第13話 包囲殲滅
布陣図(戦闘開始時)
ルートビッヒ&ホフマン
第十三話
「敵前衛、リース包囲のために渡河を完了。また、敵後衛もほとんどがコスタ平原に入りました。」
報告を聞いたルートビッヒ=シュナイダーは、端正な顔に満足げな笑みを浮かべた。
「ついに包囲網が完成したな」
彼は現レミーラ皇帝カール=ハインツ=ハイマン=フォン=レミーラの直系の曾孫にあたる。
しかし、それだけだった。
皇帝の四男、そのさらに四男の家系に生まれたルートビッヒに、帝位を継ぐ可能性など最初から存在しない。
皇族の血こそ引いているものの、彼が持っているのはその皇族という名の空クジだけである。
それでもルートビッヒは、自らの実力でここまでのし上がった。
都市同盟との戦いで幾度となく武功を重ね、難攻不落と謳われたレンヌを陥落させ、今では四個師団からなるレミーラ東部辺境軍を率いるまでになっている。
そして今、その男が長い時間をかけて作り上げた包囲網の中に、リービッヒ軍がいた。
ルートビッヒは卓上に広げられた地図へ視線を落とした。
すでに必要な駒は配置されている。
敵は十分に奥深くまで入り込んだ。
退路を断つ部隊も所定の位置についている。
あとは、閉じるだけだった。
「始めよう」
短い命令が下る。
それを合図に、それまでリービッヒ軍との決戦を避け続けていたレミーラ軍が、一斉に動き始めた。
* * *
一方、リービッヒ軍第七師団。
「敵襲!」
その報せが飛び込んできたのは、アムルたちが次の行動について協議している最中だった。
アムルは広げていた地図から顔を上げる。
「どこだ?」
「第三師団のギルフォード将軍より伝令です。西にレミーラ軍およそ一個師団弱! すでに第三師団が交戦に入りました! 第七師団も注意されたしとのことです!」
「西……」
アムルは地図へ目を戻した。
レミーラ軍の動きがおかしいことには気づいていた。
敵はここしばらく決戦を避けるように後退を繰り返し、その一方で小規模な部隊が各地で確認されている。
アムルたちとて、それをただ眺めていたわけではない。
偵察を増やし、第三・第五師団との連絡を密にし、本部にも注意を促すように具申し、不測の事態に備えていた。
それでも、敵の狙いを完全には掴めていなかった。
「大将」
ロックが険しい顔をする。
「どうする?」
「まだ動かない。まず敵の数を――」
「伝令!」
アムルの言葉を遮って、別の兵士が駆け込んできた。
「第五師団パウロ将軍からです。東から敵襲! リース攻略に向けて渡河した第四、第六師団も交戦中! 至急来援を請うとのことです!」
「東と北も?」
ヴァンが地図を覗き込む。
「アムル。これは――」
「まだ分かりません」
アムルは答えながら、地図上の駒を動かした。
西。
東。
北。
先行する四個師団が、すべて同時に攻撃を受けている。
偶然であるはずがない。
「エヴァンス様より伝令!」
三人目だった。
「エヴァンス隊、南西方向で敵部隊と接触! いったん後退します!」
「……南西もか」
ロックの表情から余裕が消えた。
アムルは何も答えなかった。
地図を見る。
北。
東。
西。
南西。
そして――。
「鉄騎兵!」
四人目の伝令の声が響き渡る。
「南西の敵、鉄騎兵と確認! 数、不明! こちらへ向かってきます!」
アムルの指が止まった。
ヴァンも黙っている。
ロックが舌打ちした。
「ちっ……そういうことかよ」
ようやく見えた。
レミーラ軍が後退していた理由。
各地で確認されていた小部隊。
こちらが攻勢を続けても、決戦を避け続けた理由。
全部が一つにつながった。
アムルは地図を見つめたまま呟いた。
「……やられたな」
「包囲される可能性が高いね」
ヴァンの言葉に、アムルは小さく頷いた。
「ああ。それも俺たちだけじゃない」
これほど広い範囲から同時に攻撃が始まっている。
第七師団だけを狙った作戦ではない。
もっと大きい。
アムルは地図上に散らばるリービッヒ軍の駒を見渡した。
「たぶん――」
一瞬、言葉を切る。
「俺たち全員、まとめて葬り去る気だ」
陣幕の中が静まり返った。
ロックが腕を組む。
「で、どうする?」
「それを今、考えてる」
アムルは地図を睨んだ。
まだ包囲されたと決まったわけではない。
敵がどこまで回り込んでいるのかも分からない。
広くした哨戒網の外側から強行してきた以上、敵の継戦能力には必ず限界がある。
包囲網が完成していないのなら、薄い場所を見つけて突破することもできる。
背後を取られたとしても、本営が救援に来れば、逆に背後の敵を挟撃できる。
ただ、先行している友軍を置き去りにすれば、それこそ各個撃破の好餌。
「各師団との連絡を維持して。特にパウロ将軍とギルフォード将軍。敵の数と位置が知りたい。それと本営にすぐ今の状況を報告」
「分かった」
「それから南西。鉄騎兵の規模を確認する。まだ戦うな。エヴァにもそう伝えて」
「了解!」
伝令が飛び出していく。
アムルは再び地図へ目を落とした。
敵の狙いが分かった以上、次はこちらがどう動くかだ。
まだ手はある。
少なくとも、そう考えていた。
そのときだった。
南西から、低く重い音が響いた。
地面を踏み鳴らす無数の蹄の音。
続いて、鬨の声が上がった。
アムルが顔を上げる。
「……戦ってる?」
「伝令!」
兵士が駆け込んできた。
「ギュンター様の部隊が鉄騎兵と交戦に入りました!」
「は?」
一瞬、アムルは意味が分からなかった。
「誰が攻撃しろって言った?」
「それが……包囲が完成する前に敵を突破すると……!」
「馬鹿!」
アムルは地図を叩いた。
「まだ敵の配置も分かってないんだぞ!」
だが、すでに遅かった。
南西から聞こえてくる戦闘音は激しさを増している。
包囲される。
その恐怖に駆られたギュンターの判断そのものは、理解できないものではなかった。
包囲が完成する前に一角を破る。
理屈だけなら間違ってはいない。
ただし――。
「よりによって鉄騎兵に突っ込む奴があるかよ……!」
アムルは陣幕を飛び出した。
ロックとヴァンもその後を追う。
遠方に、黒い塊が見えた。
黒塗りの鎧に身を固めた騎兵たちが、ギュンターの部隊へ食らいついている。
「嫌な光景だ。よりによって鉄騎兵か……」
鉄騎兵。
レミーラ帝国東部辺境軍の中核をなす精鋭部隊である。
リービッヒでも都市同盟でも、その名を知らぬ者はいない。
そして実際に戦う姿を見れば、その悪名が誇張でないことはすぐに分かった。
速い。そして強い。
ギュンター隊が態勢を整えるより早く側面へ回り込み、崩れた場所へ容赦なく突撃を重ねている。
味方が立て直そうとすれば、その前に次の攻撃が来る。
兵が下がれば、逃さず追う。
ギュンター隊の隊列が見る間に崩れていった。
「大将!」
ロックが叫ぶ。
「ギュンターのところ、もたねえぞ!」
「分かってる!」
見捨てるか。
助けるか。
ほんの一瞬だけ、アムルは迷った。
ここで兵を投入すれば、こちらまで損害も大きくなる。
だが、このままではギュンター隊は壊滅する。
「エヴァは!?」
「後退中だ!」
「戻せ! ギュンター隊を引き剥がす!」
「しかし――」
「このままじゃ全滅する!」
命令はすぐに伝えられた。
南西から後退していたエヴァンス隊が反転する。
そして鉄騎兵の側面へ向けて、一気に突入した。
激突した。
それまで一方的にギュンター隊を押し込んでいた鉄騎兵の進撃が、わずかに止まる。
エヴァンスはその隙を逃さなかった。
さらに前へ出る。
烈火。
エヴァンスの異名に恥じぬ激しい攻撃で鉄騎兵を押し返し、ギュンター隊との間に強引に割って入った。
「今だ! ギュンター隊を下がらせろ!」
エヴァンスの命令が飛ぶ。
崩れかけていたギュンター隊が後退を始めた。
救出には成功した。
だが、鉄騎兵も容易には離してくれない。
エヴァンス隊が後退へ転じると、すぐさま一団の騎兵が追撃に移った。
「しつこいな……」
アムルはその動きを見ていた。
特に一人。
鉄騎兵の先頭に立つ武将が目についた。
味方が引けば追う。
止まれば突っ込む。
とにかく前へ出る。
しかも強い。
エヴァンスが反撃すればいったん距離を取るものの、後退へ移った途端、再び猛烈な勢いで食らいついてくる。
「……あいつ」
「どうした、大将?」
「いや」
アムルは目を細めた。
「よく追う奴だなと思って」
「感心してる場合か!」
「感心してないよ」
そう答えながらも、アムルはその武将の姿をしばらく目で追っていた。
やがて鉄騎兵の追撃が止まった。
上官から命令でもあったのだろう。
先頭の武将はなおも追いたそうな様子を見せていたが、やがて部隊をまとめて引き返していく。
アムルはその姿を見送った。
「……追うんだな」
「何が?」
ヴァンが尋ねる。
「いや。なんでもありません。」
ほどなく、エヴァンス隊が帰還した。
ギュンター隊の救出には成功している。
しかし、その代償は小さくなかった。
兵の列は明らかに薄くなっていた。
負傷者も多い。
馬を失い、肩を借りながら戻ってくる兵もいる。
アムルは帰還したエヴァンスを迎えた。
「損害は?」
「……軽くはありません」
「そうか」
アムルはそれ以上聞かなかった。
聞くまでもない。
西でも戦っている。
東でも戦っている。
北でも戦っている。
南西には鉄騎兵。
そして第七師団も、戦端を開いたばかりだというのに、すでに少なくない損害を出した。
先ほどまで考えていた。
敵の配置を確認する。
各師団と連絡を取る。
包囲の薄い場所を探す。
友軍と協力して突破する。
まだ手はあると。
だが、敵はこちらが考え終わるまで待ってはくれない。
アムルは陣幕へ戻った。
地図を見る。
しばらく、何も言わなかった。
「さて、アムルどうするかい?」
ヴァンが呼びかける。
「……うん」
アムルは地図の一点へ指を置いた。
南東部の森だった。
「撤退する」
ロックがアムルを見る。
「いいのか?」
「よくないよ」
アムルは即答した。
「でも、ここにいたらもっと悪くなる」
第七師団だけなら、まだ動ける。
これ以上損害を増やす前に、この場所から離れなければならない。
何より、南西には鉄騎兵がいる。
平地に留まり続ける理由はなかった。
「南東の森へ入る」
ヴァンが地図を見つめた。
「鉄騎兵を振り切るつもりかい?」
「平地であいつらと追いかけっこなんてしたくないですから。
アムルは地図上の第七師団の駒を掴んだ。
そして、南東の森の中へ置いた。
「全軍撤退」
一度だけ、周囲を見渡す。
「南東の森へ逃げるぞ。第三、第五にも伝令を飛ばせ。即時撤退。街道沿いに逃げるな。俺たち第七師団の後を追って森に逃げろ。このままじゃ袋叩きにされるぞ」
命令が各部隊へ伝えられ、伝令が各師団へ走る。
リービッヒ軍第七師団は戦場を離れ、南東部の森へ向かって後退を開始した。
それは、この戦役が始まって以来、アムルが初めて下した本格的な撤退命令だった。
そして第七師団だけではない。
各地で同じことが起き始めていた。
勝利を疑わずレミーラ領深くまで進撃してきたリービッヒ軍は、この日初めて、自分たちが攻め込んでいたのではないことを知った。
誘い込まれていたのだ。
第三次コスタ戦役。
攻める側と、守る側。
追う側と、追われる側。
そのすべてが、この日を境に逆転した。




