5−18 名の下
オネット……誠実でありなさい。
昔、父親にそう言われた。嘘をつかず、人を騙さず、約束を破らない。そんな人間になれと。
その抑揚のない声に、言葉以上の意味などないと思っていたが、けれども……
見上げた先、逆光の中で僅かに見えた表情を忘れられないこの記憶の意味が、大人になってから気づくことができた。
……………………
…………
……
杖を引き、集中する。
オネットの周りに手幅ほどの魔術陣が四つ展開された。
一つの魔術を最小化、その上で発動条件である魔力の量を細分化した。
一つの魔術の複数化は、オネットの魔力量で不可能だったことを可能にする手法、当然オネットがその手法を模索し研究しないわけがない。
陣から放たれた半透明の鎖、その拘束魔術はオネットが指示した標的に向かい伸び、進む道になった。
「オネット様」
名を呼ぶフローレに、浮かぶ笑顔を向け頷く。
飛び出すオネットに、フローレが止める言葉を出せなかったのは。
その笑みがまるで今から戦闘に向かう人の姿に見えなかったからか……
「やってみたいこと」恐怖よりも上回るその感情を榛色の瞳に乗せた彼女は何にも縛られていない。
その自由な思考が、視線が、体が、オネットの強さだ。
オネット、2本の鎖に足をかけ、風魔術による補佐を使い飛ぶように鎖の上を走る。
運動神経は無いが、魔力コントロールで完璧にカバーし常人以上のバランス感覚を生み出す。
迫るオネットに気づいた魔女がオネットを仕留めるために、
黒い霧を分離させ、火球となりオネットに放たれた。
だが、オネットの周囲に漂う残り二つの鎖が衝突し弾く。
ずらされた軌道のまま、火球は地に落ち自らを形成した黒い霧となって霧散した。
意識を持たない、ただ魔力として使われた魔術と違い、術者の意図にそうよう、オネットの魔術陣から出現した拘束魔術の鎖は、すぐに軌道を戻し、次々と放たれる攻撃からオネットを守る。
『カシェットルーマー』
その言葉はオネットの口から紡がれた言葉だ。
一度見た魔女の弟子が使っていた魔術。
その魔術語の羅列は今も構成できていないが、発音に一切の迷いなく意味を伝える。
響く発音が空気を揺るがし、大気中潜む正常な魔力に呼びかける。
瞬時にオネットの姿は発生した別の魔力の波に隠された。
半透明の鎖だけが彼女の進む道を示している。
揺れる鎖に幾重もの魔術攻撃が打ちこまれるが、誰の悲鳴も響かずそして……
『クペフィル』
魔女を覆っていた黒い霧が頭上から剣を一振り下ろしたように切り開かれた。
オネットが放った二つの鎖に片腕を囚われた魔女。
黒い霧に守られていた怠けか、陽に照らされた瞬間魔女は腕を引き自身の魔力を絡まる拘束魔術に集めて、無理やり鎖を引きちぎる。
「私を守りなさい!」
再び黒い霧を呼ぶ声が響く。霧は黒い糸のように魔女の周りを漂う。
黒い霧の柱、その出現にはある程度の時間がかかり、そしてオネットの魔術攻撃が通用したと言うことは、黒い霧自体は、攻撃と防御を同時にすることができない。
かつて、リベルテがリガール魔術である黄金の防御壁を展開中、体の自由がきかなかったように。
あの黒い霧状の魔力は魔女の実力に見合わない。
なら何故魔女はあの魔力に頼るのか……
「一泡吹かせた気分はどう?フィル……」
この場にいない者の名前を呟き黒い霧に包まれながら、魔女はその手に杖を出現させた。
霧の向こうでオネットの姿を探す魔女の目が、総会本部との境界を作ったフローレを見つける。
「言い忘れてたわ…………思い出したわよ」
憎たらしいと、その感情を声にして杖先をフローレに向けた。
しかし魔術を放つその前に首筋に冷たい感覚がした。
姿を消していたオネットが魔女の背後をとる。
空中からオネットが放った風の弾丸は魔女の頬を掠め、黒い髪に穴を開けた。
……外した!
オネットはすぐに距離を取り魔女からの攻撃に備えた。しかし魔女は微動だにせずに散らばった黒い髪を見下ろしている。
…………
黒い霧が静寂ともにオネットに迫る。
半透明の鎖を使い無操作に出現したニードルの間に足場を作り、残りの二本で黒い霧を捉えようと伸ばすが、霧は拘束魔術に捉えられる前に霧散し、そして再び、集結した。
火球として現れた霧とは違い、魔術として出現しなければ、この黒い霧は魔力でしかない。
実体としての性質は大気中流れる魔力と同様。
……やはり、この魔力自体はリベルテさんが総会本部の防御壁を通してリガール魔術を行使するしか……
襲いくる黒い霧に、体を空中に投げ出し交わす。
飛び上がった体はニードルの頭上、すぐさに串刺しにせんと鋭い刃先が迫るがオネットは再び、ニードルを足掛かりに風魔術を発動し、高く飛び上がった。
……堂々巡りだ、
先程の一手、魔女により近く接近できたあの瞬間が最も好機だった。もう一度あの距離を詰めるためには、短距離転移を使えばいい。
しかし、魔力の跡が強く残る転移術は実際には行動の予想がつきやすい、
防がれたら、魔力の消費が大きい行為を無駄にしてしまう。
同じ手法は暴かれる。時間稼ぎの役割もこなせないままに追い込まれてしまう可能性に、オネットは打破するため思考を巡らせる。
僅かに鈍ったオネットの体。その一瞬の間に黒い霧はオネットに迫った。
「しまった!」
囲まれた、黒い霧が螺旋状にオネットを包囲し、その身の自由を奪う。
触れてはいない、どうやら自身の魔力で構成した防御壁は結界と同様に黒い魔力の侵入を拒むらしい。
だからといってこの状態を維持したまま戦うことは不可能。
攻撃魔術が通用しない黒い霧から抜け出すには転移しか無い。
使うとしても一度だけだろう。それを渋り、他に手立てがないか探る間に、黒い霧は蛇のようにオネットを守る防御壁を締め上げ、そして圧力に屈した防御壁にピキピキと音を立てて亀裂が入る。
杖を握る手に力が籠る、母の刻んだ魔術語がこの場の答えを示してくれていないか。
オネットはリスクに怯え、判断することができない。
動けない体……しかし視界端にいつしか見慣れた黄金を写した瞬間、オネットは不安により杖を強く握った手の力を抜く。
「リベルテさん」
魔術師総会本部を覆う防御壁、そのドーム状の守りの壁に輝く黄金が這うように広がっていた。
「こんなに早く、陣の構成を完成させるなんて」
虫食いがあると言っていた。リーブルが残した手立てを、しかし一切のミスなく発動したリベルテにオネットは先程までの緊張も忘れ、只々歓喜にその表情に笑顔を浮かべた。
黒い霧がぼやける。
総会本部の防御壁は内側に留めることがやっとだったその黒い魔力をようやく糧にし正常に機能を開始した。
オネットを守った防御壁は限界を迎え破壊される。締め上げていた黒い霧は獲物を捕まえるため一斉に収縮するが、オネットの姿はどこにもなく虚しく空を切った。
オネットは、好機を逃さない。
黄金の光が走るその光景に唖然としていた魔女は、消えたオネットの魔力が背後に迫っていることにその瞬間まで気づかなかった。
「っ!」
オネットが放った風の弾丸が魔女の脇腹を貫通する。
背後からの攻撃が直撃し、腹に大穴を開けた体は力を失い倒れた。
だが、すぐに黒い霧が集まり魔女の体を支え、穴を塞ぐように集まり、ぼやけた状態でも魔女の一部として活動していた。
魔女の死は時間の問題。
オネットは距離をとることを選択したが、死を目の前にした魔女は、目の前に現れたオネットを逃す気はなく。手負いの猛獣のような眼光をオネットに向けた。
「逃がさない!!」
黒い霧。出現していたニードルもその姿を霧散させ、魔女の声に従いオネットに迫る。
咄嗟に防御壁を展開させたオネットは、母の杖に魔力を込め自身を守る。
『カシェットルーマー』
「今更を姿をくらまして何の意味が!」
響いた魔術語に魔女が冷笑する。
だがその笑みは吐き出た血の濁流により消えた。
「がっ」
魔女は、うめき声をあげ、腹に貫通したものを見下ろす。
風の刃で切り開かれ、腹を貫通したのは、オネットの杖だ。
木製の杖先に刻まれた魔術語に高い魔力を含む魔女の血が、流れ込む。
静かな時間。しかし、一瞬の間続いたその光景を目にオネットは自身の杖からそっと手を離し、そして……
魔女の体はその胴体を吹き飛ばした。
オネットの魔力はこの魔術を発動させるほどもう残っていない。
あらかじめ杖に一定の魔力と魔術語を付与し、そしてそれらは多量の魔女の血によって誤作動を起こし魔術が発動した。
親から貰い受けた杖を魔術具として扱うことに、抵抗はあったが、結果として……オネットは勝利した。
「あなた……」
か細い声で魔女は喋る。胴体よりも下はなく。そして魔女は黒い霧を操る力もない。
「あなた……傲慢ね」
「……」
「そ…に…強欲で…人の…に……つけ…て…怠惰だか……ら…すべ…じぶ……た……い……振るま……う」
魔女はその口から血を溢れさせながらも言葉を絞り出す。
「あんた……見たいに……すべてを…………たぶらかす……にんげ……………………きら…よ…………」
『嫌いよ』
濁る魔女の目はオネットを見ていない。ただ一点、地に倒れた先に見える空を見上げて最後の言葉を発し、そして…………
魔女は……かつて使えた主の名の下、「嫉妬」に溺れ、死んでいった。




