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森口家の六つ子は、神様の後始末係です —龍神さまからのご指名—  作者: 織村蜜柑


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18/92

第十六話「月の御嶽、花の金櫻」

翌朝、一樹と四葉は電車に乗った。

森口家から東京へ。

山梨の山と水の気配から離れていくにつれ、窓の外の景色は少しずつ変わっていく。

四葉は座席で資料を見ていた。

スマホ、ノート、印刷した地図。

そして、なぜかみどり豆。

一樹はそれを見た。

「持ってきたのか」

「必要」

「神社で食べるなよ」

「分かってる」

「本当に?」

「境内では食べない」

「そこは分かってるんだな」

「失礼」

四葉は小さく言った。

一樹は苦笑した。

「で、大國魂神社で何を見る」

「総社」

「だろうな」

「一社で、一国の神をまとめる仕組み」


四葉はノートに書いた文字を見せる。

総社。国府。六所。国内諸神。


「森口家は、祓う家じゃなくて、戻す家かもしれない」

一樹の表情が変わった。

「戻す?」

「黒を消すだけじゃない。水を流すだけでもない。どこに戻すか。どこへ納めるか。どの神に返すか」

四葉は淡々と言う。

「甲斐の水の道を見る前に、土地を束ねる仕組みを見たい」

一樹は、窓の外へ視線を移した。

四葉は、普段から我関せずに見える。

だが、必要な時に見る場所は、かなり鋭い。

「お前、やっぱり調査じゃないか」

「聖地巡礼もする」

「はいはい」


大國魂神社に着いた時、空は少し曇っていた。

府中駅から歩く。

街の中に、急に空気の質が変わる場所がある。

鳥居をくぐる前、一樹は足を止めた。

四葉も止まる。

「どうした」

「いや」

一樹は参道の先を見た。

「街の中なのに、ここだけ古いな」

「分かる?」

「分かる」

「一樹は分かると思った」

四葉は少し満足そうだった。


参道を進む。

木々の陰。

人の声。

遠くの車の音。

それでも、境内の中には別の時間が流れていた。


一樹は拝殿の前で、静かに頭を下げた。

四葉も隣で手を合わせる。

しばらく、二人とも何も言わなかった。

参拝を終えたあと、一樹は境内を見回した。

「武蔵国の守り神、か」

四葉が頷く。

「大國魂大神」

「国魂って言葉が強いな」

「土地そのものの魂」

一樹は、その言葉を繰り返した。

「土地そのものの魂……」

森口家が相手にしているもの。

黒。

水。

届かなかった流れ。

古い記憶。

それらは、単なる怪異ではない。

土地のどこかに溜まったもの。

流れ損ねたもの。

戻れなくなったもの。


四葉が言う。

「一樹」

「ん?」

「森口家の神社って、守ってるだけじゃないよね」

「……たぶんな」

「水が詰まったら、祓う。黒が湧いたら、抑える。でも本当は、土地のどこに声を戻すかを見てる」

一樹は黙った。

「おじいちゃんは、それを知ってるかもしれない」

「だろうな」

「でも、全部は言わない」

「言わないな」

「一樹に考えさせてる」

一樹は小さく息を吐いた。

「性格悪いな、じいちゃん」

「一樹もそのうちやる」

「やらない」

「やる」

「決めつけるな」

四葉は表情を変えずに言った。

「一樹は次期神主だから」

一樹はその言葉に、少しだけ黙った。

外向きの顔ではない。

家の中で、二葉に皿を出せと言われる一樹でもない。

森口家の次を背負う者としての顔が、少しだけ出た。

「……まだ、分からないことだらけだ」

「だから来た」


四葉は、境内の空気を吸うように周囲を見た。

「分からない時は、似た形を見る」

一樹は四葉を見た。

「それ、研究員っぽいな」

「研究員だから」

「そうだった」

「忘れないで」

「忘れてない」

四葉は少しだけ目を細める。

「一樹、たまに話を右から左に流す」

「……聞いてる時もある」

「今は?」

「聞いてる」

「ならいい」


その後、二人は境内を巡った。

一樹は由緒を読み、四葉は気になる言葉をノートに書き込んだ。

武蔵総社。

六所宮。

国司。

国内諸神。

くらやみ祭。

国府祭。


四葉がぽつりと言う。

「暗い中で神輿が動く祭」

「くらやみ祭か」

「暗い中で動く。見えないものを移す」

「お前、そういう読み方するのか」

「今は森口家脳」

「嫌な言い方だな」

「便利」

一樹は苦笑した。

「見えないものを移す、か」

「黒も、見えてるようで見えてない」

一樹の表情が少し沈む。

「黒は、壊せば終わりじゃない」

「うん」

四葉はノートに線を引く。

「壊したあと、どこへ返すか」


一樹は境内の木々を見た。

街の中にありながら、古い。

人が何百年、何千年と、ここに来て、頭を下げて、祭を続けてきた。

それは、土地と人の約束のようだった。

「四葉」

「なに」

「来てよかったな」

「でしょ」

「得意げだな」

「私、正しい時は得意げ」

「そうか」

「そう」


四葉はそこで、少しだけ間を置いた。

「あと、二葉にお守り買う」

「急に私情」

「大事」

「五樹が知ったら対抗するぞ」

「知ってる」

「買うのか」

「買う」

一樹は笑った。

「お前も相当、二葉好きだよな」

四葉は迷いなく答えた。

「好き」

「即答か」

「当然」


大國魂神社を出たあと、二人は武蔵御嶽神社へ向かった。

府中の街から、山へ。

電車を乗り継ぎ、バスに乗り、御岳山へ向かう。

空気が少しずつ変わった。

街の密度がほどけて、山の気配が近づいてくる。

四葉は窓の外を見ていた。

一樹は隣で、スマホに表示した資料を読んでいる。

「御岳山、標高九百二十九メートルか」

「天空の神社」

「公式がそういう言い方してるのか」

「うん」

「四葉、好きそうだな」

「好き」

「即答」

「山の神社は強い」


バスを降り、ケーブルカーでさらに上へ向かう。

窓の外で、山の緑が近づいていく。

ケーブルカーを降りた先は徒歩だった。

歩きながら、一樹は息を吐いた。

「お前、体力大丈夫か」

「大丈夫」

「本当か」

「無理なら言う」

「言わなそうだな」

「言う。私は二葉じゃない」

「それはそうだ」

「二葉は無理を隠す」

一樹は少しだけ黙った。

「……そうだな」

「五樹が気づく」

「あいつは二葉に関しては気持ち悪いくらい気づく」

「気持ち悪いけど、必要」

「本人に言ってやれ」

「言わない」

「なんで」

「面倒」

一樹は笑った。


御岳山の空気は、森口家のある土地とは違った。

甲斐の水の重さとは違う。

ここには、山そのものが立っているような気配がある。

道を進むと、狼の意匠が目に入る。

四葉が足を止めた。

「おいぬ様」

一樹も見る。

「日本狼、だったな」

「大口真神」

「山に留まって守護する狼」

四葉は、その言葉をゆっくり言った。

「道を失った者を導く。災いを防いで、その地を守る」


一樹の胸に、何かが引っかかった。

道を失う。

導く。

災いを防ぐ。

留まる。


「豆と菊、ここに連れてきたら六樹が泣く」

四葉が言った。

一樹は吹き出しかけた。

「泣きはしないだろ」

「泣く一歩手前」

「ありえる」

「愛犬の御祈祷もある」

「六樹に言うなよ。絶対連れてくるぞ」

「言う」

「言うのか」

「豆と菊は守護犬だから」

「豆柴だぞ」

「豆柴狛犬」

一樹は否定できなかった。


境内へ向かうにつれて、空気が澄んでいく。

拝殿の前に立った時、一樹は大國魂神社とは違う沈黙を感じた。

あちらは、土地を束ねる重さだった。

こちらは、山に留まる重さだった。

逃げない。

下りない。

ここにいる。

そういう重さ。


四葉が静かに手を合わせる。

一樹も隣で頭を下げた。


参拝を終えたあと、二人はしばらく境内を歩いた。

四葉が言う。

「月の御嶽」

「花の金櫻、か」

一樹は自然に続けた。

四葉が少しだけ目を細める。

「一樹、分かってる」

「さすがに分かる」

「金櫻神社のこと、考えてた?」

「考えてた」

「昇仙峡も?」

「考えてた」

四葉は頷いた。

「花と月。山と山。甲斐と武蔵」

一樹は遠くを見る。

「金櫻神社は、昇仙峡の上だ。水晶もある。山の奥、花の名、金の気配」

「御嶽は月。狼。山に留まる守護」

「花は咲く。月は満ち欠ける」

「流れと境界」

四葉が言う。

「水は流れる。山は留める。狼は境界を守る。総社は土地を束ねる」


一樹は、四葉の言葉を頭の中で並べる。

大國魂神社で見た、土地を束ねる仕組み。

武蔵御嶽神社で感じた、山に留まる守護。

身曾岐神社の能舞台。

金櫻神社。

昇仙峡。

楯無堰。

竜地の大溜井。

届かなかった水。

流れずに、淀んだもの。

壊すのではなく、戻す。

祓うのではなく、納める。


「……黒を、ただ外へ出せばいいわけじゃない」

一樹が言った。

四葉は一樹を見た。

「うん」

「流れを戻す場所がいる」

「うん」

「それを間違えると、また詰まる」

「たぶん」

一樹はゆっくり息を吐いた。

「森口家がやってきたのは、祓いじゃなくて、道をつけることかもしれない」


四葉はしばらく黙った。

それから、ぽつりと言う。

「二葉の破祓(はふつ)は、道を壊して作る」

「……あいつらしいな」

「五樹は、二葉に触れるものを断つ」

「素戔鳴斬か」

「うん」

「六樹は、名をつけて留める」

「言霊」

「三樹は先に危険を嗅ぐ」

「本能」

「お前は?」

四葉は少し考えた。

「見る」

「見る?」

「散らばってるものを、関係にする」

一樹は四葉を見た。

「それは、かなり大事だな」

四葉は一瞬だけ黙った。

「……褒めてる?」

「褒めてる」

「ならいい」

「俺は?」


四葉はすぐには答えなかった。

風が吹く。

山の空気が、少しだけ冷たい。

「一樹は、戻す場所を決める」

一樹は言葉を失った。


四葉は続ける。

「みんな動く。二葉は前に出る。三樹も出る。五樹は断つ。六樹は留める。私は見る。でも、最後にどこへ戻すかを決めるのは、一樹」

「……重いな」

「次期神主だから」

「簡単に言うな」

「簡単じゃない」

四葉は一樹を見た。

「だから一樹が必要」

一樹は少しだけ視線を逸らした。


朝、二葉にも似たようなことを言われた。

皿を出すだけでも、始まる感じがする。

雑なようで、真ん中を突く。

森口家の女子は、いつもそうだ。

「我が家の女子は、本当に女子らしくないな」

四葉は首を傾げた。

「今さら」

「それもそうだな」

四葉は、少しだけ満足そうに頷いた。


そのあと、二人は太々神楽の案内を見た。

面。

舞。

神前に捧げられるもの。

一樹は足を止める。

「身曾岐神社の能とつながるな」

「うん」

「舞は、見せるためだけじゃない」

「捧げるもの」

「面は、顔を隠すものじゃなくて、別のものを降ろすものかもしれない」

四葉の目が動いた。

「一樹、それ」

「ん?」

「使える」

「物騒な言い方だな」

「身曾岐の面」

一樹の表情が変わる。

「面に、何か残ってる可能性か」

「能舞台の記録にあった“声が戻る”って記述」

「舞うことで戻る?」

「または、面を通して戻す」


一樹はしばらく黙った。

山の中で、遠くの音がする。

人の声か、風か、鳥か。

分からない。

「太占も気になる」

四葉が言った。

「鹿の骨を焼いて占う神事か」

「古い」

「かなり古いな」

「火で割れ目を見る。形を見る。神意を読む」

「六樹が好きそうだ」

「好きだと思う」

「六樹は、記録できるものが好きだからな」

「でも、記録できない割れ目もある」


一樹はその言葉に、少しだけ引っかかった。

「記録できない割れ目」

「黒もそう。完全には記録できない。だから、人が見る」

「人が見る、か」

「一樹が見る」

「また俺か」

「一樹が来てよかった」

四葉は淡々とした声で言った。

「私だけなら、聖地巡礼で終わる」

「終わるのか」

「たぶん少し終わる」

「少し」

「でも一樹がいると、土地の話になる」

一樹は少しだけ笑った。

「お前は本当に、褒め方が独特だな」

「褒めてる」

「分かってる」


境内を出る前、四葉はお守りを見ていた。

一樹は少し離れたところで待つ。

「二葉用か?」

「うん」

「どれにする」

「迷ってる」

「珍しいな」

「二葉にはちゃんと選びたい」

一樹は少し黙った。


四葉はいつも、好きなものには真っ直ぐだ。

推しにも。

歴史にも。

二葉にも。

「五樹には?」

「買わない」

「即答」

「五樹は自分で二葉の隣にいる」

「理由が独特だな」

「だからいらない」

一樹は笑った。

「六樹には?」

「おいぬ様」

「それは喜ぶ」

「豆と菊にも」

「買うのか」

「買う」

「荷物増えるな」

「一樹が持つ」

「俺か」

「長男」

「便利に使うな」

それでも、一樹は受け取るつもりでいた。


帰り道、山を下りながら、四葉は言った。

「一樹」

「ん?」

「月の御嶽と、花の金櫻」

「ああ」

「並べると、対になる」


一樹は少しだけ考えた。

「月と花?」

「うん。月は、満ち欠ける。花は、咲いて散る。でも、どちらも戻る」


一樹は、山道の先を見た。

「戻る、か」

「消えるんじゃない。形を変えて、また来る」


四葉は淡々と言った。

「水と似てる」


一樹は黙った。


月。

花。

水。

山。


満ちて、欠けるもの。

咲いて、散るもの。

流れて、戻るもの。


「……だから、御嶽と金櫻か」

四葉は頷いた。

「たぶん。片方だけじゃ足りない」


一樹は足を止めた。

「片方だけじゃ、戻せない?」

「月はまた満ちる。花はまた咲く」

四葉は振り返る。

「土地も、戻れる場所があれば戻る」

一樹は、言葉を返せなかった。

戻れる場所。


その言葉だけが、山を下りるあいだ、ずっと胸の奥に残っていた。


風が吹く。

山の匂いがする。


甲斐とは違う山。

けれど、どこかでつながっている山。


一樹は静かに頷いた。

「……帰ったら、じいちゃんに聞く」

「答えてくれる?」

「答えないだろうな」

「じゃあ、どうするの」

「将棋に勝つ」

四葉が少しだけ目を開いた。

「勝てる?」

「……努力する」

「がんばって」

「軽いな」

「応援してる」

「本当か?」

「本当」


四葉は少しだけ間を置いて、言った。

「一樹が分かれば、二葉が無理しなくて済む」

一樹の顔から、少しだけ笑みが消えた。

「……それを先に言え」

「今言った」

「そうだな」

二葉は、腹を括るのが早い。

前に出る。

必要なら壊してでも通す。

だが、それを毎回二葉にさせるわけにはいかない。

一樹は、森口家の長男だった。

父親ポジションだとか、皿係だとか、そんなことを言っている場合ではない。

戻す場所を決める。

その役割が本当に自分にあるのなら。

逃げるわけにはいかなかった。


帰りの電車で、四葉は窓にもたれながらスマホを見ていた。

「また調べてるのか」

「うん」

「何を」

「大國魂神社のくらやみ祭と、身曾岐神社の能と、武蔵御嶽神社の神楽」

「全部混ぜるな」

「混ざる」

「混ざるのか」

「たぶん」

一樹はため息をついた。

だが、その顔は少し楽しそうだった。

四葉は画面から目を離さず言う。

「あと、一樹」

「何だ」

「お土産で買ったお守り、二葉に渡す時、五樹が絶対見る」

「見るだろうな」

「五樹に見せびらかす」

「やめてやれ」

「やる」

「お前も二葉絡むと大概だな」

「五樹ほどじゃない」

「比較対象が悪い」

四葉は、そこで少しだけ笑った。

本当に少しだけ。

一樹はそれを見て、何も言わなかった。


森口家に戻った頃には、空が暗くなりかけていた。

玄関を開けると、三樹が顔を出した。

「土産は?」

「第一声がそれか」

「腹減った」

「知ってる」

二葉が奥から出てくる。

「おかえり」

「ただいま」

四葉は靴を脱ぐと、まっすぐ二葉のところへ行った。

「二葉」

「なに?」

四葉は小さな袋を差し出した。

「お守り」

二葉が目を瞬かせる。

「私に?」

「うん」

「ありがとう」

二葉が受け取る。

その横から、五樹が顔を出した。

「四葉、二葉に何あげたの」

「お守り」

「へえ」

五樹の目が細くなる。

四葉は少しだけ得意そうに言った。

「大國魂神社と武蔵御嶽神社の」

「……いいじゃん」

「五樹にはない」

「聞いてないけど?」

「ない」

「二回言わなくていい」

二葉が苦笑する。

「五樹、欲しかったの?」

「二葉がもらったなら別に」

「何それ」

「二葉が守られるならいいってこと」

四葉が静かに言う。

「重い」

「四葉に言われたくない」

「私は健全」

「どこが」

「聖地巡礼」

「便利な言葉だな、それ」

一樹は後ろで靴を脱ぎながら、ため息をついた。

「お前ら、ただいまくらい普通にさせろ」

三樹が言う。

「で、土産は?」

「ある」

「よし」

六樹が奥から出てきた。

「豆と菊には?」

四葉は別の袋を出した。

「ある」

六樹の表情が明らかに変わった。

「おいぬ様?」

「おいぬ様」

「……ありがとう」

五樹が笑う。

「六樹、顔ゆるんでる」

「ゆるんでない」

「ゆるんでる」

二葉が微笑んだ。

「豆と菊、喜ぶね」

「うん」

六樹は素直に頷いた。


その夜、一樹は祖父の部屋へ向かった。

樹蔵は将棋盤の前に座っていた。

まるで、来るのが分かっていたように。

「遅かったな」

「東京まで行ってた」

「聞いとる」

「四葉から?」

「葉月から」

「ばあちゃん経由か」

樹蔵は笑った。

「で、何を見てきた」

一樹は座った。

将棋盤を挟んで、祖父を見る。

「大國魂神社で、土地を束ねる仕組みを見た」

「ほう」

「武蔵御嶽神社で、山に留まる守護を見た」

「それで?」

一樹は、駒に手を伸ばさないまま言った。

「森口家がやってるのは、黒を壊すことじゃない」

樹蔵の目が、少しだけ細くなる。

「続けろ」

「流れ損ねたものを、戻すことだと思う」

「どこへ」

「それを決めるのが、神主の役目なんだろ」

沈黙。

古い部屋に、夜の音が落ちる。

樹蔵は、ゆっくりと駒を一つ動かした。

「ようやく、そこまで来たか」

一樹は息を止めた。

「じいちゃん」

「まだ答えはやらん」

「だろうな」

「勝ったら一つ、教えてやる」

一樹は将棋盤を見た。

すでに不利だった。

まだ一手も指していないのに、不利な気がした。

「性格悪いな」

「褒め言葉だ」

「褒めてない」

樹蔵は低く笑う。


一樹は駒を持った。

二葉が前に出すぎなくて済むように。

三樹が本能だけで飛び込まなくて済むように。

五樹が二葉の盾と剣であり続けるために。

六樹が言葉で留められるように。

四葉が見つけた関係を、ちゃんと形にするために。

そして、森口家が戻る場所を失わないために。


一樹は、一手を指した。

樹蔵が少しだけ笑った。

「悪くない」

その言葉だけで、今夜は十分だった。

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