表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
森口家の六つ子は、神様の後始末係です —龍神さまからのご指名—  作者: 織村蜜柑


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/51

第二十三話「ほうとうの湯気」

家に帰れば、台所に湯気が立っている。

一樹は、昔からその匂いを知っていた。


煮干しの出汁。

味噌の香り。

かぼちゃと根菜が煮える、甘くて重い匂い。


森口家の台所は、外の空気と違う。

会議室のように、資料が並ぶわけではない。

誰かが順番に発言するわけでもない。

議題も、結論も、決裁もない。

けれど、そこにはいつも流れがあった。


湯気が立つ。

誰かが手を洗う。

誰かが器を出す。

誰かが箸を並べる。

誰かが勝手に味見をしようとして怒られる。

そうやって、森口家は回ってきた。


一樹がそのことをはっきり思い出したのは、帰り道で祖母のことを考えたからだった。


――今日は、ほうとうを作るよ。

祖母の声が、頭の奥で響いた。

小学生の頃だった。


雨の日で、外に出られなかった。

庭の土は濡れていて、軒下から水が細く落ちていた。

三樹はそれでも外へ行こうとして、二葉に首根っこを掴まれていた。


「三樹、外だめ」

「ちょっとだけ」

「ちょっとで済まないでしょ」

「済む」

「済んだことない」

二葉が言い切る。

五樹はその横で笑っていた。

二葉の少し後ろ。いつもの位置だった。

「三樹、今日は無理だって。二葉が行かないって言ってる」

「二葉が行かないなら、俺だけ行く」

「それがだめって話」


一樹は、玄関のところで三人を見ていた。

当時から三樹は動きたがりで、二葉は止める側だった。

ただし、二葉も本当は外へ出たい顔をしている。

一樹にはそれも分かっていた。

四葉は座敷で本を広げていた。

雨の日は外へ出ないと、最初から決めている顔だった。

六樹は窓際で、雨粒がどこを伝って落ちるかを見ていた。

時々、何かを小さく呟いている。

「雨樋から落ちる位置がずれてる」

「六樹、今それ見なくていい」

一樹が言うと、六樹は振り返った。

「後で詰まる」

「後で父さんに言う」

「忘れる」

「忘れない」

「一樹は、みんなのこと見てると忘れる」

痛いところを突かれて、一樹は黙った。


その時、台所から祖母が顔を出した。

「みんな、手を洗っておいで」

三樹がぱっと顔を上げる。

「おやつ?」

「違うよ」

「じゃあ何?」

祖母は笑った。

「今日は、ほうとうを作るよ」

その一言で、三樹の顔が明るくなった。

「食べる係やる!」

「作る係だってば」

二葉が即座に言う。

「食べるのも大事」

「それは最後」

五樹が、二葉の横で三樹を見た。

「三樹、先に手洗い」

「分かってる」

「分かってるって言う時、だいたい分かってない」

「分かってるって」

「ほら、まだ行ってない」


三樹はようやく洗面所へ走っていった。

「走らない!」

二葉が叫ぶ。

一樹はその時点で、すでに少し疲れていた。


台所の大きなテーブルには、新聞紙が広げられていた。

その上に、古い製麺機が置かれている。

緑色の鉄の脚。

黒い歯車。

木の取っ手。

粉をまとった木の台。

小さな頃の一樹には、それが妙に立派な道具に見えた。

祖母が使う時だけ、台所が少しだけ特別な場所になる。


「これ、何」

六樹が製麺機を覗き込んだ。

「麺を伸ばす機械だよ」

祖母が言う。

「手で伸ばさないの」

「手でも伸ばせるけど、今日はこれを使おうね」

六樹は歯車をじっと見た。

「回す力が、ここに伝わって、ローラーが回る」

「六樹、触るなら手を洗ってから」

二葉が言う。

六樹は無言で手を引っ込めた。

「ちゃんと洗った」

「じゃあいい」

二葉は自分も手を拭きながら、祖母の横に立った。

「何すればいい?」

「二葉は、麺がくっつかないように粉を振ってね」

「うん」

「一樹は、こっちを押さえて」

「分かった」

「三樹は、ゆっくり回す係」

「おう!」

祖母は三樹を見た。

「ゆっくりだよ」

「分かってる!」

「ゆっくり」

「分かってるって!」

一樹は、嫌な予感がした。


祖母が寝かせておいた生地を取り出す。

白くて、やわらかくて、けれど手に取ると重そうな塊だった。

小麦粉と水と塩。

それだけに近いものが、手でこねられ、寝かされると、まるで別のものになる。

祖母は生地を平たく整えて、製麺機の口へ入れた。

「じゃあ、三樹」

「いくぞ!」

「ゆっくり」

「分かってる!」

三樹が取っ手を回した。


ぎこ、ぎこ、と歯車が動く。

生地がローラーに吸い込まれて、少しずつ平たく伸びていく。

最初はよかった。

けれど、三樹の手はすぐに速くなった。

「三樹、速い」

二葉が言う。

「出てきた!」

「出てきたじゃなくて、速い」

「おお、麺!」

「三樹!」

祖母が笑いながら手を添えた。

「速すぎると、生地が驚くよ」

「生地って驚くの?」

三樹が本気で聞く。

「驚くよ。急に引っ張られたら、人も生地も嫌でしょう」

三樹は少し考えた。

「俺は平気」

「三樹基準にしない」

二葉が言った。

五樹が、落ちてくる麺をそっと受ける。

「二葉、これどこ置く?」

「こっち。重ならないように」

「了解」

五樹は、二葉に言われた通りに麺を置いていく。


幅は揃っている。

製麺機から出てくる麺は、きちんと同じ幅の帯になっていた。

けれど、長さは少しずつ違う。

端が少しよれたものもあれば、粉をまとって白くなったものもある。

五樹が粉の上に並べると、それはちゃんとほうとうに見えた。

四葉が横から覗いた。

「長さが違う」

「家のほうとうは、それでいいの」

祖母が言う。

「鍋に入れば、みんな同じだよ」

四葉は少し不満そうだったが、何も言わなかった。


六樹は、出てくる麺と歯車を交互に見ていた。

「力を入れすぎると、歪む」

「難しく言うな」

三樹が言う。

「事実」

「麺は食えればいい」

「三樹はそう」

「なんだよ」

二葉が、粉を振りながら言った。

「でも、力を入れすぎるとだめなのは本当だよ。ほら、ここ伸びすぎてる」

「俺のせい?」

「三樹のせい」

「まじか」

三樹は、少しだけ取っ手をゆっくり回した。

一樹は製麺機の台を押さえながら、それを見ていた。


祖母の手。

二葉の指。

五樹が麺を受ける仕草。

三樹の勢い。

四葉の眉間。

六樹の目。

六人とも、同じものを作っているのに、見ている場所が違う。

でも、ひとつの麺になっていく。


祖母は、そんな六人を見ながら言った。

「水も、粉も、力任せじゃだめだよ」

一樹は顔を上げた。

「こねる時も、伸ばす時も、待つ時も、ちゃんと頃合いがある」

祖母の声は、いつも通り柔らかかった。

でも、その言葉だけは妙に耳に残った。

「急がせすぎると、硬くなる。放っておきすぎると、だれる。ちゃんと見て、手を入れて、待つところは待つ」

三樹が首を傾げる。

「ほうとうの話?」

「ほうとうの話」

祖母は笑った。

「でも、ほうとうだけじゃないね」

その時の一樹には、意味がよく分からなかった。

ただ、祖母がそう言うなら、たぶんそうなのだろうと思った。


麺ができると、祖母は大きな鍋を火にかけた。

森口家に昔からある、重い鍋だった。

六人分どころか、家族全員分をまとめて煮込める大きさで、湯気が立つと台所全体が白くなる。

鍋の底では、煮干しの出汁が静かに揺れていた。

「にぼし」

六樹が言う。

「そう。うちのほうとうは煮干し」

祖母が味噌を取り出す。

木の樽からすくった手作り合わせ味噌だった。

市販のものより色が濃く、香りが強い。

「これ、ばあちゃんの味噌?」

二葉が聞く。

「そうだよ。今年のは、少し麦麹が多め」

「こっちは?」

四葉が覗く。

「米麹も入ってる。麦麹と米麹、それからうちの大豆」

「大豆も?」

一樹が聞くと、祖母は頷いた。

「庭で乾かしたでしょう」

その言葉で、一樹は別の記憶を思い出した。


秋の終わり。

森口家の庭に、青いブルーシートが広げられていた。

その上に、大豆の鞘が山のように置かれている。

乾いた鞘は、触るとかさかさと音を立てた。

三樹はすぐにその山へ手を突っ込んだ。

「豆、いっぱい!」

「遊ばない」

二葉が言う。

「遊んでない。取ってる」

「今、投げようとした」

「してない」

「手が投げる形だった」

五樹が横で笑う。

「二葉、三樹の動き読むの早いね」

「読まなくても分かる」

四葉は、大豆の大きさを見て分けていた。

「これ、割れてる」

「それはこっち」

二葉が指示する。

六樹は鞘を割りながら、乾き具合を確かめていた。

「まだ水分が残ってる」

「もう乾いてるだろ」

三樹が言う。

「中が違う」

「豆の気持ち分かるのか」

「状態を見てる」

一樹は、殻と豆を分ける籠を持ちながら、全員の動きを見ていた。

祖母は縁側で笑っていた。


「味噌はね、急いで作るものじゃないよ」

祖母が言った。

「豆を育てて、乾かして、煮て、潰して、麹と混ぜて、樽に仕込む。それから待つ」

「待つの長い?」

三樹が聞く。

「長い」

「じゃあ今日食べられないのか」

「今日の味噌は、前に仕込んだもの」

三樹は真剣に考えた。

「味噌、先に作っとくの大事だな」

「三樹にしては正しい」

四葉が言う。

「してはって何だよ」

祖母は、乾いた大豆を手に乗せた。

「家の味は、今日だけでできるものじゃないんだよ」

一樹は、その言葉も覚えている。


味噌を作る日は、かまどに火が入った。

大きな釜で大豆を茹でる。

湯気が上がる。

豆の甘い匂いが庭の方まで流れてくる。

祖母は茹でた大豆を少し冷まして、古い機械にかけた。

昭和の頃から家にあるという、大豆を潰すための機械だった。

ハンドルを回すと、柔らかくなった大豆が潰れて出てくる。


いつも通り、三樹が回したがった。

「俺、回す」

「今度はゆっくり」

二葉が先に言う。

「分かってる」

五樹が二葉の横で言った。

「三樹の分かってる、信用できないやつ」

「なんでだよ」

六樹は機械を見ていた。

「力を均等にしないと、詰まる」

「六樹、そればっかり」

「事実」

四葉は潰れた大豆を見て、少しだけ眉を寄せた。

「見た目はあまりよくない」

「味噌になると美味しいよ」

祖母が言う。

「見た目じゃ分からないものもあるの」


その時も、一樹は祖母の言葉を聞いていた。

見た目では分からない。

待たないと分からない。

仕込んだ時には、まだ完成ではない。

森口家には、そういうものがたくさんあった。


台所の鍋に、祖母が味噌を溶く。

煮干しの出汁に、味噌の香りが広がる。

かぼちゃ。

里芋。

にんじん。

ごぼう。

ねぎ。

きのこ。

野菜が大きめに切られて、鍋に入っていく。

三樹が横から覗いた。

「肉は?」

「今日は豚肉も少し入れるよ」

「少し?」

「三樹、ほうとうは肉だけ食べるものじゃない」

二葉が言う。

「分かってる」

「分かってない顔」

五樹が笑った。

祖母は、最後に手作りの麺を鍋へ入れた。

太さの違う麺が、味噌の湯気の中へ沈んでいく。

三樹が勢いよく回したせいで伸びすぎた麺も、二葉が粉を振りすぎた麺も、五樹が丁寧に並べた麺も、四葉が幅を気にしていた麺も、六樹が観察していた麺も、全部同じ鍋に入った。


祖母が言った。

「形が違っても、鍋に入れば一緒」

三樹が頷く。

「食えれば一緒」

「そういう意味だけじゃない」

二葉が言う。

「でも、まあ、そういうことでもあるね」

祖母が笑った。


一樹は、湯気の向こうで祖母を見る。

その時はただ、早く食べたいと思っていた。

でも今なら、少し分かる。

形が違う。

太さも違う。

見ている場所も違う。

動き方も、考え方も、まるで違う。

それでも、同じ鍋に入る。

同じ湯気の中で煮込まれる。

同じ食卓に並ぶ。

それが、家なのだと思う。


「一樹」

祖母の声がして、一樹ははっとした。

いつの間にか、記憶の中の自分ではなく、今の自分に戻っていた。


森口家の台所には、本当に湯気が立っていた。

帰ってきた一樹たちを迎えたのは、煮干しの出汁と味噌の匂いだった。

大きな鍋が火にかかり、湯気が白く上がっている。


「おかえり」

祖母が言った。

「ばあちゃん」

一樹は少しだけ驚いた。

「ほうとう?」

「そうだよ」

祖母は当たり前のように頷く。

「一樹、今日は疲れた顔をしているからね」

その一言で、一樹は何も言えなくなった。


祖父が、少しだけ得意げに言う。

「葉月は何でも分かる」

「樹蔵さんは、お豆腐を買ってきた?」

祖母が尋ねる。

祖父は黙って袋を差し出した。

「よろしい」

父は信玄餅の袋を持っていた。

母が奥から顔を出す。

「買ってきた?」

「買ってきました」

父の声は、会議室でのものよりずっと弱い。

母は満足そうに頷いた。

「よろしい」

一樹はそれを見て、今日何度目か分からないため息をついた。


やっぱり森口家は女性が強い。

台所には、すでに六つ子がいた。

三樹は鍋の前で待機している。

「もう食える?」

「まだ」

二葉が言う。

「さっきも聞いた」

「だって匂いがする」

「匂いはするもの」

五樹は二葉の横で器を出していた。

「二葉、これ人数分?」

「じいちゃんたちの分も出して」

「了解」

四葉はテーブルの端で牛乳プリンを確保していた。

「これは私の」

「食後な」

一樹が言う。

「分かってる」

その言い方は、あまり分かっていなさそうだった。

六樹は鍋を見ながら、ぽつりと言った。

「味噌の香りが前と違う」

祖母が振り返る。

「分かる?」

「少し麦麹が強い」

祖母は嬉しそうに笑った。

「さすが六樹」

六樹は少しだけ視線を逸らした。

五樹が小さく笑う。

「六樹、褒められてる」

「うるさい」

「照れてる」

「違う」

二葉が器を並べながら、一樹を見る。

「疲れた?」

「まあまあ」

「顔に出てる」

「出てる?」

「出てる」

五樹が横から言う。

「一樹、今日は信玄堤と森口家の流儀を浴びてきた顔してる」

「お前、なんで分かるんだよ」

「空気」

「怖いな」

「褒め言葉として受け取る」


三樹が鍋を覗き込む。

「信玄って、ほうとう作った人だろ?」

一樹がぴくりと反応した。

「作った、というより、陣中食にしたって言われてる」

「あ、始まった」

四葉が言った。

一樹は構わず続ける。

「小麦粉を練って、野菜と一緒に煮込む。腹にたまる。体が温まる。大勢に食わせられる。戦の時にも理にかなってる」

「一樹」

二葉が言う。

「何」

「顔が本気」

「本気だよ」


一樹は鍋を見た。

湯気が上がる。

味噌の香りがする。

家族が集まっている。

「人を動かすには、まず食わせないといけない」

一樹は言った。

「土地を守るにも、家を守るにも、腹が減ってたら話にならない」

三樹が力強く頷いた。

「それはそう」

「三樹は黙って」

二葉が言う。


一樹は、湯気の向こうを見る。

信玄堤。

水を押さえ込まず、流れを分ける考え方。

人が生きるために、道を作る思想。

そして、ほうとう。

粉を練り、待ち、伸ばし、切り、煮る。

家族全員分を、大きな鍋で作る。

どちらも、人を残すためのものだ。


「武田信玄って」

一樹は、ぽつりと言った。

「神だよなぁ」

台所が静かになった。


二葉がゆっくり一樹を見る。

「一樹」

「何」

「神って言うなって、いつも言ってるの誰?」

五樹が即座に乗る。

「これは重大発言だね」

四葉も頷く。

「記録対象」

六樹が静かに言った。

「音声記録はしてない」

「するな」

一樹が言う。

三樹は真剣な顔で聞いた。

「信玄って神なのか?」

「信玄公は別」

一樹は真顔で答えた。

「別なんだ」

五樹が笑う。

「一樹の中で例外処理入った」

六樹が小さく言う。

「条件分岐が雑」

「うるさい」

二葉は呆れたように息を吐いた。

「でも、まあ」

「何」

「一樹がそう言いたくなるのは、ちょっと分かる」

一樹は二葉を見た。

二葉は鍋の湯気を見ていた。

「ちゃんと食べさせるって、大事だから」

その言葉に、一樹は少しだけ黙った。


二葉は、いつもそういうところを見ている。

誰が疲れているか。

誰が食べていないか。

誰が無理をしているか。

そして、何も言わずに器を出す。

五樹が二葉の横で、自然に箸を並べている。

三樹は食べる準備だけは誰より早い。

四葉は牛乳プリンを守りながら席につく。

六樹は湯気の温度を見ている。

祖母は鍋の前に立ち、母は足りない皿を出し、父は信玄餅を安全な場所に置き、祖父は豆腐を冷蔵庫に入れている。

一樹は、その光景を見た。


会議室で見た流儀。

水を止めず、流れを読むこと。

人を無理に動かさず、道を作ること。

そして、台所にある流儀。

食べさせること。

待つこと。

仕込むこと。

家に帰った者を、湯気で迎えること。

どちらも、森口家だった。


「一樹」

祖母が呼ぶ。

「座りなさい。ほうとう、できたよ」

器によそわれたほうとうは、熱そうだった。

太い麺。

かぼちゃ。

根菜。

味噌の湯気。

三樹が手を合わせる。

「いただきます!」

「まだ全員座ってない」

二葉が言う。

「座った!」

「じいちゃんがまだ」

「樹蔵さん、早く」

祖母が言うと、祖父は素直に席についた。

五樹が小さく笑う。

「森口家の流儀だね」

一樹は、箸を持ちながら言った。

「流れに逆らわないことか」

父が頷く。

「特に女性陣には」

母が父を見る。

「何か言った?」

「何も」

一樹は笑った。

そして、ほうとうを口に運ぶ。

熱い。

味噌が濃い。

煮干しの出汁が奥にある。

麺は少し不揃いで、野菜は大きい。

それが、森口家の味だった。


一樹は、湯気の向こうで祖母を見る。

小学生の頃と同じように、祖母は鍋のそばにいた。

少し年を取って、手の皺も増えた。

けれど、その手は今も家の味を作っている。

「ばあちゃん」

「何?」

「うまい」

祖母は笑った。

「よかった」

三樹が大きく頷く。

「肉もっと入れてもいい」

「三樹」

二葉が睨む。

「いや、うまいから」

「褒め方が雑」

五樹が笑い、四葉が静かに食べ、六樹が味噌の違いをまだ考えている。

一樹は、もう一口食べた。

森口家が受け継いできたものは、重い。

水の記憶も、黒の流れも、これからもっと深くなる。

けれど、その重さを支えているのは、きっとこういう湯気なのだ。


家に帰れば、飯がある。

誰かが待っている。

誰かが食べろと言う。

誰かが勝手に肉を増やそうとする。

その全部があるから、外で立てる。

一樹は、器を持つ手に少し力を入れた。

森口家の流儀は、会議室にもある。

水の前にもある。

けれど、台所にもある。

煮干しの出汁と、手作り味噌と、不揃いなほうとう麺の湯気の中に。

確かに、そこにあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ