悪徳貴族の妨害工作
王都リュテスの賑わいは、日を追うごとに増していた。
離宮の『未来サロン』を中心に巻き起こった、ハーブティー、国産高級生地『ルテティア・エアシルク』、そして機能的な新素材ドレスの爆発的ブーム。
かつて王都の街角に溢れていた貧困と溜め息は消え去り、今や活気ある織物工場や裁縫工房からカタカタと心地よい音が響いている。国内の農家や職人たちは潤い、国庫には莫大な税収が舞い込んでいた。
だが、光が強くなればなるほど、その陰に潜む闇もまた深くなる。
王都の一角にある、豪奢だが重苦しい雰囲気が漂うアルマン子爵の館。
密閉された地下会議室には、重厚なカーテンが降ろされ、かつてルテティアの輸入貿易を独占していた保守派貴族たちが一堂に会していた。
「……ふざけた真似を! あの青二才の王妃めが!」
テーブルを激しく叩きつけたのは、かつて高級外国製シルクや宝石の輸入で莫大な利権を握っていたガルニエ商会の会長、アルマン子爵だった。その顔は怒りと焦走で醜く歪んでいる。
「わが商会が抱える海外からの高級絹織物の在庫が、今やただのゴミ同然だ!『重苦しくて古臭い』だと? 王妃があの安っぽい国産綿とウールの服を持ち上げたおかげで、我らの顧客だった高位貴族の婦人どもまで一斉にキャンセルを叩きつけてきおった!」
「我が領地の港も壊滅的だ!」
隣の男が青ざめた顔で吐き捨てる。
「海外からの輸入船に課していた莫大な通行税が、輸入量の激減で従来の十分の一にまで落ち込んでいる! このままでは我ら保守派の財政は破綻してしまうぞ!」
彼らは長年、わざと国内の産業を衰退させ、高価な海外製品を輸入して貴族層に売りつけることで、甘い汁を吸い続けてきた。
マリアージュが進めた「国内産業の育成」と「国産品の推奨」は、彼らの不当な利権を根底から破壊するものであったのだ。
「前回の『毒殺未遂の狂言』の失態で、王立警備隊の目が厳しくなった。だが……このまま黙って死を待つわけにはいかん」
アルマン子爵の目が、不吉な毒々しい光を放った。
「マリアージュ王妃の威光は、すべてあの『未来サロン』という悪趣味な集会所から発せられている。ならば……あのサロンそのものを、二度と立ち上がれぬほど完璧に失墜させてやればいいのだ」
「……失墜、だと? 一体どうやって?」
アルマン子爵は不敵な笑みを浮かべ、懐から小さな漆黒のガラス瓶を取り出した。
「サロンの目玉は、あの連中が有頂天になって飲んでいるハーブティー『王妃の微笑み』だ。……これの中に、海外の密売ルートから手に入れた『遅効性の神経毒』を極少量、混入させる」
座にいた貴族たちがゴクリと息を飲んだ。
「この毒は、飲んでもすぐには倒れん。半日ほど経った後、激しい発熱と嘔吐、そして全身の酷い皮膚の爛れを引き起こす。……明日開催される大サロンには、国内外の要人や大公妃殿下も出席される。そこで振る舞われたハーブティーによって、サロンの客全員が皮膚を爛れさせ、苦悶の声を上げたらどうなる?」
「おお……!『王妃の提供するハーブには、人を害する毒や呪いが仕込まれていた』と噂が爆発する!」
「そうだ! 身体を害された貴族どもは狂乱し、王妃を糾弾するだろう。サロンは閉鎖、国産ハーブは『劇物』として永久に発禁! 王妃は間違いなく今度こそ断頭台行きだ!」
暗闇の中で、悪徳貴族たちの醜い笑い声が静かに重なり合った。
翌日。
青空のもと、離宮の『未来サロン』は華やかな熱気に包まれていた。
ガラス温室には美しい花々が咲き誇り、ペールブルーや淡いグリーンの「新素材ドレス」を纏った婦人たちが、軽やかに歓談している。
テーブルには、クロードたちが丹精込めてブレンドした最高級のハーブティーと、新素材のテーブルクロスが美しくセットされていた。
「皆様、本日はようこそお越しくださいました」
サロンの中央で、ペールピンクの軽やかな新ドレスに身を包んだマリアージュが優雅にお辞儀をした。
その隣には、視察と護衛を兼ねて同席している国王リュシアンの姿もある。かつて冷酷だった彼の表情は和らぎ、妻を見つめる瞳には確かな信頼と温もりが宿っていた。
だが、華やかな宴の裏側で、忍び寄る影があった。
サロンの厨房の陰。
買収された若い給仕の男が、震える手で漆黒のガラス瓶を持ち、大鍋で抽出されている『王妃の微笑み』に透明な液体を注ぎ込もうとしていた。
(これさえ入れれば、アルマン子爵様から一生遊んで暮らせる金がもらえる……!)
男が毒薬の瓶を傾けた、その瞬間だった。
「——そこまでだ」
「ひっ!?」
背後から鋭い声が響くと同時に、男の手首がガチリと力強く掴まれた。
驚いて振り返った給仕の目の前にいたのは、王立警備隊の隊長と、マリアージュの忠実な侍女ロザリーだった。
「な、何をする! 俺はただのお茶の仕込みを……!」
「往診の必要はありませんわ」
厨房の入口から、静かな足音が響いた。
姿を現したのは、他ならぬマリアージュ本人だった。その背後には、冷ややかな黒銀の瞳をしたリュシアンが立っている。
「王妃……様……!? な、なぜここに……!?」
給仕の男は恐怖でガタガタと震えだし、膝から崩れ落ちた。
マリアージュは呆れたように小さく溜め息をついた。
「アルマン子爵たちは、本当に学習しないお方たちですわね。……前回の手口が見破られたというのに、またサロンの『食』を狙うなど、芸が無さすぎます」
「な……!?」
「我が妻を甘く見るな」
リュシアンが冷徹な声で告げた。
「マリアージュは、サロンで使う食材や茶葉の搬入ルート、厨房の給仕一人ひとりの素性に至るまで、完璧な台帳を作成して厳重に管理している。お前のような怪しい動きをする者が紛れ込めば、一目でわかるのだ」
前世で毒殺や陰謀の恐怖に怯え、最後は裏切りによって破滅したマリアージュにとって、身内の防犯とセキュリティ管理の徹底は「最優先事項」であった。
サロンで働く給仕や職人はすべてロザリーが厳選した信頼できる者のみであり、アルマン子爵に買収されたこの男は、厨房に入った瞬間からマークされていたのだ。
「さて……その瓶に入っている『遅効性の神経毒』ですが」
マリアージュは警備隊が回収した毒瓶を指先で弄んだ。
「外国の密売ルートで手に入れたものですね? ……実は私、前世の……いいえ、昔からの趣味で、ハーブと毒草の知識には人一倍詳しいのですの。この毒は、我が国の特定の薬草を煎じた汁を飲めば、即座に無害化(解毒)されてしまう程度の代物ですわ」
給仕の男は白目を剥いて絶句した。
「リュシアン様。ネズミの捕獲は完了いたしましたわね?」
「ああ。……すでに王立警備隊が、アルマン子爵の館および同調した保守派貴族たちの屋敷を包囲している。現行犯の証言と、この毒薬の押収により、奴らに言い逃れの余地はない」
リュシアンの瞳に、国王としての絶対的な威厳が宿る。
「国家の基幹産業を妨害し、王妃および社交界の要人を毒殺しようとした大逆罪……アルマン子爵家をはじめとする一味全員の全財産を没収し、永久追放、あるいは死罪に処す」
数分後。
何事もなかったかのように、サロンの大広間では優雅な音楽が奏でられていた。
厨房での騒動を一切知らされないまま、貴族の婦人たちは新素材ドレスの着心地を褒めちぎり、極上のハーブティーを楽しんでいる。
テラスに出たマリアージュとリュシアンは、王都の美しい街並みを見下ろしていた。
「……これで、国内の『腐った古い壁』はすべて取り払われたな」
リュシアンが爽やかな風に髪を揺らせながら言った。
「アルマン子爵らの没収された莫大な財産と領地は、すべて国庫に入り、新たな『紡績工場』と『縫製ギルド』の建設資金に充てられる。……お前の望み通りの展開になったわけだ」
「ふふ、私の思い通りというよりは、自業自得というものですわ」
マリアージュは手にしたカップから立ち上るハーブの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
輸入利権に甘え、国内の職人や農民を虐げてきた悪徳貴族たちは自滅した。
これにより、ルテティアの経済改革を阻む国内の障害は完全に消滅したのだ。
「ですが、リュシアン様。本当の戦いは……これからですわ」
マリアージュの青い瞳が、遠く北の地平線へと向けられた。
「我が国の『エアシルク』と『ブランドハーブ』の噂は、すでに隣国の大帝国……『ガリア帝国』の耳にも届いているはずです。国内の利権争いなど、帝国の野望に比べれば児戯に等しいもの」
ガリア帝国。
大陸最大の軍事力と経済力を誇り、かつてルテティアを「貧しい従属国」として見下していた巨大国家。ルテティアが急速に経済的自立を果たし、独自のブランド文化を築きつつある現状を、彼らが黙って見過ごすはずがなかった。
リュシアンはマリアージュの腰にそっと手を回し、強力な引き寄せた。
「どのような巨大な敵が来ようと関係ない。……私には、世界最高の知恵を持つ王妃がついているのだからな」
「あら……頼もしいことですわ、国王陛下」
マリアージュはリュシアンの胸に軽く寄り添い、魅惑的な微笑みを浮かべた。
「世界一の大帝国が相手だろうと、私の『ファッションとブランドの力』で、完璧にひれ伏させて見せますわ!」
澄み渡るルテティアの空の下。
元・悪役浪費王妃マリアージュの改革は、ついに一国の枠組みを超え、大陸全体を巻き込む「世界規模のブランド経済戦争」へと突入していくのだった。




