が私を救うためのプログラムだったと思えばすべてがありがたいです」
「聞いたお話は私の胸に留めておきましょう。あなたが救われて良かったです。では、私も話しておきます。
私は市長と関わりが深く最近オキザリスに戻ってきた人間です。この勧誘には意図があるのですが、是親さんが望まなければ無理にとは言いません」
「はい。最初にお声を掛けていただいた後に、何かあるのではと思いました。流れに任せたいと思います。阿羅漢さんが何者であるかは問いませんし、勧誘の意図も伺いません。私の上司になってください」
是親青年に信頼を寄せられていることが分かり、嬉しかった。私が年長者で、彼が年長者に救われたからなのだろうか。そんな理由でもいい。
書類を封筒から出して渡した。
「是親さんはまだ大学2年生とのことですが、すぐ来ていただくわけには行きませんか?」
「はい、喜んで。養父母にも連絡し了解を得ました。私自身も自立してここを出ようと思っていたところです」
「助かります」
彼と義祖父の蓮次さんはまったくの他人で養子関係でもない。それでも是親青年は蓮次さんの49日が過ぎるまではあのマンションにいると言う。
雲水兄さんとエルダー・リリー、是親青年と蓮次さん。生者と死者の魂の繋がりを思いながら帰路に着いた。




