15
闇に覆われている空は、僕の心模様を察しているかのように今にも泣き出しそうだった。
毎年楽しいはずのこの時間も、今日だけは切なくて堪らない。
店を出た僕とレンは、しっとりと湿度を含んだ空気の中を歩いていた。
「ちょっと寄り道してこうか」
「リトが珍しいね」
「偶にはね、少し遠回りして帰ろう」
くすくす、とレンが笑って、僕の手を取った。
あの屋敷に着いてしまったら別れへの時間が早まってしまいそうで、僕は少し、こわかった。
「雨が降ったら走って帰らなきゃ」
「転ぶなよ」
「大丈夫だよ」
レンは頭はいいけれど、運動はからっきしだ。体を動かす授業は何かと理由を付けて、参加していなかったくらいには。
レンが僕の手を握ったまま、振り返った。暗闇の中でもレンが機嫌良く笑ったのが分かった。
「ねぇ、リト」
「ん?」
「キス、したことある?」
「……は?」
キス、その言葉に僕の思考回路は止まった。
何を言ってるの、そう口にしたいのに、僕の口は全く動いてくれない。
僕を見るレンは、まるで明日の天気を聞くみたいに平然としていて、にこにこと微笑んでいる。
「……ない、けど」
「してみる?」
「は?」
益々、訳が分からなくなる。
レンは一体、何を言っているんだろう。
そう思うのに、心は欲望に忠実だ。レンとキスなんて出来ないと分かっているのに、僕の心臓は浮き足立つように忙しなく高鳴っている。
目の前に立っているのは確かに僕の妹のはずなのに、どうしてだろう全く知らない女性のような気がした。
「……っ、」
不意に、レンが僕の手を強く引き寄せた。思わず前のめりになった僕の視界いっぱいに、レンが広がる。
「リト」
レンの琥珀色の瞳が、僕を真っ直ぐに見つめている。
このまま本当に、唇を重ねられたなら。
「……」
そんな邪悪な考えが過って動けないでいる僕の頬に、レンの柔らかなものがそっと触れた。
「…なーんてね!」
背伸びをしていたらしいレンが僕の手を離して、すとんと降り立つ。
「さすがに、兄妹でキスはまずいよね」
「……そう、だね」
僕は、構わないけど。
兄妹なのだと必死に言い聞かせていないと、僕には直ぐにレンが妹に見えなくなる。
そう告白できたなら、この期に及んで未だそんなことを考える自分に、僕は嫌気がさした。
「あ、雨」
「……本当だ」
「降ってきちゃったね。急いで帰ろう」
「…うん」
僕は遂に泣き始めてしまった空をしばし見上げて、既に走り出したレンの後ろを追いかけた。
「……あれ?」
屋敷の玄関前に、誰かが乗り付けた車が見える。霧みたいな雨の中で赤いランプがやけに、はっきりと見えた。
車なんて高級品は、余程お金に余裕のある人しか利用しない。そう、例えば、ユコおばさんやアルおじさんのような。
「ユコおばさんが帰ってきたのかな?」
「そうかも」
立ち止まる僕たちの少し先で、誰かが車から降りてくるのが見えた。ばたん、と扉が閉まったあと、車は走り去っていく。
「アルおじさん?」
降りてきたのは、ユコおばさんでは無く、アルおじさんだった。
「……ああ、リト、レン」
僕たちの名前を呼んだアルおじさんの様子が明らかにおかしくて、僕は密かに眉を顰めた。
おじさんの顔は夜でも分かるくらいに真っ白で、彼の纏う雰囲気が、まるでいつもと違っている。
「アルおじさん、今日はどうしたの?お誕生日のお祝いにきてくれたの?」
突っ立ったまま動かないおじさんへ歩み寄ったレンが、表情の窺えない彼を見上げて首を傾げる。
「……ああ、今日は、誕生日だったな」
「うん!リトとプレゼント交換してきたの」
「……」
鈍感な僕ですら気付いたのだから、人の機微に敏感なレンはきっと、おじさんの不穏な様子に勘づいているだろう。
それを分かった上できっと、敢えて明るくおじさんに接している。
「アルおじさん?」
「……」
僕はそんなふたりを見て、どうしてだろう、確信にも似た嫌な予感がした。
「……ユコが、」
霧みたいだった雨が、いつの間にか大きな粒になって僕たちをあっという間に濡らしていく。
「……亡くなった」
地面を打つ雨音だけが、真っ暗な世界に響いていた。




