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アーネム戦記  作者: Tanu1016
第二章 第三次コスタ戦役

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第15話 籠城戦

第十五話 


「抵抗するようですな」


 リューザスの古城を望みながら、ホフマンが言った。


 別段大きな城ではない。


 長い年月を経た城壁はところどころ傷み、近代的な要塞と呼ぶには心許ない。


 それでも城壁は残っている。


 東西南北に門を持ち、西側には川が流れていた。


 川は浅い。


 渡れないほどではない。


 だが、隊列を整えたまま渡河し、そのまま城壁へ取り付くことは難しい。


 そして、その古城の中に三万のリービッヒ兵が逃げ込んでいた。


「よくもまあ、こんな場所を見つけたものだ」


 ルートビッヒ=シュナイダーは城を眺めながら言った。


 確かに籠城には向いている。


 だが、それだけだ。


 ここへ逃げ込んだのは、連戦連敗を重ねた軍勢だった。


 包囲殲滅戦から辛うじて脱出し、ようやく辿り着いたリューザスで再びレミーラ軍に追いつかれた。


 兵士たちは疲れ果てている。


 部隊の編制も崩れている。


 指揮官を失った部隊も少なくない。


 兵士だけが残り、どこの師団に所属していたのかすら分からなくなった者までいるという。


 一方、レミーラ軍は違う。


 包囲殲滅戦に勝利し、そのまま敗残兵を追ってここまで来た。


 士気は高い。


 兵力でも優位にある。


 リービッヒ軍に援軍が来る見込みも、ほとんどなかった。


「三日だな」


 ルートビッヒが言った。


 ホフマンが隣を見る。


「三日、ですか」


「ああ。今日一日で城壁の弱い場所を探す。明日から攻め立てればいい。三日も持てば上出来だろう」


 ルートビッヒはそう言って笑った。


「ここまで逃げてきた兵だ。死ぬまで戦う理由もない」


「降伏勧告は?」


「出しておけ。受け入れるなら、それでいい」


「拒絶した場合は?」


「攻める」


 簡潔な答えだった。


 ルートビッヒにとって、この戦いはすでに勝敗の決した戦いだった。


 リューザスに逃げ込んだ三万を始末する。


 それだけでいい。


 この三万を失えば、リービッヒにはもはやまとまった戦力は残らない。


 ライプニッツは落ちた。


 コスタも失った。


 主力軍は壊滅。


 そして、最後に残った三万がここで消える。


 そうなれば、あとは国そのものを食らうだけだ。


「さて」


 ルートビッヒは古城を見上げた。


「どこまで足掻くかな」


     ◇


「東門! 敵、接近!」


「弓兵を前へ! まだ射るな!」


「南側にも来ます!」


「そっちはエヴァに任せろ!」


 怒号が飛び交っていた。


 リューザス城壁。


 その上をアムル=ドゥットゥカースが走る。


 兜はとうに外していた。


 邪魔だった。


 黒髪を風になびかせながら、城壁の縁から敵を見る。


 レミーラ兵が近づいてくる。


「まだだ!」


 アムルが叫んだ。


 兵士たちが弓を構える。


 手が震えている者もいた。


 無理もない。


 昨日まで敗走していた兵士たちだ。


 逃げて、逃げて、逃げ続けて、ようやく辿り着いた城である。


 そこへ、また敵が来た。


「まだ撃つな!」


 アムルは繰り返した。


 矢は少ない。


 無駄撃ちはできない。


 敵兵がさらに近づく。


 城壁へ向かって駆けてくる。


「――今!」


 一斉に矢が放たれた。


 城壁の前で何人ものレミーラ兵が倒れる。


 だが、後続は止まらない。


 梯子を抱えた兵が走ってくる。


「石を落とせ! 油は使うな! そんなもの初日から使ってたら三日でなくなる!」


「はっ!」


 梯子が城壁に掛かる。


 アムルはその一本へ駆け寄った。


「押せ!」


 数人の兵士と一緒になって梯子を押し返す。


 登っていたレミーラ兵ごと、梯子が後方へ倒れた。


「次!」


 別の梯子が掛かる。


「大将!」


 聞き慣れた声がした。


 ロックだった。


「北側は片付いた!」


「早いな」


「向こうが様子見だっただけだ! こっちはどうする!」


「見ての通り!」


「了解!」


 ロックが笑う。


「じゃあ俺も混ぜてもらうぜ!」


「好きにしろ!」


 城壁に上がってきた敵兵をロックが叩き落とす。


 アムルも剣を抜いた。


 籠城戦の初日。


 指揮官だからといって、後ろで地図を眺めている余裕などなかった。


 兵士たちは疲れている。


 怯えている。


 何より、自分たちがまだ戦えるのかすら分からなくなっている。


 だから、アムルは城壁に立った。


 南北戦争の英雄が、自分たちと同じ城壁で戦っている。


 それだけで兵士は踏みとどまる。


「敵、退きます!」


「追うな!」


 歓声を上げかけた兵士たちへ、アムルはすぐに叫んだ。


「城壁から離れるな! 次が来るぞ!」


 その言葉通りだった。


 しばらくすると、再びレミーラ軍が動き始めた。


 攻撃は夕刻まで続いた。


     ◇


 二日目。


 夜明けと同時に攻撃が始まった。


「西側、渡河してきます!」


「渡らせろ!」


 アムルが答える。


 伝令が驚いた。


「よろしいのですか?」


「川の中で撃っても回収できないだろ。渡って隊列を作ろうとしたところを狙え」


 西側の川は浅い。


 だからこそ、中途半端に守ろうとする必要はなかった。


 レミーラ兵が川を渡る。


 濡れた足で岸へ上がる。


 そこで隊列を整えようとした瞬間。


「撃て!」


 城壁から矢が降った。


 先頭の兵が倒れる。


 後ろから渡ってきた兵とぶつかる。


 狭い河岸で隊列が乱れた。


「今だ。投石!」


 石が降る。


 レミーラ軍が後退を始めた。


「よし」


 アムルは息を吐く。


 だが休めない。


「伯爵! 南門!」


「今度はそっちか!」


 走る。


 昨日からほとんど寝ていない。


 それでも城壁を走った。


 南壁へ着くと、すでにギルフォードが指揮を執っていた。


「アムル様、ここは私が預かる。東を見たほうがいい」


「大丈夫ですか?」


「問題ない。敵もまだ本腰ではない」


 ギルフォードが淡々と言う。


 その足元には、城壁を登り切れなかった敵兵の梯子が転がっていた。


「そうみたいですね」


「こちらを試しているのだろう」


 どこが弱いか。


 どこなら崩せるか。


 レミーラ軍はそれを探している。


 ならば弱い場所など見せなければいい。


「お任せします」


「ああ」


 アムルは再び走った。


 その日の攻撃も、日が暮れるまで続いた。


     ◇


 三日目。


 兵士たちの顔から、最初の怯えが消え始めていた。


「来たぞ!」


「梯子だ!」


「三本!」


「慌てんな! 昨日と同じだ!」


 兵士同士で声を掛け合う。


 昨日まで所属部隊すら違っていた兵たちが、一緒になって城壁を守っている。


 アムルはその様子を見ながら、少しだけ口元を緩めた。


 戦える。


 少なくとも、三日前とは違う。


「アムル!」


 エヴァンスが来た。


「東門南側への攻撃が止まった」


「こっちもだ」


 アムルは城外を見る。


 レミーラ軍が退いていく。


 これまでとは違った。


 一時的な後退ではない。


 攻撃そのものを打ち切っている。


「三日か」


 アムルが呟いた。


「向こうも分かったらしいな」


「何をだ?」


「殴れば簡単に壊れる軍じゃなくなったってこと」


 エヴァンスが小さく笑った。


「それなら結構なことだ」


「ああ」


 アムルは城壁に背を預けた。


 途端に全身から力が抜ける。


「……疲れた」


「三日間、城壁を走り回っていれば当然だ」


「もう二度とやりたくない」


「そう言いながら、またやるのだろう」


「やりたくてやってるわけじゃない」


 アムルは空を見上げた。


 青い空だった。


 パドゥーラも同じ空の下にある。


 そこにはエルがいる。


「こんなところで死んだら、エルに会えないしな」


 エヴァンスがアムルを見る。


「それが理由か?」


「重要だぞ。エヴァンスだって奥さんに会いたいだろ?」


「同感だ。」


「そうだよ。ここで死んだら全部終わりだ。絶対嫌だ」


「ならば、生きて帰らなければならんな」


「当然」


 アムルは立ち上がった。


 三日間。


 城壁は守った。


 ならば次にやることがある。


「ヴァン先生のところへ行ってくる」


「ようやく軍を作り直すか」


「ああ」


 三万の兵士がいる。


 だが今のままでは、三万人の集団でしかない。


 籠城戦が長引くなら、それでは困る。


「ここからが本番だ」


     ◇


 リューザス城内。


 かつて城主が政務に使っていた部屋には、すでに大量の書類が積み上げられていた。


 その中央でヴァンが名簿を眺めている。


「ヴァン先生」


「アムル。城壁のほうは?」


「ひとまず落ち着きました。向こうも力攻めだけでは落ちないと判断したみたいです」


「そうか。それなら、こちらも少し時間ができそうだね」


 ヴァンは一枚の紙をアムルへ渡した。


 そこには各部隊の残存兵力が書かれていた。


 ただし、空欄だらけだった。


「ひどいですね」


「ひどいね」


 ヴァンは穏やかに答えた。


「師団長はともかく、大隊長がいない。中隊長もいない。兵士だけ残っている部隊もある。逆に指揮官だけいて、部下がほとんど残っていない部隊もあるね」


「このまま元の編制に戻すのは無理ですね」


「無理だろうね。だから戻さない」


 アムルがヴァンを見る。


「新しく作るんですか?」


「ここまで壊れていると、そのほうが早いだろうね」


 ヴァンは机の上へ別の紙を広げた。


「元の所属にはこだわらない。生き残っている指揮官を中心に兵を集め直す。十人、百人、千人という単位で、指揮系統そのものを作り直す」


「兵站もですか?」


「もちろん。三万人が城内にいるんだ。戦うことより、こちらのほうが重要になるかもしれないね」


 食糧。


 水。


 矢。


 武器。


 負傷者。


 衛生。


 宿営場所。


 三万人もの人間が一つの小さな城に押し込められている。


 放っておけば、それだけで崩壊する。


「食糧の残量は?」


「まだ調べている最中だ。ただ、三万人を長期間養えるほどの備蓄はないね。」


「でしょうね」


「それと井戸だね。西の川も使えるけれど、包囲されている以上、いつまでも自由に取水できるとは考えないほうがいい」


「分かりました」


 アムルは椅子を引いて座った。


「じゃあ、やりましょう」


「休まなくていいのかい?」


「寝たら半日は起きない自信があります」


「それなら少し寝たほうがいいと思うけどね」


「寝てる間に軍が崩壊したら困ります」


 ヴァンが苦笑する。


「相変わらずだね、君は」


「先生に言われたくありませんよ」


 二人は書類へ向き直った。


 まず、生き残った将校を集める。


 次に兵士を整理する。


 元の所属よりも、現在の人数を優先する。


 指揮官を失った兵は別の部隊へ組み込む。


 負傷兵を後方へ回す。


 弓を扱える者。


 工兵経験者。


 騎兵。


 斥候。


 それぞれを洗い出す。


 敗走してきた三万人を、もう一度軍隊へ戻す。


 地味な仕事だった。


 だが、戦場で敵を破るよりもはるかに重要だった。


     ◇


 五日目。


「第一防衛区、交代!」


「了解!」


 城壁を守っていた兵士たちが下がり、別の兵士たちが上がってくる。


 交代の時刻は決められていた。


 食事の配給場所も決まった。


 負傷者は城内の三か所に分けて収容されている。


 誰がどの城壁を守るのか。


 誰が予備兵力なのか。


 敵が攻めてきた場合、誰の命令でどこへ移動するのか。


 少しずつ明確になっていった。


 七日目。


 城内の通路から無駄な荷物が消えた。


 火災を防ぐため、炊事場所も限定された。


 井戸の使用には順番が決められた。


 食糧の配給量も統一された。


 十日目。


 兵士たちは、自分の指揮官の名前を知っていた。


 隣で戦う兵士の名前を知っていた。


 どこへ行けば食事を受け取れるか知っていた。


 負傷したらどこへ行けばいいのか知っていた。


 夜襲があれば、どこへ集合すればいいのかも知っていた。


 敗残兵ではなくなっていた。


 軍になっていた。


     ◇


 夕刻。


 ホフマンが本営へ戻ってきた。


「捕虜から聞き取りを行いました」


「どうやら?」


「まず、東門の守将が判明しました」


 ホフマンは報告書を見る。


「ロック。南北戦争以来、アムル=ドゥットゥカースの幕僚を務めている男です」


「ロック……」


「リービッヒでは『鉄壁』の異名を持つそうです」


 ルートビッヒは少し考え、やがて鼻で笑った。


「大層な異名だ。あの品のなさなら、汚れた土塀がいいところだ」


 東門で罵声をあげ挑発する男を思い出しながらルートビッヒは、東門の方角へ目を向ける。


 十日間。


 何度攻めても、あの男はそこにいた。


「……まあ、分からんでもない」


「それと――」


 ホフマンが続けた。


「やはり、アムル=ドゥットゥカースが総指揮を執っているようです」


 ルートビッヒの表情が変わった。


「あの男か」


「はい」


 包囲網から南東へ撤退した部隊。


 その判断を下した男。


 そして今、この古城に散り散りになった三万を集め、再び一つの軍隊に戻しつつある男。


「奴らの言うところの南北戦争の英雄」


 ルートビッヒは小さく笑った。


「伊達ではないようだな」


「さらに、もう一人」


「まだいるのか……」


「ヴァンです」


 ルートビッヒの手が止まった。


「ヴァン?」


「はい。アムル=ドゥットゥカースの軍師として、このリューザスに入っているようです」


 ホフマンは一拍置いた。


「『神機軍師』ヴァン。以前のリービッヒとの大戦で、我々、東部辺境軍を苦しめた男だと聞いています」


「……神機軍師だと?」


 ルートビッヒは思わず笑った。


「おとぎ話の生き物までついているのか」


 その名は知っていた。


 レミーラ軍の古参将校たちが語る、以前の戦争の話。


 敵の動きを読み、兵を動かし、わずかな綻びから戦況をひっくり返す。


 どこまでが事実で、どこからが誇張なのか分からなくなった男。


 それが『神機軍師』ヴァンだった。


「よもや実在していたとはな」


「近年は第一線から離れていたようですが」


「それがアムル=ドゥットゥカースについてきたか」


「そのようです」


 ルートビッヒは十日前のリューザスを思い返した。


 門ごとに入り混じった兵。


 揃わない射撃。


 逃げ腰の兵士。


 まともな軍隊とは呼べなかった。


 それが、わずか十日。


 守備兵には交代制が敷かれた。


 中央には予備兵力が置かれた。


 各門の指揮系統は整理され、必要に応じて兵が融通されている。


 城壁の修復も進んだ。


「なるほど」


 ルートビッヒは笑った。


「南北戦争の英雄に、おとぎ話の生き物か、急速な組織化も分かる」


「さらに、捕虜たちは三か月と申しております」


「三か月?」


「三か月耐えればいい、と。それだけを兵士たちに徹底しているようです」


 ルートビッヒは黙って聞いた。


「食料についても聞きました」


「なんと言っている?」


「無尽蔵にある、と」


「……無尽蔵?」


「複数の捕虜から別々に聞き取りました。言葉の差異はあれ全員が食料について不安を抱いておりませんでした」


 ルートビッヒは椅子の背へ身体を預けた。


 そして、ようやく笑った。


「そういうことか」


 いつまで耐えるのか。


 三か月。


 食料は足りるのか。


 無尽蔵にある。


 籠城する兵士が抱く二つの不安を、最初から取り除いた。


 だから十日経っても士気が落ちない。


 それどころか、休息を取り、指揮系統を立て直すにつれて強くなっている。


 初日に見た三万人は敗残兵だった。


 今は違う。


 東にはロックとエヴァンス。


 北にはパウロ。


 南にはギルフォード。


 西にはユーノフ。


 そのすべてをアムル=ドゥットゥカースが束ね、その傍らにはヴァンがいる。


「随分と豪華な墓場になったものだ」


 ルートビッヒは笑った。


 三日で落ちると思っていた。


 だが、三日では落ちなかった。


 十日経てば、むしろ守りは固くなっている。


 それでも、ルートビッヒの考えは変わらない。


 三万の兵がいる。


 三万人が毎日食べる。


 矢も減る。


 薪も減る。


 薬も減る。


 いかに優れた将がいても、包囲されているという事実そのものは変わらない。


「三か月、か」


 ルートビッヒは呟いた。

 

 多く見積もっても三カ月しかもたない裏返しだ。


「では、三か月付き合ってやろう」


 ホフマンが静かに頭を下げる。


「包囲を固めますか?」


「ああ」


 ルートビッヒはリューザスを見た。


「一人も出すな。一袋の麦も入れるな」


「承知しました」


「無尽蔵の食料とやらが、本当に無尽蔵なのか見せてもらおうじゃないか」


 古城の上には、まだリービッヒの旗が翻っていた。

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