第二十五話「畑の匂いはおやつの匂い」
夏の風が、畑を揺らしていた。
森口家の裏に広がる畑は、季節ごとに色を変える。
夏は、トマト、なす、きゅうり、とうもろこし、すいか。
秋になれば、さつまいも、栗、柿。
もっと奥には、ぶどう、みかん、甘夏、キウイフルーツ。
三樹にとって、その匂いは昔も今も変わらない。
土の匂い。
草の匂い。
夏野菜の青い匂い。
それは、「腹が減る匂い」だった。
縁側へ入ってきた土と草の匂いに、一樹はふと目を細める。
その匂いを嗅ぐと、思い出す。
まだ六つ子が小学生だった頃のことを。
「おやつだよー!」
葉月の声が、家の奥まで響いた。
その瞬間。
「行く!」
三樹が立ち上がる。
「まだ途中」
宿題を見ていた一樹が言った。
「おやつは待ってくれない!」
「ばあちゃん待ってくれるだろ」
「でも早い者勝ちの可能性ある!」
「ない」
四葉がみどり豆をぽり、と噛みながら言った。
居間には、宿題が広がっていた。
教科書。
ノート。
鉛筆。
消しゴム。
そして、なぜか三樹の机の上には途中まで食べたきゅうり。
「三樹、それいつ取ったの」
二葉が言う。
「さっき」
「宿題中に畑行ったの?」
「腹減った」
当然のような顔だった。
五樹が笑う。
「二葉、諦めなって。三樹にとって畑はコンビニだから」
「冷蔵庫より近い」
四葉が言う。
「やめろ、その言い方」
一樹が頭を押さえた。
六樹は静かにノートへ書き込んでいる。
「六樹、終わった?」
二葉が聞く。
「もう終わる」
「早」
三樹が言う。
「なんでそんな早いの」
「先にやってるから」
「ずるい!」
「普通」
六樹は真顔だった。
その横で、豆が寝ている。
菊は六樹の足元で丸くなっていた。
「三樹ー!」
葉月の声がまた飛んだ。
「じいちゃん呼んできてー!」
「はーい!」
三樹が一瞬で立ち上がる。
「早」
五樹が笑う。
「おやつ関係だけ機動力高い」
三樹は廊下を走っていった。
「じいちゃーん!おやつー!」
奥から、樹蔵の声が返る。
「今行くー!」
一樹が呟いた。
「じいちゃんまでテンション上がるのなんなんだ」
「葉月ばあちゃんのおやつだから」
四葉がぽり、とみどり豆を噛む。
「逆らえない」
「森口家の絶対権力」
五樹が言った。
「それは母さんじゃない?」
二葉が苦笑する。
その時。
台所の方から声が飛んだ。
「二葉ー、お父さんとお母さんにも声かけてー!」
「はーい!」
二葉が立ち上がる。
当然のように、五樹も立ち上がった。
「俺も行く」
「一人で平気」
「知ってる。でも一緒に行く」
二葉が少し笑う。
「じゃあ、お茶運ぶの手伝って」
「了解」
五樹は自然に急須を持った。
一樹は、その様子を見ながら思う。
昔からこうだ。
二葉が動く。
五樹が横にいる。
それが当たり前。
二葉は台所へ向かった。
大きな盆。
湯呑み。
急須。
漬物。
冷やしトマト。
もろきゅう。
祖母が育てている糠床でつくった糠漬け。
今日のおやつは、夏仕様だった。
氷水で冷やされたトマトが、きらきらしている。
「うまそー!」
戻ってきた三樹が言った。
「手洗った?」
二葉が即座に言う。
「……まだ」
「洗ってきて」
「えー」
「三樹」
「行きます」
一樹が名前を呼ぶだけで、三樹は方向転換した。
五樹が笑う。
「ちゃんと学習してる」
「してない」
四葉が即答した。
六樹が静かに言う。
「条件反射」
「犬みたいに言うな」
廊下の向こうから、樹蔵がやってくる。
「おお、今日はトマトか」
嬉しそうだった。
その後ろから、葉澄と樹臣も来る。
葉澄は仕事中だったらしく、まだ眼鏡をかけていた。
「休憩大事」
葉月が言う。
「仕事は逃げないけど、休まないと人が逃げるよ」
「名言っぽい」
五樹が言う。
「実際そうだぞ」
樹臣が真顔で頷いた。
みんなが座る。
縁側から風が入る。
畑の匂いがする。
土。
草。
夏野菜。
水。
三樹がトマトをかじった。
「うまっ」
「さっき畑で食べてたでしょ」
二葉が言う。
「違う。これはちゃんと冷えてる」
「三樹って本当に食べ物に全力だよね」
四葉がぽり、とみどり豆を噛む。
「生きることに全力」
五樹が言った。
「三樹、絶対野生で生きていける」
「いける!」
「即答」
一樹が笑いそうになる。
葉月は、そんな六つ子を見ながら、お茶を注いでいた。
「いっぱい食べな」
柔らかい声だった。
昔から変わらない。
六つ子にとって、葉月のおやつは、ただの食事じゃない。
「帰ってきた」
そう思える時間だった。
葉月が言った。
「今日は焼き芋もあるよ」
「マジ!?」
三樹が立ち上がりかけた。
「座れ」
一樹が言う。
「まだ配られてない」
「早い者勝ちじゃないの!?」
「違う」
みんなが笑った。
縁側の向こうで、夏の風が畑を揺らしていた。
三樹にとって、畑の匂いは食べ物の匂いだ。
そして森口家にとって、この匂いは、「帰る場所」の匂いだった。
――だから今でも、一樹は思う。
どれだけ土地が動いても。
どれだけ黒が流れても。
自分たちが戻る場所は、ずっとここなのだと。
縁側へ吹き込んだ夏の風が、静かに畳を揺らした。
一樹は、少しだけ笑った。
「……腹減ったな」
台所の方から、二葉の声が飛ぶ。
「一樹ー! 三樹が焼き芋勝手に食べようとしてる!」
「やっぱりか」
現在へ戻った瞬間、一樹は立ち上がった。




