第11話 責任の所在
◇
レンヌ失陥から二か月後。
ゼルキア。都市同盟中央本部。
ユマ=リズナーは、長机の向こうに並ぶ三人の査問官を眺めながら、何度目かのため息を飲み込んだ。
査問が始まってから、すでに二時間が経過している。
「では、改めて確認する」
中央に座る査問官が書類をめくった。
「レンヌ要塞への敵軍接近について、ロスバルト傭兵団は事前に察知できなかった。この点について、貴官は責任を認めるか」
「認めないよ」
ユマは即答した。
「理由を聞こう」
「うちの連中は、命じられた区域をきちんと見回っていた。それだけのことさ」
ユマは机の上に置かれた書類を指した。
「哨戒命令書と報告書の写しは、全部そこにあるよ。日付も確認してもらえばいい」
補佐官が資料を査問官へ渡した。
レンヌ要塞司令部が発行した哨戒命令書と、ロスバルト傭兵団が日々提出していた哨戒報告書の写しだった。
査問官たちはしばらく資料を確認していたが、やがて一人が口を開いた。
「ロスバルトの担当区域では、敵軍の大規模な移動を確認していない。しかし、周辺で敵の活動が活発化していることについては、何度も報告しているな」
「そうだよ。だから警戒を強めるように進言していたんだ」
「実際、通常の哨戒任務に加えて、独自の偵察も行っているようだが」
「敵の動きがおかしかったからね。何もしないで待っているわけにもいかないだろう?」
査問官は頷き、次の報告書に目を通した。
「それでは、敵軍が接近した経路について確認したい」
「ルーブル山地だね」
「レンヌ峰の北方を大きく迂回し、山地を越えて東側から接近した。間違いないな?」
「そうだよ。まさか二万近い兵を連れて、あんなところを越えてくるとは思わなかったけどね」
「ロスバルトの哨戒区域からは外れていたわけか」
「そもそも、あんな山奥まで見張れなんて命令は受けていないよ。何十年も大軍が通ったことのないような場所だからね」
ユマは腕を組み、査問官たちを見渡した。
「敵将は、こっちの警戒網をよく調べていたんだろうね。そこは完全にやられたよ。でも、命じられた場所を見回り、敵の動きも報告していた私たちに、山の向こうから来た敵を見つけられなかった責任まで負わせるのは無理があるんじゃないかい?」
「……確かにな」
中央の査問官は資料を置いた。
「提出された記録を見る限り、ロスバルト傭兵団は所定の哨戒任務を遂行している。それどころか、敵軍の活動については積極的に情報を収集し、司令部へ報告していたことが確認できる」
「そういうことさ」
「この点について、重大な過失があったとは認められないだろう」
ユマは小さく頷いた。
しかし、査問官の表情はまだ険しかった。
「では、次の問題に移る」
中央の査問官が新たな書類を取り上げた。
「レンヌ要塞の食糧庫が焼失した件についてだ」
ユマの表情がわずかに引き締まった。
「食糧庫は要塞西部にあり、ロスバルト傭兵団の担当区域に近接していた。ところが、敵襲時には貴官らの主力が持ち場を離れていたという報告がある」
「間違いないよ」
「では、なぜ持ち場を離れた?」
「東門が攻撃されたからさ」
「東門?」
「そう。敵は想定外の東側から現れて、そのまま東門へ攻めかかってきたんだ。あそこは守備が薄かったからね。放っておけば突破されていたよ」
ユマは机上の要塞図を指し、東門の位置を示した。
「だから、うちの連中を動かして守備を補った。おかげで、どうにか敵を食い止めることができたんだ」
「しかし、その間に食糧庫が焼失している」
「じゃあ、東門を見捨てて食糧庫を守っていればよかったのかい?」
ユマは査問官を見た。
「東門が突破されたら、敵は要塞の中へなだれ込んでくる。そうなれば食糧庫どころじゃないだろう? 守備隊も住民も、逃げる間もなく敵に襲われることになるんだよ」
「……」
「そもそも、食糧庫を守るために東門を失ったら本末転倒じゃないか。軍人なら、どちらを優先すべきか分かるだろう?」
少し強い口調になったユマを、隣に座るトウヤが横目で見た。
「団長、少し落ち着け」
「分かってるよ」
ユマは肩をすくめ、椅子に座り直した。
「でも、あの状況で東門へ向かわなかったら、それこそ職務怠慢だと思うけどね」
査問官たちは要塞図と戦闘報告書を照らし合わせ、しばらく小声で協議した。
実際、東門への攻撃は激しく、ロスバルトが迅速に増援を送らなければ突破されていた可能性が高かった。しかも、食糧庫を焼いたのは、敵軍の主力ではなく要塞内部へ潜入していた工作員たちだった。
東門の守備に兵を回したことと、工作員による放火を防げなかったことを、単純に結びつけることはできない。
やがて中央の査問官が顔を上げた。
「当時の戦況については確認した。東門の防衛を優先した貴官の判断は、軍事的に妥当だったと認めよう」
「そうしてもらえると助かるよ」
「食糧庫の焼失についても、ロスバルト傭兵団に重大な過失があったとは認められない」
ユマはようやく肩の力を抜いた。
今回の査問で最も厄介なのは、この食糧庫の問題だった。
レンヌ要塞は、敵の接近を察知できなかったことだけで陥落したわけではない。敵の奇襲そのものは撃退したものの、食糧庫を失ったことで長期の防衛が困難になり、最終的に放棄せざるを得なくなったのだ。
そのため、中央本部では食糧庫の焼失をレンヌ失陥の最大の原因と考えていた。
もし、その責任をロスバルトに押しつけられていたら、傭兵団の存続に関わる問題になっていたかもしれない。
「では、撤退時の行動についても確認しておこう」
査問官が続けた。
「ロスバルト傭兵団は、正規守備隊とは別行動でレンヌから脱出しているな?」
「そうだよ。司令官が先に逃げちまったからね」
室内の空気が一瞬だけ固まった。
「……団長」
トウヤが小さく咳払いする。
「何だい?」
「言葉を慎め」
「事実だろう?」
ユマは悪びれる様子もなく続けた。
「グリフィス三世以下、司令部の主要人物は先に撤退している。しかも、私たちには撤退命令も同行命令も出されていなかったんだ」
「その点については、司令部の記録でも確認されている」
「食糧庫は焼け、東街道も封鎖されていた。司令官は撤退し、指揮系統も崩壊していたんだよ。そんな状況で、いつ来るかも分からない命令を待っているわけにはいかないだろう?」
「それで独自に撤退を決断したと?」
「そういうこと。もちろん、私たちだけ逃げたわけじゃないよ。残っていた兵士や住民も、連れていけるだけ連れていった」
査問官は関連する報告書に目を通した。
ロスバルトの撤退については、救出された兵士や住民からも証言が寄せられている。少なくとも、彼らが自分たちの安全だけを優先して要塞を放棄したという事実はなかった。
「指揮系統が失われた状況での独自判断か。やむを得ない措置だったと考えられるな」
「分かってもらえて何よりだよ」
ユマは軽く頷いた。
これで、ロスバルトに対する主な追及は終わったらしい。
査問官たちが書類を整理し始めたところで、ユマはふと思い出したように口を開いた。
「ところで、こっちから一つ聞いてもいいかい?」
「何だ?」
「救援要請の遅れは問題にしないのかい?」
中央の査問官が顔を上げた。
「ロスバルトからは、ずいぶん前から増援を求めていたんだけどね。グリフィスが握り潰していたんだろう?」
「その件については、すでに確認している」
「それで?」
「当時の状況を鑑みれば、敵軍の活動が活発化していたとはいえ、それが直ちに全面侵攻につながると判断するのは難しかった。敵の威力偵察に過ぎない可能性も十分にあったからな」
「……」
「司令部が現有兵力で対処可能と判断したことには、一定の合理性が認められる。したがって、今回の査問で責任を問うつもりはない」
「そうかい」
ユマは短く答えた。
だが、内心では納得していなかった。
何度も警告した。敵の活動が明らかに活発化していることも、今の兵力では危険だということも伝えていた。それなのに司令部は増援を求めず、中央には情勢が安定していると報告していたのだ。
そこが一番の問題じゃないのかい。
そう言いたかったが、今さら議論を蒸し返したところで、査問官たちの判断が変わるとも思えなかった。
何より、今日の目的はロスバルトにかけられた嫌疑を晴らすことだった。
ユマは小さく息を吐き、それ以上の追及をやめた。
「では、結論を申し渡す」
中央の査問官が書類を閉じた。
「提出された記録と関係者の証言を検討した結果、敵軍接近の察知、食糧庫の焼失、およびレンヌからの撤退について、ロスバルト傭兵団に軍務上の重大な過失は認められない」
「……ふぅ」
ユマはようやく安堵の息を吐いた。
「ただし、レンヌ防衛契約は、その目的を達成していない。契約報酬については、別途精算を行うことになる」
「……やっぱり、そうなるか」
「異議はあるか?」
「ないよ。要塞を守れなかったのは事実だからね」
ユマは力なく片手を上げた。
「分かったよ。そっちはそっちで、きちんと話をつけようじゃないか」
こうして、ロスバルト傭兵団に対する査問は終了した。
◇
査問室を出たユマは、廊下の壁に背中を預け、大きく息を吐いた。
「ふぅ……さすがに疲れたね」
「だが、これで我々への嫌疑は晴れた」
隣を歩いていたトウヤも、ようやく肩の力を抜いていた。
「まあね。団員たちに余計な責任を負わせずに済んだのはよかったよ」
「十分な結果だろう」
「……ただ、少し気になることがあるんだよね」
「何だ?」
「今日の査問さ。思っていたより、ずいぶんあっさり終わったと思わないかい?」
トウヤは怪訝そうに眉を寄せた。
「提出した証拠が十分だったからだろう。こちらに非がないことは明らかだった」
「そうなんだけどね」
ユマは腕を組み、先ほどの査問を思い返した。
敵軍の接近を察知できなかったことも、食糧庫の焼失も、ロスバルトに重大な過失はないと認められた。撤退についても同様だった。
もちろん、どれも正当な判断だと思っている。そのために必要な記録を揃え、反論も用意してきたのだから。
だが、レンヌという重要拠点を失ったのだ。もっと厳しく責任を追及されるものと覚悟していた。
「何というか、最初から私たちを罰する気がなかったようにも見えるんだよ」
「考えすぎではないか?」
「そうならいいんだけどね。それに、救援要請の件も妙にあっさり片づけられただろう?」
ユマは廊下の先へ目を向けた。
「三年前にもレンヌで大敗しているんだよ。あのときだってゼルキア派は相当叩かれた。それなのに、また同じ場所で負けたとなれば、今度こそ他の派閥が黙っていないはずさ」
「……確かにな」
「だから、誰かに責任を取らせなきゃいけない。でも、今日の様子を見る限り、少なくともロスバルトにその役を押しつけるつもりはなさそうだ」
ユマは顎に手を当て、しばらく考え込んだ。
ゼルキア派の内部で、すでに何らかの話がついているのかもしれない。誰の責任を問い、誰の責任を問わないのか。査問が始まる前から、大まかな方針が決まっていたとしても不思議ではなかった。
「……何かありそうだね。ゼルキア派の中で」
「政治の話か」
「たぶんね。ただ、何を考えているのかまでは分からないよ」
ユマは肩をすくめた。
「まあ、うちの連中に責任を押しつけられなかっただけでも、ありがたいと思うべきなんだろうけどさ」
そう言って苦笑したものの、胸に残った違和感は消えなかった。
「それにしても、参ったね」
ユマは頭を掻いた。
「報酬はほとんど消えそうだし、装備も馬もずいぶん失った。負傷者の治療費だって馬鹿にならないんだよ」
「命が残っただけましだ」
「団長としては、そう思うよ。でもね、せっかくの外貨獲得の機会を失った市長としては、笑えないんだ」
トウヤが苦笑すると、ユマもつられて少し笑った。
だが、その笑みはすぐに消えた。
「……それより、問題はジャンだね」
ユマが呟くと、トウヤの表情も険しくなった。
「ワイズマンか」
「ああ。あいつ、私たちみたいにはいかないだろうね」
◇
「被告、ジャン=ワイズマン。前へ」
裁判長の声が法廷に響いた。
ジャンは両側に立つ衛兵に促され、被告人席へと進んだ。
高い天井には装飾が施され、正面の壁には都市同盟の白黒の旗が掲げられている。左右の傍聴席には人々が詰めかけ、その視線の多くがジャンへ向けられていた。
ゼルキアへ戻って間もなく、ジャンは身柄を拘束された。
事情聴取を受け、拘留され、何度も同じ質問を繰り返された末に、こうして法廷に立たされている。
レンヌ失陥に関して逮捕された者は、ジャンだけではなかった。司令部に勤務していた官僚や守備隊の関係者など、複数の人間がそれぞれの容疑で裁かれている。
もっとも、だからといって自分がその一人に加えられた理由を、ジャンは納得していなかった。
「被告、ジャン=ワイズマン」
裁判長が書面を読み上げた。
「貴官には、レミーラ帝国軍への軍事機密漏洩、ならびに敵国への内通の嫌疑がかけられている」
「否認します」
ジャンは即答した。
「私はレミーラ帝国の人間と接触したことすらありません。機密を漏らしたというのであれば、その証拠を示してください」
「それをこれから確認する」
検察官が立ち上がり、手元の書類を開いた。
「まず、被告の職務について聞こう。貴官はレンヌ要塞司令部において、出納および医療物資の補給業務を担当していたな?」
「はい」
「要塞内部の物資備蓄量についても把握していた?」
「職務上、当然です」
「食糧庫の位置や、その管理状況については?」
「知っていました。補給を担当する人間が知らない方がおかしいでしょう」
「なるほど」
検察官は頷き、次の書類を取り上げた。
「レンヌ要塞は、レミーラ帝国軍の奇襲を受けた際、西部に設置されていた食糧庫を焼失している。この結果、長期の防衛が困難となり、最終的に要塞を放棄することになった」
「その通りです」
「つまり、食糧庫の焼失はレンヌ失陥の重大な原因だったわけだ」
「否定しません」
「では、敵軍がなぜ食糧庫を正確に攻撃できたのかについて、貴官はどう考える?」
「敵が事前に調査していたのでしょう。あるいは、要塞内部に工作員を潜入させていた可能性もあります」
「その可能性は、我々も考えている」
検察官はあっさり認めた。
「しかし、食糧庫の位置は重要な軍事情報だ。敵がその情報を入手するにあたり、内部の協力者が存在した可能性も否定できない」
「可能性なら、いくらでも挙げられます」
ジャンは冷静に答えた。
「ですが、私が情報を流した証拠にはなりません」
「無論、それだけで貴官が犯人だと断定するつもりはない」
検察官は穏やかな口調で続けた。
「ただし、貴官が食糧庫に関する情報を知り得る立場にあったことは事実だな?」
「それは認めます」
「では、次の点について確認しよう」
検察官は別の資料を取り出した。
「被告は、着任後、食糧備蓄に関する帳簿や搬入記録を繰り返し調べていた。間違いないか?」
「間違いありません」
「なぜだ?」
「帳簿の数字が合わなかったからです」
ジャンの返答に、傍聴席の一部がざわめいた。
「数字が合わなかった?」
「帳簿に記載された備蓄量と、実際の搬入記録に食い違いがありました。私はその原因を調べていたんです」
「その調査は、上官から命じられたものか?」
「通常の出納業務の範囲です。帳簿に不審な点があれば確認するのは当然でしょう」
「つまり、貴官は独自の判断で、要塞の食糧備蓄を詳しく調べていたわけだな?」
「……そういう言い方もできますが、仕事をしていただけです」
「分かった」
検察官はそれ以上追及せず、書類に目を落とした。
ジャンは眉をひそめた。
先ほどから、何かがおかしい。
自分の行動について質問され、事実を答える。そのたびに検察官は納得したように頷くが、こちらの説明を十分に検討しようとはしない。
帳簿を調べたのは、横領の疑いがあったからだ。
しかし検察官は、その調査の目的よりも、ジャンが食糧庫の情報を詳しく把握していたという事実を強調していた。
「次に、被告の交友関係について確認する」
検察官が言った。
「貴官はレンヌ勤務中、ロスバルト傭兵団の関係者と頻繁に接触していたな?」
「食堂で話をしていました」
「軍務についても?」
「多少は話しました」
「都市同盟の政治体制について議論したこともあるそうだな」
「あります」
「現行の都市同盟に対して、不満を述べたことは?」
「政治について議論すれば、批判の一つや二つは出るでしょう」
「では、貴官は現在の都市同盟のあり方に不満を持っていた?」
「違います」
ジャンは即座に否定した。
「私はゼルキニストです。ゼルキアの利益を第一に考える人間ですよ」
傍聴席が再びざわめいた。
「ロスバルトの人間とは政治について議論しましたが、当時の私は現行体制を守る立場でした。彼らと意見が一致していたわけでもありません」
「なるほど。そういうことか」
検察官は頷いた。
そして、何事もなかったように次の書類を取り上げる。
「では、証人を呼ぼう」
法廷脇の扉が開き、一人の男が入ってきた。
レンヌ司令部に勤務していた官僚、ライアーだった。
「証人。被告の勤務状況について、不審な点はあったか?」
「はい」
ライアーは緊張した面持ちで答えた。
「ワイズマン君は、着任当初から頻繁に資料庫へ出入りしていました。食糧備蓄や物資の搬入記録についても、何度も確認していたようです」
「それは通常の業務とは異なる行動だったのか?」
「私には分かりません。ただ、非常に熱心に調べていたことは確かです」
「ほかには?」
「ロスバルト傭兵団の人たちと、よく話をしていました。食堂でも一緒にいるところを見かけましたし、彼らの担当区域へ出向いていたこともあったと思います」
「政治的な話もしていた?」
「はい。都市同盟の今後について議論しているのを聞いたことがあります」
ジャンは黙って証言を聞いていた。
ライアーの言っていることは、ほとんど事実だった。
資料庫へ出入りしたことも、食糧備蓄を調べたことも、ロスバルトの人間と話していたことも否定できない。
だが、そのどれもが敵国への内通を示すものではなかった。
「証人、ありがとう」
検察官がライアーを下がらせると、ジャンは発言の許可を求めた。
「裁判長、一つよろしいでしょうか」
「許可する」
「先ほどから、私が通常の職務を行っていたことばかり確認されています。しかし、帳簿を調べることと敵国へ情報を流すことの間に、何の関係があるのですか?」
「その点については、これから明らかにする」
検察官が答えた。
「では、実際に情報を渡した証拠があるのですか?」
「被告、質問は検察官に対して行うものではない」
裁判長が制した。
「……失礼しました」
ジャンは口を閉じた。
だが、納得したわけではない。
検察側は、こちらが不審な行動を取っていたという印象を積み重ねようとしている。
そして、肝心の機密漏洩を示す証拠は、まだ一つも提示されていなかった。
「続いて、レンヌ陥落時の行動について確認する」
検察官が再び口を開いた。
「被告は、要塞司令部に勤務していたにもかかわらず、正規守備隊と行動を共にせず、ロスバルト傭兵団とともに脱出しているな?」
「はい」
「なぜだ?」
「取り残されたからです」
「取り残された?」
「司令官から撤退命令を受けていませんでした。私が撤退を知ったときには、司令部の主要人物はすでにいなくなっていたんです」
「つまり、司令官は貴官に撤退を知らせなかった?」
「そうです」
「なぜだろうな」
「私に聞かれても分かりません」
「そうか」
検察官はしばらく書類を眺めていたが、やがて顔を上げた。
「それなら、本人に聞くことにしよう」
「……本人?」
ジャンが眉をひそめた。
「次の証人を」
法廷脇の扉が開いた。
入ってきたのは、五十を過ぎた恰幅のいい男だった。
立派な衣服を身にまとい、丸々とした顔には人の良さそうな笑みが浮かんでいる。
その姿を見た瞬間、ジャンは目を見開いた。
「……は?」
見間違えるはずがなかった。
レンヌ要塞司令官、グリフィス三世。
「……生きていたのか」
思わず呟いたジャンに、グリフィスは穏やかな笑みを向けた。
「久しぶりだな、ワイズマン君」
ジャンは言葉を失った。
大量の私財を荷車に積み込み、部下や住民を置き去りにしてレンヌから逃げ出した男が、何事もなかったような顔で証人席へ向かっている。
グリフィスはジャンの前を通り過ぎると、裁判官たちに向かって丁寧に頭を下げた。
その顔には、以前と変わらない柔らかな笑みが浮かんでいた。




