4−27 アルメの記憶
…………それは、正面からアルメ達の帰る集落の方角から……地響きと共に聞こえ、その瞬間ダラダラと嫌な汗が体から流れ出た。
「ニディア!」
父が母の名前を叫ぶ、アルメもニアの顔が思い浮かび、父同様震える足を前に出し走りだそうとした。
「アルメ!村に助けを!」
しかし、父から言われた言葉はアルメの意思に反する物だった。けれども理性がそれが正しいと頭の中で響き、アルメは歯を食いしばり、父とは逆の方角に走る。
でも、この時、誰一人正しい行動ができる人間なんて……いなかったのだろう。
……………
……
来た道を戻り、近くに村に降りる。走っているのに体冷えて、この程度の距離では痙攣するはずない体は震えている。
早く、早く、誰か。
動悸のする体が状況を正確に理解しているわけもなく、村に着いた時真っ先に目に入った人に縋りついて言った言葉は支離滅裂で思い出すことなんてできない。
それでも、騒ぎに駆けつけた村の顔見知りの人が、アルメの様子から近くの自警団や冒険者に伝えに行ってくれたことは一生忘れることはないだろう。
「おい、お嬢ちゃんは?」
ただ、その時……アルメは感謝の言葉を伝えることをしなかった。
不安に駆られた精神は、けれども体は勇敢だったのだろう。
父に言われたことを全うしたアルメの理性は消えて、只々家族の元に向かっていた。
早く!早く!早く!
その場に行って何ができるなんて、わからない。
けれども大切な人が今どうしているのか、それだけを知りたくて、この目で姿を見たくて、アルメは走り、草木を掻き分け、木々を抜けた。
無意味な石碑はけれども、今は目印になり、越えた先の木々を掻き分ければもう少しで……
…………もう少しで……
もう少し、早く……
いやもっと遅く……
いやそもそも、アルメが戻らなければ、こんな光景は見なくて済んだろうに。
………………………
…………
……
視界が定まらない。荒い呼吸のせいで体が震えているからだろうか。それとも目の前の光景を直視しないように消えたはずの理性が恐怖となってそうさせたのか。
けれどもそれは、あるいは空気で、あるいは匂いで、そして静かな山の奥で響く音で、アルメにわからせた。
「と……父さん」
……どんなに勇敢でも、食われる者は食われる。
グチャグチャと、響く音……その口はしから見える肌色はいつも何気なしにアルメの頭に伸ばされる手のひらで……弓矢を教えてくれた時、よく見るよう言われた指先で…………
真っ黒い塊は、アルメを見る。
恐怖で逃げ出して叫んだからではない、気が付けば右足は一歩前へと進み出していた。
「父さん」
また一歩
「母さん」
また一歩
「ニア」
赤い目と目がった。
何処から来たのかわからない、その魔獣の巨体は集落を埋め尽くし、唸る声は地面を揺るがした。
「……っ」
体は怯えている、けれど魔獣の目に突き刺さった矢を見て……冷えた体が心臓から熱を持ち始める。
湧いき上がったのは怒りだった。
「く……な」
一歩ずつしか進むことが出来なかった足は、地面を踏み締めた。
「食うな!!」
少女は無謀に手を伸ばして、魔獣の口端から覗く手を掴む。
「食うな!食うな!食うな!!」
巨体は重く、怠慢で、けれども近寄ってきた新鮮な肉を食らうため口を開く。
その反動でアルメが掴んだ手を救い出したが、その軽さと血の通っていない冷たさから、現実が突きつけられる。
迫り上がる恐怖。嘔吐した体は現状が異常事態であると知らしめる。
けれども怒りがアルメに逃げる事を許さない。
「お前がぁ!」
集落にはアルメと魔獣の声しか響いていない。
黒い塊には鱗で覆われた尻尾があり、獲物を仕留めるために、振り払われた。
大蛇のように意思を持ってうねるそれに、アルメの体は追いつかず、吹き飛ばされた衝撃で父の手を離してしまった。
そして魔獣は、叩きつけつけられ息を吐くことができず苦しむ少女に、容赦なくその牙を向けた。
この赤い目は何の役にも立たない。
似たような赤を持って生まれたのに、目の前の魔獣を食い返す力はない。
死が近くと人は冷静になるのだろうか。諦めが、きっと父もこうやって食われたのだと教えてくれた。
「ヴァッフ!!!」
聞き慣れない声が聞こえた、まるで枯れた犬の鳴き声で。
「犬?」
視線を上げて近づい来ていた魔獣を見ると巨体を揺らし、何かを振り払おうとしている。
白い毛並みが黒い塊に牙を突きっしている。
「カ……ム」
赤い血の着いた白い毛、目にした途端忘れていた呼吸をアルメにさせて、吸った息が肺に痛みをもたらした。
「カーム!」
暴れる魔獣、とうとうカームは振り払われて、地面に叩きつけられた。
アルメは、痛む体を起き上がらせて、カームの元に駆け寄った。
アルメを助ける前から怪我をしていたのだろう。毛についた赤い血はカームのもので、今もその血は流れ出ている。上手く着地出来なかったのは、片方の前足が無かったからだ。
声の無い鳴き声をいつものように発して、カームはアルメに鼻先を近づける。
これはダメだ、嫌に冷静になった頭が現状を否定する。この子はもう持たないと理解を頭から追い出そうとする。
「カーム、守ってくれて」
木々が薙ぎ払われる音がした。それと同時に視界に紫の光が映る。
……あれは、魔術……
似たような物をアルメは最近見たことが合った。それは地面に描かれていたけれど、今はアルメの目の前に広がっている。
…………熱い
……………………………………
…………………………
………………
……
静かになった地面にその人物は足をついた。
白いローブから流れ出た白髪が、土埃に僅かに揺らめいてその表情は目の前の光景を冷めた目で見下ろしている。
「どうだ?」
「赤眼です」
土木に埋もれたその子供の目をいつのまにか現れたもう一人のローブ姿の男が覗き込んでいる。
「まだ、息があります、それに魔獣の攻撃を受けても体は吹き飛んでいない……失敗ですかね」
白髪の人物は背後で動かない魔獣を見る。
「たった一度の魔術行使で体が壊れるとは」
杖先でその巨体を押しやれば、空気が抜けるように呼吸した。
「これは、持ち帰る」
「はい、子供は?」
「無論」
稀に見る赤眼、この現状を作り出した人間が、逃すはずがない。
しかし、男はそこで思考を変えた。
「黒髪……」
「はい、この集落の特徴で皆黒い髪を持っていました」
この場所の以前の光景を知っているのか、子供の目を確認したローブの男はそう説明したが、白髪の人物は差して興味ないようで、赤と黒の子供に顔を忌々しそうに見下ろした。
「それはいらん」
「良いのですか?」
赤眼は豊富な魔力の現れ、そしてそれを収める体も使い用はいくらでもある。しかし白髪の人物は利点よりも嫌悪が優ったようだ。
「どけ」
「はい」
子供の体に杖を突きつけ、杖に書いた模様を光らせる。
途端に子供の体からまるで魂が抜けるように、靄が杖に吸い込まれて、杖先に光の塊を作り上げた。
「これはこれは……」
白髪の人物は口角を上げ、髪で隠れた首元からチェーンを引き、黒い宝石のついたネックレスを掲げた。
吸い込めれる光の靄、思わぬ収穫だとつぶやいた人物の笑みは、けれどもガラスの割れる音で引き攣った。
掲げたネックレスを見ると、黒い宝石に亀裂が入っていた。
「これほどまでとは」
「持ち帰りますか」
「あぁ」
ここでは扱いきれない、今にも砕けそうな宝石に急いで他の器を用意しなければと、ローブを翻して白髪の人物は思い出す。
魔女の置き土産があった……
気味の悪い人形……
いつだったか、魔女はそれを持ってきた。
『余った、材料で作ったの、よく出来ているでしょう』
それは無表情で不気味なほど白い何かだった。材料の影響で十歳ほどの子どもの背丈をしているが、只形をなしているだけでは無いと、説明を受けなくともわかった。
『いらん』
『あら、必要よ〜この子は良い入れもになる』
周囲の魔力に影響されず、そこだけ虚無の空間ができたような何も無い入れ物。これを見越して与えられたのなら自身はどこまでも神に愛されている。
「後は片せ」
「はい」
白髪の人物はそう言い残して姿を消した。
見送った男は、言われた通りこの惨状を片すため、近くに転がる子供の腕をとった。
片すと言っても崩れた家を戻すことはしない、「魔獣に襲われ滅んだ集落」この肩書きの証拠は残さなければならない。
男がするのは、子供と魔獣の回収のみ。一度の転移で済ませるために、子供を引きずり魔獣の元に近寄る。
只いきなり手が燃えるような熱を発さなければ、その単純な作業を済ませるだけで済んだだろう。
「うわぁ!!なっなんだ!これは!!」
燃える腕その炎は黒く、男がどんな魔術を使っても消えることはない。
「熱い!あつい!ぁつい!!」
そうし体をのたうちまわらせ、やがて背後の魔獣にぶつかり、自身の背後も往々しく燃え上がった。
背後の炎に目をやる余裕などないのに、その大きく燃える黒い炎に見入ったのは、その男の魔術師としての性なのか。
ボトリと肩が軽くなる、始めに黒い炎に焼かれた腕が、まるで蝋人形のように落ち、黒い塊となって溶けてしまった。
「ぁぁ、ああああああああ!!!」
男の叫びはその喉が溶け消えるまで静かな森に響いた。
父さん……母さん……ニア………………タロ…………イオ…………ハンナ………………………………
「カーム」
「フン」
暖かな風が頬を掠めて、アルメは僅かに瞼を開けた。頬に冷たい感触が流れ、雨が振り始めた空にアルメは手を伸ばす。
「………ぁ……」
崩れた瓦礫と薙ぎ倒された木々、辺りに血の痕が残るその場所でアルメは意識を手放した。




