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アーネム戦記  作者: Tanu1016
第二章 第三次コスタ戦役

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第17話 突破

第十七話 


 包囲開始から、二か月と五日。


 レミーラ軍本営では、夜を徹した決戦の準備が続けられていた。


 机いっぱいに広げられた地図の上を、ルートビッヒ=シュナイダーの指がゆっくりと動く。


「城内の様子は?」


「変わりありません」


 ホフマンが答えた。


「城壁上の兵力にも大きな変化はありません。こちらの動きにも、今のところ気付いた様子はないかと」


「そうか」


 ルートビッヒは短く答えた。


 リューザスを包囲して、すでに二か月を超えた。


 攻めれば防がれる。


 待てば、こちらの食糧が減っていく。


 本来であれば、城内に三万もの兵を抱え込んだリービッヒ軍の方が先に飢えるはずだった。


 ところが、そうはならなかった。


 奴らは持ちこたえている。


 それどころか、捕虜から得た情報によれば、まだ三か月近く籠城できるだけの食糧を残しているという。


 一方で、レミーラ軍の補給事情は悪化していた。


 ここは敵地である。


 長大になった補給線へ敵の小部隊が繰り返し襲撃を仕掛け、先日には後方の食料庫まで焼かれた。


 これ以上の長期戦は得策ではない。


「ならば、城から出してしまえばいい」


 ルートビッヒは言った。


 城内にいるから厄介なのだ。


 出てくるのであれば、話は違う。


「後方へ回した紅龍騎兵の配置は?」


「予定通りです。夜までには所定の位置へ到着します」


「左右鉄騎兵の部隊は?」


「こちらも準備を進めております」


 ホフマンは地図を見る。


 城から脱出した敵を、そのまま逃がすつもりはない。


 退路へ兵を回し、逃走を強制する。


 その先には、左右へ展開したレミーラ軍が待ち構える。


 逃げてきた敵を中央へ誘い込み、両翼を閉じる。


 鶴翼。


 三万のリービッヒ軍を、一度に呑み込むための陣だった。


「問題は、アムル=ドゥットゥカースですな」


 ホフマンが言った。


「あの男が素直にこちらの思惑に乗るかどうか」


「乗ってもらうさ」


 ルートビッヒは笑った。


「奴に選択肢はない。そもそもあいつは逃げたがっている。」


 こちらが後方を押さえれば、脱出せざるを得なくなる。


 そして出てきたところを叩く。


 多少こちらの意図を読んだところで構わない。


 最終的に通らなければならない場所さえ押さえてしまえばいい。


「二か月も付き合った」


 ルートビッヒは地図の上のリューザスを指で叩いた。


「そろそろ終わらせよう」


     ◇


 その日の午後。


 アムルは城壁の上を歩いていた。


 籠城開始直後の三日間とは違い、今では城内の指揮系統も完全に立て直されている。


 それでも一日に一度は自分の目で城内と城壁を見て回る。


 兵士の顔を見る。


 敵を見る。


 報告書だけでは分からないこともある。


 そんな見回りの途中だった。


「だから、いつもより三十分も早く炊飯が始まってるんですって。それに煙も多いですよ」


「そうか? たいして変わらんと思うがな」


 近くで話していた兵士たちの声が耳に入った。


 アムルの足が止まる。


 一人はまだ少年と言っていい年齢だった。


 もう一人は、その上官らしい。


「その話、本当か?」


「え?」


 二人が振り返った。


 そして、固まった。


「しょ、将軍……!」


 少年兵の顔から血の気が引く。


 アムルは構わず城壁の外へ目を向けた。


 遠くに広がるレミーラ軍の陣地。


 いくつもの炊煙が空へ昇っている。


「いつもより三十分早いって?」


「は、はい」


「毎日見てたのか?」


「はい。俺、だいたいこの時間はここの持ち場なんで……」


 少年は恐る恐る敵陣を指さした。


「いつもなら、まだあんなに煙は出ません。もう少し後です。それに今日は煙の数も多いです」


「……」


「間違いないです。俺、ずっと見てましたから」


 アムルは黙った。


 三十分。


 炊飯の煙の量。


 そして――ここ数日に入ってきた偵察報告。


 敵の一部部隊が陣地から姿を消している。


 補給線周辺の警戒が急激に強化されている。


 さらに数日前、友軍によってレミーラ軍後方の食料庫が襲撃された可能性という報告。


 ばらばらだった情報が、一つにつながった。


「将軍、申し訳ありません」


 上官が慌てて頭を下げた。


「まったく、くだらないことを。ほら、おめえも謝れ」


「え?」


「早くしろ!」


 その声で、アムルは我に返った。


 自分の表情が強張っていたことに気付く。


 アムルは意識して表情を緩めた。


「いや、謝る必要はないよ」


 少年を見る。


「名前は?」


「リ、リュッケです」


「そうか。リュッケ」


 アムルは笑った。


「ありがとう」


「……え?」


「君のおかげで、どうやら国に帰れそうだ」


 少年は意味が分からず、ぽかんとしている。


「この戦いが終わったら、十分な褒美を出させてもらうよ」


「え、いや、俺、そんな――」


「その代わり」


 アムルの声が低くなった。


「今の話は誰にもするな」


 少年が息を呑む。


「上官殿もお願いします」


「あ、ああ。もちろんです」


「敵にも知られたくないし、味方にもまだ知られたくない」


 そう言い残し、アムルは踵を返した。


 歩調が速くなる。


「ヴァン先生を呼んでくれ。それとロック、エヴァンス、パウロもだ」


 近くにいた伝令へ告げる。


「ただし、騒ぎにはするな。いつも通りに呼べ」


 伝令が走り出した。


 アムルはもう一度だけ敵陣を振り返った。


 無数の炊煙が空へ昇っている。


「……やっと動いたな」


     ◇


「敵は今夜、動く」


 集められた諸将を前に、アムルは言った。


 声を上げる者はいなかった。


 だが、その場にいる全員の表情が変わった。


 二か月。


 待ち続けた。


 ついに、その時が来た。


「根拠はなんだ?」


 パウロが尋ねた。


「まさか勘とは言わんのだろう?」


 疑っているわけではない。


 確認だった。


「敵の炊飯開始が、いつもより三十分ほど早い」


「炊飯?」


 ロックが眉を寄せる。


「ああ」


 アムルは地図へ視線を落とした。


「しかも煙の数が多い。普段とは違う時間に兵を動かすため、食事の時間をずらしているか、夜襲にそなえて夜分の携行食も作っている可能性が高い」


「それだけか?」


「それだけなら俺も動かない」


 アムルは地図の上へいくつか駒を置いた。


「ここ数日、敵部隊の移動が増えている。特に昨日から」


 ヴァンが地図を覗き込む。


「なるほど。炊飯時間の変化と合わせると、偶然とは考えにくいね」


「はい」


 アムルは頷いた。


 ヴァンに対してだけ、その口調がわずかに丁寧になる。


「それに、敵の食料庫が友軍に襲撃されたという報告もあります。ルートビッヒも、これ以上ここに留まるのは嫌でしょう」


「敵が先に痺れを切らしたということか」


 エヴァンスが静かに言った。


「たぶん」


 アムルは敵を示す駒を動かした。


「問題は、どう仕掛けてくるかだ」


 後方。


 左右。


 そして中央。


 偵察によって確認された敵部隊の移動を、一つずつ地図の上へ反映させていく。


「まず、敵が狙うのは西門だと思います。」


 アムルは西門を指さした。


「西門は前方に川があるため敵もいままで積極的に攻めては来なかった。そのうえ守るのは第四・六師団の混成部隊と各城門を守る部隊としては比較的弱い。」


「それはありえるな」


 パウロはうなずく


「そしてその西門へ回った兵は、俺たちをあぶりだすための部隊だと思う」


「あぶりだす?」


「ああ。後ろから襲われれば、俺たちは逃げざるを得ない」


 アムルの指が動く。


「そして、逃げた先に――」


 左右へ駒を並べた。


 大きく開いた翼。


「こう置く」


 パウロが目を細めた。


「鶴翼か」


「たぶん」


 アムルは頷いた。


「後方から追い立てて、ここへ誘導する。俺たちが中央へ入ったところで両翼を閉じる」


「三万まとめて包むつもりかよ」


 ロックが低く呟いた。


「そういうことだと思う」


「で、どうする?」


 ロックがアムルを見る。


 アムルは少しだけ笑った。


「逆に使う」


 その指が、地図上のレミーラ軍中央を示した。


「敵は包囲を完成させるため、兵を左右と後方へ移している」


「……中央が薄くなる」


 エヴァンスが言った。


「そうだ」


 アムルの指が、その中央を勢いよく突いた。


「敵の奇襲が始まる前に、この砦を出る」


 誰も口を挟まない。


「夜に入ってから城を出る。そして――」


 指がそのまま敵陣中央を貫いた。


「薄くなった中央を突破する」


 ロックが口元を歪めた。


「真正面からかよ」


「真正面からだ」


「珍しいな、大将」


「たまにはね」


 アムルは笑った。


 だが、すぐに表情を戻す。


「今回は敵の勇み足だ。だから遠慮なく使わせてもらう」


 地図を見渡す。


「現在、敵の動きについて最終確認をさせている。確定情報が入り次第、行動に移る」


「兵には?」


「まだ知らせない」


 アムルは首を振った。


「敵に悟られたら終わりだ。夜までいつも通りにさせる。炊飯も、交代も、城壁上の人数も変えるな」


 そして全員を見る。


「各自、内密に準備だけ整えてくれ」


 しばらく沈黙があった。


 やがてロックが大きく息を吐いた。


「やっと帰れるのか」


「まだだよ」


 アムルが言う。


「帰るための戦いが残ってる」


「分かってるよ」


 ロックが笑った。


「だから言ってんだろ」


 アムルは地図を見る。


 敵中央。


 そこだけが、わずかに薄い。


「ここを抜く」


     ◇


 夜。


 ルートビッヒは暗闇の中で報告を待っていた。


 すでに兵の配置は終わっている。


 後方へ回した部隊が敵を追い立てる。


 左右に展開した主力が、それを受け止める。


 そこでリービッヒ軍の残党は消滅する。


「あと2時間ほどですね」


 ホフマンが予定の時間を告げる。


「ああ」


 ルートビッヒは闇の中に沈むリューザスを見た。


 静かだった。


 城壁にはいつも通り篝火が並んでいる。


 人影も見える。


 何も変わらない。


 もうじき背後から味方が急襲する。


 そのために今まで西門の攻撃は薄くしてきた。


「ルートビッヒ様!」


 伝令が駆け込んできた。


「リューザスより敵軍が出撃!」


 ルートビッヒの口元が上がる。


「予定より早い。もう始めたのか?」


 伝令の顔がおかしい。


「どうした?」


「敵主力、すでに我々の眼前に迫っています!」


 ルートビッヒは地図へ視線を落とした。


 そして次の瞬間、顔を上げる。


「まさか――」


 遠くから、地響きが聞こえた。


 喊声。


 それは想定していたタイミングではない。


「中央です!」


 新たな伝令が飛び込んでくる。


「敵軍、我が中央へ突撃!」


「しまった……!」


 ルートビッヒが吐き捨てた。


 鶴翼を完成させるため、中央から兵を抜いた。


 そこを突かれた。


 暗闇の向こうから、忽然とリービッヒ軍が現れる。


 先頭を走る部隊がレミーラ軍中央へ食らいついた。


 薄い。


 アムルの鋭鋒を受け止めるには、あまりにも薄い。


 陣形が崩れる。


 兵が押し込まれる。


 想定していなかったタイミングでの突撃に、一時的な混乱が広がった。


「ルートビッヒ様」


 ホフマンが即座に言った。


「側面へ退避されるべきです」


「……」


「敵は穴を穿つだけのつもりでしょう。このまま乱戦になれば、包囲下へ置く前に我が方の損害が大きくなります」


 ルートビッヒは悔しそうに舌打ちした。


 だが、判断は早かった。


「中央は敵を止めようとするな! 左右へ開け!」


「はっ!」


「本営も側面へ移動する!」


 命令が飛ぶ。


 中央部隊が左右へ退避を始めた。


 無理に塞げば、アムルの突撃を正面から受け続けることになる。


 ならば道を開ける。


 敵が脱出だけを目的としているなら、深追いはしない。


 それが最も損害を抑えられる。


 ルートビッヒの判断によって、混乱は最小限に抑えられた。


 だが――。


 その中央を、リービッヒ軍が駆け抜けていく。


 長い包囲の末、ようやく捕らえたはずの獲物が。


 目の前から逃げていく。


 ホフマンがその光景を眺めながら言った。


「完勝を期しすぎましたね」


「ああ」


 ルートビッヒは苦笑した。


「まったくだ」


 逃げていくリービッヒ軍を見る。


「勝ち続けて、少し調子に乗りすぎたな」


 悔しいが、認めるしかない。


 こちらの作戦を読まれた。


 そして、そのために生じたわずかな隙を突かれた。


「反省すべきだ」


 ルートビッヒはそう言って、遠ざかっていく敵軍を見送った。

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