第13話 死刑囚
◇
処刑台の上だった。
「待て……」
両腕を押さえつけられ、首を台へ押しつけられる。冷たい木の感触が頬に触れ、逃れようとしても、背後の男たちはびくともしなかった。
「やめろ。待てって言ってるだろ!」
頭上で、金具の外れる音がした。
カシャン。
「やめろ!」
次の瞬間、ヒュン――と風を切る音が響く。
「やめ――」
ザンッ。
視界がぐるりと回った。
空が見え、処刑台が見え、そして最後に、自分の身体が見えた。
首を失った身体が、力なく前へ崩れていく。
――ああ。
俺。
死んだのか。
「――っ!」
ジャンは跳ね起きた。
「はっ……はっ……!」
荒い息を吐きながら周囲を見回すと、そこには暗い石壁と鉄格子、そして粗末な寝台があるだけだった。
しばらく、自分がどこにいるのか分からなかった。
右手が首へ伸びる。
「…………」
ある。
ちゃんと繋がっている。
「…………最悪だ」
額にはびっしりと汗が浮かび、寝間着も背中まで湿っていた。
ジャンはそのまま寝台へ倒れ込み、天井を見上げた。
「夢の中くらい……無罪にしてくれてもいいだろ……」
返事はない。
当然だった。
ここは牢獄であり、ジャン=ワイズマンは死刑囚だった。
◇
死刑判決を受けたからといって、すぐに死ぬわけではない。
それが、ジャンが最初に自分へ言い聞かせたことだった。
ニューアーク大学では法学も修めている。死刑制度についても当然学んでおり、判決が出た翌日に処刑されるようなものではないことくらい知っていた。
通常なら半年。場合によっては一年近くかかることもある。
ならば、まだ時間はある。
再審を請求する。
グリフィス三世の証言には疑問点があるし、そもそもレンヌから脱出した者は自分だけではない。ロスバルト傭兵団にも正規兵にも生存者は大勢おり、彼らの証言を集めれば、裁判で示された事実関係を覆せる可能性は十分にある。
証人の再尋問を求めてもいい。証言の矛盾を探し、手続き上の瑕疵を突くことだってできる。
一つ駄目なら次。それも駄目なら、さらに次の手段を考えればいい。
仮に再審が認められなくても、請求そのものに意味はある。手続きを続け、処刑までの時間を少しでも引き延ばすのだ。
半年。一年。
生きてさえいれば、状況は変わる。
レンヌ陥落について新しい証言が出るかもしれないし、グリフィスの証言に綻びが生まれる可能性もある。政治状況が変われば、今の判決が見直されることだって考えられるだろう。
恩赦も、可能性がないとは言い切れない。
ともかく、死んだら終わりだ。
生きていれば、可能性はゼロではない。
「考えろ……」
ジャンは寝台の上から天井を睨んだ。
「考えろ。ジャン=ワイズマン」
それだけは得意だった。
地位を奪われても、書類を奪われても、牢へ放り込まれても、頭の中まではまだ取り上げられていない。
「……まだ、なんとかなる」
そう自分に言い聞かせると、ジャンは再審のために利用できる法律と手続きを、一つずつ頭の中で整理し始めた。
◇
最初の面会者は、父だった。
「ジャン……」
「父さん」
「……大変なことになったな」
「ええ。まあ、死刑ですからね」
ジャンがそう答えると、父は困ったように眉を寄せた。
昔から、この顔はよく知っている。商談が思いどおりに進まなかったときや、予定していた利益が得られなくなったときに見せる顔だった。
「それで、今日はどうしたんです?」
「……我が家まで疑われている」
「ああ、なるほど」
ジャンは小さく頷いた。
「お前が国家に対して反逆行為を働いたとなれば、当然だ。私も方々へ説明して回っているが、なかなか信用してもらえん」
「でしょうね」
「お前には、あれほど期待していたというのに……」
父は深いため息をついた。
「ニューアーク大学を主席で卒業して、将来は都市同盟の中枢で働く。そうなれば、我が家もようやく一目置かれる家になると思っていたんだがな」
「そうですね」
「それが、よりにもよって死刑とは……」
ジャンは黙って父親を眺めていた。
この人は、昔から何も変わっていない。
小さな商家に生まれた父は、商売で多少の財を築いてもなお、自分に貴族の血が流れていないことを気にしていた。そこで目をつけたのが、西ゼルキアから都市同盟へ亡命してきた没落貴族の娘、つまりジャンの母親だった。
母の実家はかつて西ゼルキアに領地を持つ小貴族だったが、亡命によってその地位も財産も失っていた。
父は貴族の血筋を手に入れ、母は商家の財産によって失われた体面を取り戻す。互いの利害が一致しただけの結婚であり、そこに愛情など最初からなかったのだろう。
実際、二人とも外に愛人を持っていた。
もちろん、ジャンも知っている。
それでも両親は世間体を守ることには熱心で、家の外では仲睦まじい夫婦を演じていた。
そんな二人が、息子に何を求めていたのか。
成績だった。
幼い頃から、試験で一番を取れば褒められ、賞をもらえば親戚や知人の前で披露された。ニューアーク大学へ入学したときなどは、父が何日も宴席を開き、招いた客たちに息子の優秀さを自慢していた。
もっとも、その息子が何を考え、何を望んでいるのかを尋ねられた記憶はほとんどない。
父にとっては優秀な息子を持つことが商家の格を高める手段であり、母にとっては貴族の血を引く自分の子が、いかに優れているかを証明するための存在だった。
要するに、自分は両親にとって出来の良い収集品だったのだ。
そして、その収集品が死刑判決によって価値を失った。
「……弟もいる」
父がそう口にしたところで、ジャンは内心で苦笑した。
なるほど。ようやく本題か。
「ワイズマン家まで、お前と共倒れになるわけにはいかん。あの子には、まだ将来がある」
「ええ」
「今回の件については、我が家は一切関与していないという立場を取らせてもらう。お前のために、家まで危険に晒すわけにはいかんのだ」
「分かりました」
あまりにあっさりした返事だったためか、父は少し意外そうな顔をした。
「……分かってくれるのか?」
「もちろん。父さんの立場なら、そうするでしょうね」
ジャンは穏やかに答えた。
別に腹は立たなかった。
自分を助けるために父が財産を投げ打つなど、最初から期待していない。それどころか、父がここまで来た理由も、息子の顔を見たかったからではなく、家との関係を整理しておくためだと分かっていた。
価値のなくなった収集品を処分し、代わりに弟を飾る。
ただ、それだけの話だった。
「……お前も、もう少し慎重に行動していればな」
「そうですね」
「子どもの頃から出来の良かったお前には、本当に期待していたんだが……」
「ええ。それはよく知っています」
父はもう一度ため息をついた。
それから、しばらく当たり障りのない話を続けたものの、再審や弁護人のことには一度も触れなかった。
ジャンも尋ねなかった。
父が何か手を打つつもりなら、向こうから話すはずだ。それがない以上、これ以上の協力を期待するだけ無駄だろう。
やがて面会時間が終わり、父が立ち上がった。
「では、私は帰る」
「はい」
「……身体には気をつけろ」
「父さんも、お元気で」
死刑囚に向かって、身体には気をつけろ、か。
ジャンは思わず笑いそうになった。
息子を助けるつもりはない。家のために見捨てることも決めている。それなのに、最後には息子の身体を気遣う言葉を忘れない。
ここまで来ても、まだ立派な父親でいたいらしい。
昔からそうだった。家庭がどれほど冷え切っていようと、外では仲睦まじい夫婦を演じ、息子の成績を自慢していた。
どうやら、死刑囚になった息子の前でも、その習慣は変わらないようだ。
ジャンは何も言わず、去っていく父親を見送った。
扉が閉まると、小さく笑った。
「……弟がいてよかったな、父さん」
あの人にとっては、さぞ都合がよかっただろう。
ジャンが死んでも、ワイズマン家にはまだ息子がいる。今度は弟を立派に育て上げ、社交の場で自慢すればいい。
もっとも、弟には少し同情した。
これからは自分の代わりに、あの両親の期待を一身に背負わされるのだから。
「……まあ、頑張れよ」
ジャンは誰にともなく呟くと、寝台へ横になった。
父親に見捨てられたことについて、特に悲しいとは思わなかった。親子の情など、とうの昔に期待するのをやめている。
ただ、一つだけ残念なことがある。
「……金くらい出してくれてもよかったんだけどな」
再審を請求するにも、弁護人を雇うにも金は要る。
せっかく商人の父親を持ったというのに、肝心なところで役に立たない。
「まったく……」
ジャンはため息をついた。
親子としての愛情には期待していなかったが、せめて商人らしく、自分の命にもう少し投資してくれてもよかったのではないか。
もっとも、見返りの期待できない投資を嫌うのも商人というものだろう。
父にとって、死刑囚となった息子に金を使う理由など、もう存在しないのだ。
「……仕方ない。別の方法を考えるか」
ジャンは再び天井へ目を向け、再審のために使える手段を探し始めた。
◇
二人目の面会者は、エルザだった。
「ジャン……!」
扉が開いた瞬間、エルザはすでに泣いていた。
「……エルザ?」
「ひどい……本当に……ひどいわ……」
向かいの椅子へ座るなり顔を覆い、肩を震わせるエルザを見て、ジャンは少しばかり驚いた。
父がああいう態度だっただけに、まさか彼女まで来るとは思っていなかったのだ。
「……悪かったな」
とりあえず、そう声をかけた。
「そうよ!」
エルザが勢いよく顔を上げる。
「私、どれだけ大変だったと思ってるの!?」
「……え?」
「お父様に勘当されたのよ!」
「勘当?」
「反逆者と付き合っていた娘なんて置いておけないって! 友達だって、みんな離れていった! 街で会っても知らないふりされるし、手紙を送っても返ってこない!」
「……そうか」
「そうかじゃないわよ!」
エルザは机を叩いた。
「全部あんたのせいでしょう!」
「俺の?」
「他に誰がいるのよ!」
「いや、俺は反逆なんてしてないぞ」
「そんなの分かんないじゃない!」
ジャンの眉がわずかに動いた。
「……何?」
「あんたが裏で何やってたかなんて、私に分かるわけないでしょ!」
「何もしてない」
「それだって分かんない!」
「本人が言ってるんだぞ」
「だったら死刑になるわけないでしょ!」
「…………」
ジャンは一瞬、本当に言葉を失った。
「裁判で死刑になったんでしょう?」
ジャンは口を閉じた。
ニューアーク大学では法学も学んだし、官僚として司法制度に関わる文書を扱ったこともある。しかし、まさか死刑判決を受けた本人に対して、これほど堂々と裁判の正しさを根拠にされるとは思わなかった。
しかも、その裁判が正しかったのかどうかを争っている最中なのだ。
「あんた、昔から野心家だったじゃない!」
「それと反逆に何の関係がある」
「大臣になるとか、主席宰相になるとか、上に行くことばっかり考えてた!」
「普通に出世したかっただけだ」
「今となったら分かんないじゃない!」
エルザは涙を拭いながら、なおも続けた。
「私と付き合ったのだって、私を利用するためだったんじゃないの?」
「……は?」
「お父様の人脈が欲しかったんでしょう!」
「そこは今さらだろ」
「何がよ!」
「俺には有力な後ろ盾がなくて、お前の家には人脈がある。そんなこと、最初から二人とも分かってただろ」
「私は知らない!」
「いや、知ってただろ」
「知らない!」
「お前だって俺の将来性を買ってたじゃないか」
「一緒にしないで!」
「何が違うんだよ」
「私はあんたを信じてただけよ!」
「…………」
ジャンは、さすがに引いた。
もちろん、二人の関係に打算があったことは否定しない。
自分には学歴と能力があり、エルザには家柄と人脈があった。互いに相手の持つものに魅力を感じていたのは事実であり、だからといって交際そのものが嘘だったわけでもない。
ジャンは、その程度のことはエルザも理解していると思っていた。
だが、どうやら違ったらしい。
「私、騙されてたのよ!」
「……」
「利用されてた!」
「それは違う」
「どうして分かるのよ!」
「俺だからだよ」
「そのあんたが死刑になってるんでしょう!」
「…………」
もう、何を言っても同じだった。
自分が反逆者ではないと説明しても、死刑になったから信用できないと言われる。交際に打算があったと認めれば利用されたと責められ、互いに納得していたはずだと言えば、そんなことは知らなかったと否定される。
要するに、エルザの中ではすでに結論が出ているのだ。
悪いのは全部ジャンで、自分は何も悪くない。
そこから先、エルザは延々と自己弁護を続けた。
途中からジャンは相槌すら打たなくなり、ただ黙って聞いていた。
反論するだけ無駄だったし、何より、死刑囚である自分がどうして彼女の人生相談を受けているのか、だんだん分からなくなってきた。
やがて、ひととおり話し終えたらしいエルザが、大きく息を吐いた。
「……はあ」
涙を拭い、乱れた髪を整える。
さっきまで泣き喚いていたのが嘘のように、少し顔が明るくなっていた。
「……なんか、すっきりした」
「…………」
ジャンは何も答えなかった。
「じゃあ、帰るわ」
「ああ」
エルザは立ち上がり、扉の前まで行ったところで振り返った。
「あ。誰かに聞かれても、私は何も知らなかったって言ってね」
「……ああ」
「私を巻き込まないで」
「分かったよ」
「お願いね」
エルザは少し満足そうな顔で、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
ジャンはしばらく動かなかった。
「……すげえな」
ぽつりと呟く。
「死刑囚相手に、全部吐き出して帰りやがった」
乾いた笑いが漏れた。
父親は家との関係を切るために来た。
エルザは自分の不満をぶつけるために来た。
どちらも、ジャンがこれからどうなるのかについては、ほとんど関心がなかったらしい。
「……まあ、いいけどさ」
ジャンは椅子の背にもたれた。
少なくともエルザは、父親と違って最初から最後まで自分の感情に正直だった。あれほど身勝手な話を聞かされたあとでは、むしろ清々しい気さえする。
もっとも、もう一度来てほしいかと聞かれれば、答えは決まっていた。
「……勘弁してくれ」
ジャンは小さくため息をついた。
◇
そのあと、もう一人だけ面会に来た者がいた。
ライアーだった。
「……それでだな。私としても、あの時点では最善と思われる判断をしたつもりだった」
「ああ」
「もちろん、結果について責任がないと言うつもりはない。だが、私にも立場というものがあってだな」
「ああ」
「その……状況というのは、後からなら何とでも言えるもので、当時の我々に分かっていたことと、今になって明らかになったことを同じように扱われても困るというか……」
「ああ」
ライアーは言葉を選びながら、延々と話し続けた。
時折、申し訳なさそうな表情を見せるものの、話が自分の責任に及びそうになると、途端に説明が長くなる。
結局、何を言いたかったのか。
ジャンには最後までよく分からなかった。
ただ、自分は悪くなかった。仕方がなかった。
そういう話をしているらしいことだけは分かった。
「……すまんな」
最後にライアーはそう言った。
「いえ」
ジャンが答えると、ライアーは何とも言えない顔をしたあと、帰っていった。
それきり、面会者は来なくなった。
◇
次の日も、その次の日も、ジャンは看守の足音が近づくたびに少しだけ顔を上げた。
誰かが来たのかもしれない。
弁護人か、裁判に関係する役人か。それとも、大学時代の知人だろうか。
そう考えてはみるものの、足音はいつも牢の前を通り過ぎていった。
大学時代の知人なら大勢いた。
一緒に講義を受けた者。酒を飲んだ者。将来について語った者。
ニューアーク大学主席ともなれば、交友関係だってそれなりにあったし、卒業後も何人かとは付き合いを続けていた。
中には、ジャンが将来出世したら力を貸してほしいと言っていた者もいる。
もちろん、そうした付き合いに打算が含まれていることくらい分かっていた。
ジャン自身、相手の能力や人脈を評価して交際を続けることもあったのだから、そこを責めるつもりはない。
ただ、それだけではなかったはずだ。
くだらない冗談を言い合ったこともあれば、試験が終わったあとに夜遅くまで酒を飲み、互いの失敗を笑い合ったこともある。
将来の夢を語り、いつか都市同盟を動かす立場になろうと約束した者だっていた。
あれは、友人ではなかったのだろうか。
だが、誰も来なかった。
一人も。
最初のうちは、仕方がないと思っていた。
相手は死刑囚、それも国家への反逆罪で裁かれた人間だ。下手に関われば自分まで疑われかねないし、面会を申し込むこと自体に勇気が必要なのかもしれない。
ジャンはそう考えて、しばらくは気にしないことにした。
しかし、一週間が過ぎ、さらに何日か経っても、状況は変わらなかった。
看守が通る。
顔を上げる。
そのまま通り過ぎる。
毎日、その繰り返しだった。
父は家を守るために来た。
エルザは自分の鬱憤を晴らしに来た。
ライアーは、何だかよく分からない自己弁護をしに来た。
ろくな面会ではなかったし、誰一人としてジャンを助けるために来たわけでもない。
それでも、何日も誰も来ない日が続くと、少しだけ考えが変わった。
「……まあ、来ただけマシか」
寝台へ横になる。
父も、エルザも、ライアーも、少なくとも牢の中にいる自分の顔を見に来た。
会いたくなければ、来なければいい。
実際、ほとんどの人間はそうした。
父親に見捨てられたことは、別に何とも思わなかった。両親に愛されていると感じたことなど一度もなかったし、今さら親子の情を期待するつもりもない。
エルザについても、あそこまで言われれば、もう未練はなかった。
だが、大学時代の友人たちは違った。
彼らとは、それなりに良い関係を築いていたつもりだった。
少なくとも、ジャン自身はそう思っていた。
何日目だったか。
ジャンは牢の壁を見つめながら、ふとユマに言われた言葉を思い出した。
『あんた、友達いないでしょ?』
あの時は腹が立った。
何を根拠に、と思った。
自分には大学時代の仲間がいるし、友人だってそれなりにいる。
そう思っていたのに。
「……本当に、いなかったんだな」
乾いた笑いが漏れた。
考えてみれば、彼らとの付き合いの中で、ジャン=ワイズマンという人間そのものに興味を持ってくれた者が、どれだけいただろうか。
ニューアーク大学主席。
将来有望な官僚。
いずれ都市同盟の中枢へ進むであろう男。
皆が見ていたのは、そんなジャンだったのかもしれない。
それでは、父親と何も変わらないではないか。
「……俺、友人なんかいなかったんだ」
口にしてみると、思っていた以上に情けない言葉だった。
ジャンはしばらく天井を見上げ、それから目元を腕で覆った。
牢の中には、その乾いた笑いへ応えてくれる者すらいなかった。




