第66話 王弥の洛陽攻め
轘轅関――――――
「大将軍おめでとうございます。再びこうして兵を起こせたばかりか、洛陽八関の1つ轘轅を得られた。まったく笑いが止まりませんな!!」
曹嶷は爵の中を飲み干すと破顔一笑した。
「.....................」
王弥は大方天画戟を肩に担ぎながら洛陽のある方角を睨んでいた。
旧主・劉柏根が王浚に敗れて討たれると、王弥は離散した兵を再集結させて苟晞と死闘を繰り返した。勝った負けたを繰り返しながらもその勢力を青州全土に拡大させることに成功させていたのだ。
そして従弟の王桑に青州を任せると自らは長躯して轘轅関を奇襲、攻め落としたのだ。
「曹嶷、洛陽を落としたらオレは荊州の襄陽へ向かう。青州にいる王桑と王延には揚州の建業を攻めろと伝えろ.............各地に散らばった司馬のガキ共を皆殺しにせよとな」
「御意」
王弥は曹嶷に退路を守らせると自身は兵数万を率いて洛陽の南を流れる伊水に進出する。そしてこの地を守っていた晋軍を撃ち破って津陽門の前に陣を敷いた。
―――――― 当然ながら一気に王手をかけられた洛陽の城中は上から下までパニックに陥ったのは云うまでもない。
とりわけ実権を司馬越とその側近達に握られて何ら実状も知らされていない洛陽の官吏はこの危機に絶望した。中には自害する者や北の山中に逃げる者まで現れた。
そんな中、晋帝・司馬熾は “汲桑の乱“ 鎮圧に功があった王衍を都督征討諸軍事に任じて洛陽の兵権を授けた。
津陽門――――――
王衍は直ぐさま津陽門に着任すると楼閣に登って兵の指揮を執るも、青州の隅っこから挙兵して一度は敗れたが当代の名将・苟晞を退けて洛陽にまで辿り着けた王弥の実力はホンモノであった。
門を守る晋兵は必死に抗戦するも城壁から叩き落とされ本営がある楼閣さえも危うくなる状況が幾度となく発生した。
しかしそれでも晋兵は腕がもげようが、目を潰されようが獅子奮迅の働きで王弥兵を斬っていく。
それは潰れゆく晋王朝を憂いての奮戦か.............否!! 彼らの愛すべき、護るべき家族の為である!!
洛陽が陥落すれば王弥軍による略奪と殺戮の嵐が吹き荒れることは馬鹿でも分かること。
王弥軍は5日程、津陽門に猛攻を仕掛けたが被害が増すばかりと判断して遂に伊水にまで兵を下げたのだった。
伊水・王弥軍――――――
「腐っても帝国の都ってことか 門1つ落とせねぇとはな.............苟晞に勝ったとは云え、まだまだ未熟ってことか」
急ごしらえで建てた天幕の中で王弥は自軍がまだ洛陽を落とすだけの力がないことが露呈すると先に荊州を攻めようと考えていた。
しかし事は悪い方向へと進んでいく。
「大将軍、青州を守っていた王桑様と王延様が苟晞軍の強襲を受けて河北に敗走したとのことです」
バキッ!!
「また苟晞の野郎が妨害してきたのか!! 誰かアイツを討ち取れる者はおらんのか 目障りでならんわ!!」
「お、落ち着いて下され大将軍 苟晞は名将中の名将、易々と討ち取れるもではありませぬ」
怒りのあまり持っていた爵を握りつぶすも戦には流れというものがあるのを分かっていた王弥は自軍の不利を悟った。
(王桑と王延が敗れた今、青州には帰れなくなった。そればかりか苟晞は次の攻撃目標を轘轅に定めているはず.................ッ)
王弥は軍を率いて離脱を図った。しかし洛陽の東側に進出するも、建春門付近で涼州の勇将・北宮純に襲われ大敗、さらに七里潤で左衛将軍・王秉の伏兵に遭ったことで軍が壊滅して離散。
王弥は命からがら轘轅にまで辿り着くと曹嶷を連れて北の太行山脈へ逃れたのだった............




