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森口家の六つ子は、神様の後始末係です —龍神さまからのご指名—  作者: 織村蜜柑


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第七話「家の中の水音」

ぴちゃ。


HomePodから、水音がした。


誰も動かなかった。

居間には、神棚と古い柱と畳がある。

その中央で、テレビに映った地図だけが黒く滲んでいる。

竜地の大溜井。

その一点から、黒が広がっていた。

まるで画面の中に水が染みているみたいだった。


五樹が低く言う。

「……家の中まで来るの、反則じゃない?」

二葉は台所の入口で立ち止まっている。

手には、おにぎりを温めようとしていた皿。

三樹は立ち上がりかけていた。

一樹が静かに言う。

「動くな」

三樹の足が止まる。

「でも」

「まだ、家の中だ」

一樹の声は落ち着いていた。

けれど、目はテレビを見ている。

「森口の内側で、勝手には動かせない」

樹蔵が地図を見たまま言った。

「油断するな。一度、音が入った」

六樹はiPadを操作する。

「画面共有は切る?」

「切るな」

一樹が即答した。

「見えているなら、見ておく」

六樹は頷く。

「分かった」

五樹がHomePodを見る。

「六樹、これ普通に壊れた可能性は?」

「ない」

「即答」

四葉がテレビを見たまま言った。

「つまり、機械を通して音だけが来た」

六樹が頷く。

「正確には、音として出力された。けど、信号としては記録がない」

三樹が眉を寄せる。

「日本語で」

五樹が小さく言う。

「機械が勝手に水音を吐いた」

「最悪だな」

「でしょ」

二葉が皿をそっと置いた。

「音、増えてる」

全員が黙る。


ぴちゃ。


ぴちゃ。


ぴちゃ。


HomePodからだけではない。

台所。

廊下。

玄関。

床下。

家のどこかで、見えない水が落ちている。


一樹が立ち上がった。

「六樹、家の見取り図」

「出す」

テレビ画面が切り替わる。

森口家の見取り図。

居間。

台所。

廊下。

玄関。

神棚の間。

祖父母の部屋。

そして、床下。

六樹はそこに、音の位置を重ねていく。

「音源、一定じゃない。移動してる」

四葉が目を細める。

「水が流れてるんじゃない。探ってる」

五樹の表情から軽さが消える。

「何を?」

二葉が小さく言った。

「入口」

空気が、重くなった。

三樹が低く言う。

「家の中に入口なんか作らせるか」

「だから動くな」

一樹が言う。

「向こうが探ってるなら、こちらが不用意に動けば道になる」

三樹は奥歯を噛んだ。

「……分かった」

五樹が一瞬だけ口を開きかけた。

三樹が睨む。

「言うな」

五樹は両手を上げる。

「何も言ってない」

六樹が淡々と言った。

「十三回目」

「六樹」

「記録」

四葉が低く言う。

「今は数えなくていい」

「緊張緩和」

「分かってる。でも今は分析優先」

六樹は頷いた。

「了解」

樹蔵が座ったまま、静かに目を閉じた。

「一樹」

「はい」

「家の四方を締めろ。閉じるんじゃない。流れを逸らせ」

一樹は頷く。

「二葉」

「うん」

「神棚の水を見ろ。濁っているなら替えるな。触れるな。見るだけだ」

「分かった」

「三樹」

「何だ」

「玄関には出るな」

三樹の眉が動く。

「まだ何も言ってない」

「言う前に分かる」

五樹が小さく笑った。

「三樹、読まれてる」

「お前もだろ」

樹蔵は続ける。

「四葉、退路ではなく家の逃げ場を見ろ。逃げるためではない。どこが一番安全かを見る」

「了解」

「五樹、外の反応を拾え。近所に広がっているか」

「分かった」

「六樹、記録と機械を見ろ。音がどこを通ったか、全部残せ」

「やる」

樹蔵は最後に全員を見た。

「森口家の中は、ただの家ではない。だが、ただの家でもある」

その言葉に、二葉が顔を上げた。

樹蔵は言う。

「神社の裏に続く古い家。代々、人が住み、飯を食い、寝て、笑ってきた家だ。守りだけでできている場所ではない」

一樹が静かに続ける。

「生活がある場所」

「そうだ」

樹蔵は頷いた。

「だから、強い。だが、乱されれば脆い」

五樹が、いつもの軽さを少しだけ戻して言った。

「つまり、家の生活感で殴る?」

四葉が冷たく見る。

「言い方」

六樹が淡々と補足する。

「概念としては間違ってない」

「六樹が認めた」

「生活の積層は、場の安定に関与する」

三樹が言う。

「日本語で」

二葉が小さく笑った。

「みんなが普通に暮らしてる場所だから、簡単には持っていかれないってこと」

三樹は頷いた。

「それなら分かる」


ぴちゃ。


今度は、台所から音がした。

二葉が顔を上げる。

五樹がすぐに立ち上がろうとする。

「二葉」

「動くな」

一樹の声。

五樹は止まった。

「でも、台所」

「二葉が見る。お前は位置を動かすな」

五樹は唇を噛んだ。

「……分かった」

六樹が呟く。

「十四回目」

「六樹」

五樹が低く言う。

「今は俺じゃない」

「五樹も分かったと言った」

「記録範囲広いな」

二葉はゆっくり台所へ向かった。


一歩。

二歩。

畳から板の間へ。

台所の灯りはついている。

流し台。

鍋。

皿。

温めかけのおにぎり。

いつもの台所だった。

けれど、シンクの横に置かれた小さな器の水が、黒く濁っていた。

神棚用の水だ。

二葉は息を止める。

「濁ってる」

樹蔵が居間から言う。

「触るな」

「うん」

二葉は見ているだけだった。

器の中の水面が、小さく揺れる。

その奥に、何かが映った。

大きな水面。

夜。

月のない空。

そして、広い溜まり。

二葉の喉が鳴った。

「大溜井」

居間の空気が変わる。

六樹がテレビの地図を見る。

「画面の滲みと同期してる」

四葉が立ち上がる。

「二葉、見すぎないで」

「分かってる」

「二葉の分かってるも信用度低い」

五樹が言った。

二葉は少しだけ笑った。

「今は、ちゃんと聞く」

「じゃあ信じる」

三樹が台所の方を見た。

「何が見えてる」

二葉は器の水面を見たまま言った。

「水が、黒い」

「それは分かる」

「違う。水そのものが黒いんじゃない。下にあるものが、黒い」

六樹が反応する。

「底?」

「うん」

二葉の声が少し震えた。

「底で、何かが溜まってる」

五樹が拳を握る。

「二葉、戻って」

二葉は一歩下がった。


その瞬間。

器の水面から、黒い泡がひとつ浮かんだ。


ぷくり。


そして。


ぴちゃ。


器の外で、水の落ちる音がした。

ありえない。

器の中の水は、縁を越えていない。

揺れただけだ。

シンクの中は濡れている。

それは当たり前だった。

だが、水滴はそこから落ちていなかった。


ぽたり。


音は、シンクの下からした。

床に、小さな水の跡ができていた。

黒い水滴。

一樹が手を上げる。

「天照御垣」

光の線が台所の床を走る。

水滴の周囲を囲うように、結界が張られた。

黒い水滴が、じわりと広がろうとする。

三樹が前へ出る。

「潰すか」

「触るな」

四葉と六樹が同時に言った。

五樹が小さく言う。

「息ぴったり」

四葉は無視した。

「水滴じゃない。染み出し口」

六樹が頷く。

「潰すと広がる」

三樹は足を止めた。

「じゃあどうする」

二葉が台所の入口で息を整える。

「流す」

一樹が見る。

「できるか」

「小さいから、たぶん」

五樹が即座に言う。

「たぶんは不安」

「でも、やる」

五樹は何か言いかけて、飲み込んだ。

「……横にいる」

二葉は頷いた。

「うん」

二葉が手をかざす。

「咲耶浄花」

淡い光が、水滴の周囲に落ちる。

消すのではない。

押さえ込むのでもない。

黒い水滴の中にある濁りを、細くほどいていく。

水滴の輪郭が震えた。

小さな泡がいくつも弾ける。


その奥から、声がした。

——みずを。


二葉の指が震える。

五樹が肩に手を添えた。

「二葉」

「大丈夫」

「信用しない」

「……ちょっと怖い」

五樹の目が変わった。

「じゃあ、俺が支える」

二葉は頷いた。

「お願い」

五樹は何も言わなかった。

ただ、二葉の肩を支える手に力を込める。

三樹がそれを見て、少しだけ目をそらした。

「……二葉は、ちゃんと言うようになったな」

四葉が静かに言う。

「良い傾向」

六樹が淡々と続ける。

「記録する」

「六樹、それは記録していい」

五樹が言った。

六樹は頷いた。


黒い水滴が、少しずつ薄くなる。

二葉の光に沿って、細い水の筋が床を伝う。

一樹の結界が、その水筋の道を作る。

流し台へ。

排水口へ。

しかし、排水口の前で、水が止まった。

四葉が鋭く言う。

「そこは駄目」

一樹が結界を止める。

「理由は」

「排水じゃない。家の外の水路に繋がる」

六樹がiPadを見て頷く。

「古い排水経路と、外の水筋が近い。そこへ流すと外へ出る」

三樹が聞く。

「じゃあどこへ」

樹蔵が答えた。

「庭へ流せ」

全員が見る。

樹蔵は静かに言った。

「森口家の庭には、受け石がある」

二葉が顔を上げる。

「受け石……」

「そうだ。昔は、家の中へ入った濁りを一度そこへ落とした」

六樹がすぐに見取り図を重ねる。

「庭の北東。古い石の配置がある」

五樹が眉を寄せる。

「うち、そんなのあった?」

一樹が言う。

「庭の端にある苔むした石だ」

三樹が短く言う。

「あれか」

四葉が頷く。

「昔から邪魔だと思ってたやつ」

樹蔵が低く笑う。

「邪魔で残したわけではない」

一樹が結界を組み替える。

「庭へ流す」

二葉が頷く。

「うん」

光が向きを変える。

黒い水滴は、細い筋になって台所から廊下へ向かった。

畳には触れない。

柱にも触れない。

一樹の結界が、細い水路のように道を作る。

三樹が前に立つ。

「出てきたら逸らす」

四葉が後ろを見る。

「退路は居間。二葉を中心から外さない」

五樹が二葉の横につく。

「支える」

六樹が記録する。

「水筋、廊下を通過。速度、遅い。黒の濃度、低下」

三樹が言う。

「六樹、実況みたいだな」

「記録」

「分かってる」

「十五回目」

「数えるな!」

五樹が笑いかけて、すぐに表情を戻す。

黒い水筋が、庭へ続く縁側まで進む。

縁側の戸は閉まっている。

一樹が手をかざす。

戸が、内側から少しだけ開いた。

夜の庭が見える。

暗い。

だが、その暗さは外の夜ではない。

水の底に沈んだような暗さだった。

庭の端に、苔むした石がある。

受け石。

普段なら、誰も気に留めない。

けれど今は、その石だけが淡く濡れていた。

二葉が息を吸う。

「行って」

黒い水筋が、縁側を越える。

庭の土の上を、細く進む。

受け石へ。

触れた瞬間。

じゅ、と音がした。

水が熱い鉄に落ちたような音。

けれど、湯気は出ない。

黒い水は石に吸い込まれていく。

一滴も残さず。

二葉の光が、そこで消えた。

静寂。


HomePodの水音も止まっていた。


テレビ画面の黒い滲みも、少しだけ薄くなっている。

五樹が息を吐いた。

「……家の中でこれ、心臓に悪い」

三樹が言う。

「飯どころじゃないな」

二葉が振り返る。

「食べるでしょ」

「食う」

四葉がため息をつく。

「そこは即答」

六樹がApple Watchを見る。

「食事は必要」

五樹が六樹の手元を見る。

「SNOOPYもそう言ってる?」

「言ってない」

「でも見たでしょ」

「見た」

「認めるんだ」


樹蔵が受け石を見つめていた。

「まだ浅い」

一樹が問う。

「今のは、大溜井から来たものですか」

「端だ」

樹蔵は言った。

「底ではない。底が動けば、こんなものでは済まん」

二葉の顔色が、また少し悪くなる。

五樹がすぐに気づく。

「二葉、座ろう」

「でも」

「座る」

二葉は少しだけ目を瞬かせた。

五樹の声が、いつもの軽さを失っていたからだ。

「……うん」

二葉は居間へ戻って座った。

三樹が自分の手を差し出す。

「ついでに俺も」

二葉が見る。

「自分から?」

「怒られる前に出した」

五樹が笑う。

「成長」

六樹が頷く。

「記録更新」

三樹が睨む。

「お前らな」

四葉が小さく笑った。

一樹はテレビ画面を見つめていた。


竜地の大溜井。

黒い滲みは薄くなった。

けれど、消えてはいない。

樹蔵が言う。

「明朝では遅いかもしれん」

一樹が振り返る。

「では」

「今夜は行かん」

樹蔵の声は変わらない。

「だが、朝一番で行け。夜明け前、境が薄い時間ではなく、日が上がる直前だ」

四葉が目を細める。

「完全な夜でもなく、昼でもない時間」

「そうだ」

六樹が頷く。

「水面の反射が変わる時間」

五樹が肩をすくめる。

「早起き確定」

三樹が言う。

「寝なきゃいい」

二葉が即座に言った。

「寝る」

「でも」

「三樹は寝る」

「……分かった」

五樹が口を開く。

三樹が睨む。

「言うな」

六樹が淡々と告げる。

「十六回目」

五樹が吹き出した。

三樹は諦めた。

二葉は、ようやく少し笑った。

その笑いを見て、五樹も笑う。


怖さは消えない。

黒も消えていない。

竜地の大溜井には、まだ何かが溜まっている。

それでも、森口家の居間には、温められたおにぎりの匂いが戻ってきた。

神棚の水は、まだ濁っている。

テレビの地図には、黒い滲みが残っている。

庭の受け石は、夜の中で静かに濡れている。

けれど、六人はここにいる。


一樹が全体を見る。

二葉がみんなを見ている。

三樹が前に出る準備をしている。

四葉が危険を計算している。

五樹が二葉の隣にいる。

六樹が記録している。


樹蔵は、その六人を見て、静かに言った。

「流れを怖がるな」

全員が顔を上げる。

「水は、止めれば腐る。暴れれば壊す。だが、道を作れば流れる」

一樹が頷いた。

「森口家は、道を作る」

「そうだ」

樹蔵は言った。

「明日、お前たちは大溜井で道を作る」


ぴちゃ。


どこかで、水音がした。

けれど今度は、誰も慌てなかった。

その音は、家の外からだった。

遠く。

竜地の上の方から。

呼んでいる。

待っている。

流れ損ねたものが、まだそこにいる。

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