5−17 執念と因縁
机の上でインクが弾けた。
その光景を視界端に捉えたのか、この空間でもっとも尊ぶべきお方が椅子の背もたれに体を預けた。
休憩にしよう。誰も言葉にしないが、自然とお茶の準備が始まる。
窓の外は真っ白い大きな雲が塊となってゆっくりと進行している。
そっと視線を下げれば、何人もの人々が暮らしており……そして今まさに……
…………魔女の処刑が行われていた。
「区分するとは言うけど、魔女は安易な名称だね……兄上」
ノックも無しにいつの間にか部屋のソファーでくつろいでいる男がそう言った。
黒髪に、ゾッとするほど赤い瞳。
この部屋の主と似た顔を持つその人は、足を組んで、まるでこの部屋が我が物であるかのようだ。
「人の道から外れた者達だ。安易だろうが、区分しなければ、歴史の一端にシミを作る」
突然現れた弟の不遜な態度にも、特に気にするそぶりは見せず、主はスッと手を上げると机の上にあるインク染みのついた紙を魔術で手元に呼び寄せた。
「シミかぁ、怠け者のはずの兄上が、国の歴史を重んじるなんて。しかも補佐官すら指名せず一人で執務をこなす様子をもし神が見たら、きっとアシヌスの名を兄上から取り上げるだろうね」
「最後の言葉は宣戦布告か……デイロス」
「いやまさか、それだけ兄上の仕事振りがその名にあっていないと言うことを言いたいんだ」
クスクスと笑いながらそう言った弟に兄はグッと眉間に皺を寄せると、デイロスは手を振りながら冗談だと言った。
「兄上も殺気だっているね、もし僕が味方でなかったならストレスで倒れていたんじゃない」
「お前が味方であろうがなかろうが私は変わらん、むしろお前は愚か、他者との交流に利便性は感じん」
「その割には気に入ってくれたみたいだけど」
デイロスが唐突にティーセットを持ってきた魔力保有生、いや魔女に視線を向けた。
「補佐官を付けないと頑なだったから、数日で告げ返されるかもとアルメリアが心配していたけど、意外と長く持っているね」
「あやつは静かだ」
その言葉通り、静かにお茶の準備をし、別々の場所でくつろぐ方々に茶菓子と共に差し出すと、主からインク染みを付けた書類が返された。
黒く滲んだシミは綺麗さっぱり消え去っていた。
「ところで二番の魔力が消えていないが、逃げられたのか?」
「まさか、四肢を捥いで断頭台だよ」
物騒な言葉が並ぶ。
到底今からティータイムをくつろぐ方々からは出ない言葉だ。
「一番の方は兄上が相手にすると言っていたけど、どうして檻の中に?」
「戦犯として交戦国に差し出す」
「?そう、殺さないなんて兄上は優しいんだね」
「貴様は異常だな私怨で兄弟のほとんどを亡き者にした」
「怒ってる?」
「少し……この国が戦争をしているのは一つの国だけでない、王子の頭数だけは揃っていたのだから」
「二番はまだ生きてるかも」
「いやいい、どうせこの場所を国として残す気はない」
「ここをどうするか、すべて兄上に任せるけど、僕とアルメリアが外で生きられるぐらいの体裁は保ってよ」
「人の感情をコントロールする事はできない。周りに願うよりも、その目の色でも変えて山奥で慎ましく生きろ、私の手伝いをするなら話は別だが」
「うーむ、面倒だなぁ」
「お前にこそ、アシヌスの名がふさわしいな」
「お褒めに預かり光栄です兄上」
グイッとデイロスは紅茶を飲み干してソファーから立ち上がった。
「次は第七か」
「うん、最後だね残して欲しい?」
「もう兄弟どもの事は好きにしていいが」
アシヌスは心底わからないと首を傾げた。
「お前が憎んでいるのは彼女をお前から引き離そうとした二番目だけでないのか?」
「そうだね、でも僕に面倒な奴を擦り付けた奴も、彼女にちょっかいをかけた奴らも許さないんだ」
「凄まじい執念だな、やはり貴様は雑音のない山奥が似合いそうだ」
「はは、兄上もそう思わない?」
その問いの答えは初めから決まっている。
「奪わなければ、奪おうとしなければよかったんだ、彼らはね」
………………
窓の外で黒い霧の柱が出現した。部屋の者達は一斉にそちらを注視し何が起こったのかその目で確認した。
「第七のところの補佐官か」
「アルメリアが今一人で相手をしているんだよ、彼女は優しいから僕を近づけたくないみたい」
ガタッと思わず部屋に響く音を立てて立ち上がる。
ゆっくりと二人の視線を集めたフローレは、しかし萎縮する様子もなく、窓の向こうに目を逸らせない。
「行ってみるかい」
デイロスからそう声がかかり……フローレは一拍遅れて、赤い瞳と目を合わせた。
………………………………
………………
…………
その後どうやって対処した。
今、目の前には、あの時の黒い霧が柱となって形成されている。
中から伝わる魔力の渦には、いつの日か親しんだ魔力気配はなく、フローレに手を貸す者は消え去った。
あの時そばにいた師は、隣にいない。
揺らいだ精神が、フローレに最大の隙を作った。
霧が地面に霧散して、黒いニードルを出現させる。
間一髪、串刺しになる前に交わすことができたが、足首をかすめ、動きに支障をきたした。
速やかに安全な場所に避難するため、フローレはすぐに転移術を発動させようとしたが、その前に彼女の体は宙に舞った。
「フローレ様!」
キツく一つに括られた黄土色の髪が、巻き上がる風と共に揺れる。
風魔術による高速移動。下からの攻撃をよりよく避けるため、飛び上がった二人の体をオネットが繊細な魔力操作でコントロールしている。
「オネット様!」
下から這い出たニードルが一層細く鋭くオネット達に伸びる。
オネットは杖を構え、発動した魔術が黒いニードルに衝突した瞬間、オネット達の体はさらに高く飛び上がった。
フローレは魔女を中心に発生する黒い霧を見下ろす。
自身を追うように発生していた黒いニードルは、今は無差別に発生しており、魔術師総会が侵食されているようだった。
この場所が壊される。
その悲壮感がフローレの理性を奪い、彼女に最大の魔術陣を形成させた。
目の前に発動された魔術語、その羅列にオネットは目を見開く。
瞬きも忘れたその視界にははっきりと黒い霧の魔術を食い止めるために出現した木の根がニードルの進行を止めた。
「阻害している」
全く違う性質の魔力が、魔力圧の境界を作った。
結界に似て非なるその樹木、オネットは瞬きをした後、フローレを連れて、樹木の枝木に身を下ろした。
「足の治癒を」
「いいえ、私がします」
魔力量からかフローレはオネットによる治療を断り、自身で治癒した。
「ありがとうございますオネット様」
立ち上がりフローレは礼を言った。
微笑みを浮かべて、オネットと視線を合わせる彼女、しかしオネットの目には僅かに肩を振るわせる様子も見えた。
「フローレ様、怯えていらっしゃる……」
気づいていなかったのだろう。そっと肩に触れて震えを抑え込もうとするその手に、オネットは自身の手を添えた。
「守っていただきありがとうございます」
今度は近く、顔を合わせて伝えることができた。
村にいた時とは違う、彼女本来の温かさを押し込み、魔女と相対する姿。
まるで、誰かを模しているそんな姿……
重荷、過去の因縁、フローレの恐怖はきっとそこから生まれているのだろう。
「フローレ様、私、やってみたいことがあるんです」
「やりたいこと……?」
だからオネットは、遠慮せず肩代わりできる。
「フローレ様はどうかこの素晴らしい魔術の維持に専念してください」
オネットはそう言い黒い霧に向き直った。




