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アーネム戦記  作者: Tanu1016
第一章 都市同盟

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第17話 セントハイムへ(後)

 ◇


 ハンスに案内された店は、大通りから少し外れたところにあった。


 大きな窓から柔らかな日差しが差し込み、店内には小さな丸机が整然と並んでいる。酒場のような騒々しさはなく、客たちは茶や食事を楽しみながら、落ち着いた様子で会話を交わしていた。


 ジャンは店内を見回した。


「……意外だな」


「おい」


「まだ何も言っていないぞ」


「続きが分かるんだよ」


「いい趣味の店じゃないか」


「ほらな」


「褒めているだろう?」


「『お前みたいな傭兵にしては』って続くんだろ?」


「被害妄想だ」


「相変わらず口が減らねえな、先生は」


 言い合いながら、四人は席についた。


 ほどなくして、注文した料理が運ばれてくる。


 焼きたてのパンに香草を添えた肉料理、野菜をじっくり煮込んだスープ。そして、ユナとリックの前には、焼きたてのアップルパイが置かれた。


「いただきます!」


 ユナは待ってましたとばかりにパイへ手を伸ばした。


挿絵(By みてみん)


「姉さん、早いよ」


 そう言いながら、リックもパンをちぎる。


「おいしい!」


「ほんとだ。おいしいね」


 二人はすっかり料理に夢中になってしまった。


 ジャンはその様子を眺めながら、自分の前に置かれた茶を口にした。


「……悪くないな」


「だろ?」


 ハンスが得意げに答えた。


「セントハイムに来ると、だいたいここに寄るんだ」


「随分と慣れているんだな」


「そりゃな。ロスバルトにいりゃ、セントハイムには何度も来るからよ」


「仕事でか?」


「仕事もあるし、遠征の行き帰りにも寄る。セイレンじゃ手に入らねえものも多いからな」


 ハンスは先ほど買った包みを軽く叩いた。


「子供への土産も、ここで買うのか?」


「そういうことだ」


「何を買ったんだ?」


「上の娘には髪飾り、下の坊主には図鑑だ」


「……へえ」


「何だよ?」


「いや」


 ジャンは少し笑った。


「本当に父親なんだなと思って」


「まだ疑ってたのかよ!」


「ジャン、失礼だよ」


 アップルパイを頬張りながら、ユナが口を挟んだ。


「お前は食べながら喋るな」


「はーい」


 返事だけは素直だった。


 ハンスは呆れたように笑っていたが、やがてジャンへ話しかけた。


「しかし先生、意外と教えるのが上手いよな」


「……何の話だ?」


「講義だよ。結構評判いいぞ」


「そうなのか?」


 ジャンは少しだけ姿勢を正した。


「何だ、知らなかったのか?」


「毎晩集まってくるから、単に暇を持て余しているだけだと思っていた」


「暇なのもあるけどな」


「おい」


「でも、つまらなかったら二日目から誰も来ねえよ」


「……それは、まあ、そうだな」


「特に金の話は人気あるぜ」


「経済の話か?」


「そう、それだ。難しい言葉はよく分からねえけどな」


 ハンスは肩をすくめた。


「俺たち傭兵はいろんな町に行くだろ。給金をもらって、そこで飯を食って、物を買って、家に金を送る。物の値段が上がったとか、税金が変わったとか、そういう話はそのまま生活に響くんだよ」


「なるほど」


「先生の話を聞いてると、あの町であれが高かったのはそういうことかって、分かることが結構あるんだ」


 ジャンは黙ってハンスを見た。


 ニューアーク大学では、経済を学問として学んだ。


 税制、貨幣、交易、都市間の物資流通。


 それらの仕組みについては誰よりも詳しいという自負があるし、実際に大学でも優秀な成績を収めていた。


 だが、ハンスにとって、それらは学問ではない。


 昨日まで買えていたパンが、今日はなぜ高いのか。


 給金をどの町で使えば得なのか。


 故郷の家族へ、いくら送ることができるのか。


 すべてが自分たちの生活に直結している。


 ジャンが理論として学んだことを、ハンスたちは日々の暮らしの中で経験しているのである。


「……そういうものか」


「そういうもんだ」


 ハンスは茶を一口飲んだ。


「まあ、難しすぎるときもあるけどな」


「どこがだ?」


「先生、説明してるうちに、どんどん楽しくなるだろ?」


「……悪いか?」


「最初はみんな分かってるんだよ。でも、途中から先生一人だけ楽しそうに喋ってるときがあるんだ」


「…………」


「昨日なんか、途中から半分くらい置いていかれてたぞ」


「なぜ質問しない!」


「質問できるところまで戻ってこねえんだよ」


「なら、どうして最後まで聞いているんだ?」


「寝る前にはちょうどいいからな」


「…………何?」


「よく眠れるんだよ」


 ハンスは真顔だった。


「先生の講義を聞いた日は寝つきがいいって奴も結構いるぜ」


「それは講義の評判がいいとは言わん!」


 ユナが吹き出した。


「分かる!」


「分かるな!」


「ジャン、わたしたちの授業でもそういうことあるよ」


「お前まで言うのか」


「わたしが分からないって言うと、もっと詳しく説明してくれるでしょ?」


「当然だろう。理解できないところがあれば、補足する必要がある」


「でも、もっと分からなくなるんだよ」


「…………」


 リックが静かに頷いた。


「ぼくも、たまにある」


「お前ら……」


 ハンスが声を上げて笑った。


「まあ、役には立ってるんだからいいじゃねえか」


「俺は睡眠導入剤として雇われた覚えはない!」


「家庭教師と講師だろ?」


「そっちの役に立っていると言え!」


「だから先生も勉強だな」


「……俺が?」


「教える勉強だよ」


 ジャンは不満そうに茶を飲んだ。


 反論したかった。


 しかし、思い当たる節がないわけでもない。


 専門的な話になると、つい細かいところまで説明してしまう。相手が理解できないと言えば、さらに詳しい理論を持ち出すこともあった。


 自分には分かりきっていることでも、相手にとっては初めて聞く話なのだ。


 その違いについて、あまり考えたことはなかった。


 ジャンは少し考え込んだが、やがて話題を変えるように窓の外へ目を向けた。


「しかし、セントハイムは随分と平穏なんだな」


「ああ」


 窓の向こうでは、大通りを大勢の人々が歩いていた。


 商人や職人、買い物客に、元気よく走り回る子供たち。兵士の姿も見えるが、誰も緊張した様子はない。


 レンヌの光景を知っているジャンには、同じ都市同盟とは思えないほど平和に見えた。


「こっちは長いこと、大きな戦がないからな」


 ハンスが答えた。


「西にはリービッヒ王国があるだろう?」


「あるぞ」


「国境も近いはずだ」


「だから兵は置いてる。でも、ここ何年も大きな動きはねえよ。リービッヒもこっちに手を出してこねえし、こっちも向こうへ攻め込まねえ。小競り合いくらいはあるけど、まあ静かなもんだ」


「それで、これだけ商業が発展したのか」


「それもあるんじゃねえか?」


「曖昧だな」


「俺は学者じゃねえぞ」


「それもそうか」


「殴るぞ」


「また慰謝料が増えるぞ」


「金がねえくせに、そういうところだけ頭が回るんだな」


 ジャンが笑い、ハンスも笑った。


「でもまあ、ゼルキアとは違うよな」


 ハンスが続けた。


「西にはレミーラがいる。レンヌもあった。今は敵に取られちまったけど、どうしたって戦の話が多くなるだろ」


「……そうだな」


「同じ都市同盟でも、ゼルキアとセントハイムじゃ、置かれている状況が全然違うんだよ」


 ハンスは窓の外へ目を向けた。


「ゼルキアからすりゃレミーラが怖い。セントハイムからすりゃリービッヒが気になる。俺たちセイレンからすりゃ……」


 そこで少し笑った。


「どっちも偉そうで面倒くせえ」


「お前、それをここで言うのか?」


「こんな店で一兵卒の話なんか、誰も気にしねえよ」


「傭兵らしいな」


「セイレン人らしいって言ってくれ」


 ジャンは苦笑した。


 しかし、妙に納得もしていた。


 都市同盟は、一つの国家のように呼ばれている。


 だが実際には、それぞれの都市が独自の政治制度や利害を持ち、置かれている状況も違っている。


 ゼルキアにとっての脅威が、そのままセントハイムにとっての脅威になるとは限らない。セイレンのような都市に至っては、宗主都市との関係まで考えなければならないのである。


 もちろん、そのようなことは大学でも学んでいた。


 だが、実際に町を歩き、そこで暮らす人間の話を聞いてみると、教科書で読んだ知識とはまた違って感じられた。


「ジャン!」


 ユナが声をかけてきた。


「何だ?」


「このサウスウィンドウ産オレンジのタルトも頼んでいい? わたし、オレンジ大好きなの!」


 見ると、ユナが品書きに載っている別の菓子を指差していた。


 すでにアップルパイは綺麗になくなっている。


「俺に聞くな」


「何で?」


「金を払っているのはハンスだ」


 その言葉を聞いたユナとリックが、揃ってハンスを見た。


「…………」


 ハンスはやれやれといった顔で品書きを眺めた。


「いいぞ」


「やったぁ!」


 ユナの顔が一気に明るくなる。


「じゃあ、ぼくもこれがいい!」


 リックまで隣の菓子を指差した。


「おい、待て」


 ジャンが口を挟んだ。


「二つも追加するのは悪いだろう」


「いいって」


 ハンスはあっさり答えた。


「ただし――」


 そこで親指をジャンへ向けた。


「こっから先は、こいつにつけとく」


「…………は?」


 ジャンの顔から笑みが消えた。


「待て。何で俺なんだ?」


「お前が最初に奢るって言ったんだろ?」


「それは金を持っていると思っていたからだ!」


「払うつもりがあったんなら、後払いでもいいじゃねえか」


「よくない!」


「ジャン、ごちそうさま!」


 ユナが満面の笑みを浮かべた。


「ありがとう、ジャン」


 リックまで嬉しそうに頭を下げる。


「まだ頼んでもいない!」


「すみませーん!」


 ハンスが店員を呼んだ。


「おい、待て!」


 ジャンの制止を完全に無視して、ハンスは菓子を二つ追加した。


「これでまた借金が増えたな」


「増やすな!」


「いいじゃねえか。もう随分と借金を抱えてるらしいだろ?」


「…………誰から聞いた?」


「みんな知ってるぞ」


「なぜだ!」


「団長が楽しそうに喋ってた」


「ユマァ……!」


 この場にいない債権者へ、ジャンの怒声が飛んだ。


 ハンスは腹を抱えて笑った。


「今さら菓子二個増えたところで、誤差の範囲だろ。大して変わらねえよ」


「…………」


 ジャンは絶句した。


 反論しようと口を開く。


 しかし、頭の中で現在の借入金を計算してみると、確かに菓子二個分など総額から見れば微々たるものだった。


 グリフィスへ支払われた補填金。


 救出にかかった費用。


 おまけに複利で増え続ける利息。


 そこへ追加される、焼き菓子二個。


 確かに、誤差と言えなくもない。


「……もういい。好きにしてくれ」


 ジャンは力なく椅子にもたれた。


 やがて、追加の菓子が運ばれてくる。


「いただきます!」


「いただきます」


 ユナとリックは嬉しそうに食べ始めた。


 ハンスも満足そうに茶を飲んでいる。


 ジャンだけが、黙って天井を見上げていた。


 死刑を免れてからというもの、どういうわけか彼の借金だけは、実に順調に増え続けていた。

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