第20話 迎撃
布陣図
第二十話
一方、東部戦線を支えるアムルたちは、敵を迎え撃つ場所を絞り込んでいた。
机の上には、パドゥーラ北部からライプニッツに至る一帯の地図が広げられている。
敵兵力は三個師団、四万五千。
対するパドゥーラ軍は、帰還した遠征軍とパドゥーラ守備隊を合わせた一万五千。
三倍の敵を相手に、わざわざ平地で正面決戦を挑むほど愚かなことはしない。
「敵がパドゥーラへ侵攻するためには、回廊を通るしかありません」
司会役を務めるエルが、よく通る声で地図上の一点を指した。
パドゥーラ北方。
セレス山脈の末端がチル湖へ迫る。その場所に、古代アーネム帝国が崖を削って通した狭い道がある。
通称、パドゥーラ回廊である。
「だから迎撃地点は大きく三つ。ライプニッツ側の入口、回廊中央、それからパドゥーラ側の出口。この三か所に絞られるよ」
「出口まで引き込んで包囲殲滅するのが、一番大きな戦果は期待できるな」
ロックが腕を組んだ。
「ただ、危険も大きい。敵の数が多すぎるからな。突破されたら、そのままパドゥーラへ雪崩れ込まれる」
エヴァンスが静かに続ける。
「中央部も避けた方がいいでしょう。地形そのものは防御に向いていますが、結局は正面から押し合うことになります。三倍の兵力差を考えれば、こちらから選ぶ戦場ではありません」
「そうだね」
ヴァンが穏やかに頷いた。
「今回の目的は敵を撃破することではない。足止めすること。となると、大きな戦果を求めて危険を冒す必要はないね」
「俺もそう思う」
アムルは椅子の背にもたれた。
「倒す必要なんかない。通さなきゃいいだけなんだから」
エルが頷く。
「じゃあ、ライプニッツ側の回廊入口?」
「ああ。そこが一番安全だ」
回廊そのものは、すでにパドゥーラ軍の統制下にあった。
道も地形も、周辺の集落も把握している。
敵が回廊へ入ろうとすれば、その入口で待ち構える。
無理に押し込んでくれば狭隘な地形を利用して迎え撃ち、後退すれば追わない。
敵四万五千を殲滅する必要などない。
ここに留めておけばよい。
「ただし、ハイト方面は警戒しておく必要があるね」
アムルはヴァンの言葉に頷いた。
「はい。回廊に集中しすぎて、別方向から回り込まれたら笑えませんから」
「そこまで大規模な部隊を動かせる道ではないけれど、何もしないとは限らないね」
「哨戒を増やします。何かあればすぐ分かるようにしておきます」
アムルは地図を見下ろした。
これでいい。
勝つ必要はない。
敵四万五千をここへ縛りつける。
それがパドゥーラ方面軍に課せられた役割だった。
◇
同じ頃。
ノースジョウでは、三人の男が久しぶりに同じ作戦卓を囲んでいた。
「こうして三人で顔を合わせるのも久しぶりですな」
ギルフォードが懐かしそうに笑った。
「ああ」
モンド=ドゥットゥカースも笑みを返す。
その隣では、パウロ=フランツベルクが地図を眺めていた。
三人には共通点がある。
かつて南北戦争を戦った第三師団の仲間だった。
あれから年月が流れた。
モンドは軍務尚書となり、パウロは第五師団長となった。
ギルフォードは相変わらずモンドの副官的な立場にあったが、今回の遠征では第三師団長を任されている。
それぞれ違う場所を歩いてきた三人が、王国存亡の危機を前にして、再び同じ戦場へ集まっていた。
「まさか、また三人で戦うことになるとは思いませんでした」
パウロが言った。
「しかも相手は五万ですぞ」
ギルフォードが付け加える。
「だからどうした?」
モンドの返答に、パウロが小さく笑った。
「……相変わらずですね」
ノースジョウには第一、第三、第五師団が集結している。
総兵力、およそ三万。
対するレミーラ軍は五万。
野戦で正面からぶつかれば、決して有利な兵力差ではない。
だが、ここはノースジョウだった。
城の前面には河川が横たわっている。
敵は攻撃するために河川を越え、その先にある堅城へ取り付かなければならない。
「こちらから打って出る必要はありません」
パウロが地図上の河川を指した。
「敵が五万だろうと六万だろうと、渡ってくる場所は限られます」
「その通りですな。野戦に付き合わなければいい」
ギルフォードも同意する。
モンドは二人を見渡した。
「なら簡単だ」
その指がノースジョウを叩く。
「ここから先へ行かせなければいい」
二人が頷いた。
兵力はある。
城もある。
そして食糧もある。
パドゥーラからチル湖を経由して運ばれてくる食糧が、ノースジョウへ継続的に届けられていた。
第三次コスタ戦役で壊滅しかけた王国軍のうち、三万近い兵をアムルが生還させていた。
あの三万が失われていれば、そもそもここでレミーラ軍を迎え撃つことすらできなかっただろう。
「アムルが兵を連れて帰ってくれた」
モンドが呟いた。
「そのうえ飯までパドゥーラから送ってくる。ここまでしてもらって負けたとなれば、あいつに合わせる顔がないな」
「それは困りますな」
ギルフォードが笑う。
「では、そう簡単にはやらせないことにしましょう」
「ああ」
三人の視線が地図へ落ちた。
南北戦争を生き抜いた第三師団の三人が、再び同じ戦場に立っていた。
◇
それから三か月。
戦況は、ほとんど動かなかった。
ノースジョウではモンドたち三万がレミーラ軍五万を食い止め続けた。
レミーラ軍が渡河を試みれば撃退する。
攻囲に切り替えれば城壁から迎え撃つ。
補給はチル湖を経由して入ってくる。
モンドたちには、城外へ出る理由がなかった。
一方、パドゥーラ方面でも状況は同じだった。
三個師団四万五千を擁するレミーラ軍は、パドゥーラ回廊を突破できない。
アムルたちは地の利を活かして敵を翻弄し、当初与えられた戦略目的を完璧に果たしていた。
だが――。
「無理難題だなあ……」
アムルは頭をかきながら、届いた指令書をエルへ手渡した。
「父さんからだ」
「……」
エルは指令書を読む。
やがて困ったように眉を寄せた。
「打って出るのは危険すぎる……。誰でもそう思うよ」
「だろうね」
アムルは苦笑した。
「ただ、父さんの言うとおり、敵の補給線がリースからライプニッツの間で間延びしているのは確かだよ。ここを寸断できれば戦局が好転するのも間違いない」
しかし、それを実行するには現在の防衛線から兵力を出さなければならない。
アムルもジョン=ブランなど、遊撃戦を得意とする将にある程度の兵力を与えて活動させていたが、補給線に対する守備は以前よりも堅くなっている。
しかも、相手は四万五千。
不用意に兵力を出しすぎれば、逆に回廊へ殺到される危険がある。
アムルは地図を眺めながら呟いた。
「兵力分散の愚を犯しているのは、こっちの方かもしれないな」
敵三個師団は三か月間、ほとんど前進していない。
だが、それを単純な失敗と見ることはできなかった。
彼らがここにいる限り、アムルもここを離れられない。
ルートビッヒにとってみれば、それだけで十分だった。
リービッヒ軍の中でもっとも厄介な部隊を、四万五千の兵力で東部へ縛りつけている。
「困ったものだなぁ。どうしよう、エル?」
アムルは隣にいるエルへ顔を向けた。
「これ以上、こっちから兵は出せないし、ジョン=ブランからの報告でも無理な攻撃は不可能だって」
「うん。補給線を切りたいのは分かるけど、だからって回廊の守りを薄くするわけにはいかないよ」
「そうなんだよなあ……」
アムルは頬杖をついた。
しばらく地図を眺める。
それから、ふと隣を見る。
真面目に地図を見つめるエル。
綺麗だな。そう思う。
「……」
「なに?」
アムルの視線に気づいたエルが首を傾げた。
「いや、可愛いなって」
「…………」
エルが固まった。
「な、なに言ってるの?」
「遠征中はエル不足だったし」
「エル不足ってなに!?」
「エルが足りない状態」
「そのままじゃない!」
「それに、そもそも事実を述べることが、なんでふざけてることになるんだよ」
「今は戦の話をしてるんでしょ!」
「それとエルが可愛いことは別に矛盾しないだろ?」
「ば、馬鹿……」
エルは赤くなった顔をそらした。
アムルはそんなエルを見て、ますます楽しそうに笑う。
遠征中には、こんなやり取りをする余裕すらなかった。
三万の将兵を連れて逃げ、リューザスに追い込まれ、三か月に及ぶ籠城戦を戦った。
今も戦争が終わったわけではない。
それでも、少なくとも目の前の戦線は安定している。
ようやくアムルにも、いつもの調子が戻りつつあった。
そのときだった。
ガチャリ。
「大将、ちょっといいか?」
扉を開けてロックが入ってきた。
そして止まった。
楽しそうにほほ笑むアムル。
顔を赤くしているエル。
「うん? ロックどうした?」
「……」
ロックは大きくため息をついた。
「はぁ……ちょうど悪かったな」
「何が?」
「いや、分からんならいい」
「?」
アムルが首を傾げる。
「ロック! 何の用なの!」
赤い顔のままエルが声を上げた。
「お、おう。悪かったって、嬢ちゃん」
「だから何が悪いんだ?」
「大将は黙ってろ」
「なんでだよ」
ロックはもう一度ため息をついた。
エルはそっぽを向いている。
アムルだけが納得できない顔をしていた。
やがてアムルは再び机の上へ視線を落とした。
リースからライプニッツまで伸びる補給線。
回廊守備の兵力までは動かせない。
ジョン=ブランたちだけでは崩せない。
ならば、別のところを突くしない。
「……まあ、いいや」
アムルの口元に、悪戯を思いついた子供のような笑みが浮かんだ。
「ちょっとしたイタズラでもしてやるかな」




