↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アーネム戦記  作者: Tanu1016
第二章 第三次コスタ戦役

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/29

第19話 勅命

第十九話 再侵攻


「もう一度、お聞かせ願いますか?」


 ライプニッツに駐屯を始めたルートビッヒ=シュナイダーのもとに帝都から勅使が訪れた。


 その勅使の言葉にルートビッヒは珍しく反復を促した。


 聞き取れなかったわけではない。


 むしろ、はっきりと聞こえていた。


 だからこそ、もう一度確認する必要があった。


 勅使は表情を変えることなく、同じ言葉を繰り返した。


「将軍に与えてある全兵力をもって、リービッヒ王国を早期に制圧せよとの陛下からの勅命であらせられる」


「全兵力を、ですか」


「左様」


 ルートビッヒは黙った。


 現在、彼の指揮下にある兵力は約5万。


 リューザスにおいてリービッヒ軍主力を追い詰め、一時はその殲滅寸前まで迫った精兵である。


 だが、長期間にわたる遠征と二か月を超える包囲戦によって、その軍勢も疲弊していた。


 兵は疲れ、軍馬は痩せ、何より補給線に大きな負担がかかっている。


 アムル=ドゥットゥカースに逃げられたとはいえ、このまま無理な追撃を続けることをルートビッヒは考えていなかった。


 軍を再編し、補給線を整え、それから次の行動へ移る。


 そのつもりだった。


 だが、皇帝の命令は違った。


 休むな。


 進め。


 そしてリービッヒを滅ぼせ。


 そういう命令だった。


「陛下の御意は、すでに疲弊したリービッヒを速やかに討伐せよということです」


 勅使は続けた。


「そのための増援として、帝都より三個師団がすでに進発しております」


「三個師団……」


「加えて、帝都および周辺各地の備蓄庫を開放し、食糧、飼料、武器、その他必要となる軍需物資を順次こちらへ輸送いたします」


 ルートビッヒがわずかに眉を動かした。


 兵だけではないらしい。


「輸送隊についても?」


「中央で編成しております。さらに軍務府、財務府より兵站を専門とする文官を派遣いたします。現地で必要となる物資の集積、輸送、徴発、会計その他については、彼らに命じていただければよろしいかと」


「……なるほど」


 至れり尽くせりだった。


 兵が来る。


 食糧も来る。


 軍馬の飼料も来る。


 武器も来る。


 それを運ぶ人間まで来る。


 さらには、その膨大な物資を管理する官僚まで中央が用意するという。


 ここまで中央から手厚い支援を受けて戦った記憶など、ルートビッヒにはなかった。


「陛下は曾孫であられる将軍に、たいそう大きな期待をしておいでです」


 勅使は言った。


「その御期待を裏切ることなきよう、忠節を尽くしてください」


「期待に応えさせていただきます」


 ルートビッヒは恭しく頭を下げた。


 だが、その内心では鼻で笑っていた。


 ――期待だと?


 そんなものを自分に向けたことが、これまで一度でもあっただろうか。


 本当に期待していたのなら、最初から中央に置いていただろう。


 皇帝カール=ハインツ=ハイマン=フォン=レミーラの直系の曾孫。


 確かに血筋だけを見れば、ルートビッヒは皇族の一員だった。


 しかし、皇帝の四男、そのさらに四男の家系。


 のみならず父の失態による皇籍のはく奪。


 帝位からは遠いどころではない。


 中央政界からももちろん遠い。


 だからこそ、彼は東部辺境領にいる。


 そしてそこで、自分の力だけで現在の地位まで登ってきた。


「確かに承りました。陛下には、必ずや御期待に沿うとお伝えください」


「よろしくお願いいたします」


 勅使はもう一度頭を下げると、退出していった。


 扉が閉じる。


 しばらくの間、室内には沈黙が流れた。


 やがてルートビッヒが口を開いた。


「……随分と気前がいいな」


「そうですね」


 傍らに控えていたホフマンが答える。


「兵を三個師団。食糧、飼料、武器、軍需物資。輸送隊まで中央持ち。そのうえ兵站を専門とする文官まで寄越すそうだ」


「我々としてはありがたい話です」


「ありがたすぎて気味が悪い」


 ルートビッヒは椅子へ深く腰掛けた。


「今まで一度として、ここまで親切にされた覚えがない」


「それについてですが」


 ホフマンの声が少し低くなった。


 手にしていた書類を卓上へ置く。


「ケルンのマリー様から別に報告が入っています」


「何だ?」


「陛下の御容態が、思わしくないということです」


 ルートビッヒは一瞬だけ目を細めた。


 それだけで理解した。


「……なるほど」


 すべてがつながった。


 三個師団。


 大量の補給物資。


 輸送隊。


 兵站官僚。


 そして、早期制圧というこれまでになく性急な勅命。


「あいつは急いでいるのだ」


 皇帝を指すには、あまりに不敬な言葉だった。


 だが、ここにはホフマンしかいない。


「自分の余命がいくばくもないことに焦っている。だから柄にもないことを言い出している」


「では、サボタージュなさいますか?」


 ホフマンは平然と言った。


 もし誰かに聞かれれば、それだけで反逆を疑われかねない発言である。


 だが、ルートビッヒは笑いもしなかった。


「その必要はあるまい」


 即答だった。


「そのために必要な兵力を増強してくれるというのだ。補給まで中央が面倒を見る。そのうえ、帝都の精鋭部隊だというではないか」


「はい」


「将軍の中に、シノップとアシュートも入っていたな?」


「シノップ、アシュート。それとゴルダですね」


「ゴルダ?」


「大貴族オルレアン家の出身です」


「能力は?」


「勇猛なのは確かです。ただ、やや思慮に欠けるところがあります」


「使えんのか?」


「いえ」


 ホフマンは首を振った。


「能力そのものは水準以上です。特に戦闘力については特筆すべきでしょう。先頭に立たせるなら十分に働きます」


「ならばいい」


「アシュート、シノップの両名については、その才幹に疑いはありません」


「ならば問題ないだろう」


 ルートビッヒは卓上に広げられた地図へ目を落とした。


「こちらの思惑通りに戦力を派遣してくれるわけもないのだ。それがすべて優秀と言える水準ならば、良しとすべきだろう」


 ルートビッヒが直接兵権を握っているのは、東部諸侯の軍勢、東部辺境軍のみであった。


 東部には新興貴族が多い。


 古い門閥に縛られにくく、能力さえあれば平民であろうと登用できる。


 実際、現在ルートビッヒの旗下にいる将軍たちにも、平民出身者は少なくない。


 それこそが東部辺境軍の強さでもあった。


 だが、帝都の中央軍となれば話は違う。


 そこには古い家柄もあれば、政治もある。


 ルートビッヒが好き勝手に人材を選べる場所ではない。


 その中央が三個師団を寄越す。


 しかも、指揮官まで一定以上の能力を持つ者で固めてきた。


「兵力、物資、輸送、兵站官僚……」


 ルートビッヒは指先で地図を叩いた。


「ここまでお膳立てをされて、それでも出来ませんとは言えんな」


「では?」


「やるさ」


 口元に薄い笑みが浮かんだ。


「陛下がお望みなのだ。リービッヒを早期に制圧する」


 そして、その指が地図の一点で止まる。


 リューザスから南東。


 アムル=ドゥットゥカースが逃走した方向だった。


「まずは、あの逃げ足の速い男をどうにかせんとな」


「追撃なさいますか?」


「無論だ」


 ルートビッヒは答えた。


「今までは追えばこちらの補給が先に尽きた。だが、今度は違う」


 中央から物資が来る。


 兵も来る。


 輸送隊も来る。


 兵站を管理する人間まで来る。


 リューザスでルートビッヒを縛っていた最大の問題が消えようとしていた。


「アムル=ドゥットゥカース」


 その名を口にする。


「今度はどこまで逃げるつもりだ?」


     ◇


 一方、リービッヒ王国首都リブロフ。


 王宮の会議室では、怒号に近い声が飛び交っていた。


「首都から退くべきだ!」


「東部からも敵が来ているのだぞ!」


「このままでは包囲される!」


「王家だけでも安全な場所へ――」


「どこへ行くというのです!!」


 モンド=ドゥットゥカースの一喝が、すべての声を押し潰した。


 会議室が静まり返る。


 モンドは集まった貴族たちを見回した。


「リブロフが落ちて、どこに行くというのです?」


「しかしだな、モンド殿……」


「我々はここを離れてはなりません」


 モンドは言い切った。


「ルー様にも、この場に踏みとどまっていただきます」


 国王を逃がさない。


 その言葉に何人かの貴族が顔色を変えた。


「ここを守れなければ、この国の運命は決まったも同然です。逃げる場所などありません」


 時間の無駄だ。


 モンド自身、それは分かっていた。


 だが、説得しなければならない。


 軍を指揮するだけならば、こんなことをする必要はない。


 しかし今のモンドは、軍人であるだけでは許されなかった。


 この国そのものを支えなければならない。


「だが、敵は二路に分かれて進軍してきているのだぞ」


 一人の貴族が言った。


「将軍がこちらを守るとしても、東部戦線が支えられるとは思えぬ」


 モンドはその男を見た。


「アムルは、負けはしないでしょう」


 迷いなく答えた。


「……そこまで言い切られるか」


「はい」


 モンドは頷いた。


「そう考えれば、敵は兵力分散の愚を犯したとも言えます。我々は動員できる全兵力をリブロフへ集約すればよいのです」


 卓上の地図を指す。


「リブロフ城を守り切れば、我々の勝利です」


「しかし……」


「ここには皆様方の御家族もおありでしょう」


 モンドは続けた。


「だからこそ、踏みとどまっていただきたい」


 逃げたい理由は分かる。


 妻がいる。


 子がいる。


 家族がいる。


 だから安全な場所へ逃がしたい。


 自分も一緒に逃げたい。


 その感情を責めるつもりはなかった。


 だからこそ言う。


「覚悟を見せるべきです」


 誰も答えなかった。


「リブロフ城を落城などさせません」


 モンドは断言した。


「皆様方は急ぎ、戦いに備えてください」


 しばらくして、一人が立ち上がった。


 それをきっかけに、貴族たちは次々と席を立っていく。


 まだ不安そうな者もいた。


 納得していない者もいる。


 それでも、少なくとも今すぐ逃げ出そうとする者はいなくなった。


 やがて最後の一人が退出する。


 扉が閉まった。


 モンドは一人、地図の前に残った。


「……兵力分散の愚、か」


 自分で口にした言葉を、もう一度呟いた。


 そんな単純な話ではない。


 アムルは負けない。


 それについては、本気でそう思っている。


 あの子ならば戦う。


 敵がどれほど多くても、簡単には崩れない。


 あの子にはそれだけの将器が備わっている。


 だから、負けはしないだろう。


 しかし――。


 モンドの視線が東部へ向いた。


 敵が兵力分散の愚を犯した。


 そう考えるよりも、別の見方をした方が正しいのかもしれない。


 敵はアムルを無力化したのだ。


 倒す必要などない。


 アムル=ドゥットゥカースという、現在のリービッヒで最も厄介な将軍を東部へ縛りつける。


 こちらへ来られないだけの敵を与え続ける。


 それだけでいい。


 アムルが東部でどれほど巧みに戦おうと、リブロフを救うことはできない。


「……やってくれる」


 モンドは小さく呟いた。


 チル湖西岸からは首都を狙う敵軍。


 東部でもアムルを追う。


 そして帝都からは、さらに三個師団が増援として送り込まれようとしている。


 リービッヒには、それに対抗するだけの余力がない。


 第三次コスタ戦役で失われた兵力は、あまりにも多すぎた。


 それでも戦わなければならない。


 モンドは地図の上のリブロフへ手を置いた。


 ここを守る。


 自分の役割は、それだけだ。


 そして東にいる息子には、別の役割がある。


「アムル」


 誰もいない部屋で、その名を呼んだ。


「負けるなよ」


 勝てとは言わない。


 敵を滅ぼせとも言わない。


 ただ、負けるな。


 お前が負ければ、この国は終わる。


 だが――。


 モンドはリブロフを見つめた。


 お前が勝ったとしても、そのときまでこちらが残っていなければ意味がない。


 東と西。


 離れた場所で、二人はそれぞれにリービッヒの命運を背負っていた。


 三度目のコスタを巡る戦争は、まだ終わっていない。


 むしろ――。


 本当の意味でリービッヒという国の存亡を懸けた戦いは、ここから始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。