『嫉妬をどう扱えばいいか分からずレディアナが暴走寸前になる回』
翌朝。
レディアナは寝不足だった。
(嫉妬――未制御感情)
昨夜、ノートにびっしり書き出した。
・発生条件
・増幅要因
・抑制可能性
・社会的リスク
だが結論はひとつ。
制御方法:不明
「不明……?」
その二文字が、公爵令嬢の自尊心を深く刺激していた。
学園・中庭。
アルベルトとリリエルが並んで歩いている。
いつも通り。
距離も常識範囲内。
会話も穏当。
何の問題もない。
――理屈では。
(来る)
胸がざわつく。
視界が鋭くなる。
(距離、昨日より0.3歩近い)
(声のトーン、柔らかい)
(共有笑顔、三回)
記録している自分に気づく。
(分析してどうするの)
内側から、声がする。
(これは数字じゃない)
胸が熱い。
落ち着かない。
扇がわずかに軋む。
(どう処理すればいい?)
選択肢が脳内に並ぶ。
A:怒る
B:冷笑する
C:無視する
D:論破する
だがどれも違う。
これは怒りではない。
正義でもない。
ただ、締めつける感覚。
(消したい)
その瞬間。
レディアナは、無意識に歩き出していた。
ヒールの音が強い。
周囲がざわつく。
アルベルトとリリエルが振り返る。
「あ、レディアナ様――」
その声を遮るように、レディアナが言う。
「殿下」
声が硬い。
「本日はご予定がおありでしたか?」
アルベルト、少し驚く。
「いや、特には……」
「では、わたくしとお茶を」
即答。
リリエルが目を丸くする。
レディアナ自身も一瞬固まる。
(今、何を)
衝動。
計算なし。
最適化なし。
嫉妬が直接、行動に出た。
アルベルトは瞬きをする。
「それは……」
「お時間があるのでしょう?」
一歩、詰める。
距離が近い。
リリエルが小さく言う。
「わ、わたしは図書室に行きますね」
空気が揺れる。
レディアナの胸が、さらに締まる。
(違う)
(追い払いたいわけではない)
(でも)
混乱。
アルベルトが低く言う。
「レディアナ」
その声は落ち着いている。
「君は今、何をしようとしている?」
直球。
思考停止。
「……」
言葉が出ない。
周囲の視線が集まる。
ここで冷静に戻ればいい。
だが戻れない。
胸が熱い。
「わたくしは」
呼吸が浅い。
「殿下が」
言葉が、乱れる。
「楽しそうでしたので」
沈黙。
「それが」
一瞬、視界が滲む。
「――嫌でしたの」
言ってしまった。
周囲が静まり返る。
完全に、感情。
論理ゼロ。
アルベルトはゆっくり息を吐いた。
怒らない。
焦らない。
ただ、近づく。
「それは、嫉妬か?」
レディアナは、ぎゅっと唇を結ぶ。
逃げたい。
だが逃げたくない。
「……そうですわ」
小さい声。
でも、はっきり。
その瞬間。
胸の圧迫が、少しだけ和らぐ。
言語化。
認識。
受容。
アルベルトは微笑まない。
茶化さない。
ただ静かに言う。
「なら、無理に消そうとしなくていい」
「……?」
「嫉妬は、誰かを大事に思っている証だ」
レディアナの思考が揺れる。
(大事……?)
「君がそう感じるなら、私はそれを無視しない」
静かな宣言。
リリエルも、少し離れた場所で見守っている。
逃げない。
怯えない。
レディアナの中で、嵐が弱まっていく。
暴走寸前だった衝動が、
形を持ち始める。
(消すものではなく)
(扱うもの)
初めての理解。
長い沈黙の後。
レディアナは深呼吸する。
「……制御不能かと思いましたわ」
「今も完全ではない」
アルベルトは正直に言う。
「でも、君は止まった」
確かに。
水をかけなかった。
罵倒しなかった。
断罪もしなかった。
ただ――言った。
「嫌だった」と。
それだけ。
レディアナは静かに頷く。
「未熟ですわね」
「成長中だろう」
その言葉に、少しだけ笑みが浮かぶ。
完璧な悪役令嬢ではない。
だが。
初めて、感情に振り回されながらも壊れなかった。
その日、学園に大事件は起きなかった。
誰も泣かなかった。
水も飛ばなかった。
だが確実に――
“何か”は起きた。
レディアナは心の中で呟く。
(嫉妬:危険だが、有用)
新しい項目が、ノートに加わる。
そして物語は、
ついに“停滞”から“揺らぎ”へと移行したのだった。




