4−26 アルメの記憶
朝を起きて、赤い瞳を見る。
もう何年も毎日同じ行動をとっているのに、ここ数日ほどこの行為が嫌になったことはなかった。
ハンナとは仲直りできていない、そもそもあれは一方的にハンナが決めつけて、周囲に言い回っただけの話、タロやイオにその訂正をしたが、二人とも大して信じていないようで。しかしわざわざ訂正するまでもなく忘れていた。
妹を泣かせた一端もあるので、イオはくすぐりの刑に処した後、ハンナに話をつけに行こうかと思ったが、丁度名主の家にお客様が来ているらしく。ハンナもその手伝いで話かけることはできそうになかった。
それから、今日に至るまで彼女と話すきかっけはない。
噂で名主の家に来た客人は名主と昔馴染みらしく、ハンナの上京の手助けをするとか。夢が前進しハンナは今とても忙しそうで、そんな様子にアルメ遠慮したのだ。
いや、実際はわざわざ蒸し返すのが嫌だった。タロもイオも忘れていた程度のことをハンナに話たところで、きっとハンナも忘れているだろうと、時間が経ってこのギスギスした雰囲気も無くなればといいと思っていた。
それでも喧嘩の理由になったこの赤い瞳を見るたびに嫌な気持ちが蘇るのは、本当にハンナが集落を出て行き、その日が近づいていると何処かで焦りのようなものを感じているからだろう。
「面倒くさい」
顔を洗って髪に櫛を通して、なるべく赤い瞳と目を合わせないように、アルメは食卓についた。
家族と一緒に朝食を食べると、そんな嫌な気持ちも吹き飛ぶ。
今日のパンは焼きたてで、牛を飼っているシルノの叔母さんから、野菜と交換してもらったバターを塗り食べるとサクサクの生地とほんのり甘いバターの香りが鼻を抜ける。
あまりに幸せそうに食べていたからか、母が笑いベーコンを一枚分けてくれた。
だから、食後の片付けで洗い物は全部私がやると言うと、母は笑って「ありがとう」と言ってくれた。
こうして幸せに触れていると、どうせいなくなる友人一人との関係に悩むのもそのうちバカらしくなって来た。
この朝の憂鬱なループも明日には抜けられそうだとアルメは思う。
「今日は村に革を売りに行く」
「うん、帰りに罠の確認をするんだよね」
父と一緒に弓を張って準備をして、今日の予定の確認をする。
追い込みでの狩の他に罠を仕掛けた狩もしている。罠の場合は仕掛け日後、毎日確認をしなければいけないため、森に入る人が用事のついでにする。
「アルメ」
ニアと母、それとカームに見送られて家を出ると、隣人宅の窓からタロが手を振っていた。
その首にはネギが巻かれており、駆け寄らなくても何が起こっているのかわかった。
「それで治るの?」
「見込みなし、イオもやられて父さんも怪しい」
「……ついでに薬も買ってくる、症状は?」
「すまないねー兄さん」
背後で父がそう言うと、タロの背後から叔父さんが顔を出してそう言った。
咳と鼻水、軽い症状だが広まるとよくないので、タロ達がする予定だった罠の確認もアルメ達がする事にした。
「いってらっしゃい〜」
軽く手を振る姿は似ている。
フフと笑って手を振りかえし、父の背を追って集落を降りる。集落では整備している道を使う時は、途中で木の枝や蔦が伸びていたら切り落として手を入れる。何気ないことだけど後々が楽になるから大切だと教わった。
「結構値がついたね」
「あぁ」
日暮前に用事を済ませることができ、行きは空だった皮袋は今はいっぱいになっている。特に父が仕留めた猪の毛皮は良い値がついた。どうらや街の裕福層では大きな動物の剥製が流行しているらしく。一度で仕留めた毛皮は品質が良いと、買い取った店の店主が言っていた。
父親が褒められていると、誇らしくなる。
父は顔には出さないので変わりアルメが笑顔で店主と応対した。
「アルメは人との付き合いが上手いな」
「そう?」
「あぁ、良いことだ」
大きな手のひらがポンポンと頭を撫でる。「俺には無いものだ」そんなことを言っていたので、それなら母に似たのだと言えば、父は笑った。
薬も買い、村での用事も終えたアルメ達は罠の様子を見に回った。
「ここもいないね」
「……」
保存食はまだある、冬もまだ先のため不安を覚えることはないのだが、父の表情は浮かない。
「……………………動物がいない」
「へ?」
言われて、アルメも耳を澄まし、ハッとする。
歩く音でかき消されるがそんな中でも森を歩いていると聞こえる鳥が木々を渡る音や、虫の音も聞こえない。
「…………静かだ」
この静けさは異様であると父の言葉で確信して、アルメの内から不安が湧いてくる。
「……早めに戻ろう」
「……うん」
ここは石碑の外、この異様な状態がこの場だけで起きているなら、その原因は自ずと知れるだろう。
例えば、魔獣であるとか。
父は腰に刺した短剣を抜き、アルメに目配せした。アルメは肩にかけた矢をいつでも投げ出せるように手に持つ。
もし魔獣が近くにいるなら、アルメは逃げることしかできない。
その時は父が矢面に立つ事になるが、幼い頃からそう言い聞かせられたので、嫌だと思ってもアルメは逃げることを優先するしかないのだ。
親子は、幸いにも魔獣に遭遇することなく、石碑の元まで辿りついた。
なるべく音を立てずに無言で父の背をついて歩く時間は緊張し、石碑より一歩先に足を踏み入れた時、思わず息が溢れた。
「良かった」
「油断はできない、しばらくは狩にいけないな」
「うん」
魔獣がこの山を通り過ぎるまで、集落の男達が交代で石碑の向こうに行き、山の状態を確認する。
動物達の様子でそれがわかるが、危険な見回りを勝手出る役目に家族が入っていると、この不安は無くならない。
けれども、今日は無事に家に帰ることができるのだ、弓矢を背負い直して、父を見上げると父は剣を鞘に納めて頷く。
帰ろう、そう足を集落の方向に向けた時、聞いた事のない唸り声が耳を劈いた。




