5−9 旧校舎の秘密
リベルテが陣の解析を開始した序盤で、構成文に穴抜けがあることに気づく事ができたのはリーブル・アシヌスの手によって後から加えられたルガール魔術の構成文の知識があったからだ。
魔術語の配列は知らぬ人間からしたら模様に見え「そういう物」として認識してしまう。しかし知識のある者が見れば、文法や基礎からその不自然な状態を認識する事ができる。
「穴抜け…この場所に出入りできる鍵は当主権限がなければ、持つ事ができない…」
リーブル・アシヌスが不在の場合、当主権限はクラージュに一時移る事となっている。
この陣がクラージュが権利を得る前に書き換えられたのなら、それができる人間は一人しかいない。
「気色が悪い」
オネットがそう言う横でリベルテは手帳のページをめくった。
「君の想定が当たったんだよ」
第三騎士団から総会本部に繋がる転移陣に向かう最中、オネットは確かにリーブルが何らかの手立てを打っていると想定した。
しかしまさかここまで用意がいいとは想定していなかった。
「…どのような事態になっても、何らかの対応がなせるよう、あらかじめ余白を用意したという事ですか…」
「外の防御壁にルガール魔術を組み込んでると言う事は、時代と共に変化できるように主軸となる魔術語は本来はもっとシンプルなんだろうね」
よくできている。古代から続く魔術は大抵は受け継ぐ者がもういないため、誰も手出しできない物だが、アシヌス家はその例から外れたらしい…
魔術だけでない…アシヌス邸も…総会を囲う放物線の白い柱も…そして…
魔術師総会本部内にある学園も…
オネットがほんの数週間前まで学び、六年間暮らしていた場所。
学園には教授、教師そして職員と常に人がいたが、今は人影一つ見つけられない。
それは、理事長でもあり本部の総帥でもあるリーブル・アシヌスの指示であるとクラージュが言っていた。
総帥はやはり、現在の状況を予測していた……
初めて実戦をした中庭に足を踏み入れると、あの夜魔女の弟子との戦いで受けた被害は何処にも見当たらなかった。土は綺麗にならされ破損した木の壁は真新しく張り直されていた。
「生徒のいない旧校舎…図書室を残すにしては取り壊さないことに疑問を感じた事はありますが…」
オネットが入学した当時からすでに旧校舎となっていた木製の建物。
この建物で授業を受ける機会は六年間なく、用事があるとすればこの建物で唯一、人が出入りする図書室くらいだった。
「まさか、旧校舎に魔術陣が保管されていたなんて」
クラージュに聞いた通りに足を進める。
「この扉ですね」
図書室の奥には扉があった。
壁の色と同化した白い扉。ネームプレートもついておらず閉架書庫かと思っていたが、オネットからすればあながち間違っていない。
一般の生徒はおろか、教職員すらも入る事が許されないであろう扉…
その扉には通常と変わらない鍵穴が存在するが、そっと触れると、指先から凹凸を確認でき、繊細な魔術語が彫り込まれていると気づく。
ローブの内ポケットから装飾のない鍵を取り出し鍵穴に近づけると鍵の表面に細かな青白い魔術語が浮かび上がり、鍵穴も導くように光を放った。
鍵を差し込み、ガチャリと開錠された音が静かな図書室に響く。
蝶番の揺れる音を響かせながら、重く閉じられた扉を開き足を踏み入れた先は、アシヌス邸と同じ螺旋階段。
空の光が透け灰色の灯りが照らし、澄んだ空気が頬を掠める。
扉を閉めれば、その洗練された空気がオネットの全身を包んだ。
「一体なんの魔術なんでしょうか…結界?」
魔術が発動していることは分かる。しかし幾重にも重なった魔術は、それぞれ異なる特性を持ち、そして長い歴史を感じた。
階段を降り、緻密に描かれた赤い魔術陣のもとへ足を伸ばす。二重三重と円が連なり、描かれた魔術語もアシヌス邸の物とは内容が違う。
「この陣にも…いや今は写す事に専念しないと」
リベルテは僅かな時間で、リーブルが残したであろう可能性に気がついた。
それは、彼の知識量とルガール魔術というリーブルと共通して用いている構築文から導き出した答え。
もし…教えてほしいと言えばあの人は教えてくれるだろうか…
目の前の事に集中しなければならないのに、頭の片隅にそんな知識欲が顔を出す。
しかし、彼女の手は一切迷わず完璧に目の前の魔術語を模写した。
目の前の陣と手元の用紙を見比べる。
一文字ずつ誤字がないか確認し終えるとローブを翻して螺旋階段をかけ上がり、オネットは出口へ急ぐ。
これ以上ここにいると、知識欲に抗えなくなる。それに無駄な猶予はないのだから……
「全く、苦行ですね…」
図書室に繋がる扉を開けると纏う空気が変わった。
古い木の匂いと埃の積もった床、ひと呼吸すると、冷静になれる。
早くリベルテの元に戻ろうと足を進めた時。
ページをめくる音が聞こえた…
………上げた足を静かに下ろす。
気のせいであると確認するため、耳を澄ませる。
しかし、自身の衣擦れの音すらしない、無音の空間で耳に入った音は図書室という場所由来の幻聴でないのなら、それは誰かがいる音だ…
無意識に杖を握る手に力が籠り、数歩足を進める。均等に並んだ本棚の通路、突き当たりは壁一面が本棚になっている。
その前に、こちらに背を向ける女の姿があった。
黒く長い髪。後ろ姿からでもわかる人と名乗るには歪な気配にオネットは目の前の人物が人ではないことがわかった。
「この場所はね、箱庭だったの」
女は、背を向けたまま話し始めた。独り言でないのならオネットに向けたもの…
「たくさんの…選ばれた少女達がいた。そして…ここで多くを学んで自分の役割を身に宿し…」
「……」
「そして、王族の皆様のお目通りが叶った賢く美しい者だけが純白の姿で純潔を示し、この場所から羽ばたいた」
物語を語り終える様にパタリと本を閉じた女は、オネットを振り返る。
その口元には笑みが浮かんでおり、一見して異質ながら異常ではないように見え、肌で感じる感覚と視覚の食い違いに、混乱と恐怖が襲う。
「素敵でしょ、まるで御伽話のよう…でもね」
でも…
「本当なの」
次の瞬間、体を襲った衝撃に、スッと頭が冷える感覚がした。
「あら~?意外と動けるのねー」
咄嗟ではない、無意識下での防衛本能。
迫る危機に頭で判断するより早くオネットは防御魔術を展開し魔女の攻撃から身を守った。
「でも残念、楽に死ぬ機会を逃してしまったみたいねぇ」
長い黒髪を耳にかけ、片手に持っていた本を投げ捨てる。女の両手には杖はなく、また魔術語を書き記した物を身につけている様子はない。
リベルテやリーブル同様に媒介を通さずに魔力量と知識だけで魔術陣を発動したのだろう。
オネットの榛色の瞳は一切の瞬きも忘れ、高いヒールの音を響かせこちらに近づく女を見据えた。
「確かに、残念です……意外とすんなり攻撃を受けるのですね」
探る目に、女の頬に僅かに赤い線が浮き上がる光景を写す。
僅かながらの実戦経験…知り得る知識から、答えを導き出した少女の口からは震えも恐怖もない言葉が導き出された。
「その体古すぎて感覚が麻痺していらっしゃる?新しい物に取り替えては?分身体さん」
魔女の弟子の足が止まる。
沈黙の時間、けれどもオネットの肌は、目の前の生物の体から漏れ出た魔力の歪みを感じ、その内がざわめきに満ちている事を知った。
「……身の程を…知りなさいよ」
それでも表面上は可笑しそうに笑う女の黒い瞳。その明確な殺意に…
「ええ、わきまえますよ」
オネットは杖に巻かれた布を取り払った。




