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アーネム戦記  作者: Tanu1016
第一章 都市同盟

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第4話 偽報告


「なるほど。よく調べたね、ワイズマン君」


 グリフィス三世は、ジャンの提出した報告書に目を通しながら満足そうに頷いた。


挿絵(By みてみん)


 レンヌ要塞司令官の執務室。


 相変わらず豪華な部屋だった。高価そうな絨毯に絵画、棚には年代物の酒が並んでいる。つい先日までなら趣味の悪い部屋だと思う程度だったが、帳簿を調べ尽くした今では、それぞれの品にいくら軍の予算が使われたのか気になって仕方がなかった。


「それで、君はどう考えているのかな?」


「横流しの可能性があります」


 ジャン=ワイズマンは即答した。


「搬入記録と支給記録、倉庫の在庫を照合したところ、説明のつかない数量の不一致が見つかりました。単なる記帳漏れとは考えにくいですね」


「前線では物がなくなるものだよ」


「もちろん、輸送中の紛失や破損も確認しました。しかし、同じような不一致が何か月も続いているんです。偶然とは考えられません」


 ジャンは机の上に並べた伝票を指差した。


「特に問題なのは、この司令部決裁による別途配分です。物資が払い出されたことになっていますが、配分先に受領記録がありません。しかも、複数の伝票に同じ決裁印が使われています」


「……ほう」


「現段階では誰が関与したかまでは分かりませんが、調査する価値は十分にあるでしょう」


 グリフィスは報告書を置いた。


「ずいぶん熱心だね。しかし、君は大学を出たばかりだろう。少し数字を信用しすぎているんじゃないかな?」


「数字が間違っていれば訂正すればいいだけです。ですが、そのためにも調査は必要でしょう」


「分かった。こちらでも調べておこう」


「ありがとうございます。それで、いつ頃までに結果が出ますか?」


 グリフィスの笑みがわずかに止まった。


「ワイズマン君。君は少し働きすぎだ」


「そうでしょうか?」


「若いうちは熱意がある。それは結構なことだが、自分の担当を越えてあれこれ首を突っ込むのは感心しないな」


「出納は私の担当ですが」


 室内に沈黙が落ちた。


 グリフィスはしばらくジャンを見つめていたが、やがて穏やかな笑顔に戻った。


「確かにそうだ。しかし、この件はこちらで引き取ろう。君は本来の仕事に専念してくれたまえ」


「承知しました。では、調査結果については後日ご報告をお願いします」


「ああ、もちろんだとも」


 ジャンは一礼して執務室を後にした。


 司令官自ら調査するというのだから、悪い話ではない。むしろ、自分が発見した不正を上層部が解決すれば、それは十分な実績になる。


 ジャンは満足していた。


 扉が閉じられたあと、グリフィスの顔から笑みが消えたことなど、知る由もなかった。


 ◇


 三日後。


「文書係?」


「そうだ。本日付で、君は司令部文書係へ異動となる」


 直属の上官が、気まずそうに辞令を差し出した。


「なぜです?」


「人員配置の適正化だそうだ」


「私の仕事に何か問題がありましたか?」


「いや、特には聞いていない」


「では、なぜ異動になるのでしょう?」


「俺に聞かれても困る。グリフィス司令官からの命令なんだ」


 ジャンは眉をひそめた。


 出納係として帳簿を調べ、不自然な数字を発見し、司令官へ報告した。担当業務を適切にこなしただけで、叱責されるようなことは何もしていない。


「でしたら、直接司令官に理由をお尋ねしたいのですが」


「ワイズマン君」


 上官は声を落とした。


「余計なことをするな」


「余計なこと?」


「……とにかく、文書係へ行け。今日からだ」


 結局、納得のいく説明は得られなかった。


 司令部文書係。


 各部隊から届く報告書や命令書を整理し、清書する部署である。軍事上の重要な情報を扱うとはいえ、政策や予算に関与する権限はない。


 出納係よりさらに地味な仕事だった。


「……嫌がらせか?」


 ジャンは辞令を眺めながら呟いた。


 しかし、正式な命令である以上、従うしかない。


 与えられた仕事を誰よりも速く、正確にこなしてやればいい。こんな配置をしたことを後悔させれば済む話だった。


 ◇


 文書係へ移って五日目。


「ワイズマン君、これを清書してくれ」


 上司から渡されたのは、ロスバルト傭兵団の報告書だった。


 レミーラ帝国軍の活動が活発化しており、哨戒部隊との交戦が増えている。負傷者も発生し、現有兵力では広大な警戒区域を維持することが難しくなりつつあるという。


 末尾には、カーライル騎士団の派遣を求める増援要請が添えられていた。


「……また増援要請ですか」


「ああ。こちらが司令部の回答だ」


 ジャンはもう一枚の書類を受け取り、目を通した。


「増援不要?」


「そうだ」


「現場から兵力不足の報告が届いているのに?」


「司令部は、この程度の小競り合いでカーライル騎士団を動かす必要はないと判断した。それだけだ」


「判断の根拠は?」


「知らん。君の仕事は文書を清書することだろう」


 ジャンは口を閉じた。


 確かに、自分は軍事の専門家ではない。増援を動かすには相応の費用も必要だし、別方面の防衛を考慮しなければならない事情もあるだろう。


 納得したわけではなかったが、判断する権限がないことも事実だった。


「……分かりました」


 ジャンは回答書を清書した。


 レンヌ周辺の情勢は現有兵力をもって対処可能と判断する。よって、カーライル騎士団の派遣を必要とせず。


 誤字脱字を確認し、上司へ提出する。


 それが、この日与えられた仕事だった。


 ところが一週間後、再びロスバルトから増援要請が届いた。


 敵軍との交戦範囲は前回より広がり、負傷者も増えている。現場の指揮官は改めて兵力不足を訴えていた。


 しかし、司令部の回答は変わらなかった。


 増援不要。


「……ずいぶん楽観的ですね」


 ジャンが呟くと、上司は面倒そうに顔を上げた。


「何か言ったか?」


「いえ。何でもありません」


 もちろん、ロスバルト側が事態を深刻に捉えすぎている可能性はある。増援を求める立場なのだから、多少大げさに報告していることも考えられた。


 だが、実際に戦闘が増えていることは、ほかの報告書からも確認できた。


 ジャンは釈然としないまま、回答書を清書した。


 ◇


 さらに一週間後。


 ロスバルトから三度目の報告書が届いた。


 ジャンは原文を開き、眉をひそめた。


 敵軍の活動はさらに活発化していた。これまで確認されていなかった地点でも帝国兵が目撃され、警戒区域の拡大によって現有兵力では十分な哨戒が困難になっているという。


 ところが、今回も司令部の回答は同じだった。


 カーライル騎士団の派遣を必要とせず。


「……おかしいな」


 ジャンは過去二回の報告書を取り出し、今回のものと並べた。


 最初は交戦回数の増加。


 次に交戦範囲の拡大。


 そして今回は、警戒区域の維持が困難になっている。


 現場の状況は明らかに悪化しているのに、司令部の判断だけが何一つ変わっていない。


「この判断の根拠を確認させてください」


「またか、ワイズマン君」


 上司は深いため息をついた。


「君の仕事は清書だ。軍事上の判断に口を出すことじゃない」


「ですが、状況が変わっているのに回答が同じというのは不自然でしょう」


「余計なことは考えるな」


 また、その言葉だった。


 ジャンは不愉快になったが、これ以上言い争っても無駄だと判断した。


 そのとき、机の端に置かれた別の書類が目に入った。


 中央政府へ送付する定期報告書だった。


 何気なく手に取り、内容を確認する。


 レンヌ周辺の情勢は、おおむね安定。


 敵軍に大規模な活動なし。


 現有兵力をもって対処可能。


 カーライル騎士団の派遣を必要とせず。


「……ん?」


 ジャンはロスバルトの報告書へ視線を戻した。


 敵軍の活動活発化。


 交戦範囲の拡大。


 防衛兵力の不足。


 周辺住民の避難。


 そこに記されている内容が、中央向けの報告書にはほとんど反映されていなかった。


「……何だ、これは」


 ジャンは原文と中央向けの報告書を一行ずつ照合した。


 違う。


 これは単なる要約ではない。


 ロスバルトは兵力が不足していると報告しているのに、中央には現有兵力で対処可能と伝えられている。敵軍の活動についても、実際よりはるかに軽微なものとして扱われていた。


 念のため過去の定期報告書も確認したが、どれも似たような内容だった。


 情勢安定。


 増援不要。


 これでは中央政府がレンヌの危険を把握できるはずがない。


「ワイズマン君。何をしている?」


 背後から上司の声がした。


「報告書の確認です。ロスバルトから提出された原文と、中央政府へ送付している内容が一致していません」


 ジャンは二枚の書類を示した。


「重要な情報が削除されています。これでは、中央政府が正確な状況を把握できません。訂正するべきでしょう」


 上司の表情が強張った。


「……しまえ」


「はい?」


「その書類をしまえ」


「ですが、明らかに内容が――」


「しまえと言っている!」


 突然の剣幕に、ジャンは口を閉じた。


「ワイズマン君。世の中には、知らなくていいこともある」


 ジャンは眉をひそめた。


「公文書ですよ」


 即座に返した。


「知らなくていい公文書とは何です?」


 上司は何も答えなかった。


 ◇


 翌朝。


 ジャンは再びグリフィスの執務室へ呼び出された。


「やあ、ワイズマン君。文書係の仕事はどうだね?」


「問題ありません。ただ、一つお聞きしたいことがあります」


「なんだね?」


「中央政府へ送付されている報告書についてです」


 グリフィスの指がわずかに止まった。


「ロスバルトから提出された原文と内容が異なっています。敵軍の活動や兵力不足に関する重要な情報が削除されていますが、何か理由があるのでしょうか?」


「そうかね」


 グリフィスは椅子の背にもたれ、穏やかな笑みを浮かべた。


「戦場から届く情報には大げさなものも多い。特に傭兵団は増援や補給を求める立場だからね。そんな報告を何でも中央へ送っていては、かえって混乱を招くのだよ」


「だから、内容を整理していると?」


「そのとおりだ。司令部で分析したうえで、必要な情報を中央へ伝えている」


「敵軍の活動が活発化しているという報告を、『情勢安定』と書き換えることもですか?」


 室内が静かになった。


 グリフィスは笑っていたが、その目は笑っていなかった。


「ワイズマン君。君は本当に優秀だな」


「ありがとうございます」


「褒めてはいない」


 グリフィスの顔から笑みが消えた。


「君は出納係として帳簿を調べ、不自然な数字を見つけた。そこで私は、君の能力を評価して文書係へ異動させた。ところが今度は、軍事報告の内容にまで疑問を持ち始めたというわけだ」


「公文書の正確性を確認するのも、文書係の仕事だと思いますが」


「……なるほど」


 グリフィスは小さく頷いた。


「どうやら、君にはもっと適した仕事があるようだ」


「適した仕事?」


「医療班だ」


 ジャンは一瞬、意味が分からなかった。


「……医療班ですか?」


「最近は負傷者も増えていてね。人手が足りないらしい。君は法学だけでなく医学も修めているのだろう?」


「ええ。しかし、私は医師として赴任したわけではありません」


「医師免許は持っているのだろう?」


「……はい」


「ならば問題あるまい。医療物資の管理、負傷者の記録、必要なら治療の補助もしてもらおう。君ほど優秀な人材なら、十分に役立てるはずだ」


 ジャンは黙った。


 出納係から文書係へ。


 そして、今度は医療班。


 なるほど。


 ようやく理解した。


「……左遷ですか」


「人員配置の適正化だよ」


 グリフィスは再び微笑んだ。


「せっかくの才能を生かさない手はないだろう?」


 ジャンはしばらく相手を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。


「命令であれば従います」


「結構。君の能力には期待しているよ、ワイズマン君」


「ありがとうございます」


 ジャンは一礼して扉へ向かった。


「ワイズマン君」


 背後からグリフィスが呼び止めた。


「若いうちは、賢すぎるのも考えものだ」


「ご忠告、ありがとうございます」


 ジャンは振り返った。


「ですが、司令官」


「なんだね?」


「数字が合わないものは、どう計算しても合いませんよ」


 グリフィスの顔から再び笑みが消えた。


 ジャンは一礼した。


「失礼します」


 そう言って執務室を後にした。


 ◇


 廊下へ出ると、ジャンは大きく息を吐いた。


「……くそ」


 出世するために、わざわざ危険なレンヌへ志願してきたというのに、帳簿の不一致を見つければ文書係へ異動させられ、今度は報告書の問題を指摘したところ、医療班へ左遷された。


 仕事を怠けたわけでも、命令に背いたわけでもない。むしろ与えられた仕事は誰よりも正確にこなしてきたし、その能力については自分でも疑っていなかった。


 それなのに、なぜこんな目に遭わなければならないのか。


「まったく……最悪だな」


 中央へ戻ったとき、何と説明すればいいのだろう。


 レンヌ要塞で負傷兵の記録をつけていました。医療物資を管理していました。必要に応じて治療の補助もしていました。


 そんな経歴のどこを評価してもらえるというのか。


 ジャンは苛立ったまま廊下を歩き出した。


 医療班への異動など、自分の将来には何の役にも立たない。


 ただの左遷。


 ただの嫌がらせ。


 少なくとも、このときのジャンは本気でそう考えていた。


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