ファッションは国益なり
「毒殺の陰謀など、くだらない狂言ですわ」
大広間に倒れ込んだ貴族たちの騒動は、私がその場ですぐさま解毒作用のあるハーブの濃厚な抽出液を飲ませたことで、即座に収束した。倒れたフリをしていた者たちは、毒などではなく、アルマン子爵らに買収されて「腹痛の演技」をしていただけだと白状したのだ。
この一件で、保守派貴族とガルニエ商会の社会的信用は完全に失墜。王立警備隊による捜査が入り、彼らは身動きが取れなくなった。
だが、私には彼らの後始末に浸っている暇などなかった。
毒殺未遂騒動を逆手に取り、私は次なる大改革の準備を完了させていたからだ。
お茶による農業改革、紡績機による生産性の向上。それらに続く第3の改革——それこそが、この国の基幹産業であり、かつて私の道楽の象徴でもあった「ファッション」の構造改革だった。
「いいですか、皆様。これまでのドレスは、女性の身体を痛めつけ、国の財政を蝕む『重荷』でしかありませんでした」
離宮の『未来サロン』。
この日集まったのは、王都の縫製職人、仕立て屋、お針子の女性たち、そしてトレンドに敏感な若手貴族の女性たちだった。
従来のルテティア社交界におけるドレスとは、過剰な美の拷問だった。
鯨骨でガチガチに締め上げる痛烈なコルセット、何重にも重ねられた重厚なベルベットやシルクの生地、裾を極限まで広げるための鉄製の骨組み(クリノリン)。一着着るだけで数人がかりの作業となり、重さは十キロを超えることもザラだ。動きにくく、呼吸すら苦しい。
しかも、その生地や装飾品の多くは海外からの高級輸入品であり、一着建てるのに城が買えるほどの金が国外へ流出していたのだ。
「重く、苦しく、高価なドレスの時代は終わりにいたします。……クロードさん、例のものを」
私が合図を送ると、サロンの中央に一台のトルソーが運ばれてきた。
そこに掛けられていたドレスを目にした瞬間、集まった貴族の女性たちから「まあ……!」と小さなどよめきが漏れた。
そこに届いていたのは、今まで誰も見たことがないドレスだった。
過剰なパニエやコルセットを完全に廃した、美しく流れるようなAラインのシルエット。
生地は、先日クロードたちの新式紡績機で織り上げられた、極上の国産細番手ウールと高品質な綿を独自の比率で交織した新素材——名付けて『ルテティア・エアシルク』。
シルクのような滑らかな光沢と上品なドレープ(ひだ)を持ちながら、驚くほど軽やかで、かつ家庭での水洗いにも耐えうる耐久性を兼ね備えていた。
「これ……本当にドレスなのですか? 骨組みも、コルセットも入っていないなんて……」
若き伯爵夫人が、恐る恐るドレスの生地に触れた。その瞬間、彼女の瞳が驚きで見開かれる。
「なんて軽いの……! それに、この肌触り! まるで羽毛を纏っているようですわ!」
「ええ。装飾は最小限の国産レースと刺繍のみ。ですが、立体裁断によって女性の身体のラインを最も美しく見せる設計になっております」
私は自ら、その新素材で作られたペールブルーのドレスを身に纏い、人々の前で軽く一回転してみせた。
裾がふわりと舞い、優雅なシルエットを描く。
「ご覧なさい。一人で簡単に着脱ができ、軽やかに歩き、深呼吸をすることすらできますわ。……女性を縛り付ける美の時代は終わりました。これからは『機能的で、軽やかで、美しい』ドレスの時代です!」
サロン内は、一瞬の静寂の後、割れんばかりの歓声と拍手に包まれた!
「素晴らしい……! こんなドレスが欲しかったのです!」
「これなら、苦しい思いをせずに夜会で踊れますわ!」
「王妃様! そのドレス、今すぐ私にも仕立ててくださいませ!」
この『新素材ドレス』の発表は、ルテティアの社交界に文字通りの「天変地異」を巻き起こした。
まず動いたのは、トレンドに敏感な若い貴族女性たちだった。
王妃である私が毎日この軽やかなドレスを身に纏い、軽快に公務をこなす姿が広まると、「過剰な装飾の重苦しいドレスを着ている者は古臭く、無知で、時代遅れ」という価値観が瞬く間に定着したのだ。
重厚なコルセットと外国製シルクを誇っていた古い貴族たちは、一夜にして「流行から取り残された人々」となった。
そして、このファッション革命の真の恐ろしさは、経済への波及効果だった。
新素材『ルテティア・エアシルク』は、国内の原材料(羊毛と綿)を100%使用している。
ドレスが一着売れるたびに、地方の羊毛農家や綿花農家に莫大な注文が入る。
さらに、立体裁断という高度な技術を要する新スタイルの縫製のため、王都や地方都市に膨大な数の「縫製ギルド(技術校)」を設立した。
「王妃様! 今月だけで、王都の縫製職人の雇用が三千人増えました!」
「地方から出てきた貧しい少女たちが、お針子として一人前の技術を身につけ、自立して給金を得ております!」
報告に訪れたロザリーの言葉に、私は深く頷いた。
かつて外国への資金流出の最大の元凶だった「王妃の服飾費」。
それが今や、国内の原材料農家、紡績工場、縫製職人、流通業者へと完璧に循環する「巨大な国内雇用創出システム」へと変貌を遂げたのだ。
「ファッションは、単なる道楽でも贅沢でもありません。国民の雇用を守り、国の富を増やし、文化を世界に知らしめる……最強の『国益』なのですわ!」
ある日の夕刻。
私は新素材ドレスの生産ラインを拡大した王都郊外の大規模な「王立第1裁縫工房」を視察していた。
清潔で陽の光が差し込む巨大な工房では、数百人のお針子たちが、新式のミシン(サロンの職人たちが開発した手動式ミシン)をカタカタと心地よい音で走らせている。
かつて暗く衛生環境の悪い裏街で、わずかな銅貨のために日陰の作業を強いられていた少女たちが、今では誇りを持って綺麗な作業着を着て働いていた。
「王妃様! ありがとうございます!」
「マリアージュ様のおかげで、妹を学校に通わせることができるようになりました!」
作業の手を止め、私に深く頭を下げる少女たち。その瞳には、かつて王都の市場で見かけた「死んだ目」ではなく、未来への希望の光が輝いていた。
前世の記憶が胸を締め付ける。
前世の私は、自分の着るドレス一着のために、どれほどの人々が苦血を流しているのか想像すらしていなかった。ただ美しさを貪り、民の憎悪を買った。
だが、今は違う。
私の選ぶ一枚のドレスが、この少女たちの明日を支えているのだ。
「……良い顔をするようになったな、お針子たちも。そして、お前もだ」
背後から、低い声が聞こえた。
護衛を一人だけ連れ、極秘で視察にやってきた国王リュシアンだった。
彼は作業場で見事な手際でドレスを縫い上げていく少女たちを見渡し、深く感心したように息を吐いた。
「驚いたな。服のスタイル一つ変えるだけで、これほどの外国製生地の輸入が減り、国境の貿易赤字が劇的に改善されるとは。財務卿が『王妃様は神か悪魔か』と絶叫していたぞ」
「あら、失礼ですわね。神でも悪魔でもなく、ただの『欲張りな王妃』ですわ」
私がクスリと笑うと、リュシアンは歩み寄り、私の手をとった。
その手は、以前のドレスの重みに耐えていた頃と違い、軽やかでしなやかだ。
「国内の繊維産業の爆発的成長……そして外国産生地の排除。これにより、我が国の国庫にはかつてないほどの関税収入と事業税が舞い込んでいる。……マリアージュ、お前は本当に半年で国を救ってみせたな」
「いいえ、リュシアン様。まだ半年は経過しておりませんわ。それに……私の目標は、単に赤字を埋めることではありません」
私はリュシアンの黒銀の瞳をまっすぐに見つめた。
「ルテティアを、世界最高の『ブランド国家』にすることです。我が国のハーブティーを飲み、我が国の美しいガラスを使い、我が国の軽やかなドレスを着ることが、全大陸の憧れとなる……。外貨を稼ぎまくり、我が国の民が誰一人飢えることのない未来を作ること。それこそが、私の『本当の贅沢』ですの」
リュシアンは一瞬あっけにとられたように目を見開き、やがて腹の底から楽しそうに笑い出した。
「ハハハ! 素晴らしい! どこまでも強欲で、どこまでも気高い我が妻よ!」
彼は私の腰を引き寄せ、工房の影で静かに、しかし深い情愛を込めて私の額に唇を寄せた。
「お前のその強欲さに、この国を……いや、私の一生を賭けよう。どこまでも付き合うぞ、マリアージュ」
彼の腕の温もりに包まれながら、私は胸を満たす強い確信を感じていた。
断頭台の影は、完全に消え去った。
かつて「贅沢病」と叩かれた元王妃は今、自らの知恵と情熱で、国を救う「希望の象徴」となったのだ。
だが、国内の成功は、やがて大国同士がひしめく「世界の野望」を引き寄せることになる。
ルテティアの急激な経済的復活を、隣国の大帝国が指をくわえて見ているはずがなかった。
新時代の幕開けとともに、私の戦いは「国内の改革」から「世界を相手取った外交とブランド戦」へと、さらなる進化を遂げようとしていた。




