↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アーネム戦記  作者: Tanu1016
第一章 都市同盟

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/31

第9話 セイレンにて

第9話


 セントハイムを出て十四日。


 セイレンの街が見えてきた。


 城壁と呼ぶには少々頼りない外壁。その向こうには、低い屋根の家々が密集している。


 街道を行き交う荷馬車の数も、ジャンがこれまで見てきた都市同盟の主要都市と比べれば少ない。


 ジャンは馬上から街を眺め、率直な感想を口にした。


「……お世辞にも栄えているとは言えないな」


「そうね。これでも、おばあ様が改革を始めてからずいぶんマシになったのよ?」


 先を行くユマが振り返った。


「これでか?」


「これで」


「…………」


 ジャンはもう一度、セイレンを見る。


 古びた家屋。


 狭い道。


 ところどころに見える工房らしき建物から、細い煙が上がっている。


 これがマシなら、それ以前はいったいどれほど酷かったのだろう。


「まあ、住めばいいところよ。」


「その言葉を信じることにする。」


「そうしなさい。」


 ユマはそう言って、馬を進めた。


     ◇


 市庁舎前には、男が待っていた。


 年若い男だったが、ジャンよりも数歳年上にみえた。


 身なりは質素だが、ユマたちの姿を認めても慌てて駆け寄ってくることはない。


 ジャンは隣にいたユナへ少し身を寄せた。


「あの人は?」


 小声で尋ねる。


「カールさんだよ。」


「カール?」


「うん。姉さまの副官? かな」


「……かな?」


 ずいぶん曖昧な説明だった。


 そうしている間に、ユマは二人の前まで歩いていった。


「変わったことは?」


「こちらは特にはありません。」


 カールと呼ばれた男が答える。


 それから、少しだけ表情を緩めた。


「それよりも、よくぞご無事で。」


「ほんと最悪だったよ。」


 ユマは大きく息を吐いた。


「でもまあ、面白い拾い物はあった。」


「ほう」


 カールの視線がジャンへ向けられた。


「それが、あの男ですか?」


「そう。しばらくは二人の家庭教師と、傭兵団で教師をしてもらう予定。そのあとセイレンに慣れたら、何かしてもらう。」


「わかりました。」


 それだけだった。


 何をさせるのかとも、信用できるのかとも聞かない。


 ジャンはわずかに眉を動かした。


 どうやら副官――というユナの説明は、それほど間違ってはいないらしい。


 少なくとも、ユマが細かな説明をしなくても話が通じる程度には近しい人間なのだろう。


     ◇


 数日後。

 

 市庁舎兼リズナー家邸宅の一室。


「今日は昼までに算術とセレス古語。午後からは地理だ。」


「はーい」


「はーい」


 ユナとリックが揃って返事をする。


 ジャンは二人の前に問題を書いた紙を置いた。


「まずこれを解け。終わったら見せろ。」


「全部?」


「全部だ」


「多いよぉ」


「この程度で文句を言うな。俺がガキのころは倍はやっていた。」


 ユナが頬を膨らませる。


 隣ではリックがすでに筆を動かし始めていた。


「あっ、リック、待ってよ。」


「姉さんが遅いんだよ。」


「競争じゃないからな。正確に解くことが算術では大切だ。焦るなよ。」


 言いながら、ジャンは椅子に腰を下ろした。


 二人が問題を解いている間、何もせず待っているつもりはない。


 図書館から借りてきた一冊の本を開く。


『セイレン建国史』


 せっかくここで暮らすことになったのだ。


 自分が住む街について、最低限のことくらいは知っておいた方がいい。


 ページをめくる。


 建立から50年少々のセイレンの歴史は、思っていたよりも浅かった。


 その始まりは、一人の傭兵だったという。


 ロスバルト。


 彼が率いた小さな傭兵団。


 それが現在の傭兵団ロスバルトの始まりだった。


 転機となったのは三代目団長、シン=リズナーの時代。


 リービッヒとの戦争で功績を挙げたシンは、この地の自治権を獲得。セントハイムからその権利を承認され、現在のセイレンの基礎を築いた。


「ふーん……」


 さらにページをめくる。


 その後、リービッヒから一人の女性が亡命してくる。


 クリスティーヌ。


 敵国の王女。


 都市同盟軍から「いばらの女王」と恐れられた人物。


 リービッヒ内での政争に敗れセイレンに亡命した。


 後にシン=リズナーの妻となった女性だった。


 やがてシンが死去。


 残されたクリスティーヌはセイレンの改革に乗り出した。


 産業の育成。


 工房の整備。


 金融制度の改革。


 傭兵団の再編。


 市民への啓蒙活動。


「…………うん?」


 ジャンの指が止まった。


 何かがおかしい。


 いや。


 おかしいというより――。


「ジャン、どうしたの?」


「うわっ」


 いつの間にか、ユナがすぐ横から本を覗き込んでいた。


「急に顔を出すな」


「だって、ずっと同じところ見てるから」


「問題は終わったのか?」


「終わったよ」


「ぼくも」


 リックも紙を差し出してくる。


「ああ。ちょっと待て」


 ジャンは二人を見る。


 それから本を見る。


 もう一度、二人を見る。


「今、本を読んでいて気づいたんだが……」


「うん?」


「お前ら、リービッヒ王族の末裔なのか?」


「そだよー」


 あまりにも軽い返事だった。


「知らなかったの?」


 ユナは胸を張る。


「お姫様だよ。可愛いでしょ?」


「そ、そうなのか?」


「そうだよ」


「大家族の末裔だの、昔の領主の血筋だのは都市同盟じゃよく見かけるが……敵国の王族の末裔は、なかなかいないぞ」


 リックは自分の計算用紙を見ながら言った。


「あんまり関係ないけどね。」


「……まあ、そうなるのか。」


 ここは都市同盟だ。都市同盟市民権を持っていれば同盟憲章に従い身分にかかわらず基本的人権は保障される。


 何代も前の王族の血など、本人たちにとってはその程度のものだろう。


「それよりジャン。」


「なんだ。」


「答え合わせ。」


「ああ。」


 ジャンは本を閉じた。


 ユナの答案を見る。


「三問間違い。」


「えっ」


「リックは一問。」


「やった。」


「なんでぇ!」


「計算し直せ」


「お姫様なのに!」


「知らん。このくらいの計算を間違えるやつに姫が務まるか。」


「務まるよ!」


「威張るな。」


     ◇


 一週間後。


 ジャンはユマに連れられ、セイレンの街を歩いていた。


「視察についてこいとは聞いていたが……」


「セイレンで暮らすなら、街くらい知っておいた方がいいでしょ。買い物、その他、生活にも必要よ。」


「それはそうだが」


 昨日までとは違う目で街を見る。


 第一印象は変わらない。


 やはり貧しい。


 だが、歩いてみると妙なことに気づく。


「工房が多いな。」


「そう?」


「多い」


 金属加工。


 織物。


 小型の機械部品。


 規模こそ小さいが、専門化された工房が街のあちこちにある。


 さらに商業区へ入ったところで、ジャンは足を止めた。


「……証券会社まであるのか?」


「あるよ。」


「この規模の都市に?」


「悪い?」


「悪いとは言ってない。」


 ジャンは建物を見上げる。


 貧しい。


 それは間違いない。


 だが――。


 ただ貧しいだけの都市ではない。


 金を生み出すための仕組みがある。


 産業を育てるための仕組みがある。


 昨日読んだ『セイレン建国史』の記述が頭をよぎった。


「なるほどな。これが一杯のエール・一枚のコイン運動ってやつの成果か。」


「ああ、建国史でもみたの?当時貧しかったセイレンを豊かにするためにおばあ様が始めた運動よ。傭兵家業で稼いだお金を飲み代に全部使うなら少しは投資しろってね。」


「お前のおばあ様とやらは、なかなか面白い人だったらしい。それと改めて複利はおそろしい。」


「でしょ?」


 ユマは少し誇らしげに笑った。


     ◇


 視察は市街地だけでは終わらなかった。


 周辺の村々へ向かう。


 そこでジャンは、ユマが視察に自分を連れてきた本当の理由を少しずつ理解した。


 一軒の家を訪れる。


 ユマが戸を叩く。


 出てきた老女は、ユマの姿を見た途端に目を潤ませた。


「ユマさま……」


「遅くなって、ごめんなさい」


 ユマは頭を下げた。


 レンヌで戦死したロスバルト兵の家だった。


 老女はユマの手を握った。


 何度も、何度も礼を言う。


 ジャンには、それが不思議だった。


 息子を連れていき、帰してやれなかった人間だ。


 恨まれてもおかしくない。


 だが老女は泣きながら、ユマに感謝していた。


 次の家でも。


 その次でも。


 ユマは一軒ずつ訪ねた。


 家族の話を聞き、頭を下げた。


 自分から美辞麗句を並べることはなかった。


 ただ、聞いていた。


 そして最後には必ず言った。


「私が連れていって、帰してやれなかった。ごめんなさい。」


 それでも遺族たちはユマを責めなかった。


 泣きながら、その手を握った。


 ジャンは少し離れたところから、その光景を見ていた。


 レンヌで見たユマとは違う。


 いや。


 違うのではない。


 同じなのだ。


 あの要塞で最後まで兵たちと一緒にいた女と。


 今、遺族の前で頭を下げている女は。


 同じ人間なのだ。


 ――少しは、見直してやってもいいか。


 口に出せば怒られそうなので、黙っておいた。


     ◇


 すべての巡回を終えた頃には、日が傾き始めていた。


 二人はセイレンの街を見下ろす丘に立っていた。


 眼下に広がる街。


 決して豊かではない。


 古びた家々が並び、その間から工房の煙がいくつも上がっている。


「ねえ、ジャン」


「なんだ」


「私の新都市同盟構想……」


 ユマは街を見たまま言った。


「今はどう思ってる?」


「…………」


 ジャンも街を見る。


 レンヌで初めて聞いたときは、馬鹿げた夢物語だと思った。


 無知な田舎者の理想論。夢想論。


 平和を口にするだけなら誰にでもできる。


 その平和を維持する金は誰が払う。


 利害の違う都市をどうまとめる。


 ゼルキアとセントハイムの二大都市をどう納得させる。


 穴など、いくらでも見つけられる。


「……昔の俺だったら」


「うん」


「こんな穴だらけの構想、どこから突っ込めばいいのかわからないくらい文句を言っただろうな」


「レンヌで散々言ってたじゃない」


「そうだったな。ハンスに殴られた。」


 ジャンは苦笑した。


「ただ――」


 もう一度、街を見る。


 レンヌ。


 ロスバルト。


 ゼルキア。


 セイレン。


 工房。


 戦死者の家族。


 ここまで自分が見てきたものを思い返す。


「ここまで色々見てきて思った。」


「なに?」


「もし、おまえの夢想が本当に実現できるなら――」


 ジャンは少し笑った。


「面白い。」


 ユマは一瞬、目を丸くした。


 それから笑った。


「じゃあ、その『面白い』を実現するために手伝ってもらうわ。」


「…………」


 ジャンは横目でユマを見る。


「嘘つけ。」


「なにが?」


「あれだけ借金抱えさせて、はなからこき使う気だろ。」


「あら、バレた?」


「バレるに決まっている。」


 ジャンは呆れて息を吐いた。


 だが、不思議と嫌ではなかった。


「まあ、いいや。」


 右手を差し出す。


「やってやるよ」


 ユマがその手を見る。


「ニューアーク大学主席様を甘く見るな。」


「期待してる。」


 ユマも手を差し出した。


 二人の手が重なる。


 そして。


 どちらからともなく、笑った。


「姉さまぁー!」


 丘の下から声が聞こえた。


 二人が振り返る。


 ユナとリックが、こちらへ向かって駆け上がってくる。


「ジャンー!」


「走ると転ぶぞ!」


「だいじょうぶー!」


「姉さま、待ってー!」


「ほら、言ってるそばから危ない!」


 ジャンは呆れながら、駆けてくる二人を待った。


 隣ではユマも笑っている。


 その向こうには、小さなセイレンの街が広がっていた。

第一部 都市同盟編がここで終わります。

8月17日から新編に入ります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。