第11話 ユナ対エル
第51話
同じ日。パドゥーラ東方。
「来たね」
エルは東方を見た。
斥候から報告を受けた兵士が、地図を広げる。
「セイレン軍は東の砦へ到着。先に撤退していたパドゥーラ軍、およそ三千と合流しました」
「合わせて五千」
「はい。ほぼ我々と同数です」
「そう」
エルは地図へ目を落とした。
「敵将は?」
「セイレン軍を率いているのは、ユナ=リズナー」
「……ユナ=リズナー」
「ご存じですか?」
「知ってる」
それだけだった。
「パドゥーラ軍の指揮はキースです」
「そう」
セイレン兵二千。
パドゥーラ兵三千。
合わせて五千。
こちらも五千。
「敵は?」
「東の砦から出ました。こちらへ向けて進軍しております」
「出たの?」
「はい」
「……そう」
エルは少しだけ考えた。
「急いでるんだね」
「おそらく、北の砦の救援を目的としているものと」
「うん」
東の砦に籠もっていても、北の砦は救えない。
パドゥーラ市街も取り戻せない。
だから、出てくる。
「兵力はほぼ同数ですが、いかがいたしますか?」
「迎え撃つ」
即答だった。
「野戦で、ですか?」
「向こうから出てきてくれるんだから」
エルは地図上の街道を指でなぞった。
「ここ」
「この平原ですか?」
「うん」
「敵も五千おります」
「知ってる」
エルは顔を上げた。
「準備して」
「はっ!」
兵士が去っていく。
エルはもう一度、東方へ目を向けた。
「全軍、出るよ」
そう言って、馬へ向かった。
◇
「左翼、前へ出すぎないで!」
ユナの命令が飛ぶ。
「トウヤ!」
「分かってる!」
トウヤがすぐに伝令を走らせた。
「左翼第二隊、前進を止めろ! 第一隊との間隔を詰めろ!」
角笛が鳴り、兵が動く。
ユナは戦場を見渡した。
おかしくはない。
少なくとも、自分ではそう思う。
敵は五千。
こちらも五千。
正面からぶつかるだけでは不利になる。だから地形を選び、左翼をわずかに高い場所へ置き、ロスバルトを中央へ集めた。
パドゥーラ兵には土地勘がある。
無理に混成させず、それぞれの指揮系統も残している。敵の動きを見て対処できるよう、予備兵も確保した。
悪いはずがない。
ユナとて姉とともに戦場に出たことはある。
あのレンヌにもいたのだ。
「中央、来るぞ!」
トウヤが叫ぶ。
「分かってる!」
リービッヒ軍が動いた。
中央。
ユナが予想していた場所だった。
「中央、受け止めて! まだ予備は動かさない!」
ロスバルトが盾を並べる。
ぶつかった。
激しい金属音と怒号が響く。
中央は耐えた。
「よし……!」
ユナが息を吐く。
その直後だった。
「右翼!」
トウヤの声。
ユナが振り向く。
「え?」
リービッヒ軍の一部が動いている。
多くはない。
だが、絶妙な位置だった。
「右翼第三隊を下げて!」
「下げろ!」
命令が伝わる。
間に合った。
崩れない。
ユナはすぐに中央へ視線を戻した。
「予備隊を――」
言いかけて止まる。
中央の敵が下がっていた。
「……なんで?」
押していたはずだった。
こちらが耐えた。
だから敵が退いた。
そう見えた。
だが。
「追ってはだめ!」
ユナは叫んだ。
「中央、その場を動かないで!」
兵は止まった。
追撃しない。
その判断も間違ってはいなかった。
なのに。
「左翼に敵!」
「分かってる!」
今度は左だった。
先ほどまで中央にいた兵の一部が、いつの間にか左へ回っている。
「左翼を下げる! 中央と線を合わせて!」
「伝令!」
トウヤが命令を飛ばした。
左翼が下がる。
戦列を作り直す。
間に合った。
まだ崩れていない。
「……」
ユナは唇を噛んだ。
何かがおかしい。
いや。
何もおかしくない。
敵が奇妙なことをしているわけではない。
こちらも失敗していない。
中央を押されれば中央を支えた。
右翼へ回れば右翼を下げた。
左翼へ来れば、左翼を整えた。
全部、対応できている。
それなのに。
少しずつ。
少しずつ。
こちらだけが下がっている。
「ユナ!」
「分かってる!」
今度は中央だった。
先ほどより強い。
「予備隊を中央へ!」
「予備隊、中央!」
トウヤが叫ぶ。
予備兵が走り、中央が持ち直す。
「よし……」
その瞬間。
「右翼、敵騎兵!」
「――!」
ユナが振り向いた。
予備を中央へ入れた直後だった。
右翼へ回せる兵がいない。
「右翼第二隊を後退! 無理に受けないで!」
「右翼、後退!」
トウヤの命令が飛ぶ。
右翼が下がる。
崩壊は防いだ。
だが。
また、下がった。
「……なんで」
ユナは戦場を見る。
兵数は同じ。
こちらだって戦っている。
ロスバルトは弱くない。
パドゥーラ兵も逃げていない。
命令も届いている。
トウヤも、きちんと部隊を動かしている。
なのに。
勝てない。
何をしても、先にいる。
こちらが対応すると、次が来る。
その次へ対応すれば、また別の場所を突かれる。
一つ一つなら防げる。
だが、それを繰り返すたびに兵は疲れ、隊列は乱れ、少しずつ戦場の主導権を奪われていく。
「左翼、また来ます!」
「分かってる!」
ユナは命令を出した。
左翼が耐える。
中央も耐える。
右翼も、まだ崩れていない。
それでも。
戦線全体は、すでに最初の位置から大きく後退していた。
「……強い。こんなにも差があるの……」
初めて、その言葉が漏れた。
敵将。
エル=リージェット。
パドゥーラで会ったこともある。
綺麗で、優しい、本当に天使のような子だった。
だが。
戦場で相対するというのは、まるで違った。
正確にこちらの動きをみて先回る。
天使?
全然違う。
まるで悪魔だ。
歯が立たない。
「ユナ!」
トウヤが馬を寄せてきた。
顔には汗と土がついている。
「これ以上は限界だ!」
「……」
「支えきれない」
ユナは戦場を見た。
まだ壊れてはいない。
だが、このまま続ければ壊れる。
そして一度崩れれば、もう止められない。
ここで退くか。
それとも、もう一度だけ賭けるか。
迷ったのは一瞬だった。
「撤退しよう」
トウヤがユナを見る。
「東の砦まで下がる。まだ動けるうちに」
「……分かった」
トウヤはすぐに馬首を返した。
「指示を出す!」
「お願い!」
「伝令! 各隊へ! 順次後退! 東の砦まで退くぞ!」
角笛が鳴った。
だが、敵の攻撃は止まらない。
「後ろを向くな!」
トウヤが叫ぶ。
「走るな! 隊列を崩したら追いつかれるぞ!」
ロスバルトが後退を始める。
パドゥーラ兵も続く。
ユナは何度も後ろを振り返った。
リービッヒ軍が追ってくる。
速い。
「急いで!」
東の砦が見えた。
門が開いている。
「負傷者から入れて!」
「ユナ、お前も入れ!」
「まだ!」
「総司令官が最後まで残る必要はない!」
「分かってるよ!」
兵が次々と砦へ駆け込んでいく。
最後の部隊が門をくぐる。
「ユナ!」
「うん!」
ユナも馬を走らせた。
門を抜ける。
「閉門!」
重い門が閉じ始めた。
その向こうから、リービッヒ軍が追ってくる。
だが、間に合わない。
轟音とともに門が閉じた。
「……」
ユナは馬上で息を吐いた。
勝てなかった。
悪い手を打ったつもりはない。
兵も戦った。
トウヤも支えてくれた。
それでも。
まるで勝てなかった。
東の砦の外には、エルの紅い旗が並んでいた。
◇
東の砦の門が閉じた。
エルは馬上から、それを見ていた。
「……入ったね。いい判断」
「はい」
兵士が答える。
「敵軍、ほぼすべて東の砦へ退却したものと思われます」
「そう」
エルは砦を見た。
予想よりも強かった。
セイレン兵二千。
パドゥーラ兵三千。
急遽合流した混成軍。
もっと簡単に崩れると思っていた。
だが、崩れなかった。
「ユナ=リズナー……さすがロスバルト」
エルは小さく呟いた。
初めてまともに軍を率いたにしては、よくやっていた。
でも。
ただ、それだけだった。
「追撃しますか?」
「しない」
即答だった。
「しかし、敵は砦の中です。このまま包囲すれば――」
「時間がかかる」
「……はい」
「北の砦が先」
エルは馬首を返した。
最初から言っていた。
二千程度なら、後でどうとでもなる。
結果として五千になったが、それでも同じだった。
野戦で押し戻した。
東の砦へ閉じ込めた。
すぐにパドゥーラへ向かってくることはできない。
それで十分だった。
「全軍」
エルは言った。
「パドゥーラに戻る」
「はっ!」
命令が伝わる。
リービッヒ軍五千が動き始めた。
エルは一度だけ、東の砦を振り返った。
「……思ったより、強かったね」
それだけ言って、前を向く。
パドゥーラへ戻る。
北の砦を落とす。
次にすることは、それだけだった。
◇
リービッヒ軍は包囲してこなかった。
東の砦の城壁から、ユナはその姿を見てほっとした。
五千の軍勢が隊列を整え、東へ向かっていく。
パドゥーラへ戻るのだ。
「……行っちゃった」
呟いた。
勝ったから帰る。
それだけなのだろう。
こちらを包囲する必要すらない。
「ユナ」
声をかけられ、振り返った。
ジャンだった。
戦場には出ていない。
正確には、ここまでは何とか馬でついてきたものの、野戦へ出せるような人間ではなかった。軍事の心得以前に、まともに馬を操ることさえ怪しい。
ユナたちが出撃している間、ジャンは西の砦に残っていた。
それでも、その姿を見た瞬間、ユナは安堵した。
ジャンは城壁を降りてきたトウヤを見る。
鎧は土に汚れ、額から汗が流れていた。
「負傷者は?」
「確認させてる。死者も出た」
「……そうか」
ジャンはそれ以上聞かなかった。
トウヤが壁にもたれた。
疲れている。
戦っていた時間そのものは、それほど長くない。
それなのに、ひどく消耗していた。
ジャンは西へ去っていくリービッヒ軍を見る。
「それほどか」
「……ああ」
トウヤは即答した。
そして、少し間を置く。
「あれは異常だ」
「異常?」
「ああ」
トウヤは吐き捨てるように言った。
「ロスバルトがこれほど子供のように扱われたことなどない」
ジャンが黙る。
「ユナの指揮が悪かったのか?」
「違う」
これも即答だった。
ユナが二人を見る。
「俺も横で見てた。おかしな命令は出してない」
トウヤは言った。
「追うべきじゃないところでは追わなかった。下げるところでは下げた。予備も残した。俺もできる限り指示を通した」
「それでも、あれか」
「ああ」
トウヤは城壁の向こうを見る。
「何をやっても、一つ、二つ、先にいる」
「……」
「こっちが間違えたから崩されたんじゃない。正しい手を打っても、その次を即座に打たれる」
ジャンは黙った。
「一度でも判断を間違えれば、たぶんそこで終わってた」
「そんなに……」
「だから、ユナが退くと言ってくれて、正直、助かった」
ユナが顔を上げる。
「もう少し続けていたら、俺でも支えきれなかった」
「……」
「全軍、崩れてたと思う」
ジャンは再び西を見る。
もう、リービッヒ軍の姿は小さくなっていた。
「エル=リージェット……」
名前はよく知っている。
パドゥーラで会ったこともある。
あの時は、こんな戦いができる人間には見えなかった。
優秀な行政官。
優秀な副官。
それがジャンのエルへの印象だった。
「……あいつ、そんなに強かったのか」
「強いよ…… 強いなんてもんじゃない。あの子、天使じゃない。悪魔だ」
答えたのはユナだった。
ジャンが振り返る。
ユナはまだ、西を見ている。
「姉さまが言ってた意味、やっと分かった」
「ユマが?」
「うん」
ユナは小さく頷いた。
「戦ってみれば分かるって」
ジャンは何も言わなかった。
ユナは去っていく軍勢を見続けた。
「……全然、届かなかった」
五千対五千。
兵数は同じだった。
こちらも弱兵ではない。
悪い戦いをしたとも思わない。
それでも。
勝てるとは、一度も思えなかった。
「でも」
ユナは砦の中を見る。
負傷兵が運ばれている。
パドゥーラ兵とロスバルト兵が、互いに肩を貸していた。
「まだ終わってないよ」
ジャンがユナを見る。
「私たちは、パドゥーラを助けに来たんだから」
負けた。
だが、軍は残っている。
五千すべてを失ったわけではない。
砦も残っている。
ユナは西へ目を戻した。
「次を考えよう」
その先にあるパドゥーラでは、まだ戦いが続いていた。




