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後日譚

「ツキシロ様。ここにお茶を置いておきますね」

「ああ、ありがとうございます」

 ツキシロは微かに顔を上げたものの、礼を言ってすぐに手元の書類に視線を戻してしまった。夜遅くに私室に戻ってきてからも仕事を手放しきれない彼に対して、コハクは彼の身体の心配と、一抹の寂しさを感じる。だが、仕方のないことなのだろう。国王が引退を考え始めた最近では、皇太子であるツキシロが判断しなければならない事柄が増えている。

 ツキシロの分と一緒に淹れた自分のお茶を持って少し離れた長椅子に座り、邪魔しないように静かに魔術書を開く。他愛無いお喋りができないのは残念だが、こうして同じ空間で穏やかに過ごせることは十分に嬉しい。出会ったばかりの頃は、そんなことができるとは思っていなかった。

 ふと仕事中にしては珍しく、ツキシロから声を掛けられた。

「実は、今読んでいるのは、先日起こったアサギ地方の行政官交代事件の詳細報告書なんです」

「っえ…っ! あれは……」

「そう。コハク、先日、貴女に視察に行ってもらった件です」

 ツキシロの口調も笑顔もいつもの穏やかなものと変わらない。けれど、いや、だからこそ、コハクは急に座っている椅子が硬くなった気がした。

「帰って来てすぐにもらった簡易報告では、貴女が視察に訪れたときには、住民の不満が高まっていて、行政官交代を官庁に訴えていたということでしたね」

「は、はい、そうです。行政官の不正の証拠も住民たちの意志もはっきりしていたから、あとは地方長官に決済してもらうだけでよかったんですけど……」

「それが、この報告書には、確かに住民は不満を持っていたけれど、明確な証拠がなくてなかなか行動に起こせなかったと書いてあります。それが、少し前に一人の少女が現れて、住民たちと協力して証拠を集めたので、訴えることができたのだとか。そしてその少女は正体も告げずいつの間にかいなくなっていたということです」

「……」

 魔術書から顔を上げられなくなっていたコハクの隣に、ツキシロがやってきて腰を下ろす。

「コハク。私の目を見てもらえますか?」

 優しい微笑みに耐えられなくなって、コハクは魔術書の隙間から見上げるようにして、なんとかツキシロに顔を向けると弱々しく白状した。

「……すみません。白々しく言い逃れする行政官が許せなくて、つい……」

「貴女の立場だったら、本人を出頭させて強制的に捜査することもできるのですよ」

「それはそうですけど。でも、それじゃ不満を訴えていた住民たちが不利な扱いを受けそうだったので。要求を出した住民たちに不利益がないように守りたかったんです……」

「……まったく、相変わらず、困った人ですね」

 そうして苦笑するツキシロの顔をずいぶん見慣れていることが、コハクはいっそう心苦しい。

 わかっている。わかってはいるのだ。自分の後先考えない行動が、目の前のこの人を心配させてしまうことは。それでも、気付いたときにはもう行動に移ってしまっているので、毎回いかに心配させないか言い繕うことに苦慮していた。

「……申し訳ありません。ツキシロ様には心配かけたくなかったんです」

「もう、貴女の行動にハラハラさせられるのには慣れました。だから、次からは私にも正直に教えてくださいね。貴女が何を見て、どう感じたかを、私はきちんと知りたい」

「……はい」

「自分の大切な奥さんのことくらい、全部知っていたいのですよ」

「……ツ、ツキシロ様っ……」

 どうしてこの人はいつも、こういうことをさらりと言うのだろう。

 思えば最初からそうだったのだが、出会ってからずいぶん時間が過ぎた今でも、コハクには慣れることができない。

 顔を赤くして固まっているコハクの肩を、ツキシロは優しく抱き寄せる。彼女の金茶の髪をそっと梳りながら、耳元に口を近付けてきた。

「目に入るものは皆大切に思う貴女も素敵だと思いますが、一番に守るのは、私にしてくださいね」

「ツキシロ様っ! またそういうことをっ!」

 真っ赤になって暴れるコハクを、心から楽しげに愛しげにツキシロは抱き締める。

 夫婦二人でそうしてゆっくりと時間を過ごすのは、もはや日常の風景で。

 けれど、そうした日常を過ごせるようになったことが、どれほど幸せなことか、二人とも十分に心に沁みているのだった。

 

 

 

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