余話 ロックな一日
ロックとエヴァンス
余話 ロックな一日
朝。
パドゥーラ郊外の練兵場には、兵士たちの掛け声が響いていた。
歩兵たちは隊列を組み、号令に合わせて槍を突き出す。その向こうでは騎兵たちが馬を走らせ、さらに奥では何組かに分かれて模擬戦が行われている。
俺は腕を組み、その様子を眺めていた。
隣にいるのはエヴァンスだ。
「結局、ルートビッヒはコスタを奪い返しに来なかったな」
「ああ。皇帝崩御の後、後継者争いが起きているらしい。その争いに介入しているようだ」
「七十年以上の治世だったか。長生きしすぎて、後継者が先に逝っちまったんだっけな」
「そういうことだ」
「そりゃ荒れるわけだ」
レミーラ皇帝カール=ハインツの死。
七十年以上も帝位にあった皇帝が死んだことで、巨大な帝国は後継者を巡って揺れているらしい。
あのルートビッヒも、その争いに介入しているという。
そのおかげと言っていいのか、今のところ東部辺境軍は大人しい。
第三次コスタ戦役の後、大将――アムル=ドゥットゥカースは伯爵から侯爵へ昇爵した。
そして戦役で獲得したコスタ、ライプニッツの二都市についても、統治を委任されている。
おかげでパドゥーラは以前よりずっと忙しくなった。
「今日は夜、どうだ?」
エヴァンスが唐突に言った。
「なんだ?」
「奥方の手料理を食べていかないか」
「おお、いいのか?」
「ああ。世界一うまいぞ」
真顔だった。
こいつは妻の話になると信用ならない。
エヴァンス。
南北戦争の頃から大将と一緒に戦ってきた仲間であり、俺と並んで軍の副官を務めている男だ。
銀髪で背が高く、顔もいい。
戦場では攻撃を得意とし、その激しさから『烈火』なんて呼ばれている。
普段は冷静な奴なのだが、妻の話になると少々おかしくなる。
まあ、飯に罪はない。
「じゃあ、お邪魔するとするか」
「ああ」
「しかし……今日は騒がしいな」
さっきから練兵場の外が妙にうるさい。
「きゃあああ!」
「頑張ってー!」
「こっち向いてー!」
黄色い歓声が飛び交っている。
そうか。
今日は月に一度の練兵公開日だった。
町外れにあるこの練兵場を市民に開放し、兵士たちがどのような訓練をしているのか自由に見学できる。
軍隊は怖い存在じゃないってことを町の人に見てもらったほうが良いと大将がはじめたイベントだった。金もかからない。
もっとも、見物に来た若い娘たちが軍の訓練に興味を持っているかと言えば、かなり怪しい。
娘たちの視線は、そのほとんどが騎兵隊へ向いていた。
「お前の部下が人気だな…… 俺の部下に声援がまったくないが……」
「騎兵だからな」
「それにしても、なんかキラキラしてる奴が多くないか? 俺の部下とは大違いじゃねえか」
「騎兵だからな」
「……」
俺は隣を見る。
エヴァンスは涼しい顔をしていた。
エヴァンスの部隊は、隊長以下、美形揃いとして有名だった。
その筆頭が『パドゥーラの貴公子』なんて呼ばれているこいつなのだから、まあ、そういう連中が集まるのかもしれない。
俺にはよく分からん。
そんな黄色い歓声の中から――。
「いけー! コリンズー!」
妙に聞き覚えのある声がした。
「……」
振り返る。
若い町娘たちに混じって、見慣れた女がいた。
「何をしている」
「あら、ロック」
リオは悪びれもしない。
「見れば分かるでしょ。コリンズの応援よ」
どうやらエヴァンスの側近を務める騎兵を応援しに来たらしい。
「お前、先月はジェームスじゃなかったか?」
「ああ、別れたわ」
「……早くねえか?」
「ちょっと合わなかったみたい」
「パドゥーラに来てから何人目だ?」
「さあ?」
リオは指を折る。
「二十人くらいじゃない?」
「二十人……」
「あんたと違って、私はモテるのよ」
リオ。
リオ=グランディア。
南部有力貴族アスナ公家、ドゥットゥカース本家の縁者であり、エルの従妹にあたる。リービッヒではよく見られることだが、エルと同じく母方の姓を名乗っているため、ドゥットゥカース姓ではない。
南北戦争の頃から大将の側近の一人で、パドゥーラには面白そうだからという理由でついてきた。
黒い髪をセミロングに切り、ところどころに色の違う髪を混ぜた、妙に洒落た髪型をしている。
確かに顔はいい。
あの天使様には及ばないにしても、美人の部類には入るだろう。
ただし、天使様以上に胸は薄い。
頭も回る。
人当たりも――他人に対しては――抜群にいい。
商人や貴族との折衝では、こいつ以上に便利な奴はそういない。大将も、その能力についてはかなり高く評価している。
だが。
従姉の純愛っぷりを毎日のように嫌になるほど見せつけられている身としては、こいつの男遍歴を見るたびに思う。
同じ一族で、どうしてここまで違うのだろう。
「こんな洗濯板を好む馬鹿が二十人もいるのか?」
リオの眉がぴくりと動いた。
「モテない男がひがむのって、一番哀れね」
「誰がモテないって?」
「なんたって私はパドゥーラ三大美女の一人よ。私が声をかければ、大抵の男はイチコロなんだから」
「パドゥーラ三大美女?」
「知らないの?」
そういえば部下たちが、そんな話をしていた気がする。
天使エル。
歌姫シャンテ。
そして――こいつ。
まあ、こいつが唯一手が届くのかもしれん。
手が届かないものには憧れこそ持つかもしれんが実需はない。
「……しかし、若い連中の趣味は分からんな。成熟した女性の魅力がわかっていない」
「どういう意味よ!」
答えずに練兵場へ目を戻す。
「お前、暇なのか?」
「失礼ね。ここの侯爵閣下様より働いている自負はあるわよ」
「それと比べるな」
最近の大将は、何を考えているのかますます分からなくなってきた。
少し前には、ホウアンとかいう妙な男をいきなり召し抱えた。
何者なのかと聞けば参謀だという。
軍師のヴァン先生がいるのに、参謀格を拾ってきたらしい。
しかも今度は――。
「あいつ、釣り仲間のお爺さんにも士官の声をかけてたらしいじゃない」
「ああ……」
「何やってんだかね」
「俺に聞くな」
大将が人を拾ってくるのは今に始まったことではない。
だが、最近は拾ってくる場所までおかしくなってきている気がする。
そのときだった。
「ぐわっ!」
男の悲鳴が響いた。
模擬戦をしていた騎兵が、盛大に吹き飛ばされる。
「コリンズ!」
リオが叫んだ。
「はっはっは! 皆さん、まだまだ甘いですぞ!」
豪快な笑い声。
吹き飛ばした張本人が、悠然と立っていた。
グランワルド。
『パドゥーラの豪鬼』と呼ばれる猛将である。
相変わらず、人間というより熊?いや、もっと別の何かに近い。
こいつも不思議な男だ。
そもそも、今ここにいること自体がおかしい。
グランワルドは前パドゥーラ伯エルバの縁者だった。
南北戦争では敵として戦い、こいつを捕らえるまでにはずいぶん苦労させられた。
本人も捕縛された時点で死を覚悟していただろう。
実際、大将はエルバの縁者であるグランワルドを処断するつもりだった。
それを止めたのが嬢ちゃんだった。
グランワルド自身、娘を人質に取られながら戦わされていた。
その事情を知った嬢ちゃんが助命を求めたのである。
嬢ちゃんが珍しくあれだけ強く迫れば大将に思うところがあっても首を縦に振らざるを得なかった。
そして今では――。
「もう一本! 誰でも構いませんぞ!」
パドゥーラ軍の練兵場で、若い兵士たちを嬉々として吹き飛ばしている。
人生、分からないものだ。
「あの顔で、娘には頭が上がらんらしいぞ」
俺がぼそりと言う。
返事がない。
「リオ?」
「あああああ! コリンズぅぅぅぅ!」
リオは地面に転がった男へ駆け寄っていった。
その後ろ姿を眺める。
「……次は一か月もつと思うか?」
エヴァンスが腕を組んだ。
「騎兵だからな」
「それ、もう関係ねえだろ」
◇
昼過ぎ。
俺は軍費関係の書類を抱えて、ティーエの執務室を訪れていた。
この男がティーエ=クラビス。
十八歳だというのに、パドゥーラの金勘定をほとんど一手に引き受けている変人だ。
小柄で、茶色のおかっぱ頭に丸眼鏡。
見た目だけなら、その辺の学校にでも放り込んでおいた方が似合いそうなのだが、こいつがいなくなるとパドゥーラはたぶん三日で止まる。
それだけ異質な能力を持っている。
軍人として、大将の天才性は理解できなくもない。
戦場を見て、敵の動きを読んで、勝つ方法を考える。
俺には真似できないにしても、何をやっているのかくらいは分かる。
だが、こいつは違う。
大量の帳簿を眺め、税収だの予算だの物価だの輸送費だのを計算して、いつの間にかパドゥーラ全体を動かしている。
俺には何をやっているのかすらよく分からん。
ある意味、大将より異質だ。
そんなティーエは、大将とは士官学校時代からの親友らしい。
もっとも。
親友だからといって、俺たちに容赦してくれるわけではない。
「だからロック。この支出は認められないよ」
「なんでだよ!」
「必要性がないからだよ。」
「あるだろ! 兵舎の修繕だぞ!」
「先月も修繕費を出たよね?」
「あれは西側だ! 今度は東側!」
「壊しすぎ」
「俺に言うな!」
「では、誰に言えばいいの?」
「壊した奴に言え!」
「ロックの部下だよね?」
「……」
正論だった。
「とにかく駄目」
「そこをなんとかしろよ!」
「なんともならないよ」
「お前、金持ってるだろ!」
「持ってるわけないでしょ。ライプニッツとコスタへの支出で赤字。大赤字。それにパドゥーラのお金であって、ボクのお金ではないから」
「ちょっとくらいいいじゃねえか!」
「その『ちょっとくらい』を全員に認めたら財政が破綻するよ」
「ぐっ……」
まったく融通の利かない野郎である。
ただ――。
「ティーエ様」
扉が開き、役人が顔を出した。
「ライプニッツから今月分の収支報告が届きました」
「そこに置いてください」
「それと、チル湖東岸の商人組合から輸送船の増便について陳情が」
「昨日処理しました。許可を出しています」
「コスタの城壁補修についてですが」
「第二案で進めてください。第一案より費用が一割ほど高くなりますが、五年後まで含めれば第二案の方が安くなります」
「はい」
「あと、昨日お願いした穀物価格の一覧は?」
「こちらに」
「ありがとうございます」
ティーエは書類を受け取ると、ざっと目を通した。
「……南部だけ少し上がっていますね。輸送費かな。確認しておいてください」
「承知しました」
役人が退室する。
その間、ほんの一分ほど。
ティーエは何事もなかったかのように俺へ向き直った。
「それで、兵舎の修繕費だったよね」
「ああ」
「却下」
「なんでそこだけ覚えてんだよ!」
やっぱり嫌な野郎だった。
◇
結局、修繕費は一銭も認められなかった。
「くそ……あの守銭奴」
書類を抱え直し、廊下を歩く。
まあ、仕事ができるのは認める。
あいつが金を出さないというなら、本当に出せないのだろう。
問題は別の奴だ。
ティーエがあれだけ働いているというのに、このパドゥーラで一番偉い男は何をしているのか。
釣りでもしているのだろうか。
それならいい。
大将は釣りでもしてくれていれば害はない。
下手に仕事を始めると妙なことを思いつくが、それでもまだいい。
一番いけないのは――。
「エル、口開けて」
「あーん」
聞き覚えのある声がした。
嫌な予感がする。
開け放たれた執務室を覗く。
案の定だった。
机いっぱいに書類を広げ、嬢ちゃんが猛烈な勢いで仕事をしている。
その隣に大将が座っていた。
菓子を一つ摘まんで、嬢ちゃんの口元へ運んでいる。
「モグモグ……美味しい」
「だろ?」
「もう一個」
「はいはい」
「……何やってんだ、お前ら」
二人がこちらを見る。
「何って」
大将が不思議そうな顔をした。
「エルが忙しいから手伝い」
「どこが手伝いなんだよ!」
「食べる時間を節約してる」
「アム、次」
「あ、はい」
嬢ちゃんは書類から目を離そうともしない。
大将はまた菓子を摘まんだ。
「エル、あーん」
「あーん」
「美味しい?」
「うん」
……。
やっぱり駄目だ。
釣りでもしていれば害はない。
嬢ちゃんの側にいると害しかない。
というより、嬢ちゃんも嬢ちゃんだ。
なんで当たり前のように食ってるんだ。
「お前らなあ……」
「ロックも食べる?」
「いらん!」
俺は静かに扉を閉めた。
見なかったことにしよう。
◇
そのまま庁舎の廊下を歩く。
今日は朝から色々な奴を見た。
エヴァンスはまだいい。
妻の話になると少々おかしくなるが、仕事はまともだ。
リオは男を取っ替え引っ替え。
グランワルドは若い兵士を吹き飛ばして大笑い。
ティーエは金を出さない。
大将は仕事中の嬢ちゃんに菓子を食わせている。
嬢ちゃんも普通に食っている。
「……ろくな奴がいねえ」
どうしてこれでパドゥーラは回っているのだろう。
いや。
待て。
一人いた。
まともな人が。
◇
「ヴァン先生、いるか?」
扉を叩く。
「どうぞ」
穏やかな声が返ってきた。
部屋へ入ると、ヴァン先生は窓際の机で何冊かの報告書を読んでいた。
ヴァン先生。
南北戦争以前から大将たちを教えてきた人であり、今ではパドゥーラ軍の軍師を務めている。
大将も俺たちも、この人には頭が上がらない。
「やあ、ロック君。どうしたんだい?」
「いや、特に用事はねえんだけどさ」
「そうなのかい?」
「ああ」
先生は少し不思議そうに俺を見る。
その顔を見て、俺は安心した。
まともだ。
普通に机に座って、普通に仕事をしている。
菓子を誰かに食わせてもいない。
恋人を毎月変えたりもしない。
若い兵士を吹き飛ばしてもいない。
訳の分からない数字を並べて俺の予算を却下してきたりもしない。
「……先生」
「なんだい?」
「先生は変わらないでくれよ」
先生は目を瞬かせた。
「急にどうしたんだい?」
「いや……今日は色々あってな」
「そうか」
ヴァン先生は穏やかに笑った。
「それなら、お茶でも飲んでいくかい?」
「おう。もらう」
やっぱりヴァン先生だ。
この人だけがパドゥーラの良心だ。
しばらくして、湯気の立つ茶が俺の前へ置かれた。
「そういえばロック君」
「ん?」
「兵舎の修繕費をティーエ君に却下されたそうだね」
「なんでもう知ってんだよ!」
「さっきティーエ君から相談があってね」
「……」
「東側の兵舎は確かに直した方がいいと思う。ただ、全面的に修繕する必要はないんじゃないかな。壊れている箇所を優先して直せば、今の予算でも――」
「先生まで金の話かよ!」
ヴァン先生は楽しそうに笑った。
「軍を預かるというのは、そういうことだからね」
「俺は兵士が雨漏りしないようにしてやりたいだけなんだが」
「それなら、なおさら限られたお金を上手に使わないといけないね」
「ぐぬぬ……」
反論できない。
やっぱり先生はまともだ。
まともすぎて俺の味方をしてくれない。
俺は茶をすすった。
今日一日を思い返す。
女に人気の騎兵隊。
男を取っ替え引っ替えするリオ。
兵士を吹き飛ばすグランワルド。
数字だけで国を動かすティーエ。
どこからともなく妙な人材を拾ってくるアムル
その大将に菓子を食わせてもらいながら仕事をするエル。
そして、それらをまとめているヴァン先生。
「先生」
「なんだい?」
「大変だな」
「そうだね」
ヴァン先生は少しだけ考えてから、笑った。
「でも、退屈はしないよ」
「……違いねえ」
俺も笑った。
なんだかんだで、この町に来てから退屈した覚えはない。
明日は何が起きることやら。
まあ、それは明日考えればいい。
今夜はエヴァンスの家で、世界一うまいらしい奥方の料理を食わせてもらう予定なのだから。
俺は残った茶を一気に飲み干した。




