5−14 鎖の音
草木を踏み締めて、リシアは走った。
追っ手から逃げ、魔力を多量に消費しながらもここまで戻って来たのはひとえに彼の所在を知りたかったからだ。
ブラン……彼はちゃんとこの場所に戻って来たのか…
彼が任務を始める時も、そして終えるその時も、リシアは誰よりも側で見守る事ができた。
だからこそ心配なのだ、覚悟を決めていたはずなのに、それを凌駕するほど、彼のことが心配でならない。
「ブラン」
その小さな声のつぶやきは風に飲まれて消えてしまい、リシアの耳には聞こえなかった。
しかし、一瞬、雷鳴が耳を打った。
風が吹き、フードが脱げる。白く少しクセのある髪が乱暴に靡くのも気にする素振りも見せず、リシアはその場に立ち尽くした。
結界が展開されている。しかしそれは本来の認識を阻害するものとは違い、内側から出る事ができない仕様になっているとリシアは認識した。
「王国騎士団」
わかっていた…けれどもリシアは彼の所在を確かめずにこのまま逃げることはできなかった。
…………………………
…………
………
電撃を受けて少なからずブランの体は身動きが取りにくいはずだが、ブランはものともせず肩を回し体の様子を確認している。
「ハハハ」
ノワールの口から乾いた笑いが漏れる。
回復魔術は確かに傷を癒すがそれも限度がある。
消耗した血液は戻らないし、折れた骨は医療機関での治療が必要だ。
魔術の描かれた陣だけで、背後の壁すら切り裂かれた魔術攻撃を、目の前の男は自らに刻まれた魔術語のみで治癒して見せた。
現在の治癒魔術を超えた魔術現象。
もし今後このレベルの治癒を見せられたら、かなり厄介な相手である。
「ぁあー治った〜」
ペタペタと切られた服の合間に覗く、再生したばかりの皮膚をブランは触りそう言った。
ノワールの魔術攻撃の反動で手から離れた剣が、刀身に描かれた魔術語を光らせブランの手に収まる。
惜しむ様子もなく治癒後に魔術を使用した男にノワールはこの男の魔力量を見誤ったことに気づく。
……どうりで一目置かれているわけだ……
この男が地下牢から出された理由をノワールは理解出来なかった。
刺客を送り込めるのならば、エグレゴア地下の情報を持っているブランを暗殺するだろう、しかし連れ出された上に何にも縛られることなくこの男は生きている。
この男は自身やグランを上回る魔力量を有している。
ノワールは地面を押し固め、風魔術でブランの懐に入り込む。狙うは首、治癒魔術もかける暇なくこの男を殺す。
しかし刃先が首を切る前にブランの剣がそれを止める。
力のこもった剣同士は震え、火花を散らす。
睨み合う両者の剣は同時に魔術語を浮かび上がらせ、互いに距離を取ると魔術を放つ。
相殺された攻撃魔術の余波が僅かな静寂の中でどちら共に次の一手を放つ。
斬撃による魔術攻撃の精密さは同格か…
二度目も相殺され、僅かに立ち上る煙の向こうでブランの笑みがノワールを挑発する。
「アハ!いい!」
飽きたのか、それとも互いに大きな一手とならない現状に我慢の限界が来たのか興奮混じりの掛け声と共にブランはノワールに切りかかる。魔術のない剣撃はしかし、剣がぶつかるその瞬間に魔術語の発動が確認され、すかさずノワールは防御壁を展開させる。
防御壁の周囲に業火が発生し、その威力に自滅の文字が脳裏を過ったが背後に迫った気配にその思考は飛ぶ。
風の斬撃も加わった重い一撃はノワールの防御壁を砕き同時に剣同士がぶつかり合い突風と共に業火も消え去る。
背後を取る。それは戦闘において常套手段だ。
背中を狙う杖先、その存在にノワールが気付かないわけもなく、足を引きブランの剣を流すと背後に迫る炎の弾丸がノワールの頬に僅かに火傷を残した。
背後と眼前、その両方から舌打ちが聞こえた。
僅かな不信感を覚えたその瞬間、ブランはノワール目の前から消えそして…
背後で悲鳴が上がる。
ブランの行動の意図を理解したノワールも転移し振り下された剣を受け止めた。
ブランの先程まで浮かべていたはずの笑みは消え去り、黒い目玉がこちらを見下ろす。
「仲間じゃないのか」
愚問だろう。
「邪魔したからだ」
何の感情もこもっていない表情でそう一言呟いたあと、ブランはニィッとあの笑みを浮かべそして……
「あんたは何故庇った」
そうノワールに問う。
「捕縛対象だからだ」
答えると同時にブランの腹に蹴りを入れ、突然振り下された刃に体を硬直させた魔術師の首に剣の柄を叩き込む。
昏倒した魔術師から杖を奪い宙に投げ捨て剣を振れば、二つに斬られた杖が硬い地面にカランと音を立てて落ちた。
「あははは!」
その笑い声は、まるで自由を叫んでいるようだった。
この男は、何にも縛られていない。グランにも、魔女にも、エグレゴアにも……
視界端で倒れる魔術師の肩口に赤い染みが広げている。
転移と同時に斬りつけのだろう。
ブランの刀身に付着した、僅かに魔力を含んだ体液が男の魔力に答える。
体から離れたそれは元の持ち主の意思など関係なく刀身に刻まれた魔術語を発動させる糧となった。
多量の血液は魔術の発動に誤作動をきたす。
そのため、剣に魔術語を刻む場合は付着した血液の魔力量により自身の魔力操作が必要になる。
刀身に纏わせた揺らめきは風魔術だろう、その剣先をノワールに向けブランは一層歪んだ笑みを浮かべた。
両手で柄を握りしめる。揺らぐ剣が月に掲げられ、その圧縮された威力を、ブランは何の躊躇もなく振り下ろした。
建物を繋ぐ廊下は瓦礫となり石造の建物に亀裂が走る。窓ガラスが粉々に砕け、月の光を反射しながら地面に降り注ぐ。
掴んだローブを離せば気絶した魔術師が地面にずり落ちる。
生きているのを確認したノワールは落とされた場所から頭上を見上げる。
「無傷か…この野郎…」
この威力に単純な防御壁など、あっさり破られてしまうだろう。
それは、ブランに背後を取られ、食らった一撃によって理解した。
故にノワールは魔術攻撃同士による威力の相殺を図ったのだが、月明かりを背後に崩れた廊下の絶壁からこちらを見下ろす男は、一切の怯みも見せていない。
ノワールは元から手など抜いていない。
ただ、どうしてか。
騎士団長として、国に属する身の上故に、いつの間にか巻かれていた鎖が耳の奥で鳴っている。
それは諌める音か、それとも解き放たれる合図か。
生暖かく、顔を伝う血の味に、舌鼓を打ちながら、ノワールはその口角が上がっていることに気づいていない。




