↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アーネム戦記  作者: Tanu1016
第一章 都市同盟

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/98

第3話 現場の人間

  ◇


 レンヌ要塞に赴任して三日目。


 ジャン=ワイズマンは、司令部の一室で大量の帳簿と向き合っていた。


 司令部付き出納係兼医療物資補給係。


 それが、彼に与えられた最初の仕事だった。


 各部隊から提出される請求書を確認して支出を記録し、医療班からの物資要求を取りまとめ、不足分を補給部へ申請する。ニューアーク大学を主席で卒業した人間に与える仕事としてはいささか地味だったが、ジャンに不満はなかった。


 金の流れを把握できるということは、組織全体の動きを知ることでもある。どの部署にどれだけの予算が配分され、何に使われているのか。それさえ分かれば、組織が抱える問題の多くは見えてくる。


「……ひどいな」


 ジャンは帳簿をめくりながら呟いた。


 司令官用の酒、来客用の食材、司令部の調度品。


 先日案内されたグリフィスの執務室を思い出す。


 高価そうな絨毯に絵画、棚に並んだ年代物の酒。前線要塞とは思えない豪奢な部屋だったが、その維持費まで軍の予算から支出されているらしい。


 もちろん、司令官の執務室には相応の格式が必要だろう。しかし、酒に使った金は武器の購入には使えないし、絵画を買えば、その分だけ別の予算を削らなければならない。


 軍事費が無限にあるわけではない以上、支出には優先順位というものがある。


「これなら、いくらでも削れるな」


 ジャンは不必要と思われる支出に印をつけた。


 こうした無駄を整理するだけでも相応の経費を節約できるはずだ。それによって医療物資の不足まで改善できれば、中央へ報告するにも申し分のない実績になるだろう。


 何しろ、自分がレンヌに来たのは出世するためなのだから。


 ジャンは次の帳簿を開いた。


 そして、眉をひそめた。


「……ロスバルト?」


 また、その名前だった。


 セイレンを本拠とするロスバルト傭兵団。


 契約報酬に加え、食糧、武器、矢、医薬品。正規軍とは別枠で計上されている支出は、ジャンが想像していたよりも大きかった。


 念のため、先月とその前の月の帳簿も確認する。


 やはり多い。


 しかも、一時的に支出が増えたわけではなく、継続して高い水準を維持していた。


「……これは見直す必要があるな」


 レンヌには都市同盟の正規軍が駐屯している。


 それなのに、なぜこれほどの金を払ってまで傭兵を雇わなければならないのか。確かに優秀な部隊だという評判は聞いているが、正規軍で代替できる任務まで傭兵に任せる必要はないはずだった。


 もちろん、契約を打ち切るつもりはない。


 山岳戦や森林戦に長けているという話が事実なら、専門性の高い任務を任せる価値はある。問題は、その能力を必要としない仕事にまで高い費用を支払っていないかという点だった。


 もし正規軍との任務の重複があれば、整理するだけでも相当な経費を削減できるだろう。


 ジャンは帳簿の該当箇所に印をつけた。


「まずは現場を確認するか」


 そう呟くと、書類をまとめて立ち上がった。


 ◇


「削減?」


 ユマ=リズナーは露骨に眉をひそめた。


「はい」


 ジャンは持参した書類を机の上に置いた。


 ロスバルト傭兵団の詰所では、ユマと数人の部下が地図を囲んでいた。どうやら西方の哨戒任務について話し合っていたらしい。


「過去半年分の支出を確認しましたが、ロスバルト傭兵団への支出はかなり大きいですね。契約内容を見直し、削減できる部分がないか確認したいと考えています」


「……あんた、ここに来て何日だい?」


「三日ですが」


「たった三日で、もう予算を減らそうっていうのかい?」


「三日もあれば帳簿を確認するには十分です。現場の事情については知らない部分もありますから、こうして話を聞きに来たわけですが」


「ふうん」


 ユマは書類を手に取り、記載された数字に目を走らせた。


「これ、うちの報酬だけじゃなくて、食糧や装備まで全部入ってるじゃないか」


「当然でしょう。組織を維持するために必要な費用は、すべて考慮しなければなりません」


「それで、この分を正規軍に任せれば安く済むって?」


「少なくとも、検討する価値はあります。すでに正規軍がいる以上、任務の重複があれば解消するべきでしょう」


 ユマはため息をつく。


「はぁ……  主席さん。ちょっとこっちに来ておくれ」


 そう言って、机に広げられた地図を指差した。


「ここがレンヌ。で、西の街道と周辺の村を見て」


「見ていますが」


「正規軍は要塞の守備だけで手いっぱいなんだよ。街道の哨戒や敵の偵察、周辺の村からの避難誘導まで全部任せたら、肝心の要塞を守る兵が足りなくなる」


「それなら中央へ増援を要求すればよいでしょう」


「そんなことはとっくにやってるよ!」


 ユマの手に持っている書類を机に投げつけた。


挿絵(By みてみん)


「三か月も前から、何度もね。カーライルにも増援を出してもらうよう司令部へ上申してるけど、一向に返事がないんだ。それでもレミーラ軍は待ってくれないから、私たちが動いてるんじゃないか!」


「増援が来ていないことは理解しました。しかし、それなら正規軍との任務分担を改めて――」


「だから、その正規軍が足りないって言ってるんだよ!」


 ユマは地図を指先で叩いた。


「この二か月、レミーラとの接触がどれだけ増えてると思ってるんだい? この前だって四百人も森へ入ってきたんだ。うちは三百人で追い払ったけど、三人死んだよ。あんたが見た医療幕舎の怪我人だって、そうやって戦ってきた連中なんだ」


 ジャンは地図へ目を落とした。


 ロスバルトが受け持つ区域は相当に広い。森林地帯だけでなく、要塞へ続く街道や周辺の村々まで含まれていた。


 確かに、これだけの区域を哨戒するとなれば、相応の兵力が必要になるだろう。


 まして森林戦に長けたロスバルトの代わりを正規軍が務めるのであれば、同じ人数を投入すれば済むという話でもない。


 しかし、だからといって現在の支出が適切だという証明にはならなかった。


「では、実際の任務と必要な兵力を確認させてください。正規軍で代替した場合の費用と比較すれば、適正な予算も分かるでしょう」


「……あんたね」


 ユマは額を押さえた。


「何でも数字にすれば解決すると思ってないかい?」


「数字にしなければ、何が適正なのか判断できないでしょう」


「私は人間の話をしてるんだよ!」


「私は、その人間を維持するために必要な金の話をしています」


 二人の間に沈黙が落ちた。


 周囲にいた傭兵たちは、何とも言えない表情で二人を眺めている。


「……ほんっと嫌な奴だね」


「よく言われます」


「嘘おっしゃい。あんた、絶対に友達いないだろ?」


「大学時代にはずいぶんいましたが。それが仕事に関係ありますか?」


「ないよ!」


 ユマは椅子へ乱暴に腰を下ろした。


 ジャンは書類をまとめると、軽く頭を下げた。


「ともかく、支出については引き続き調査します。合理的な理由があるものまで削るつもりはありませんので、ご安心ください」


「あんたの合理的と、私の合理的は違うんだよ」


「でしたら、数字で説明していただければ結構です」


「……ああ、もう! 本当に腹が立つね!」


 背後で誰かが吹き出した。


 ジャンは振り返らず、詰所を後にした。


 まったく、話にならない。


 現場の人間は、すぐに感情を持ち出す。


 仲間がいる。危険な任務をしている。だから金が必要だ。


 言っていることは理解できるが、それだけでは予算の妥当性を判断できない。必要なものには金を出し、不要なものは削る。ただそれだけの話なのに、なぜあれほど怒る必要があるのだろう。


 もっとも、ロスバルトの任務については、当初の想定よりも複雑な事情があることも分かった。


 ジャンは抱えていた書類へ目を落とした。


 実際にどれほどの費用が必要なのか、もう少し詳しく調べる必要がありそうだった。


 ◇


 数日後。


 昼時の食堂は、兵士たちの喧騒に包まれていた。


 ジャンは窓際の席で一人、遅い昼食を取っていた。


 固いパンをスープに浸しながら、傍らに置いた帳簿へ目を落とす。


 ロスバルトの支出について調べ始めてから数日が経っていたが、思ったほど簡単には結論が出なかった。


 報酬は確かに高い。


 しかし任務の内容を確認すると、正規軍が普段担当していない仕事も多かった。哨戒や偵察だけでなく、周辺の村からの避難誘導、街道の警備、時には正規軍の救援にも出動している。


 厄介なのは、これらを単純な金額に換算することが難しい点だった。


 傭兵の報酬だけを見れば高くても、代わりに正規軍を動かした場合の費用まで考慮すれば、必ずしも割高とは限らない。


「……面倒だな」


 ジャンは小さく呟いた。


 無駄な支出を見つけるつもりが、思った以上に手間のかかる仕事になっている。


 そんなときだった。


「団長、また例の話をしてたぞ」


 近くの卓から聞こえてきた声に、ジャンの手が止まった。


 ロスバルトの傭兵たちだった。


「例の話?」


「新しい都市同盟を作るってやつだよ。今の同盟じゃ駄目なんだとさ」


「ああ、新都市同盟構想か」


「ゼルキアもセントハイムもセイレンも、同じ立場で話せるようにするって話だろ?」


 ジャンは思わず吹き出した。


「……何がおかしい?」


 傭兵の一人が振り返った。


 ジャンは口元を押さえた。


「失礼。あまりにも馬鹿馬鹿しかったもので」


「なんだと?」


「新都市同盟構想でしたか?」


 ジャンはパンを皿へ戻した。


「無学な田舎者の夢想ですよ」


 食堂の空気が変わった。


「てめえ……」


「違いますか?」


 ジャンは平然と続けた。


「都市同盟がどうやって維持されていると思っているんです。法を整備し、官僚を育成し、外交を担い、軍事費を負担する。そんなものをセイレンのような辺境都市が担えるとでも?」


「俺たちは、その辺境で戦ってんだぞ」


「それは傭兵として報酬を受け取ってのことでしょう」


 男が立ち上がった。


 ジャンも目を逸らさなかった。


「都市同盟は慈善団体ではありません。各都市には人口や経済力に応じた役割があり、それに伴って負担も異なります。そこを無視して、すべての都市に同じ発言権を与えればいいというのは、あまりにも短絡的でしょう」


「だからって、ゼルキアの連中が好き勝手していいってことにはならねえだろ!」


「好き勝手、ですか」


 ジャンは鼻で笑った。


「ゼルキアがどれほどの負担をしているか、ご存じないようですね。行政機構の維持にも、軍の運営にも、莫大な金が必要なんですよ」


「その軍が戦ってるのは誰のおかげだと思ってやがる!」


「あなた方は、そのために雇われているのでしょう?」


 傭兵の顔が赤くなった。


 周囲の兵士たちも会話をやめ、二人のやり取りに注目し始めていた。


 しかし、ジャンには自分が何か間違ったことを言っているという認識がなかった。


「都市間の平等ですか。結構な理想ですよ。しかし、人口も経済力も行政能力も異なる都市に、まったく同じ権限を与えればどうなるか。それは平等ではありません。ただの無責任です」


「ユマ団長は本気だ!」


「でしょうね」


 ジャンは冷たく笑った。


「だから夢想だと言っているんです」


 男の拳が震えた。


「いつか団長が、お前らに分からせてやる」


「楽しみにしていますよ」


 ジャンは再びパンを手に取った。


「もっとも、その新都市同盟とやらができる頃まで、皆さんが生存されていればの話ですがね」


 次の瞬間。


 視界が横へ吹き飛んだ。


「――っ!」


 椅子ごと床へ転がり、一瞬遅れて頬に焼けるような痛みが走った。


 傭兵の男が、拳を握り締めて立っていた。


「てめえ……! 今のをもう一度言ってみろ!」


「おい、ハンスやめろ!」


「離せ!」


挿絵(By みてみん)


 周囲の傭兵たちが慌てて男を羽交い締めにした。


 ジャンは床に手をつき、ゆっくりと身体を起こした。


 切れた唇を指で拭うと、血がついていた。


「……なるほど」


「ああ!?」


「反論できなくなったら暴力ですか」


 食堂が静まり返った。


 男を押さえていた傭兵まで、呆気に取られたようにジャンを見る。


「さすがは辺境のならずもの集団ですね。実に分かりやすい」


「こいつ、もう一発殴らせろ!」


「馬鹿! やめろ!」


 ジャンは倒れた椅子を起こすと、何事もなかったように座り直した。


 そして、床に落ちたパンを見た。


「……食事まで無駄になった」


「誰のせいだと思ってやがる!」


 再び食堂が騒然となった。


 ジャンは腫れ始めた頬を押さえながら、深くため息をついた。


 まったく、野蛮な連中だ。


 政治を知らない人間ほど、政治を簡単に語る。


 自由。平等。新しい同盟。


 言葉だけなら、いくらでも美しいものを並べられるだろう。しかし、それを現実に動かすために、どれほどの制度と金と人間が必要になるのか。


 あの連中は何も分かっていない。


 まして、議論に負けたからといって人を殴るなど論外だった。


 もっとも、殴られたからといって自分の考えが間違っていることにはならない。


 ジャンは残ったスープを飲み干すと、帳簿を抱えて席を立った。


 ここまで馬鹿にされて、黙っているつもりはなかった。


 あの連中が、いかに無駄な金を使っているか。


 それを数字で証明してやればいい。


 ◇


 それから数日。


 ジャンは帳簿を突き合わせていた。


 しかし、彼の求めた数字は何も上がって来なかった。


「クソッ、合ってる。あの馬鹿女、帳簿だけはきっちりつけていやがる」


 ジャンは不機嫌そうに帳簿を机へ放り出した。


 ロスバルト傭兵団の支出を徹底的に調べたが、不正どころか無駄な支出すらほとんど見つからなかった。


 報酬は確かに高い。しかし、任務の内容や出動回数、物資の消費量を確認すると、すべて説明がつく。正規軍に任務を移した場合の費用まで試算したが、むしろ高くつく可能性さえあった。


 つまり、ロスバルトは完全にシロだった。


「……面白くないな」


 あの女の得意げな顔が目に浮かぶ。


 しかし、数字が正しい以上、認めるしかない。ジャンは渋々、ロスバルトへの予算削減は不要との結論を書き込んだ。


「なら、ほかを調べるか」


 ジャンは正規軍や司令部の帳簿を引き寄せた。


 そうして各部隊への支給記録と要塞全体の搬入記録を照合しているうちに、妙なことに気づいた。


「……ん?」


 数字が合わない。


 食糧、装備品、医療物資。確かに搬入され、代金も支払われているのに、各部隊への支給分と倉庫の在庫を合計しても数量が足りなかった。


 しかも、同じような不一致が何か月も続いている。


 ジャンは関係する伝票を調べ直した。


「……なるほど」


 行方の分からない物資の一部は、司令部の指示で別途配分されたことになっていた。しかし、配分先には受領記録がない。


 さらに、複数の伝票に同じ決裁印が押されている。


 単なる記帳漏れでは説明できなかった。


「これは面白くなってきたな」


 ジャンは思わずほくそ笑んだ。


 ロスバルトの経費削減などより、よほど大きな成果になりそうだった。


 前線要塞の物資管理に潜む不正を発見したとなれば、中央への報告にも申し分ない。


 まったく自分の優秀さが嫌になる。


 ジャンは早速、証拠となる伝票を整理し、報告書の作成に取りかかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。