第四十八話「責を負う者」
【前書き】
前回まで:
龍地には、水を置く上手、荷を分ける中ほど、人が休む下手が定められた。
さらに、下手の隣には人を預かり、荷を見て、争いを聞く場所が置かれる。
まだ屋敷ではない。
けれどそこには、後の大屋敷へつながる「責」が置かれた。
「守れ」と刻まれた札は、下手から東南東へ二町ほど離れた空き地へ立てられた。
まだ屋敷はない。
柱もない。
門もない。
ただ低い草の中に、小さな木札が一本あるだけだった。
けれど、下手の東南東にその札が立ったと知れただけで、下手に集まっていた者たちの声は、少しだけ低くなった。
五風が腕を組む。
「札って、意外と効くんだな」
六嗣は木屑を払った。
「効くかどうかは、人が決める」
「お前、そういう言い方するよな」
「記す役だから」
「便利な言葉だな、それ」
勘助は地図に新しい印を加えながら、二人のやり取りを聞いていた。
上手。
中ほど。
下手。
そして、下手から東南東へ二町ほど。
四つ目の印。
それは水の場所でも、荷の場所でも、人が休む場所でもない。
人が集まったあとに生まれるものを、受け止める場所だった。
信玄は札を見つめていた。
「場所は置いた」
静かな声だった。
「だが、場所だけでは責は負えぬ」
その時、下手の方から一人の男が進み出た。
年は二十歳前ほど。
背は高くないが、立ち方に隙がない。
幼さのかけらはあるが、どこか場を整える気配があった。
男は信玄の前に膝をつく。
「一鶴と申します」
五風が小さく顔をしかめた。
「あー、出た」
勘助が横目で見る。
「知り合いか」
「知り合いというか、面倒なやつ」
「お前が言うなら相当だな」
一鶴は五風の言葉を気にした様子もなく、静かに続けた。
「水を置く者、荷をほどく者、休む者。皆、必要です。ですが、混ざれば乱れます」
信玄は問う。
「ならば、どうする」
一鶴は空き地を見た。
「境を作ります」
「境?」
四糸乃の筆が止まる。
一鶴は下手の杭を指した。
「あちらは休む場所。こちらは話を聞く場所。荷を失くした者、争いを起こした者、道に迷った者は、休む者の中へそのまま戻さない」
五風が肩をすくめた。
「ほらな。面倒だろ」
「面倒だから分ける」
一鶴は即答した。
五風が黙った。
勘助がわずかに笑う。
「気が合うのではないか」
「合わない」
五風は即座に言った。
樹玄は一鶴を見ていた。
水の音ではない。
人の声でもない。
だが、一鶴の立つ場所には、声が散らばらない気配があった。
怒りも、言い訳も、泣き声も。
そこに立てば、いったん止まる。
そんな音がする。
「お前は、声を止めるのか」
樹玄が問う。
一鶴は首を横に振った。
「止めません。散らさないだけです」
信玄の目がわずかに細くなる。
「散らさぬ」
「はい。人が言ったことを、人の中へ投げ返さない。聞く場所で聞き、決める場所で決める。それだけです」
六嗣が木札を見た。
「なら、札が要ります」
五風が嫌そうに言う。
「また彫るのか」
「要る」
六嗣は迷わず答えた。
「何と刻む」
信玄が一鶴を見る。
一鶴は少し考えた。
「聞け」
五風が顔を上げる。
「守れ、の次が聞け?」
「守るには、先に聞く必要があります」
一鶴は淡々と言った。
「聞かずに決めれば、恨みが残ります。聞くだけで決めなければ、争いが残ります。だから、聞いて、分けて、決める」
勘助は地図の上に新しい線を引いた。
下手と、空き地の間に一本。
人が休む場所と、責を負う場所を分ける線。
「境か」
信玄はその線を見た。
「よい」
六嗣は新しい札を取り、小刀を当てた。
聞け。
木を削る音が響く。
こん。
こん。
こん。
四糸乃は記した。
龍地。
下手より東南東へ二町ほど、広き空き地あり。
人を預かり、荷を見、争いを聞く場所と定む。
責を置く。
休む者と争う者を分ける境を立てる。
一鶴、その役を預かる。
一鶴は深く頭を下げた。
「預かります」
信玄は言った。
「逃げるな」
「逃げません」
「恨まれるぞ」
「承知しています」
五風がぽつりと言った。
「やっぱり面倒なやつだ」
一鶴は初めて、少しだけ笑った。
「面倒だから、誰かがやる」
その言葉に、樹玄は耳を澄ませた。
水ではない。
荷でもない。
人の声でもない。
境が、土地に置かれる音だった。
まだ屋敷はない。
門もない。
名もない。
けれど龍地には、その日から、休む場所と、責を負う場所を分ける線が生まれた。
後の者がそこを何と呼ぶのかは、まだ誰も知らない。
ただ、一鶴はその札の前に立ち続けた。
守れ。
聞け。
龍地はまたひとつ、人の流れを覚えた。
【後書き】
今回のまとめ:
・責を置く場所に、さらに「聞け」の札が置かれる
・休む場所と、争いを聞く場所を分ける境が作られる
・一鶴が登場し、責を預かる役を担う
作者ノート:
今回は、現代の一樹へつながる役として、一鶴を登場させました。
五風が人の流れを読み、六嗣が言葉を残すなら、一鶴は境を作り、場を整える者。
下宿の隣に置かれた責の場所が、少しずつ後の大屋敷へ近づいていきます。
キーワード:
龍地/下宿/大屋敷跡/一鶴/五風/六嗣/武田信玄/山本勘助/責を負う者




