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森口家の六つ子は、神様の後始末係です —龍神さまからのご指名—  作者: 織村蜜柑


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12/24

第十一話「お赤飯弁当と古い紋」

大屋敷跡から戻ったあと、森口家の居間には、しばらく誰も座らなかった。

理由は簡単だった。

三樹が、栗まんじゅうを探していたからだ。

「ない」

三樹が言った。

「ないんだけど」

「あるよ」

二葉が台所から答える。

「どこに」

「今出す」

「今すぐ?」

「手洗ってから」

「洗った」

「もう一回」

「なんでだよ」

「大屋敷跡行ったから」

三樹は少し考えたあと、素直に洗面所へ向かった。

五樹がそれを見て笑う。

「二葉の言うことは聞くんだよね」

一樹が甚平の袖をまくりながら言った。

「言うことを聞くまでの手順が長いけどな」


六樹はiPadを開いて、さっきの記録を整理している。

四葉はその横に座り、みどり豆の袋を開けかけて——止めた。

二葉が気づく。

「四葉、食べないの?」

「今は資料見る」

「珍しい」

「大屋敷跡、気になる」

四葉の声は静かだった。

二葉は少しだけ目を細める。

「水が届かなかった場所?」

「それも。でも、屋敷跡の石垣にあった」

「何が?」

「紋」

一樹の動きが止まった。

「紋?」

四葉は頷き、スマホを出した。

「写真撮った」

六樹がすぐに画面を見せる。

「共有済み」

五樹が覗き込む。

「仕事早」

「記録担当だから」


画面には、苔のついた石が映っていた。

大屋敷跡の奥、崩れた石垣の一部。

その中央に、薄く彫られた印がある。

丸い輪。

その中に、流れるような線が三つ。

水紋にも見える。

葉にも見える。

あるいは、古い文字のようにも見える。


一樹が画面に顔を近づける。

「これ……見たことあるな」

四葉が頷いた。

「私も。家の蔵の古い箱に似た意匠があった」

「蔵?」

二葉が聞く。

「刀剣乱舞関連で家紋とか古い意匠を調べてた時に見た」

五樹が小さく笑う。

「推し活が本筋に接続してる」

四葉は真顔で言った。

「推し活は知識基盤」

「強い」


一樹はスマホを見たまま、少し考え込んだ。

「じいちゃんに聞く」

「呼んでくる?」

二葉が言うと、一樹は首を横に振った。

「いや。こっちから行く」

三樹が洗面所から戻ってきた。

「栗まんじゅうは?」

二葉が小皿を出す。

「はい」

三樹の顔が明るくなる。

五樹がすかさず言う。

「二葉、俺の半分こは?」

「あるよ」

「やった」

一樹はその二人を見て、ため息をついた。

「緊張感があるのかないのか」

四葉が言う。

「森口家は、食べながら考える」

六樹が頷く。

「血糖値は判断に影響する」

「お前ら、こういう時だけ理屈をつけるな」


その時、奥から祖母の葉月の声がした。

「一樹」

「はい」

「おじいちゃんが、蔵へ行くなら先にご飯を食べてからにしなさいって」

一樹は少しだけ目を閉じた。

「聞こえてたか」

祖父の樹蔵の声が続く。

「聞こえるように話しておったろう」

五樹が笑う。

「じいちゃん、全部お見通し」

三樹が栗まんじゅうを頬張りながら言う。

「じゃあ飯?」

祖母が台所から顔を出す。

「今日は、お赤飯のお弁当にしましょうか」

三樹の目が輝いた。

「赤飯?」

「甘納豆赤飯ね」

「ばあちゃん、神」

一樹が即座に言う。

「神社の家でその言い方やめろ」

祖父の声が奥から返る。

「葉月は神みたいなものだ」

一樹は頭を抱えた。

「じいちゃんまで」

二葉が笑った。

その笑いを見て、五樹が少しだけ表情を緩める。


大屋敷跡の乾いた空気は、まだ少し身体に残っている。

水が届かなかった場所の記憶。

黒い糸。

乾いた水音。


けれど、台所から甘納豆赤飯の匂いがすると、それが少しずつ薄くなっていく。

森口家は、こうやって戻る。

怖い場所へ行っても。

黒を見ても。

流れ損ねた声を聞いても。

家に戻れば、飯がある。

お茶がある。

祖母の声がある。

二葉が弁当箱を並べる。

五樹が当然のように隣で箸を揃え、包み布を広げる。

三樹が赤飯を待ちきれず、台所を覗く。

四葉が写真を見ながら資料検索を始める。

六樹がiPadで古い地図を重ねる。

いつもの光景。

なのに、その中に黒は入ってこられない。

一樹は小さく息を吐いた。

「生活がある場所は強い、か」

二葉が振り返る。

「一樹?」

「いや」

一樹は少しだけ笑った。

「じいちゃんの言うこと、分かるなと思って」

二葉は頷いた。

「うん」

三樹が台所から言う。

「ばあちゃん、俺の大盛り?」

「もちろん」

「よし」

一樹はすぐに現実へ戻された。

「三樹、大盛り前提で話すな」

「前提だろ」

「違う」

祖母が笑う。

「一樹の分も少し多めにしておくわね」

一樹は黙った。

五樹がにやりとする。

「兄貴も大盛り組」

「俺は普通でいい」

二葉が言う。

「一樹、疲れてるから食べた方がいいよ」

「……じゃあ、少し」

五樹が笑った。

「二葉に言われると弱い」

「お前ほどじゃない」

「俺は二葉に弱い自覚あるから」

「堂々と言うな」


甘納豆赤飯は、小さな弁当箱に詰められた。

祖母が言うには、庭先の縁台で弁当を広げながら確認した方が、気が滞らないらしい。

三樹は大盛り。

一樹は少し多め。

二葉と五樹は同じくらい。

四葉は食べやすい量。

六樹は控えめだが、祖母が小さな甘い豆を少し多く入れていた。

六樹はそれを見て、少しだけ目を伏せた。

「ばあちゃん」

「なあに?」

「ありがとう」

祖母は柔らかく笑った。

「どういたしまして」


一樹は、その祖母の笑顔を見て、ふと思い出した。

昔、六つ子がまだ小学生だった頃のことだ。

近所の蔵の戸が壊れた。

庭の鉢が割れた。

誰かが用水路のそばで騒いでいた。

それだけで、六人は呼び止められた。

「森口さんちの子たちでしょう」

「六人でいたんだから、誰かがやったんじゃないの」

「正直に言えば怒らないから」

怒らないと言う大人の声ほど、子どもには怖いものがない。

一樹は、どう説明すればいいのか考えていた。

三樹は今にも前に出そうだった。

四葉は唇を結んでいた。

五樹は、誰が何を見て、何を見ていないのかを必死に読んでいた。

六樹は、一樹の袖を握っていた。

その前に、二葉が出た。

小さな背中だった。

けれど、その背中は六人分を隠そうとしていた。

「やってません」

声は大きくなかった。

でも、はっきりしていた。

「私たちは、やってません」

大人たちが、少し困ったような顔をした。

「でもね、二葉ちゃん」

「誰かを庇ってるんじゃないの」

二葉の手が、ぎゅっと握られた。

その時だった。

「では、どなたが見たんですか」

柔らかい声だった。

けれど、その場の空気が止まった。

祖母が立っていた。

いつものように穏やかな顔で、少しだけ首を傾げている。

「この子たちが壊したところを、どなたがご覧になったんですか」

誰も答えなかった。

祖母は一歩、前へ出た。

「見ていないのに、六人でいたからと決めつけたんですか」

声は荒くない。

怒鳴ってもいない。

けれど、誰も口を挟めなかった。

「この子たちは、悪さをしない子です、とは言いません」

「子どもですから、失敗もします。叱られることもあります」

祖母は、二葉の前に立った。

「けれど、やっていないことを背負わせてよい理由にはなりません」

一樹は、その時の祖母の声を今でも覚えている。

怒りを、怒鳴り声にしない人だった。

怒りを、筋に変える人だった。

たぶん二葉は、そこが祖母に似た。


「一樹?」

二葉の声で、一樹は我に返った。

祖母は、何もなかったように弁当箱の包みを整えている。

今でこそ穏やかに笑っているが、昔から祖母は強い。

そして、その強さはたぶん、二葉の中にもある。

一樹は小さく息を吐いた。

「いや。ばあちゃんは、やっぱり強いなと思って」

祖母は楽しそうに笑った。

「あら、今さら?」

三樹が赤飯を持ったまま言う。

「ばあちゃんは昔から最強だろ」

五樹が頷く。

「森口家女子の原点」

二葉が五樹を見る。

「何それ」

「褒めてる」

四葉が静かに言った。

「二葉、ばあちゃん似」

六樹も短く頷く。

「同意」

二葉は少しだけ困ったように祖母を見た。

祖母は、ただ柔らかく笑っていた。


五樹が小声で言う。

「六樹、甘やかされてる」

「事実」

「否定しないんだ」

「否定する理由がない」

二葉がそのやり取りを見て、少し笑う。

「六樹、甘納豆好きだもんね」

「好き」

「知ってる」

六樹は少しだけ黙った。

「二葉も、覚えてる」

「うん。覚えてるよ」

五樹が横で言う。

「二葉、六樹に甘い」

二葉が五樹を見る。

「五樹にも甘いでしょ」

五樹は一瞬で明るくなった。

「今の、もう一回」

「言わない」

「録音すればよかった」

六樹が淡々と言う。

「必要なら記録する」

「六樹、それは頼む」

「断る」

「なんで」

「二葉の私的発言」

「急にガード堅い」

四葉が赤飯を受け取りながら言った。

「六樹も二葉に甘い」

六樹は否定しなかった。


一樹はその光景を見て、また少しだけため息をつく。

「森口家、二葉中心に回りすぎだろ」

三樹が赤飯を持ったまま言う。

「総大将だからな」

二葉が即座に見る。

「三樹」

「元・影の特攻隊長」

「三樹」

四葉が静かに続ける。

「現・生活担当総大将」

「四葉まで」

五樹が笑う。

「俺は総大将補佐」

「勝手に役職つけないで」

六樹が短く言う。

「機能としては正しい」

「六樹」

一樹は諦めたように言った。

「もういい。総大将と補佐も来い。蔵へ行くぞ」

「一樹まで!」

その声に、祖母が楽しそうに笑った。


森口家の蔵は、古い家のさらに奥にあった。

今は頻繁に使うわけではない。

だが、手入れはされている。

白壁。

重い扉。

古い木の匂い。

湿気と紙と、少しだけ土の匂い。

一樹が鍵を開ける。

三樹が覗き込む。

「こういうとこ、ちょっとわくわくするな」

四葉が即座に言う。

「資料の宝庫」

五樹が肩をすくめる。

「四葉、目が本気」

「当然」

六樹が湿度計を確認する。

「湿度、やや高い」

一樹が言う。

「資料を出したら長居しない」

「了解」

二葉は蔵の入口で一度足を止めた。

蔵の中は、静かだった。

黒い気配はない。

けれど、古いものがたくさん眠っている場所の重さがある。


五樹が横に立つ。

「二葉?」

「大丈夫」

五樹が少し眉を上げる。

二葉は言い直した。

「怖くはない。けど、ちゃんと入る」

「よし」

五樹は頷いた。

「横にいる」

「うん」

樹蔵も杖をついて蔵の前まで来ていた。

「奥の棚、右から三番目」

一樹が振り返る。

「じいちゃんも来るのか?」

「案内だけだ」

「無理するなよ」

樹蔵は少しだけ笑う。

「わしを年寄り扱いするな」

「年寄りだろ」

三樹が言った瞬間、一樹が三樹の頭を軽く叩いた。

「言い方」

祖母が後ろで笑う。

「樹蔵さん、ほどほどにね」

樹蔵は素直に頷いた。

「分かっている」

五樹が小声で言う。

「じいちゃん、ばあちゃんには素直」

一樹も小声で返す。

「森口家男子の原点だな」

二葉が聞こえていたらしく、少しだけ笑った。


蔵の中から、一樹と四葉が古い木箱を運び出した。

箱には布がかけられている。

その布の端にも、同じような紋が入っていた。

丸い輪。

流れる線が三つ。

四葉が目を細める。

「これ」

一樹が頷く。

「大屋敷跡の石と同じか」

六樹が写真を重ねる。

「一致率、高い。ただし、こちらの方が線が整っている」

三樹が覗き込む。

「何の紋なんだ?」

樹蔵が縁台に腰を下ろした。

「水を受ける紋だ」

全員が樹蔵を見る。

「受ける?」

二葉が聞く。

樹蔵は頷いた。

「水はただ流せばいいものではない。受ける場所がなければ、暴れる。受けすぎれば、腐る。流しすぎれば、枯れる」

一樹が静かに言う。

「道と受け皿」

「そうだ」

樹蔵は木箱を見た。

「昔、この辺りの水は難しかった。届かぬ場所には届かず、集まる場所には集まりすぎる。人は道を作った。堰を作った。溜井を作った」

四葉が続ける。

「楯無堰」

「そうだ」

樹蔵の声が少し低くなる。

「だが、水の道を作るということは、水の恨みも動かすということだ」


風が、庭を抜けた。

三樹が赤飯を食べる手を止める。

「水の恨み?」

「水が来なかった者。水を奪われたと思った者。水を待って死んだ者。水に落ちた者。水を止めた者」

樹蔵はゆっくり言った。

「水は命だ。だから、記憶が濃い」

二葉は、赤飯の弁当を膝に置いたまま、木箱を見つめた。

大屋敷跡で感じた渇き。

大溜井で聞いた声。


——みずを。


あれは、ただの怪異ではない。

誰かが水を待っていた。

誰かが、水を求めていた。

五樹が二葉の表情に気づく。

「二葉」

「大丈夫」

五樹は黙った。

二葉はすぐに言い直した。

「引かれてない。考えてるだけ」

「ならいい」

樹蔵が二葉を見る。

「二葉。かわいそうだと思うなとは言わん」

二葉は顔を上げる。

「うん」

「だが、受けるな」

五樹の目が少し鋭くなる。

樹蔵は続ける。

「お前は受けようとする。自分で流せると思う。昔からそうだ」

三樹が小さく言う。

「影の特攻隊長だからな」

二葉が睨む。

「三樹」

樹蔵は少しだけ笑った。

「間違ってはおらん」

二葉は言葉に詰まる。

一樹が言う。

「じいちゃんまで認定するのか」

「二葉は、若い頃の葉月に似ておる」

祖母が台所の方から戻ってきて、少し困ったように笑う。

「樹蔵さん」

五樹が目を輝かせた。

「ばあちゃんも元・特攻隊長?」

祖母は微笑んだ。

「昔の話よ」

一樹が小声で言う。

「否定しないんだ」

四葉が真顔で言った。

「血筋」

六樹が頷く。

「遺伝的傾向」

二葉が小さく言う。

「そこまで分析しなくていい」

祖母は、二葉の隣に座った。

「二葉」

「おばあちゃん」

「前に出るのは、悪いことじゃないの。でも、戻る場所を持って出なさい」

二葉は黙った。

「一人で前に出ると、帰り道が見えなくなることがあるの」

祖母の声は柔らかい。

でも、芯があった。

「だから、誰かに袖を持っていてもらいなさい」

五樹が、ほんの少しだけ動きを止めた。

二葉も気づく。

祖母は笑った。

「五樹、できるでしょう?」

五樹は一瞬だけ黙って、それからいつもの軽さを少し戻した。

「俺、二葉の補佐なので」

二葉が小声で言う。

「まだその役職使うの?」

「ばあちゃん公認になったし」

「なってない」

祖母は楽しそうに笑う。

「いいんじゃない?」

「おばあちゃんまで」

一樹は額を押さえた。

「総大将と補佐が公式化していく」

三樹が赤飯を頬張りながら言う。

「俺は前衛」

四葉が言う。

「私は記録と分析」

六樹が訂正する。

「記録は僕」

「じゃあ私は分析と布教」

「布教は今いらない」

五樹が言う。

四葉は平然と返した。

「必要な時は来る」

一樹はため息をついた。

「俺は?」

六樹が即答する。

「回収係」

三樹が頷く。

「兄貴は回収係」

五樹も笑う。

「あと白髪管理」

「それは違う」

二葉が小さく笑った。

その笑いに、庭の空気が少し緩む。


樹蔵は木箱の蓋を開けた。

中には、古い紙が何枚も入っていた。

地図。

覚書。

水路の写し。

そして、布に包まれた小さな木札。

一樹が慎重に取り出す。

木札には、紋が刻まれていた。

水を受ける紋。

六樹が低く言う。

「同じ」

四葉が目を細める。

「大屋敷跡の紋は、これの崩れた形」

樹蔵が頷く。

「あの屋敷は、かつて水を受ける役目を持っていた」

三樹が眉を寄せる。

「でも、今は乾いてた」

「役目を失った場所は、乾く」

樹蔵の声が静かに落ちる。

「形だけ残り、意味が失われる。そこへ黒が入る」

一樹が木札を見る。

「じゃあ、大屋敷跡は、受ける役目を失って黒の中継点になった」

「そう考えてよい」

六樹が記録する。

「水を受ける紋。役目を失った受け皿。黒の中継点」

四葉が別の紙を手に取った。

「大溜井の先に、細い線がある」

一樹が覗く。

「用水路か」

「たぶん。大溜井から南へ分かれた、水の記憶」

六樹が地図を重ねる。

「大屋敷跡は、その下流側に近い。水を受ける役目があったなら、位置としては不自然ではない」

五樹が軽く指で線をなぞった。

「じゃあ、上から来た水が大溜井に溜まって、そこから暮らしの方へ流れる。その先で、受ける役目を失った場所に黒が引っかかったってこと?」

六樹が頷く。

「可能性が高い」

二葉は、木札の紋を見た。

丸い輪。

流れる三本の線。

水を受ける。

でも、受けすぎない。

流す。

でも、流しっぱなしにしない。

道と受け皿。

それは森口家がやろうとしていることに似ていた。


一樹が言う。

「じいちゃん。この紋は、森口家のものじゃないよな」

樹蔵は頷いた。

「違う。だが、森口家と関係がある」

「どういう関係?」

「森口家は道を作る。あの家は水を受ける。役目が違う」

四葉が静かに言う。

「対になる家」

「そうだ」

風が止まった。

五樹の表情から軽さが消える。

「その家は、もうないんだよね」

樹蔵は少し黙った。

「ない」

二葉の胸が、少しだけ重くなる。


大屋敷跡。

乾いた空気。

古い井戸跡。

水を待つ声。

役目を失った家。


「じゃあ、受ける場所がなくなったから、流れが乱れた?」

二葉が聞く。

樹蔵は頷く。

「それも一因だろう」

六樹が画面を操作する。

「森口家の記録だけでは足りない。対になる家の記録が必要」

四葉が言う。

「大屋敷跡の家名は?」

樹蔵は木箱の中から、一枚の紙を取り出した。

古い文字。

墨が薄くなっている。

一樹が読み上げる。

「水守……?」

四葉が続ける。

「みずもり?」

樹蔵が頷いた。

「水守家。かつて、この辺りの水を受け、分ける役を担った家だ」

三樹が低く言う。

「水を守る家か」

「そうだ」

二葉は、名前を胸の中で繰り返した。

水守。

水を守る家。

水を受ける家。

そして、もうない家。


五樹が小さく言う。

「黒がそこを使ってるなら、放っておけないね」

一樹が頷く。

「ああ」

四葉が古い紙を見ながら言う。

「でも、これだけじゃ足りない。水守家がどう途絶えたのか、何があったのか」

六樹が続ける。

「調査対象。水守家。大屋敷跡。竜地の大溜井。大溜井から南へ分かれた用水路との関係」

三樹が赤飯を食べ終えて言った。

「じゃあ、次は調査か」

一樹が頷く。

「むやみに現場へ行くより、まず記録を見る」

五樹が二葉を見る。

「二葉も休めるしね」

二葉は何か言いかけて、やめた。

「……うん」

五樹が少し嬉しそうにする。

「素直」

「毎回言わないで」

「成長記録」

六樹が反応する。

「記録する?」

「しなくていい」

二葉と五樹が同時に言った。

四葉がぽり、とみどり豆を噛んだ。

「息ぴったり」

一樹が呟く。

「お前ら、本当に外ではその距離感やめろよ」

三樹が言う。

「でも今、外じゃなくて庭だぞ」

「そういう問題じゃない」

祖母が楽しそうに笑っている。


樹蔵は、木札の紋を見つめていた。

その顔には、少しだけ影がある。

一樹が気づく。

「じいちゃん」

「水守家のことは、わしも全部は知らん」

「じいちゃんでも?」

「ああ」

樹蔵は静かに言った。

「だが、葉月の方が知っていることもある」

全員の視線が祖母へ向かう。


祖母は、少し困ったように笑った。

「私?」

樹蔵が頷く。

「葉月の里の話だ」

空気が、変わった。

二葉が祖母を見る。

「おばあちゃんの?」

祖母は、少しだけ遠くを見るような目をした。

「そうねぇ。水守の名前は、聞いたことがあるわ」

四葉がみどり豆を持つ手を止めた。

六樹は、iPadに指を置いたまま祖母を見た。

一樹が言う。

「ばあちゃん、話せる範囲でいい」

祖母は微笑んだ。

「難しい話じゃないのよ。ただ、昔から言われていたの」

「何を?」

二葉が聞く。

祖母は、静かに答えた。

「水を受ける家が途絶える時、水は行き場をなくす」

風が、縁台を通り抜けた。

「そして、行き場をなくした水は——人の声を借りる」

誰も、すぐには話さなかった。


大溜井の声が、全員の耳に残っていた。

——みずを。


二葉の指が、小さく震える。

五樹がすぐに気づき、横からそっと手を添えた。

「二葉」

二葉は、今度はすぐに言った。

「怖い」

五樹が頷く。

「うん」

「でも、聞かなきゃいけない」

「一人で聞かない」

二葉は頷いた。

「うん」

祖母は、二葉と五樹を見て、柔らかく笑った。

「それでいいの」

一樹は木札の紋を見た。


水を受ける紋。

失われた役目。

水守家。

行き場をなくした水。

声を借りる黒。

彼らは大溜井に道の入口を作った。

大屋敷跡の中継点を逸らした。

けれど、それだけでは足りない。

流れの先には、役目を失った家の記憶がある。


一樹は静かに言った。

「次は、水守家を調べる」

四葉が頷く。

「蔵の資料、全部見る」

六樹が続ける。

「デジタル化する」

三樹が言う。

「俺は?」

一樹は少し考えた。

「重い箱を運べ」

「おう」

五樹が笑う。

「適材適所」

三樹は得意げに胸を張る。

「力仕事なら任せろ」

二葉が言う。

「資料破らないでね」

「そこまで雑じゃねえよ」

四葉が小さく言う。

「少し不安」

「四葉!」

祖母が、空になった弁当箱を見て言った。

「じゃあ、お茶を淹れましょうか」

六樹が顔を上げる。

「僕が淹れる」

「六樹が?」

「紅茶じゃなくて、今日は緑茶」

祖母は嬉しそうに笑った。

「お願いしようかしら」

六樹は立ち上がった。

その動きが、いつもより少しだけ丁寧だった。

三樹が小声で言う。

「六樹、ばあちゃんにいいとこ見せたいんだな」

五樹が笑う。

「言わないであげなよ」

六樹が振り返る。

「聞こえてる」

「聞こえるように言った」

「五樹」

二葉が笑った。

その笑いが、庭に落ちる。


怖さは消えない。

黒も消えない。

水守家の話は、これからもっと深くなる。

でも、今は。

祖母の甘納豆赤飯を食べた。

六樹が緑茶を淹れる。

三樹が重い箱を運ぶ気でいる。

四葉が資料を見る目をしている。

五樹が二葉の横にいる。

一樹が全体を見ている。

森口家は、まだ日常の中にいる。

だから、黒に飲まれない。

縁台の上で、古い木札の紋が淡い光を受けていた。

丸い輪。

流れる三本の線。

水を受ける紋。

それは静かに、次の道を示していた。

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