5−2 枷の外れる音
「足元にお気をつけください」
地下に続く扉の先には、人一人が通る事のできる階段が現れる。壁には灯りもなく、訪れた者は手に持つランプで足元を照らさなければならない。
ここは地下牢獄。
階段を降りた数歩先でようやく僅かな明かりが照らす場所は、長く入れば精神を病む。
見張りの兵が通れば、犯罪者は皆下を向き。ある者はランプの光から隠れるように壁の隅に身を固くする。
「こちらです」
案内させたその檻の向こうには、まだ入ってまもない老人がランプの明かりに目を細めながらこちらを見ている、その挙動に彼が他の罪人と違い正気を持っている事がわかる。
「まさか、檻越しにあんたを見る日が来るとはな先生」
「ノワール君か久しぶりだな」
自身が囚われの身にも関わらず、その人はかつての教え子に穏やかな微笑みを返した。
その両手足には魔術行使を阻害する黒い枷が嵌められたおり、穏やかな雰囲気を纏っていても老人、「リルディオ・ギルバート・スリス」が犯罪者である事を知らしめている。
「元気そうで何よりだ、まぁ昔からあんなの体調を崩させられるのはリーブルとルガルデくらいだったがな」
「……そう、だったかな」
老人が僅かに眉を下げて悲しげに表情をしたのは、亡くなった教え子の名前をあげたからだろうか、それとも……
「私の記憶では、学園中の教員に頭を抱えさせた渦中に君の姿をよく見かけたような……」
枷に嵌められた腕でもわざとらしく顎に手をやる仕草は昔と変わらない、優しい先生であると同時に掴みどころのない人だったと、十年ぶりの再会にノワールは思い出す。
「団長」
不意に案内をした部下が声をかける。昔話に花を咲かせている暇はないようだ。
「わかってるよ」
およそ団長と呼ばれる人物とは思えない口調でそう返したノワールは、腰に刺した剣に手をかけて鞘から引き抜くと同時に鉄格子の扉の鍵を切り落とした。
切られた際に淡く浮かび上がった模様は魔術語だ、元来であればこんなにも簡単に役割を奪われる物ではないが、曲がりなりにも魔術を得意とする第三騎士団、その団長の一太刀には叶わなかったようだ。
「よいのかこんなことをして……私は……」
「つい先日もこの牢から逃げ出した奴がいてな、鍵を使うより同じ手法を使った方が誤魔化せる」
犯罪者を管理する魔術は使用するたび使用者の痕跡が残る仕組みになっているが。流石に力技すぎると、スリスは思った。
「足枷だけ外せ」
「はい」
驚くスリスをよそ目にノワールは牢の扉を開けて、布切れ一枚敷かれたベットに腰かけたスリスの足枷を外すよう部下に言った。
「どこに、何をするのかね」
「手伝ってほしいことがあるだけだ、先生」
そう言い、学生時代と変わらない笑みを浮かべたノワールは、人の根本はどんな立場になっても変わらない物なのだと表していた。
「あんたを捉える前に逃げ出した奴がいてな」
暗い地下から連れ出され、数時間ぶりに浴びた太陽の光が目に染みる。
「私が牢に入れられてからどのくらい時間が経った?」
「なんだ、人の説明を遮るなんて、あんたも随分と老化したな、あんたが囚われてから一晩、六時間ほどか」
部下にそう確認すると、ノワールはスリスの表情を確認する。
「六時間も……」
「言ったおくが、地下程度の時差ボケなんて大したもんでもないからな、おとぼけから正気に戻ったのなら話を続ける」
急ぐノワールの姿にスリスはあたりを見渡す、元来地下牢獄に繋がる道にこんなにも人がいないことはない。
「時間がないのはわかっている、だから面倒な手続きを省いてあんたを連れ出しているんだ」
背中越しでもスリスの視線に気づいたのかノワールはそう付け足して、現状の説明を続けた。
「エグレゴアの解体、グランを支持していた魔術師達は一時その身を捕縛されたが、多くは地下での実験に関与していないと拘束を解かれた」
だが、それらは証拠不十分という理由が主で絶対に関与していない証拠は見つかっていない。
「モルガン領。グランの勢家に、釈放された一部が出入りしていると情報が入った、あいつらは一度解放されたからといって監視されてるとは思っていないらしい」
ケケっとここにいない者達を嘲笑う表情をしたノワールだが、すぐに笑みを消した。
「そこまでは俺の想定の範疇だ…狂信的な思考を持つ奴らは解体されても集団で集まる習性があるからな、奴らが行き着くのもグランが実験を始めた最初の施設それがモルガン領内にあるのも……」
エグレゴアは解体されたが実質的な解体作業はまだ終わっていない。
「理解した、私は……何をすればいい」
牢獄に繋がる長い回廊、次第に黒い隊服の騎士がその姿を表し始める。
「第三の騎士を全員動かすのは王都防衛法で構わない、士団と半々の戦力で取り掛かる予定だが、肝心のでかい結界を張れる奴が不参加なんだ」
地下で煤けたローブのまま歩くにしては引けてしまいそうな磨かれた床や天井に目を細めながらスリスはノワールの話を思考で聞き逃さないように耳を傾ける。
「リーブルの奴は客を迎えないといけないらしくってな、こっちもあいつ込みで戦略を立てていたから、当てが外れた気分だ」
つまり、元来リーブルがするはずだった戦闘及び捕縛が行われる場所に大規模な結界を張るのがスリスの役割だ、しかし戦略という言葉を聞くに何かあれば、捕縛作業にも参加することになるのだろう。
「老耄の魔術でよければいくらでも行使しよう」
「はは!あんた以上の適役はいないさ!スリス先生」
豪快に笑い部下を引き連れる姿は、学生時代、後輩を連れて歩く姿と重なる。そう言えば、彼に憧れその年の魔術士団員志望だった学生が第三騎士団へと進路を変更してしまったとも聞いた事がある。
「いかんな、すぐ昔に浸ってしまう」
「?体調が悪いのか」
俯いていたためか、こちらを振り返ったノワールがそう尋ねた。
「いや、万全だ。疲れようにも魔力を使うのを封じられているからね」
今もまだ両手を封じる枷を見せるようにノワールの眼前に掲げると、彼はニヤリと口端を上げた。
「そうか、ゆっくり休めたようで何よりだ」
そう言いノワールは掲げられた黒い枷に手を近づける。騎士団長権限で枷はすんなりスリスの手から外れた。
「誰が見てるかもわからねぇからな、手枷してりゃ色々言い訳が通る」
悪巧みをする顔でそう言ったノワールはスリスから外した枷を部下に渡す事なく、軽く状態を確認すると懐にしまった。きっと別に使うべき相手がいるのだろう。
案内された場所は王宮の転移陣が点在する場所、すでに座標が組み込まれた状態になっている。
「一つ願いがあるのだが」
「なんだ」
「弟子達の行方がわからなくなっていてな、彼らの事が心配だ。結界を張った後、魔力探知をしても良いかね」
「あぁ、構わないついでに見知った魔術師が入れば教えてくれ」
アルデラ、攫われたと思われる彼の行方で一番可能性があるのがグランの旧研究所、そこにいなくともモルガン領内程度ならスリスの魔力探知範囲内だ。
「それと…………リベルテは……」
そしてもう一つ、心残りをノワールに問う。彼は僅かな沈黙の後に口を開いた。
「第三騎士団で身柄を抑えている……極度の睡眠不足、それと栄養失調も見受けられた……」
リベルテと対面した時、彼の魔力が安定していないことに気がついていた。研究気質な魔術師は食事を抜く事もままあるため、リベルテもそうなのかと、彼のしっかりとした話口調で思っていたが、抱えている症状は思っていたより深刻なようだった。
「……もういいだろう……あの子に背負わせるのは」
ノワールの独り言にも聞こえる声に、スリスはそっと瞼をとじた。




