第19話 勅命
第十九話 再侵攻
「もう一度、お聞かせ願いますか?」
ライプニッツに駐屯を始めたルートビッヒ=シュナイダーのもとに帝都から勅使が訪れた。
その勅使の言葉にルートビッヒは珍しく反復を促した。
聞き取れなかったわけではない。
むしろ、はっきりと聞こえていた。
だからこそ、もう一度確認する必要があった。
勅使は表情を変えることなく、同じ言葉を繰り返した。
「将軍に与えてある全兵力をもって、リービッヒ王国を早期に制圧せよとの陛下からの勅命であらせられる」
「全兵力を、ですか」
「左様」
ルートビッヒは黙った。
現在、彼の指揮下にある兵力は約5万。
リューザスにおいてリービッヒ軍主力を追い詰め、一時はその殲滅寸前まで迫った精兵である。
だが、長期間にわたる遠征と二か月を超える包囲戦によって、その軍勢も疲弊していた。
兵は疲れ、軍馬は痩せ、何より補給線に大きな負担がかかっている。
アムル=ドゥットゥカースに逃げられたとはいえ、このまま無理な追撃を続けることをルートビッヒは考えていなかった。
軍を再編し、補給線を整え、それから次の行動へ移る。
そのつもりだった。
だが、皇帝の命令は違った。
休むな。
進め。
そしてリービッヒを滅ぼせ。
そういう命令だった。
「陛下の御意は、すでに疲弊したリービッヒを速やかに討伐せよということです」
勅使は続けた。
「そのための増援として、帝都より三個師団がすでに進発しております」
「三個師団……」
「加えて、帝都および周辺各地の備蓄庫を開放し、食糧、飼料、武器、その他必要となる軍需物資を順次こちらへ輸送いたします」
ルートビッヒがわずかに眉を動かした。
兵だけではないらしい。
「輸送隊についても?」
「中央で編成しております。さらに軍務府、財務府より兵站を専門とする文官を派遣いたします。現地で必要となる物資の集積、輸送、徴発、会計その他については、彼らに命じていただければよろしいかと」
「……なるほど」
至れり尽くせりだった。
兵が来る。
食糧も来る。
軍馬の飼料も来る。
武器も来る。
それを運ぶ人間まで来る。
さらには、その膨大な物資を管理する官僚まで中央が用意するという。
ここまで中央から手厚い支援を受けて戦った記憶など、ルートビッヒにはなかった。
「陛下は曾孫であられる将軍に、たいそう大きな期待をしておいでです」
勅使は言った。
「その御期待を裏切ることなきよう、忠節を尽くしてください」
「期待に応えさせていただきます」
ルートビッヒは恭しく頭を下げた。
だが、その内心では鼻で笑っていた。
――期待だと?
そんなものを自分に向けたことが、これまで一度でもあっただろうか。
本当に期待していたのなら、最初から中央に置いていただろう。
皇帝カール=ハインツ=ハイマン=フォン=レミーラの直系の曾孫。
確かに血筋だけを見れば、ルートビッヒは皇族の一員だった。
しかし、皇帝の四男、そのさらに四男の家系。
のみならず父の失態による皇籍のはく奪。
帝位からは遠いどころではない。
中央政界からももちろん遠い。
だからこそ、彼は東部辺境領にいる。
そしてそこで、自分の力だけで現在の地位まで登ってきた。
「確かに承りました。陛下には、必ずや御期待に沿うとお伝えください」
「よろしくお願いいたします」
勅使はもう一度頭を下げると、退出していった。
扉が閉じる。
しばらくの間、室内には沈黙が流れた。
やがてルートビッヒが口を開いた。
「……随分と気前がいいな」
「そうですね」
傍らに控えていたホフマンが答える。
「兵を三個師団。食糧、飼料、武器、軍需物資。輸送隊まで中央持ち。そのうえ兵站を専門とする文官まで寄越すそうだ」
「我々としてはありがたい話です」
「ありがたすぎて気味が悪い」
ルートビッヒは椅子へ深く腰掛けた。
「今まで一度として、ここまで親切にされた覚えがない」
「それについてですが」
ホフマンの声が少し低くなった。
手にしていた書類を卓上へ置く。
「ケルンのマリー様から別に報告が入っています」
「何だ?」
「陛下の御容態が、思わしくないということです」
ルートビッヒは一瞬だけ目を細めた。
それだけで理解した。
「……なるほど」
すべてがつながった。
三個師団。
大量の補給物資。
輸送隊。
兵站官僚。
そして、早期制圧というこれまでになく性急な勅命。
「あいつは急いでいるのだ」
皇帝を指すには、あまりに不敬な言葉だった。
だが、ここにはホフマンしかいない。
「自分の余命がいくばくもないことに焦っている。だから柄にもないことを言い出している」
「では、サボタージュなさいますか?」
ホフマンは平然と言った。
もし誰かに聞かれれば、それだけで反逆を疑われかねない発言である。
だが、ルートビッヒは笑いもしなかった。
「その必要はあるまい」
即答だった。
「そのために必要な兵力を増強してくれるというのだ。補給まで中央が面倒を見る。そのうえ、帝都の精鋭部隊だというではないか」
「はい」
「将軍の中に、シノップとアシュートも入っていたな?」
「シノップ、アシュート。それとゴルダですね」
「ゴルダ?」
「大貴族オルレアン家の出身です」
「能力は?」
「勇猛なのは確かです。ただ、やや思慮に欠けるところがあります」
「使えんのか?」
「いえ」
ホフマンは首を振った。
「能力そのものは水準以上です。特に戦闘力については特筆すべきでしょう。先頭に立たせるなら十分に働きます」
「ならばいい」
「アシュート、シノップの両名については、その才幹に疑いはありません」
「ならば問題ないだろう」
ルートビッヒは卓上に広げられた地図へ目を落とした。
「こちらの思惑通りに戦力を派遣してくれるわけもないのだ。それがすべて優秀と言える水準ならば、良しとすべきだろう」
ルートビッヒが直接兵権を握っているのは、東部諸侯の軍勢、東部辺境軍のみであった。
東部には新興貴族が多い。
古い門閥に縛られにくく、能力さえあれば平民であろうと登用できる。
実際、現在ルートビッヒの旗下にいる将軍たちにも、平民出身者は少なくない。
それこそが東部辺境軍の強さでもあった。
だが、帝都の中央軍となれば話は違う。
そこには古い家柄もあれば、政治もある。
ルートビッヒが好き勝手に人材を選べる場所ではない。
その中央が三個師団を寄越す。
しかも、指揮官まで一定以上の能力を持つ者で固めてきた。
「兵力、物資、輸送、兵站官僚……」
ルートビッヒは指先で地図を叩いた。
「ここまでお膳立てをされて、それでも出来ませんとは言えんな」
「では?」
「やるさ」
口元に薄い笑みが浮かんだ。
「陛下がお望みなのだ。リービッヒを早期に制圧する」
そして、その指が地図の一点で止まる。
リューザスから南東。
アムル=ドゥットゥカースが逃走した方向だった。
「まずは、あの逃げ足の速い男をどうにかせんとな」
「追撃なさいますか?」
「無論だ」
ルートビッヒは答えた。
「今までは追えばこちらの補給が先に尽きた。だが、今度は違う」
中央から物資が来る。
兵も来る。
輸送隊も来る。
兵站を管理する人間まで来る。
リューザスでルートビッヒを縛っていた最大の問題が消えようとしていた。
「アムル=ドゥットゥカース」
その名を口にする。
「今度はどこまで逃げるつもりだ?」
◇
一方、リービッヒ王国首都リブロフ。
王宮の会議室では、怒号に近い声が飛び交っていた。
「首都から退くべきだ!」
「東部からも敵が来ているのだぞ!」
「このままでは包囲される!」
「王家だけでも安全な場所へ――」
「どこへ行くというのです!!」
モンド=ドゥットゥカースの一喝が、すべての声を押し潰した。
会議室が静まり返る。
モンドは集まった貴族たちを見回した。
「リブロフが落ちて、どこに行くというのです?」
「しかしだな、モンド殿……」
「我々はここを離れてはなりません」
モンドは言い切った。
「ルー様にも、この場に踏みとどまっていただきます」
国王を逃がさない。
その言葉に何人かの貴族が顔色を変えた。
「ここを守れなければ、この国の運命は決まったも同然です。逃げる場所などありません」
時間の無駄だ。
モンド自身、それは分かっていた。
だが、説得しなければならない。
軍を指揮するだけならば、こんなことをする必要はない。
しかし今のモンドは、軍人であるだけでは許されなかった。
この国そのものを支えなければならない。
「だが、敵は二路に分かれて進軍してきているのだぞ」
一人の貴族が言った。
「将軍がこちらを守るとしても、東部戦線が支えられるとは思えぬ」
モンドはその男を見た。
「アムルは、負けはしないでしょう」
迷いなく答えた。
「……そこまで言い切られるか」
「はい」
モンドは頷いた。
「そう考えれば、敵は兵力分散の愚を犯したとも言えます。我々は動員できる全兵力をリブロフへ集約すればよいのです」
卓上の地図を指す。
「リブロフ城を守り切れば、我々の勝利です」
「しかし……」
「ここには皆様方の御家族もおありでしょう」
モンドは続けた。
「だからこそ、踏みとどまっていただきたい」
逃げたい理由は分かる。
妻がいる。
子がいる。
家族がいる。
だから安全な場所へ逃がしたい。
自分も一緒に逃げたい。
その感情を責めるつもりはなかった。
だからこそ言う。
「覚悟を見せるべきです」
誰も答えなかった。
「リブロフ城を落城などさせません」
モンドは断言した。
「皆様方は急ぎ、戦いに備えてください」
しばらくして、一人が立ち上がった。
それをきっかけに、貴族たちは次々と席を立っていく。
まだ不安そうな者もいた。
納得していない者もいる。
それでも、少なくとも今すぐ逃げ出そうとする者はいなくなった。
やがて最後の一人が退出する。
扉が閉まった。
モンドは一人、地図の前に残った。
「……兵力分散の愚、か」
自分で口にした言葉を、もう一度呟いた。
そんな単純な話ではない。
アムルは負けない。
それについては、本気でそう思っている。
あの子ならば戦う。
敵がどれほど多くても、簡単には崩れない。
あの子にはそれだけの将器が備わっている。
だから、負けはしないだろう。
しかし――。
モンドの視線が東部へ向いた。
敵が兵力分散の愚を犯した。
そう考えるよりも、別の見方をした方が正しいのかもしれない。
敵はアムルを無力化したのだ。
倒す必要などない。
アムル=ドゥットゥカースという、現在のリービッヒで最も厄介な将軍を東部へ縛りつける。
こちらへ来られないだけの敵を与え続ける。
それだけでいい。
アムルが東部でどれほど巧みに戦おうと、リブロフを救うことはできない。
「……やってくれる」
モンドは小さく呟いた。
チル湖西岸からは首都を狙う敵軍。
東部でもアムルを追う。
そして帝都からは、さらに三個師団が増援として送り込まれようとしている。
リービッヒには、それに対抗するだけの余力がない。
第三次コスタ戦役で失われた兵力は、あまりにも多すぎた。
それでも戦わなければならない。
モンドは地図の上のリブロフへ手を置いた。
ここを守る。
自分の役割は、それだけだ。
そして東にいる息子には、別の役割がある。
「アムル」
誰もいない部屋で、その名を呼んだ。
「負けるなよ」
勝てとは言わない。
敵を滅ぼせとも言わない。
ただ、負けるな。
お前が負ければ、この国は終わる。
だが――。
モンドはリブロフを見つめた。
お前が勝ったとしても、そのときまでこちらが残っていなければ意味がない。
東と西。
離れた場所で、二人はそれぞれにリービッヒの命運を背負っていた。
三度目のコスタを巡る戦争は、まだ終わっていない。
むしろ――。
本当の意味でリービッヒという国の存亡を懸けた戦いは、ここから始まろうとしていた。




