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雪桜  作者: Mr.ハロウィン
2/5

1日目


 中学2年生に上がった最初の日曜日、急な雨に降られ、濡れながら家に帰った夜、私は熱を出して倒れたのだという。

 次の日になっても熱は引かず、私は寝込んでいた。


「38度2分。やっぱり今日は学校お休みね」

 母が告げて、体温計を置く。

「飲物はここに置いておくから。お腹空いたら、冷蔵庫におかゆ入ってるよ」

 言いながら、母はスポーツドリンクを3本ほど私のベッドに置いていく。

「じゃあ、お母さん会社行ってくるね」

「うん、いってらっしゃい」

 スーツを着た母の背を見送る。

「2年生にあがったばかりなのに……」

 母のいなくなった部屋で、ひとり愚痴をこぼす。別に誰を恨んでいるわけでもない。しかし、強いて言うなら病弱な自分の体には不満があった。

 中学にあがってからは、ユウナがいてくれるおかげで普通に学校生活を送れている。だが彼女がいなければ、また小学生の頃のようにいじめられることもあるかもしれない。

「また大事なときに休んじゃった……」

 今日は誰と約束をしたわけでもないが、進級してすぐに休んでしまう自分が疎ましく思えた。



「また、ってことは……前にも休んだことがあったのか?」

「うん、小学生のときに……」

 浅い夢を見ていたのか、私は自然と現実の口を開いて受け答えをしていた。

 はっ、と気が付いて天井を見つめる。熱のせいだろう。冷や汗が体にべたべたと染みている。

「お風呂入りたい……」

 どれくらい寝ていたのか、曖昧な時間の感覚を探る。

「やめときなよ、体調悪いんでしょ?」

 はっきりとそう言われて、私は今度こそ勢いよく横に首を傾ける。

 そこには、見ず知らずの女の子が座っていた。

「どうしたの?幽霊でも見たような顔して」

「えっ誰」

 その反応に、彼女はきょとんとしている。

 家を間違えた?(彼女が)

 いや、それなら私に話しかけているのはおかしい。

 家を間違えた?(私が)

 いやいや、どう見ても自分の部屋だし、私は母と別れてからここで寝ていた。

 友人やクラスメイトでもない。

 私の知らない親戚の可能性を考え始めたところで、彼女は口を開いた。

「あっれー、おかしいなぁ、さっきまで夢のお母さんとは喋れたんだけど」

 しかし、その一言が更に私を混乱させる。

「えっと、ごめんなさい、私あなたのこと知らなくて……」

 混乱しながらも、彼女の堂々とした態度に、自分に関係している誰かであるという確証を感じ、私はつい謝ってしまう。

「いやいや、いいよ。私も何でここにいるのかは自分でもよく分かってないから」

「ああ……あはは……、そうなんですね」

 笑う私の頭の中が疑問符で埋め尽くされ、自分が考えることをやめるのが分かった。

「まあいいや。何で本人だけ『私を知らないことになってる』のか分からないけど」

 彼女は不思議な立ち上がり方をした。まるで体重がないかのように、浮き上がるかのように立ち上がった。

「私は雪城アム。よろしくね、夢」

 布団の中に手を入れて、寝ている私の手を握る。

彼女の手は、とても暖かかった。

「あ、はい……。えっと、ところでアナタは一体……」

 私は自分と同じ苗字の彼女をあえて「アナタ」と呼び、その正体を問いただす。

「うん、私ね」

 アムはすっと手を離し、笑う。

「幽霊なの。よろしくね」

「は……」

 吐息交じりに、小さくそう発音するのが精一杯だった。

 疑問が更に増え、言葉が紡げない。

 冗談なのだろうか。

 と、そう考えたときおかしなことに気が付く。

 うちの母は、私が家にひとりでいるときは必ず鍵をかけてから出ていくのだ。虫も出てくるこの時期、窓も閉めきっているはずである。そうすると、この少女は一体どこから入って来たのだろう。

 私は彼女の足下を盗み見る。しかし予想に反して、そこに足はあった。

「ああ足ねえ。なぜかあるのよ」

 盗み見たつもりだったのだが、勘づかれて私は怖気づく。

「そんなに怖いカオしないでよ。別に命取りに来たわけじゃないから」

 私は、彼女を幽霊と信じ始めていたのだろうか。いつの間にか緊張で顔を強張らせ、彼女を睨むように見ていた。

「ごっ、ごめんなさい。そういうつもりじゃ……」

「いやいや。こっちこそごめんね、いきなりこんなワケ分かんないの来たら誰だって怖がるよね」

 彼女は、寂しげに微笑んだ。

「えっと、じゃあアナタは一体何をしにきたんですか……?」

「だから言ったでしょ。分かんねえの。ただ夢のことを『雪代 夢』だって知っていて、アンタのお母さんと喋って、気が付いたらここにいたんだ」

「喋った……って何を?」

「向こうは当たり前にこっちが見えてて、それで聞かれたんだ。夢、最近どう、って」

 その奇怪な現象に、私は少しぞっとした。

「何か昔からの友人みたいな扱われ方したよ。お母さんに学校で何かやってない?って聞かれたけど、さあ知らんし、みたいな」

 彼女は笑っているが、こっちは笑っている場合ではない。ただただ困惑するばかりである。

「何それ……どういうこと……」

「分かんなない。でもひとつ気になったんだ」

「夢ってどんな子だろう、って」

 彼女は無邪気に笑う。とても幽霊とは信じられないような、見ていて落ち着く、暖かい笑顔だった。

「気になった瞬間ここにいて、何となく分かったんだ。ああ、この子が夢だなって。以上、説明終わり」

 以上、と言われても。

 私は結局、何が何だか分からないままである。

しかし、相手も分かっていないようなのでこれ以上問いただしても無駄なのだろう。

「まあ、よく分かんないけどさ、これがきっと憑りつくってやつなんだろうね」

 笑いながら言われることではないとは思ったのだが、病気で少しばかり寂しくなっていた私は、自分が安堵していることを感じた。


 いや、きっと病気のせいだけではないのだろう。

 小学生の頃の記憶が甦る。

 病気を繰り返している自分が、私は本当に嫌いだった。


「さて、どうしよっか、どっか出かける?」

 アムにそう問われて、私ははっとする。

「えっ、いやでも私ちょっと今日は……」

 戸惑いながらも断る私に、彼女はふと気付いたような顔を見せる。

「あ、そういえば夢は病人だったね。ごめんごめん、私が病気で休んでるときってサボってるときばっかだったから、つい……」

「あはは、なるほど……」

 私の口から乾いた笑いが漏れる。まさか病人だということを忘却されているとは思いもしなかった。

「でもしょうがないよね、本当は桜の花を見に行きたかったんだけど……」

「桜……ですか?」

「うん、なんでだろう。何となーくかな……。

あはは、生前の記憶って曖昧なんだね。学校とかよくサボってたことは覚えてるのに」

笑う彼女の表情に、一瞬影が差すのが見えた。思い出したいことが、きっと思い出せないのだろう。

「ま、いいや。仕方ないよね。もう仕方ないので、私が看病してやるよ!」

 ぐっと親指を立てるアム。しかし、私としては初対面の彼女に看病してもらうなど申し訳がない。

「え、いいですよ、大丈夫です、こうやって休むのよくあることだし、お母さんポカリ置いてってくれてるし……」

 と、そこまで言って気付く。彼女は先ほど私に『憑りついている』と言った。ということは、彼女の行動範囲は限定されている可能性がある。嫌でも私の周りに居なければならないのだろうか。

「えー、そこまで遠慮しなくても……」

 と、アムが寂しげな顔を見せる。

「いえ、ごめんなさい、違うんです、なんていうか申し訳なくて……っていうか、そうですよね、私に憑りついてたらどっちにしてもここから動けないんですよね?」

 私は彼女の顔を見て、ついまくし立ててしまう。しかし、アムはきょとんとして、

「え?そんなことないよ」と、軽く告げる。そんなことはなかったらしい。

 私は落ち着こうと、一呼吸を置く。

「でもそれならなおさら……」

アムは突然、私の頭をぽんぽんと撫でる。

「いいの。私が看病したいんだから、させろよ」

 申し訳なさと恥ずかしさがあったが、それ以上の温もりと嬉しさがあった。

 私の体は、それを甘んじて受け入れる。

 アムにそっと布団の中に戻され、私は途端に眠気に襲われた。

「なんかすみません……」

「いいのいいの。ていうか、私同級生だからさ、タメ口でいいよ」

 アムの微笑みに、私は躊躇していた。苦手なのだ、そういう自分から馴れ馴れしくするのが。

「あと私のことはアムでいいよ。私も名前で呼んでんだから」 

 私が恥ずかしさを覚えている間に、更にハードルが上がっていく。

「えっと……」

 何とか私は口を開こうとするが、何を話していいのか分からない。

「まあとりあえず寝ときな。……おやすみ、夢」

 そっと彼女の手が、再び私の手を握る。

「うん……おやすみなさい、アム」

 目を閉じたら、この温もりは夢だったのではないかと考えてしまう。

 しかし、繋がれている手の温もりが夢ではないことを実感させていた。



 ふと考える。

 アムは、うちに来た目的はないと言っていたが、いつまでいられるのだろう、と。

 幽霊という存在がどんなものか分からないが、もし目が覚めていなくなっていたら寂しさのだろうな、と。


 いつの間にか体内時計が2、3時間経過していたことを告げ、棚の方から鳴るがさごそという音がそこにアムがいることを知らせる。

 私は現実に引き戻され、目を開けた。

「何やってるんですか……」

 そこには、私の卒業アルバムやら小さいころの写真やらを漁っているアムの姿があった。

「うぇっ、あっ、おはよう……うん、えへへ、見ちゃった」

 愛らしく笑って見せるアムに、少しばかりの恥じらいは許容しようという気持ちになり、ため息をひとつ。

「まあいいですけど……」

「あっ」

 急に何かに気が付いたように声を上げ、アムは再度私を驚かせる。

「また敬語に戻ってる」

 言いながら、わざとらしく私を指差すアム。

 私は内心、そんなことか、と安心しつつも、やはり難しいのかもしれないと罪悪感を覚える。

「ごめんなさ……ごめん、何か慣れなくって……こういうの」

「えー……私ってそんなに怖えかな……」

 別角度から落ち込み始めるアム。

「いや、えっと、そんなことないよ。単に私が慣れてないだけで……」

「でも、友達とは普通に喋るでしょ?」

 痛い所を突かれる。

「それはその……ほら、でも今の友達とも最初の頃は敬語になっちゃってたし……」

 とは言っても、友達と呼べるような人自体かなり少ない。まだ敬語で喋る同級生もいるくらいだ。

「まあいっか。まだ時間はあるわけだし、ちょっとずつ喋ってくれれば」

 その言葉に、眠りに落ちる前何かを思いついたことを思い出す。だが、肝心な内容が出てこない。

 私は、なんだっけ、と頭の中に靄がかかっているような気持ち悪い感覚を抱えたまま、横になって少し目を瞑って思い出そうとする。



 起きると、汗だくになっていた。気が付かない内に再び眠っていたらしい。

「あれ、私いつの間に……」

 何か悲しい夢を見ていたような気がするが、思い出せない。

 空は夕刻を示しており、時計が言うには午後6時。日も大分長くなってきたようだ。

 体は大分楽になっている。いつものことなのだが、こんな風に急に体調が悪くなったときは大体1日休めばどうにかなってしまうのだ。

「お風呂入ろうかな」

 相当寝付きが悪かったのか、パジャマまでぐっしょり濡れている。流石に下着だけでも取り替えたい。

「あれ」

 今気が付いたが、アムがいない。

 少し不安になり、辺りをきょろきょろと見回す。

少しうす暗くなっていて気が付かなかったが、アルバムやら何やら出しっぱなしで、見事に散らかされていた。

「アム……?」

 と、呟いたところで足音が近づいてきた。がちゃりと開けられた扉から現れたのは、アムだった。

「あ、おはよう。お風呂借りたよ」

「え、うん。おはよう」

 彼女の神経のず太さに思わず憧憬の念が生まれる。確かに彼女からはシャンプーの香りが漂っていた。髪が渇ききっているところを見ると、ドライヤーまで使ったようだ。

 そして、ふと奇怪なことに気が付く。

「あれ、アム……着替えてる?」

「ああこれ?なんだろうね、普通に着替えたつもりだったんだけど、鏡見たらいつの間にか寝巻になってた」

 笑うアムだが、ただごとではない。

 そのとき私は質問を躊躇したが、好奇心の方が勝ってしまったのだろう。気付けば口を開いていた。

「それって生きてたときの服……?」

「んー?」

 アムはよくよく自分の寝巻を確認し、

「……うん、そうだね。覚えてるよ、これは私の寝巻」

 そう言った。

 そして、アムはまるで自室のように部屋を歩いていき、「どっこいしょ」とおじさんのような声をあげながら机に座ってパソコンの電源を入れる。

 私は流石に心の中でツッコミを入れざるを得ない。ちょっとナチュラル過ぎない?

 そもそも、幽霊がお風呂に入るとは、一体今彼女はどういう状態なのだろう。

 ふと、パソコンをいじるアムの背中を見ていて、私は困ったことを思い出した。

 パソコンの電源を入れるという行為自体は問題ない。問題ないのだが、その先に問題がある。データファイルに入っている同人誌フォルダーは流石に見られたくはない……が、ナチュラルに電源を入れる辺り、もう既に私が寝ている間に1回電源を入れているのではないか、という推測が立つ。

「ねえ、アム。データフォルダって見た?」

「……え?ああ、ごめん何かパソコン勝手にいじっちゃって。見てないよ、ようつべでお笑い見てただけ」

 私が質問した途端、一瞬ぴくりと動きが止まったのを私は見逃さなかった。

「――らびっと☆ぱらだいす」

 同人誌フォルダーとは言っても、入っている同人誌は1つだけである。私がそのタイトルを告げると、やはり、動きが止まった。

 私は恥ずかしさのあまり、アムの背に枕を投げつける。

「あ痛った!」

「もう最悪……」

 手で顔を覆うが、恥ずかしさが消えるわけではない。人に対して怒りを覚えるのが久しいということも相まって、私は感情が抑えられなくなった。

「ごめんって、ね、もう勝手に見ないから」

「図々しすぎでしょ、何、勝手にパソコン見るって」

 隣まで寄ってきたアムを責める。どちらかというと、放っておいてほしかった。

「うん……ごめん……」

 急にアムの落ち込んだ声を聞いて、私は我に返る。彼女の顔を盗み見ると、捨てられた子犬のような目でこちらを見ていた。

 同人誌の話があったからだろうか、一瞬、そんな彼女を愛らしいと思ってしまう。

 汗で体は冷えているはずなのに、自分の顔が赤くなるのが分かった。

私は邪念を振り払って、アムに向き直る。

「えっと、ごめん、私も、その、言い過ぎちゃった……から…………」

 向き直ったつもりが、しかしうまくアムの目を見られない。

「……」

 あまりに長く感じられる静寂が続く。

しかしそんな静寂は、終わってみればものの数秒のことだったということを、いきなり抱きついてきたアムの体温が教えてくれた。

「うっ、ちょっと……アム」

「……ごめんね、夢……」

「別にいいよ、大丈夫、もう怒ってないから……」

 少し体を離すと、今度こそアムと目が合う。彼女の瞳はとても綺麗で、私に素直な心を訴えかける。あの同人誌が読まれてしまった以上、私がどんな目でアムを見ていたのかバレているはずだ。彼女の行動は、その上での行動なのか。

 私はアムを一目見たときから、彼女に体に温もりを求めていた。透き通るような白い肌は、彼女が幽霊だと感じさせる。だがその事実に反して、彼女の体温はとても熱い。

 少し荒く息をする彼女が、服に掛けようとした手の上に、私は自分の手をそっと重ねた。

「えっと、今はその……汗だくだから」

 彼女の手が止まる。これ以上触れていたら崩れて無くなってしまいそうな彼女を見て、私はそっと手を離す。

「お風呂、入ってくるね」

 今すぐこの場を離れなければ、私まで崩れそうだった。


 なかなか心臓の鼓動が収まらない中、何とか体を洗い流し、浴槽につかる。体が暖かくなってくるにつれ、段々と落ち着きが戻ってきた。

 今日会ったばかりとは思えない程、相手が自称幽霊であるという奇怪が感じられない程、私は彼女に好意を持っていた。

 なのに何故、私は彼女を拒否してしまったのだろうか。

 何かが怖かったように思う。ただ、何に恐怖を抱いていたのかだけが分からなくて。

「アム……」

 彼女の名前をそっと水面に呟いてみる。

 彼女は今、一体何を考えているだろうか。私を求めたことを後悔しているだろうか。

 もしそうなら、それはとても悲しい。私を求めたことで、傷付いたりはして欲しくない。

 しかし、だからといって彼女を受け入れられるかと言えば、やはりそれは怖くてできないと思う。胸の奥が締め付けられるような、苦い感覚が離れない。

「なんだよ……もう……」

 私は、アムの気持ちを案じて、早々に浴槽を上がった。



 お風呂を上がると、丁度母が帰ってきた。

「ただいまー」

「あ、おかえり……」

 そういえば、アムは母と話をしたとか、母はアムのことを知っていたとか言っていたが、今アムが部屋にいることをどう説明したらいいのだろう。

「あら夢、お風呂入ったの?大丈夫?」

「うん、もう平気。明日には学校行けるよ」

 正直なところ行きたくはないけれど、なるべく勉強が遅れるのは避けたかった。

「元気ならいいけど、前もそう言って結局次の日倒れちゃったじゃない」

「う……」

 確かに、去年も似たようなことがあった。今回のような風邪モドキで丸1日休んだ次の日、朝礼で貧血で倒れた(のち)に、再び熱を出して寝込んでしまったのだ。

「大事をとって休んどきなさい。学校にはお母さん連絡しとくから」

「はあい……」

 返事はしたが、行くつもりだったのに行けなくなるというのは気分がいいものではなかった。

「それに、アムちゃん今日泊まりに来てるんでしょ?」

 さりげなく母が紡いだ言葉に、私の思考が止まる。

「え……うん」

 とっさに肯定はしたが、母がそのことを知っているという事実に、改めてアムがこの世のものではないと実感する。そんな奇怪が、あまりにすんなりと意識に入って来たことに私は驚いた。

 アムは私と同級生と言っていた。アムのことを知っているなら、お母さんだってそれを知っているはずだ。なのに何故、明日学校があるはずのアムがうちに泊まりに来ていることに疑問を覚えないのだろう。

幼馴染と言っていたから、隣に住んでいるくらいの感覚なのだろうか。だが、そもそも私の住んでいる住宅街のブロックに同級生が住んでいるという話は聞いたことがない。

「じゃあお母さん晩御飯作ってくるね」

 キッチンに向かう母を見送り、私は2階の自室へと上がった。


 私はアムが落ち込んではいないかと不安になりながら、部屋の扉を開ける。

「ただいま……」

 お風呂から戻っただけなのだが、声をかけないのも不自然だと思い、そう言いながら部屋に入る。

 鼻水をすする音が聞こえ、アムを見るとベッドの上でこちらに背を向け、ティッシュを片手に泣いていた。

 私の心がずきりと音を立てる。こんなアムを見るくらいなら、やっぱり受け入れてあげた方が良かったのかもしれないと。

 私は思わずアムから目を逸らした。

「あ、おかえりぃ」

 しかし、その他人事のような返事に、私は再びアムに視線を戻す。そしてよくよく目を凝らすと、アムは漫画を読んでいた。

「それ読んで泣いてたの?」

「うん。もう涙が止まらなくてねぇ……」

なんだ、という安堵が心に落ち着き、私は短く息を漏らす。

「あのさ、アム。さっきは本当、ごめんね、何て言うか……」

 私は先ほど求められた行為が明確に何というのか分からず、口にすることができなかった。

「……謝るのは私の方だよ……夢のパソコン勝手に見た挙句、気持ち考えずに衝動的に動いちゃったって言うか……」

 恥ずかしそうに、しかしどこか悲しげに言うアム。

「でも……」

 口ではそれ以上紡げなかったが、それでも私は、アムを傷付けてしまった自分が許せなかったのだ。

「ふふ、夢は優しいね。やっぱり、なんとなく会う前からそんな気がしてたんだ」

「アム……」

 私が小さな声で名前を呼ぶとアムは、今度は優しく、私を抱きしめた。私も、今度はアムを拒むことはなかった。

 アムは私から体を離して、そっと目を合わせた。

アムは何も言わず、唇を重ねた。優しく、優しく。

急に、ふっと電気が消える。この部屋の明かりにリモコンはないはずで、唐突な出来事に唇が離れる。

するとアムが小さな声で、

「ごめん、多分私のせいだ……」

と照れ臭そうに言う。確かに明かりが明滅するシーンは、ホラー映画などの演出でもポピュラーなものだろう。とはいえ、今更アムが原因でそんなことが起きたって、怖がる理由もない。

そのままベッドにもつれこんだ私たちは、結局行為に及ぶことはなかった。ただ2人で強く抱きしめあった。


いくらかして、ベッドの上で、アムは小声で話しかけてきた。

「あのね、夢」

「何?アム」

「明日、どっか行かない?」

 その提案に、私は少し考える。

「ダメだよ、学校休んでるのに……」

「だってお母さんもお仕事でしょ?ばれなきゃ大丈夫大丈夫」

アムが悪そうに笑う。

「でも、どこ行くの?もし学校の人に見つかったりしたら……」

「さっきお風呂出るときにポケット探したらさ、定期が出てきたんだよね」

「定期って、電車の定期券?」

「うん。まだ期限切れて無くて、りんかい線で水浜まで行けるみたい」

 水浜は、りんかい線の終点である。

「どこか行きたい所があるの?」

 そう聞くと、アムは少し考えて言った。

「んー、海浜公園」

「海浜公園?」

 場所には心当たりがある。海浜公園と言えばこの辺りでは一か所しかないからだ。

「ネモフィラのお花畑あるじゃない。あれ見たことないんだ」

「ああ……」

 確かにあの海浜公園では世界的に有名な、ネモフィラの花畑がある。

「ね、行こうよ」

「うーん……」

 確かにそれだけ遠く離れれば誰にばれることもないだろう。母親だって、家を出てしまえば夜7時頃までは戻ってこない。

 目が慣れてきて、ふと気が付く。アムが暗闇の中で迷っている私を見てにやにやと笑っていた。

 何故アムが笑っているのか、私は少し考えて気が付いた。迷っているということは、行く選択肢がすでにあるということなのだから、あとはアムがどう転んでも行く気にさせるだけだろう。

「しょうがないなぁ」

「うふふ、やったー」

 小声で、精一杯喜ぶアム。

 喜んでいる彼女の姿を見て、私は胸の奥に暖かさを感じた。



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