第十五話「身曾岐の面」後半
森口家の居間に戻ると、三樹が大きく息を吐いた。
「腹減った」
全員が三樹を見た。
「何だよ」
二葉が呆れる。
「今?」
「怖いと腹減る」
五樹が笑った。
「三樹らしい」
「肉ある?」
「ない」
「タコスの残り」
「肉はない」
「なんでだよ」
六樹が淡々と言う。
「三樹が食べた」
「俺か」
「そう」
一樹は疲れた顔で座り込んだ。
「俺の白髪、また増える」
二葉が台所へ向かう。
「おにぎりなら作るよ」
二葉が台所でおにぎりを握っていると、五樹が当然のように隣へ来た。
「海苔?」
「出して」
「はいはい」
水道の水が、細く流れる。
さっき蔵で聞いた、乾いた水の音とは違う。
これは、家の中の普通の水音だった。
二葉は、ふと口を開いた。
「五樹」
「ん?」
「小さい頃さ。五樹だけ、泣くフリしてたでしょ」
五樹の手が、一瞬だけ止まった。
「バレてた?」
「バレるよ」
「そっか」
五樹は軽く笑った。
けれど、その声は少しだけ低かった。
「だって、俺が泣かないと収集つかないじゃん」
「……何それ」
「二葉、意地でも泣かないんだから。二人も泣いてないってなると面倒でしょ」
二葉は、おにぎりを握る手を止めた。
「面倒って」
「みんな、二葉は大丈夫なんだって思っちゃう」
水音だけが続く。
六樹が泣く。
四葉が泣く。
一樹が泣く。
三樹が泣く。
五樹も泣く。
そして、二葉だけが泣かない。
みんな、二葉が強いからだと思っていた。
でも、違う。
泣かなかったのは、怖くなかったからじゃない。
みんなが泣いていたからだ。
「五樹は、分かってたの?」
「二葉、怖くない顔してる時ほど、手が冷たかったから」
二葉は何も言えなくなった。
五樹は、海苔を皿に出しながら言う。
「だから、俺が泣いておけばいいかなって」
「五樹も怖かったでしょ」
「怖かったよ」
「じゃあ、フリじゃないじゃん」
「半分は本当。半分は、泣いた方がいいと思って泣いてた」
二葉は、少しだけ息を吐いた。
「……ばか」
「うん」
「でも、ありがと」
五樹は一瞬だけ黙った。
それから、いつもの軽い声に戻る。
「どういたしまして」
二葉は、おにぎりを一つ握り終える。
五樹が海苔を巻く。
その距離は、近い。
けれど、二人にとってはいつもの位置だった。
二葉は、握りかけのおにぎりをもう一度両手で包んだ。
さっきより少しだけ、手の力が抜けていた。
二葉が台所から声をかけた。
「おにぎりもうすぐできるよ」
三樹の顔が明るくなる。
「二葉、好き」
五樹がすぐに言う。
「三樹、軽く言わないで」
「なんでだよ」
「俺の台詞」
「知らねえよ」
四葉がぽつりと言った。
「五樹、面倒」
「四葉に言われたくない」
「私は健全」
「どこが」
「聖地巡礼」
「今その話?」
一樹が顔を上げた。
「聖地巡礼?」
四葉は頷いた。
「一樹」
「何だ」
「大國魂神社と武蔵御嶽神社に行きたい」
一樹はしばらく黙った。
「……今?」
「今、思い出した」
「なぜ」
「似た形を見る必要がある」
六樹が反応する。
「武蔵国の総社と、山岳信仰」
四葉は頷く。
「大國魂神社は、土地を束ねる仕組み。武蔵御嶽神社は、山に留まる守護。おいぬ様。神楽。太占」
三樹が首を傾げる。
「東京?」
「東京」
「山梨の話じゃないのか」
四葉は淡々と言った。
「山梨の話だから、東京に行く」
三樹は一樹を見る。
「分かる?」
一樹は少しだけ考えた。
「……分かるのが嫌だな」
五樹が笑った。
「一樹、釣られてる」
「釣られてない」
六樹が言う。
「釣られてる」
二葉も、おにぎりを皿に乗せながら言った。
「釣られてるね」
「お前らな」
四葉は一樹をまっすぐ見た。
「一樹は、由緒と家紋と土地を見る。私は、聖地と関係を見る」
「聖地巡礼と調査を一緒にするな」
「両立する」
「便利な言葉だな」
「便利」
一樹はため息をついた。
だが、その顔は少しだけ動いていた。
興味を持っている顔だった。
四葉は見逃さない。
「一樹、行こう」
「……考える」
「行く顔してる」
五樹が言った。
「してない」
二葉が台所から戻ってきた。
「してるよ」
「二葉まで」
「一樹、そういうの好きじゃん」
「好きだけどな」
「じゃあ行けば?」
二葉はおにぎりを三樹に渡しながら、あっさり言った。
「森口家だけ見て分からないなら、外を見ればいいでしょ」
一樹は二葉を見た。
二葉は、特別なことを言ったつもりはない顔をしている。
いつもそうだ。
大事なことを、台所のついでみたいに言う。
「……そうだな」
一樹は小さく笑った。
「行くか」
四葉の目が、ほんの少しだけ明るくなる。
「行く?」
「行く。ただし調査だ」
「聖地巡礼」
「調査」
「両立」
「はいはい」
三樹がおにぎりを頬張りながら言った。
「俺も行く?」
全員が一斉に言った。
「行かない」
「なんでだよ」
五樹が笑い、二葉が呆れ、六樹が「三樹、同行不可」と記録し、四葉が予定を立て始める。
一樹はその騒がしさの中で、ふと奥の蔵の方を見た。
身曾岐の面。
声を戻すもの。
乾けば、声を食うもの。
まだ開けてはいけない。
だが、いつか開ける日が来る。
その時、誰の声を聞くのか。
どこへ戻すのか。
それを決めるのは、自分なのだと。
一樹は、ようやく少しだけ理解し始めていた。




