第21話 ケルンのとんでも姫
マリー(マリーナ=フォン=ケルン)
第二十一話 ケルンのとんでも姫
ルートッビがリービッヒ討伐の勅命を受ける1カ月前。
東部辺境領領都ケルン。
「姫様。バルナ様がお戻りになられま――」
ケルン城の一室へ入った侍女は、途中で言葉を止めた。
「……何をされているのですか?」
「なにー?」
返事は机の下から聞こえてきた。
侍女が覗き込む。
そこには工具を片手に、何やら金属製の部品をいじっている少女がいた。
マリーナ=フォン=ケルン。
通称マリー。
ケルン公アレンの実の娘であり、十八歳。
身長146センチという小柄な少女である。
容姿は決して悪くない。きちんと着飾れば、それなりに可愛らしい姫君に見える。
もっとも、本人には自分の容姿を気にするという習慣がほとんどなかった。
今日も髪がぼさぼさだった。
「姫様。何をされているのですか?」
「これ?」
「それ以外に何があるのですか」
「ちょっと気になるところがあったから直してる」
「何をですか?」
「まだ分かんない」
「分からない物を直さないでください!」
マリーは工具を持ったまま、きょとんと侍女を見上げた。
「でも、もう少しで動きそうだよ?」
「そういう問題ではありません」
「むぅ……」
「姫様、お止めください。そのようなことばかりなさっていると、町の者がまた奇異な目で見ます」
「大丈夫だよ」
マリーは何でもないことのように答えた。
「ケルンの人は慣れてるから」
「そのケルンの者でも呆れかえるようなことを止めてくださいと申し上げているのです」
「…………」
マリーは黙った。
工具を見る。
侍女を見る。
「そんなに?」
「はい」
「でも、この前は子供たち喜んでたよ?」
「大人たちは頭を抱えておりました」
「……そっか」
どうやら少しだけ反省したらしい。
ケルンの人々は、そんな彼女を親しみと若干の呆れを込めて、
――ケルンのとんでも姫。
と呼んでいた。
4人の兄たちからの呼び名はもっとひどい。
――ちんちくりん。
本人は「とんでも姫」は気にしていなかったが、こちらについては断固として抗議している。
「それで、何の用?」
「ですから、バルナ様がお戻りになられました」
「バル兄が?」
マリーが勢いよく立ち上がった。
「帰ってきたの!?」
「はい。ただ……」
侍女の表情が曇った。
「お怪我が、かなり……」
マリーの顔から笑みが消えた。
バルナが重傷を負ったことは、すでに聞いている。
右腕を失った。
片目も失った。
命こそ助かったものの、これまでと同じように戦うことは難しいという。
「どこ?」
「先ほど城内へ――」
最後まで聞くより早く、マリーは走り出していた。
「バル兄!」
「姫様! 工具!」
「あっ」
一度戻ってきた。
工具を机に置く。
「じゃ!」
「その格好もどうにかしてください!」
「バル兄が待ってるから!」
今度こそ走り去っていく。
侍女は深々とため息をついた。
奥様も旦那さまもあんな方ではなかったのに。
◇
「バル兄!」
部屋へ飛び込んできた妹を見て、バルナはゆっくり顔を上げた。
「……マリーか」
その姿を見て、マリーも足を止めた。
右腕がない。
片目は包帯で覆われている。
かつて鉄騎兵の黒い重鎧に身を固め、大剣を振り回して敵陣へ突っ込んでいった兄とは、あまりにも違う姿だった。
「バル兄……」
「ああ。このざまだ」
バルナは自嘲するように笑った。
「私はもう駄目だ」
「は?」
「剣もまともに振れん。馬にも乗れない」
「……」
「敵の策にはまり、多くの兵を失い、挙げ句がこの姿だ。亡くなった父上、母上、そしてケルンの民にも申し訳が立たん」
バルナは残った左手を握った。
「武人としては、もう終わったようなものだ」
「はぁ?」
今度の声は先ほどより大きかった。
「……なんだ?」
「何言ってるの?」
マリーはずかずかと兄へ近づいた。
「生きてるんだから十分でしょ」
「マリー」
「手が一本ないくらいで落ち込まないでよ」
「お前な!」
バルナの声が響いた。
「一本ないんだぞ!」
「見れば分かるよ」
「なら少しはいたわれ!」
「いたわってるよ?」
「どこがだ!」
マリーは本当に分からないという顔をした。
「だってバル兄、生きて帰ってきたじゃない」
「…………」
「剣が振れないなら、剣を振らなくてもできることをすればいいでしょ」
「簡単に言うな」
「簡単だよ」
「馬にも乗れん」
「乗らなきゃいいじゃん」
「私は武人だぞ!」
「だから?」
「…………」
バルナが絶句した。
マリーはそんな兄を見て、にっと笑った。
「それに、ちょうどよかった」
「何がだ?」
「バル兄が来るのを待ってたのよ」
「……私を?」
「うん。来て」
「どこへ?」
「いいから」
マリーはバルナの左腕をつかんだ。
「おい!」
「ほら」
「待て! 私は療養中だ!」
「歩ける?」
「歩けるが――」
「じゃあ大丈夫」
「何が大丈夫なんだ!」
そのまま引っ張られていった。
◇
「……なんだ、ここは?」
マリーに半ば引きずられるように連れてこられたバルナは、部屋へ入るなり足を止めた。
壁一面に地図が貼られている。
机の上には兵棋が並べられ、その脇には各地から集められた戦闘報告書が山のように積まれていた。
それだけではない。
十人ほどの若者が長机を囲んで座っている。
いずれも十代後半から二十代前半。
東部諸侯に連なる貴族の子弟たちだった。
「戦術研究会だよ」
マリーは得意げに胸を張った。
「最近始めたの」
「……またお前という奴は」
「いいでしょ?」
「よくない。私は療養中だぞ」
「座って話すくらいできるでしょ?」
「できるできないの問題ではない」
そう言ってバルナが踵を返そうとする。
その瞬間だった。
「あ、あの!」
若者の一人が立ち上がった。
「バルナ様!」
「……なんだ?」
キラキラした目でバルナを見ている。
「コスタ戦役のお話を聞かせていただけるのですか!?」
「…………」
もう一人が立ち上がる。
「ぜひお願いいたします!」
「私は幼い頃からバルナ様の武勇を聞いて育ちました!」
「将来、鉄騎兵に入ることを目指しております!」
「私もです!」
「実際にアムル=ドゥットゥカースと戦った方のお話を聞ける機会など、ほかにありません!」
「ぜひ、ご教授ください!」
「お願いします!」
「…………」
バルナは黙った。
マリーを見る。
にこにこしている。
「……お前、これを狙ったな?」
「何が?」
「私が断れないようにしただろう」
「そんなことないよ?」
「こっちを見ろ」
マリーは露骨に目を逸らした。
「いやー、バル兄は人気者だね」
「マリー」
「ほら、みんな待ってるよ」
バルナは若者たちを見る。
期待に満ちた目。
尊敬。
憧れ。
いずれ鉄騎兵を、そして東部辺境軍を担うことになる若者たちだった。
そんな目で見られて、
――嫌だ。
とは、さすがに言えなかった。
「……分かった」
「おおっ!」
若者たちの顔が一斉に輝いた。
「ただし、私もまだ療養中だ。長時間は無理だぞ」
「はい!」
「ありがとうございます!」
バルナはため息をつき、空いている椅子へ腰を下ろした。
「それで、何を聞きたい?」
マリーが待ってましたとばかりに兵棋を並べ始めた。
「まずパドゥーラ回廊の戦いから」
「…………」
「バル兄がアムル=ドゥットゥカースを追撃したところね」
「別の戦いにしないか?」
「なんで?」
「なんでもだ」
一人の青年がおそるおそる手を挙げた。
「あの、バルナ様」
「なんだ?」
「報告書によれば、敵将アムルはバルナ様の追撃を予測したうえで伏兵を配置していたとありますが……」
「…………ああ」
「なぜ追撃を?」
バルナの眉間に皺が寄った。
「敵が逃げたからだ」
別の青年が手を挙げる。
「ですが、敵が意図的に退却している可能性は考慮されなかったのでしょうか?」
「…………」
「バル兄?」
「考えなかった。というよりも三か月間閉じこもっていた奴らが逃げた。普通、策などあると思うか?」
若者たちが一斉に紙へ書き込む。
カリカリカリカリ。
妙に筆記音が耳についた。
「なるほど……」
「では、ここが第一の問題点ということですね」
「敵の退却理由を確認せず追撃した、と」
「…………」
バルナのこめかみが動いた。
「次!」
マリーが兵棋を動かす。
「回廊に入ってから」
「まだやるのか」
「始まったばっかりだよ?」
「……そうだったな」
「では質問です!」
また別の青年が勢いよく手を挙げた。
「敵伏兵から攻撃を受けた際、バルナ様はどのような判断を?」
「前進した」
「なぜですか?」
「抜けると思ったからだ。だが、右方から現れたでかい男と、左方を指揮していた一人の少女……だったか。そいつらの指揮が思った以上に正確だった」
少女?異様に綺麗な顔立ちだったが、あの場に似つかわしくない。
もしかしたら幻覚だったか?
「退路の確保は?」
「していない」
「偵察は?」
「……十分ではなかった」
「左右の地形確認は?」
「…………」
カリカリカリカリ。
「なるほど!」
「非常に勉強になります!」
「追撃時ほど周囲の確認が重要なのですね!」
「実戦で失敗された方のお話は、やはり説得力があります!」
「お前たち」
バルナの低い声に、若者たちが静かになった。
「少しは言葉を選べ」
「す、すみません!」
マリーだけが腹を抱えて笑っていた。
「あはははは! バル兄、すごく役に立ってる!」
「マリー!」
◇
一時間後。
「では、アムルが反転した場面についてです!」
「まだあるのか……」
「ここが一番聞きたかったんです!」
「私もです!」
「お願いします、バルナ様!」
「…………」
バルナは天井を仰いだ。
右腕を失った。
片目も失った。
馬にも乗れない。
剣も以前のようには振れない。
それでも、生きて帰ってきた。
妹はそれで十分だと言った。
そして今、その妹によって、自分を完膚なきまでに叩きのめした戦いを、十人もの若者の前で詳細に説明させられている。
「……マリー」
「なに?」
「戦場の方が楽だったぞ」
「大丈夫」
マリーは満面の笑みを浮かべた。
「明日もあるから」
「何が大丈夫なんだ!」
部屋に若者たちの笑い声が響いた。
こうして、ケルンのとんでも姫が思いつきで始めた戦術研究会に、一人の新しい講師が加わった。
本人が望んでいたかどうかは、また別の話である。




