第96話 潮時
王弥が去ったその夜、俺は兄・劉聡と話し合いの場を設けた。
「君がどう言おうがボクは退かないぞ。千載一遇の機会を逃すなど阿呆がやること」
灯火に照らされた劉聡の表情はどこか苦しげに見えた。
(完全に退くに退けなくて意地になってら)
「洛陽の守りが堅くなった今、攻城は無謀そのもの 兄上はそれを解ってんのか?」
「あぁ 解ってるさ。だからボクは兵達に “1人10殺“ を命じようと思う。1人の漢兵が10人の晋兵を殺すまで死ぬのを許さない。もし隊の中に10人に満たずに死んだも者が1人でもいれば伍長を斬り、伍長がいなければ什長を斬り、什長がいなければ隊長を斬る............厳罰に処せば自ずと目標を達成しようと踏ん張るだろう」
――――――俺らは勝機ではなく正気を失っていたようである。
「阿呆はテメェだ この愚か者が!! それで軍の態勢が維持出来るとでも思ってんのか 逃亡兵が相次いで壊滅するわ」
「ならばどうする?」
「ハァ、もう潮時なんだよ兄上 兵糧も撤退時のものしかないんだ これ以上日数を延ばせば飢える者も出てくる 一緒に平陽へ帰ろう 帰ればまた、来られるだろう」
その言葉に劉聡はフッと笑った。
そして立ち上がると俺の顔を覗き込んでくる。その瞳はさっきまでの疲れ切ったものから無邪気な子供へと変貌した。
「最近ボクへの当たりが強くないかァ? 君ィ~ 昔はボクの後ろを “兄たん 兄たん“ ってトコトコ追い掛けてきたではないか 反抗期とは兄たん哀しいなァ」
「恥ずかしいからその話は止めてくれ。まったく何十年前の話をしてんだ お互い立場も変われば性格も変わる。今の俺には護るべき者がいる 昔のように “父を亡くした可哀想な子“ ではない 兄上とて同じであろうに」
「護るべき者...............か ボクにはないな護るべき者」
劉聡は人差し指を唇にあてて虚空を見つめる。
「とにかく明朝には退くぞ 俺が殿をやるから、兄上は精鋭騎兵と一緒に宜陽まで逃れてくれ」
「...............殿か そこまで覚悟決められちゃボクも必死で逃げるしかないかァ」
“可愛い弟がボクの為に頑張ってくれる“ と劉聡はニマニマと気持ち悪い笑みを浮かべて承諾した。
翌朝、劉聡は俺に「楚」と「車騎大将軍」の旗を、俺は劉聡に「始安」「龍驤大将軍」の旗を交換した。
劉聡軍は洛水から西に移動を始め、宜陽へと続く間道に入っていった。
俺はそれを見届け終えると馬に跨がり神剣を鞘から引き抜く。
「これで思う存分暴れられるぜ.............ッ」
視線を戻した先には無数の砂塵が舞っていた。




