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森口家の六つ子は、神様の後始末係です —龍神さまからのご指名—  作者: 織村蜜柑


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第十七話「水筋会議」

五樹と六樹のオフィスは、森口家とは少し違う匂いがした。

木の匂いではない。

土の匂いでもない。

古い紙や神具の匂いでもない。

金属。

ガラス。

革張りの椅子。

温度管理された空気。

壁際には大きなモニターが二枚。

中央には打ち合わせ用の長いテーブル。

奥には、六樹がこだわって作った紅茶用の小さなカウンターがある。

インダストリアル調の空間に、なぜか紅茶ラボがある。

それが、五樹と六樹の会社だった。


「では、現状のシステムをそのまま拡張した場合、どれくらいの期間で対応できますか」

画面越しのクライアントが尋ねる。

六樹はノートパソコンから目を離さず、短く答えた。

「そのままでは無理です」

相手の顔が固まる。

五樹は、その瞬間だけ小さく笑った。

「六樹の言い方だと少し強いんですけど」

隣で六樹が視線だけを動かす。

五樹は気にしない。

「今の構成のまま機能だけ増やすと、短期的には動きます。ただ、あとで仕様変更が入った時にかなり詰まります」

クライアントは少しだけ姿勢を戻した。

「つまり、作れないわけではない?」

六樹が即答する。

「作れます。壊れやすい」

五樹が続ける。

「はい。作ること自体は可能です。ただ、“急いで作る”と“あとで変更しやすくする”を両方取りたいなら、先に決めておく条件があります」

「条件?」

「三つあります」

五樹が言うと、六樹がすぐに画面を切り替えた。

三つの項目が表示される。

入力データの分類。

権限設定の範囲。

運用側で変更できる項目と、開発側で管理する項目の切り分け。

六樹は淡々と説明した。

「ここが曖昧だと、後でデータが混ざります」

「混ざる?」

「誰が何を変更したか追えなくなる」

五樹がすぐに言い換える。

「たとえば、現場側で自由に変更できるようにしすぎると、便利にはなります。でも、あとで不具合が出た時に、原因がシステムなのか、設定変更なのか、入力ミスなのか分からなくなります」

クライアントが頷く。

「なるほど」

六樹が続ける。

「記録が残らない運用は危険」

五樹が笑う。

「六樹は“危険”って言いましたけど、要するに、あとで安心して原因確認できる仕組みを最初から入れましょう、という話です」

「分かりやすいです」

六樹は何も言わない。

けれど、隣で五樹には分かる。

今の説明で合っている。

そういう沈黙だった。

打ち合わせは、その後二十分ほど続いた。

六樹は必要なことだけを言う。

余計な慰めはない。

曖昧なものは曖昧と言う。

危ないものは危ないと言う。

そのたびに、五樹が間に入る。

「今のは、否定ではなくて確認ですね」

「ここを決めれば前に進めます」

「六樹が気にしているのは、後から運用担当の方が困らないかどうかです」

「この仕様なら、現場の自由度を残しつつ、ログも取れます」

クライアントの表情が、少しずつほぐれていく。

最後に、相手は笑った。

「今日の内容で社内確認します。次回までに、権限範囲の希望を整理しておきます」

五樹が頷く。

「ありがとうございます。こちらも、今日の前提で二案出します。スピード優先案と、変更耐性重視案ですね」

「お願いします」

通話が切れた。

画面が暗くなる。


五樹は椅子の背にもたれた。

「お疲れ」

六樹はキーボードに手を置いたまま言った。

「五樹がいないと、十五分で終わっていた」

「それ、俺が長引かせたみたいに聞こえるんだけど」

「実際、長くなった」

「必要な長さね」

「うん」

六樹は短く頷く。

「相手が納得した」

五樹は少しだけ笑った。

「六樹だけだったら、たぶん“無理です”“危険です”“仕様が曖昧です”で終わってたよ」

「間違ってない」

「間違ってないけど、相手が泣く」

「大人は泣かない」

「泣かないけど、心が折れる」

六樹は少しだけ考えた。

「五樹は、相手がどこで折れるか分かる」

「まあ、なんとなく」

「僕には分からない」

「六樹は、何が壊れるか分かるでしょ」

五樹は机の上の資料をまとめた。

「俺は、人がどこで詰まるか見る。六樹は、仕組みがどこで詰まるか見る。役割分担」

六樹は、少しだけ五樹を見た。

「それでいい」

「でしょ」

五樹は軽く笑った。

「紅茶淹れる?」

六樹の反応は早かった。

「淹れる」

「即答」

「今日はニルギリ」

「はいはい。温度は?」

「九十五度」

「了解」

五樹は紅茶カウンターに向かった。


六樹はその間に、別の画面を開いていた。

紅茶用の湯が沸く音がする。

五樹は振り返る。

「また水筋?」

「うん」

画面には、地図が表示されていた。

竜地の大溜井。

大屋敷跡。

森口神社。

身曾岐神社。

昇仙峡。

金櫻神社。

武蔵御嶽神社。

それから、まだ薄い線で置かれただけの楯無堰。


五樹はカップを二つ用意した。

「仕事終わった瞬間にそれ見るの、六樹らしいね」

「見ない方が落ち着かない」

「分からないものがあるから?」

六樹の指が止まる。

「うん」

五樹は、茶葉を量りながら言う。

「分からないものが怖いから、記録する」

六樹は画面を見たまま、小さく頷いた。

「記録すれば、少なくとも形が残る」

「名前がつく?」

「名前は慎重に」

「じいちゃんに言われたもんね。簡単に名をつけるな」

「うん」


六樹は、地図上の線を拡大した。

「大屋敷跡で見た線。あれは楯無堰そのものじゃない」

「大溜井からの用水路の記憶?」

「そう」

六樹は、画面上で大溜井から南へ伸びる細い線をなぞった。

「大溜井から分かれて、南へ流れるはずだった水の記憶」

五樹は湯を注ぎながら、画面を見る。

「でも、上流側を辿ると楯無堰に戻る」

「うん」

「じゃあ、今日のクライアントと同じだ」

六樹が顔を上げる。

「何が」

「下流で詰まってるように見えて、前提は上流にある」

六樹は、少しだけ瞬きをした。

それから、短く言った。

「合ってる」

「だよね」

五樹は少し満足そうに笑った。

「つまり、今夜は会議だね」

「うん」

「森口家で?」

「うん」

「三樹、夜食食べるね」

「肉まん」

「予測済み?」

「冷凍庫にあった」

「六樹、三樹の燃費まで管理し始めた?」

「会議中に空腹で騒がれると効率が落ちる」

「正しい」

五樹は紅茶を六樹の前に置いた。

「じゃあ、帰ろっか」

六樹はカップを手に取る。

「紅茶を飲んでから」

「はいはい」


五樹は自分のカップを持ち、地図をもう一度見た。

大溜井。

大屋敷跡。

水守家。

楯無堰。

信玄堤。

見えている線は、まだ細い。

けれど、少しずつ繋がり始めている。


その夜、森口家の居間には、Apple TVで地図が映し出されていた。

卓袱台には資料。

ノート。

古い写真のコピー。

六樹のiPad。

四葉の手書きメモ。

一樹が出してきた古い地図。

そして、三樹の前には湯気の立つ肉まんが二つ置かれている。

「二つ?」

三樹が不満そうに言った。

二葉が即答する。

「会議中だから二つ」

「俺、会議すると腹減る」

「してなくても減るでしょ」

「まあな」

五樹が笑う。

「認めるんだ」

「事実だからな」

六樹が言う。

「三樹が事実を使った」

「俺だって使うわ」

四葉は、座布団の上でみどり豆の袋を横に置いていた。

「今日は食べないのか?」

一樹が聞く。

四葉は真顔で答える。

「重要会議だから」

「境内でも、会議でも我慢できるんだな」

「常識はある」

五樹が小さく言う。

「普段から出して」

「必要な時だけでいい」

「省エネ」

六樹が地図を映した。

「始める」


一樹は腕を組んで座る。

甚平姿ではない。

外向きの好青年でもない。

森口家の中の一樹。

六つ子のお父さんポジションであり、次期神主としての顔も少し混ざっている。

「まず、大屋敷跡だ」

一樹が言う。

「そこで見えた線と、大溜井からの水の流れを整理する」

六樹が画面を拡大する。


大屋敷跡。

草と石垣と埋もれた井戸跡。

水が届かなかった場所。

水を受けようとした場所。

「大屋敷跡は、大溜井より南側」

六樹が言う。

「地形としては、北が高く、南が低い」

五樹が続ける。

「だから、大屋敷跡で反応した線は、楯無堰そのものじゃない」

六樹が頷く。

「大溜井から南へ流れる用水路の記憶に近い」

三樹が肉まんを割りながら言った。

「つまり、大溜井から出た水の先?」

「雑だが、大きく外れてはいない」

「よし」

「褒めてはいない」

「でも合ってる」

六樹は画面に線を引く。

「大溜井は受ける場所。そこから先へ水を送る用水の記憶がある。大屋敷跡は、その末端側にある可能性が高い」

四葉がノートを見る。

「水守家」

二葉が顔を上げる。

「水を受ける家」

「うん」

四葉は続ける。

「蔵で見つけた木札に、水を受ける紋があった」

六樹が、画面に写真を映す。

古い木札。

水を受けるような、丸い輪と流れる線の紋。

「大屋敷跡の石垣に残っていた紋と、形が近い」

四葉は、画面を見たまま言った。

「でも、森口家の紋じゃない」

一樹が頷く。

「森口家は道を作る。水守家は水を受ける」

「役目が違う」

六樹が記録する。

「道を作る家。水を受ける家」

三樹が肉まんを食べながら言う。

「じゃあ、森口家が道路工事で、水守家が貯水槽?」

全員が三樹を見る。

三樹は肉まんを持ったまま固まった。

「違う?」

六樹が少しだけ考える。

「雑だが、概念としては近い」

三樹の顔が明るくなる。

「ほら!」

一樹が言う。

「ただし、雑すぎる」

「そこはいいだろ」

五樹が笑った。

「三樹の例え、意外と使える時あるよね」

「意外とって何だ」

二葉が頷く。

「分かりやすい時はある」

「二葉が褒めた」

「使える時は、だよ」

「十分」

三樹は満足そうに肉まんを食べた。


六樹は、次の地図を出す。

「楯無堰」

画面の線が北側へ伸びる。

「楯無堰は大溜井より北側。水を引くための道」

一樹が目を細める。

「届かなかった場所へ水を届けるために作られた道」

四葉が言う。

「人が作った水の道」

二葉は小さく呟く。

「道を作れば、流れる」


樹蔵の言葉が、そこに重なる。

水は、止めれば腐る。

暴れれば壊す。

だが、道を作れば流れる。

森口家は、道を作る。


五樹が二葉の横を見る。

「二葉」

「大丈夫」

「今のは信用度七十」

「微妙」

「顔が少し遠かった」

「また顔」

「うん」


一樹が咳払いをした。

「続けるぞ」

六樹は、楯無堰の線を大溜井へつなげた。

「大溜井で黒を流した時に呼んだ名前がある」

「楯無堰、宗貞堰、立石堰」

四葉が続ける。

「それは、大溜井へ水を届ける道の名前」

六樹が頷いた。

「でも、大屋敷跡で反応した線は、その名前そのものじゃない」

「その先?」

二葉が聞く。

「うん。大溜井から分かれて、南へ流れるはずだった末端の用水の記憶」

一樹が腕を組む。

「つまり、上流側に楯無堰。受け皿として大溜井。さらにその先に水守家や大屋敷跡の記憶がある」

六樹が頷いた。

「仮説としては整合する」


四葉が地図を見たまま、ぽつりと言った。

「この線、中学のマラソン大会のコースに近い」

三樹が顔を上げた。

「あー、俺が一位だったやつ」

一樹が即座に言う。

「そこじゃない」

「でも一位だった」

「知ってる」

五樹は地図を覗き込んだ。

「団子石から菖蒲沢抜けて、楯無堰の近く走って、宇津谷に出て、塩崎駅の線路沿いを走る十五キロコースでしょ」

二葉が少し懐かしそうに頷いた。

「走ったね」

「五樹、二葉とずっと喋りながら走ってた」

四葉が言う。

五樹は笑った。

「二葉と一緒に参加することに意味があったから」

「マラソン大会で?」

一樹が呆れたように言う。

「マラソン大会で」

五樹は悪びれない。

「順位は?」

「三樹が取ったからいいじゃん」

「家単位で考えるな」


六樹が地図を拡大した。

「当時のコースを重ねる」

画面上に、細い線が増えた。

団子石。

菖蒲沢。

楯無堰に近い道。

宇津谷。

塩崎駅の線路沿い。


二葉は画面を見ながら、少しだけ眉を寄せた。

「私たち、昔からこの水の道の近くを走ってたんだ」

「知らずにね」

五樹が言う。

三樹は肉まんを持ったまま、少し考える顔をした。

「菖蒲沢、昔は畑だったよな」

六樹が画面を止める。

「今はソーラーパネル」

「うん」

三樹は頷いた。

「昔の方が、土の匂いが強かった」

四葉が静かに言う。

「水を受けていた場所が、今は光を受ける場所になってる」


一樹は黙った。


畑。

土。

水。

人の暮らし。


そして今は、ソーラーパネル。

光を受ける場所。


土地の使い方は変わる。

けれど、変わったからといって、そこにあったものが消えるわけではない。


六樹が記録する。

「菖蒲沢。土地利用の変化。畑からソーラーパネル。水の記憶への影響は不明」


三樹が小さく言った。

「でも、土はまだ覚えてると思う」

五樹が三樹を見る。

「三樹、そういうの覚えてるんだ」

「腹減ってたからな」

「そこ?」

「畑の横走ると、食いもんの気配するだろ」

四葉が淡々と言った。

「三樹の記憶、食欲経由」

六樹が頷く。

「でも有効」

一樹は地図を見た。


子どもの頃は、ただのマラソンコースだった。

三樹が風みたいに先頭を走り、五樹が二葉の横を離れず、四葉と六樹が省エネで完走し、自分が全員の様子を見ながら走った道。

その道が今、別の意味を持って目の前にある。


「昔から、走ってたんだな」

一樹が言った。

「水の道の近くを」

誰もすぐには答えなかった。


三樹が肉まんをもう一つ取ろうとして、二葉に見られた。

「三樹」

「まだ食ってない」

「手が伸びてた」

「未来の俺が食おうとしてた」

「未来の三樹も待って」

五樹が笑う。

「二葉、未来まで管理してる」

「三樹は今だけ見てると足りない」

「ひどくね?」

六樹が言う。

「正しい」

「今日も事実で殴られてる」

一樹はため息をついた。

「脱線するな」


四葉が静かに言う。

「次は信玄堤」

空気が変わった。

六樹が地図を切り替える。

甲府盆地。

釜無川。

信玄堤。

「信玄堤は、楯無堰とは役割が違う」

一樹が画面を見る。

「堰は水を引く。堤は水を抑える?」


六樹は少し首を振る。

「抑えるだけではない。流れを受け、分け、勢いを殺す」

五樹が小さく言う。

「境内の導線整理みたい」

一樹が五樹を見る。

「何だ急に」

「ほら、前に境内の階段前が詰まりそうになった時、一樹が先に導線変えたじゃん」

「あれは混む前に避けただけだ」

「そう。それ。詰まってから押し返すんじゃなくて、詰まらないように流す」

一樹は、少しだけ黙った。

「……信玄堤も、そういうことか」

六樹が頷く。

五樹は軽く笑った。

「一樹、昔からそういうの得意だよね。人が詰まりそうなところ、先に見つける」

「人を水みたいに言うな」

「流れって意味では似てるでしょ」

四葉が頷いた。

「場の水路」

「四葉まで」

六樹が記録する。

「一樹、場の水路を読む」

「記録するな」

一樹は、画面に映る信玄堤を見た。


真正面から止めるのではなく、流れを変える。

危ない方へ行かないように、自然に道を作る。

それは、彼がずっとやってきたことでもあった。

三樹が飛び出す前に道を塞ぐ。

二葉が一人で背負う前に役割を分ける。

四葉の言葉を必要なところに落とす。

六樹の記録を現実に戻す。

五樹の軽さで、場の圧を逃がす。

全部を真正面から抱え込むのではなく、流れを変える。


「信玄堤は」

一樹はゆっくり言った。

「水を力で押さえ込むだけじゃない。暴れないように、逃げ道を作る仕組みか」

六樹が頷く。

「そう」

四葉が続ける。

「暴れる水を悪として潰すんじゃなくて、土地ごと受ける形を作る」

二葉が画面を見た。

「黒も、同じ?」


誰もすぐには答えなかった。

黒は危ない。

触れれば引かれる。

声を借りる。

水音を真似る。

家へ入り込もうとする。

でも。

ただ倒せば終わるものではない。

大溜井に溜まったもの。

大屋敷跡で待っていたもの。

水守家が受けきれなかったもの。

声を失ったもの。

面を借りようとするもの。

それらを、全部まとめて悪と呼ぶには、何かが違う。


「黒は、詰まりに近い」

六樹が言った。

「感情、記憶、声、水の流れ。全部が混ざって、動けなくなっている」

四葉が頷く。

「だから、倒すだけでは残る」

三樹が眉を寄せる。

「でも襲ってきたらどうするんだ」

二葉が答える。

「止める」

五樹が続ける。

「二葉に触るなら斬る」

一樹が低く言う。

「お前は少し落ち着け」

「落ち着いてるよ」

「顔が落ち着いてない」

六樹が言う。

「五樹の攻撃性、二葉関連で上昇」

「記録しないで」

「重要」

「重要にしないで」

二葉が少しだけ笑った。

その笑いで、部屋の空気が少し戻る。


一樹は地図を見たまま、言った。

「ここまでで分かったことを整理する」

五樹が小さく笑う。

「一樹、会議っぽくなってきた」

「茶化すな」

「ごめん」

一樹は指を折る。

「一つ。大屋敷跡で反応した線は、楯無堰そのものではなく、大溜井から南へ流れるはずだった末端の用水の記憶に近い」

六樹が記録する。

「二つ。大屋敷跡には、水を受ける役目を持っていた家、水守家の痕跡がある可能性が高い」

四葉が頷いた。

「三つ。楯無堰は、大溜井へ水を届けるための上流側の道。届かなかった場所へ水を引こうとした、人が作った水の道だ」

二葉が静かに聞いている。

「四つ。信玄堤は、暴れる水を押さえ込むだけじゃない。流れを分けて、受けて、勢いを逃がす思想として重要になる」

三樹が肉まんを見ながら言う。

「五つ。夜食は二つじゃ足りない」

「却下」

二葉が即答した。

五樹が笑う。

「三樹、まとめに混ぜないで」

「重要だろ」

六樹が淡々と言う。

「重要度低」

「ひどい」

一樹は少しだけ笑った。


そして、画面の地図を見る。

「次は、楯無堰だな」

空気が、少し引き締まる。

楯無堰。

宗貞堰。

立石堰。

人が作った水の道。

届かなかった場所へ、水を届けようとした道。

「現地に行く?」

二葉が聞く。

一樹は頷いた。

「行く。ただし、今すぐじゃない」

五樹が二葉を見る。

「二葉、今すぐって顔しないでね」

「してない」

「ちょっとしてた」

「してない」

六樹が言う。

「五樹の観察精度は高い」

「六樹、そこだけ味方しないで」

四葉がノートを閉じた。

「楯無堰を見たら、水守家のことも分かるかもしれない」

「なぜ」

三樹が聞く。

「道と受け皿は、別々には存在しないから」

四葉の声は静かだった。

「水を送る道があるなら、受ける場所がある。受ける場所が失われたなら、道も歪む」

六樹が頷く。

「次の調査対象。楯無堰。宗貞堰。立石堰。水守家との関係」


一樹は画面を消さなかった。

地図はまだ、居間の壁に映っている。

線がある。

点がある。

まだ名前のない場所がある。


二葉は、それを見ながら言った。

「線だけ見てると、簡単に見えるね」

五樹が隣で答える。

「実際は、全部に誰かの暮らしがある」

「うん」

「だから難しい」

「うん」

五樹は、少しだけ声を落とした。

「でも、道はある」

二葉は顔を上げた。

大屋敷跡で、二葉が口にした言葉だった。

水は、ここにはない。

でも、道はある。

あの時は、黒い糸をほどくために言った言葉だった。

けれど今、その言葉の意味は少し変わっている。

道は、ある。

けれど、その道は思っていたよりも長く、複雑で、たくさんの声を含んでいる。


一樹が立ち上がった。

「今日はここまで」

三樹がぱっと顔を上げる。

「じゃあ肉まん」

「もうない」

「なんでだよ」

「二つ食べただろ」

「会議長かった」

二葉が呆れながらも立ち上がる。

「冷凍庫にもう一つあるか見る」

三樹の顔が明るくなる。

「二葉、神」

一樹が即座に言う。

「神社の家でその言い方やめろ」

五樹が続ける。

「三樹、軽く言わないで。俺の台詞」

「知らねえよ」

四葉が小さく言う。

「五樹、面倒」

六樹が頷く。

「事実」

「六樹まで」

いつもの声が戻る。


地図はまだ映っている。

大溜井。

大屋敷跡。

楯無堰。

信玄堤。

重い話は、終わっていない。

何も解決していない。


それでも、居間には肉まんの湯気があり、二葉の足音が台所へ向かい、三樹が期待に満ちた顔で待ち、四葉がノートを閉じ、六樹が記録を保存し、五樹が二葉の背中を当たり前のように目で追っている。

一樹は、その全部を見て、少しだけ息を吐いた。


守るものは、地図の上だけにはない。

この居間も。

この声も。

この騒がしさも。

流れが止まらないように、守るべきものだった。

画面の中で、細い水の線が、静かに光っていた。

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