奇跡の紅茶と社交界の革命
保守派貴族の頭目であるアルマン子爵と悪徳商人ガルニエを鮮やかに返り討ちにしてから数日。王宮の空気は、劇的に変わりつつあった。
「マリアージュ様、本日の『王妃の微笑み』の発送分でございます。王都の高級商店だけでなく、地方の領主様方からの注文が殺到しておりまして……! すでに今月分の生産枠が埋まってしまいました!」
専属侍女のロザリーが、興奮で頬を上気させながら羊皮紙の注文票の束を抱えてやってきた。
「落ち着きなさい、ロザリー。嬉しい悲鳴だけれど、急な増産で品質が落ちてしまっては元も子もないわ。農家に無理をさせていないかしら?」
「はい! ハーブの採集と乾燥を担当している貧しい農村の皆様からは、『こんなに高値で雑草……いえ、香草が売れるなんて夢のようだ』と、感謝の金貨が届いているほどです!」
私は窓の外に広がる王都の街並みを眺め、深くうなずいた。
先日のサロンで披露したハーブティー——『王妃の微笑み』。
このお茶の真の恐ろしさは、単に「美味しい」ことではない。その裏に隠された「劇的なコストパフォーマンス」と「地方経済の救済システム」にあった。
ルテティア帝国において、お茶とは伝統的に熱帯の遠方諸国から輸入される高級品であり、一部の特権階級しか口にできない貴重品だった。だが、重い関税と長い輸送路のせいで、入ってくる茶葉の多くは途中で湿気り、品質が劣化しているにもかかわらず高値で取引されていたのだ。
そこで私は着目した。
ルテティアの貧しい東部山岳地帯で大量に自生しているものの、売り物にならず放置されていた「野生の香草」と、これまで下級の平民しか飲まなかった国内産の「安価な大衆茶葉」。
この二つを乾燥させ、特定の比率でブレンドすることで、湿気た輸入高級茶を遥かに凌駕する芳醇な香りと、爽やかな後味を持つ「奇跡のフレーバーティー」を完成させたのだ。
原価は、従来の輸入茶葉の二十分の一以下。
それを「王妃が愛飲する最先端のトレンド」という最高級のブランド価値を乗せて売り出した。結果、利益率は驚異の数百パーセント。さらに、これまで現金収入の手段がなかった山岳地帯の貧村に「ハーブの栽培と乾燥」という一大産業を誕生させたのである。
(お茶一杯で、農民のお腹が膨らみ、王室に莫大な税収が入り、貴族たちは大満足する……。これぞまさに、経済の魔法よ!)
「さて、ロザリー。本日の社交界の準備を始めましょう。今日はただのお茶会ではないわ。『革命』を起こすのよ」
その日の夕刻。王宮の大夜会広場は、熱気と煌びやかな装飾で満ちあふれていた。
今夜催されるのは、国王リュシアン主催の「秋の公式夜会」。
本来であれば、重苦しい政治の駆け引きと、保守派貴族たちが自慢の豪華な服飾をひけらかし合う退屈な場である。だが今夜の主役は、間違いなく私だった。
広場の中央、一際目を引く一角に設置されたのは、私がプロデュースした「移動式ティーサロン」だ。
職人クロードたちの手によって作られた繊細な薄型耐熱ガラスのティーカップに、黄金色に輝く『王妃の微笑み』が注がれる。湯気とともに、爽やかなレモンバーベナと柑橘系の香りが、豪奢な大広間全体へと広がっていった。
「な、なんだこの芳しい香りは……!?」
「まるで春の庭園にいるかのようだわ!」
普段は澄ました顔で高飛車に振る舞う貴族たちが、引き寄せられるようにティーサロンへと群がってきた。
「皆様、どうぞお召し上がりください。これが我がルテティアの豊かな大地が育んだ、新しいお茶『王妃の微笑み』でございます」
私が微笑んで差し出すと、気取った伯爵夫人たちが競うようにガラスカップを手に取った。
透き通るガラス越しに見える、輝く琥珀色の液体。口に含んだ瞬間、夫人たちの目が驚きに見開かれる。
「まあ……! なんて爽やかで、心安らぐ味なのかしら!」
「従来の輸入茶のような嫌な渋みがまったくありませんわ! それに、このガラスの器……お茶の色が透けて見えて、まるで宝石を飲んでいるみたい!」
「ええ。従来の暗い磁器では楽しめなかった『お茶の色を鑑賞する』という新たな嗜みですわ。このお茶とガラス器は、我が国の東部山岳地帯の農民と、王都の職人たちが力を合わせて作り上げたものですの」
私の言葉に、周囲の貴族たちがザワついた。
「東部山岳地帯だと……!? あんな貧しい荒野で、このような極上品が作られているというのか!?」
「山岳地帯の領地を持つマルセル子爵のところか!? あやつ、急に羽振りが良くなったと思ったら、このお茶の利権を手に入れていたのか!」
貴族たちの間に、激震が走った。
これまで「不毛の地」と見捨てられ、社交界で軽視されていた貧乏領主たちが、このハーブティーの生産拠点となったことで一躍「時代の寵児」へと躍り出たのだ。
「王妃様! 我が領地でもハーブの栽培を行いたく存じます! ぜひ種苗とノウハウをお譲りください!」
「私どもにも、そのガラスカップと茶葉を大量に買い付けさせてくださいまし!」
私のもとに、貴族や裕福な豪商たちが押し寄せ、口々に投資や買い付けの打診をしてくる。
かつて「贅沢病」「浪費家」と私を蔑み、遠巻きにしていた者たちが、今や私の機嫌をとろうと必死に群がっているのだ。
その光景を、大広間の壁際から苦々しい顔で見つめている男たちがいた。
アルマン子爵と、ガルニエ商会の会長だ。
彼らが輸入茶の独占販売で得ていた莫大な利権は、この『王妃の微笑み』の台頭によって一瞬にして吹き飛ぼうとしていた。輸入茶の価格は暴落し、彼らの倉庫には在庫の山が積み上がっているという噂だった。
(自業自得よ。安くて良いものが国内で作れるのに、不正な関税と独占で民から金を巻き上げていた報いを受けなさい)
私が冷ややかな視線を投げかけると、アルマン子爵は顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「……相変わらず、鮮やかな手際だな」
歓談の輪から少し離れ、夜風に当たろうとバルコニーへ出た私を、追ってきた人物がいた。
国王リュシアンだった。
手には、琥珀色のハーブティーが入ったガラスカップが握られている。
「リュシアン様。お口に合いましたかしら?」
「ああ。最初は半信半疑だったが……素晴らしい味だ。心が落ち着く。何より……」
リュシアンはグラスを光にかざし、黒銀の瞳を細めた。
「財務卿から報告を受けた。この一週間で、東部山岳地帯からの税収の見込みが平年の五倍に跳ね上がったと。飢饉に苦しんでいたあの地域の餓死者が、今年はゼロになる見通しだそうだ。……すべて、お前が淹れたお茶一杯から始まったことだな」
「お褒めいただき光栄ですわ。ですが、これはまだ始まりに過ぎません」
私はバルコニーの手すりに手をかけ、眼下に広がる王都の夜景を見つめた。
「ハーブティーで得た利益を元手に、今度は地方と王都を結ぶ『街道の整備』を行います。物流がスムーズになれば、地方の農産物が安く王都に入り、王都の工業製品が地方へ届く。……そうなれば、庶民が食べ物に困ることもなくなりますわ」
リュシアンは言葉を失ったように私を見つめた。
彼の目に映っていたのは、かつて自分の欲望のままにドレスをねだっていた我儘な少女ではない。一国の経済を力強く牽引する、真の「王妃」の姿だった。
「……マリアージュ。お前は、なぜそこまでやる?」
リュシアンの静かな問いに、私はふっと微笑んだ。
「決まっていますわ。断頭台に立ちたくないからです」
「……は?」
「冗談ですわ」
驚くリュシアンに、私はくすくすと笑った。半分は本気なのだが、今の彼には冗談にしか聞こえないだろう。
「私はただ……思い知ったのです。前世……いいえ、過去の私の無知が、どれほど多くの人々を苦しめていたかを。持てる者が正しく富を回さなければ、国は滅びる。ならば、贅沢を知り尽くした私が、その贅沢を『国を救う武器』に変えてみせると決めたのです」
私の瞳に宿る力強い光を見て、リュシアンは深く息を吐いた。そして、優しく、愛おしむような手つきで私の頬に触れた。
「お前は恐ろしい女だな。だが……最高に頼もしい我が妻だ」
指先から伝わる彼の熱に、私の胸がドキンと跳ね上がった。
冷酷だと思っていた彼の瞳には、今や隠しようもない深い慈愛と敬意が宿っている。
「……半年と言わず、これからも私の隣でその手腕を振るってくれ、マリアージュ」
「ふふ、どうしようかしら? 私の『お給料』は高くつきますわよ、陛下?」
「いくらでも払おう。国庫を丸ごと渡してもいい」
二人の笑い声が、夜のバルコニーに心地よく響き渡った。
しかし、その穏やかな時間は長くは続かなかった。
大広間の方から、突如として不穏な悲鳴とどよめきが巻き起こったのだ。
『な、なんだこれは……!?』
『お茶を飲んだ貴族たちが……!?』
私とリュシアンは顔を見合わせ、すぐさま大広間へと駆け戻った。
そこに広がっていたのは、地獄のような光景だった。
サロンのお茶を飲んでいた数人の貴族たちが、胸を押さえて苦しそうに床に倒れ込み、苦悶の声を上げていたのだ。
「毒だ……! お茶に毒が入っているぞ!」
「王妃のお茶だ! 王妃が我らを殺そうとしたんだ!」
絶叫する貴族たち。
その混乱の中心で、アルマン子爵とガルニエ会長が、待ち構えていたかのようにニヤリと邪悪な笑みを浮かべていた。
「見ろ! やはり王妃の怪しげなハーブティーなど毒薬だったのだ! 謀反だ! 王妃を拘束しろ!」
集まった群衆の視線が、一斉に私へと向けられる。疑念、恐怖、そして憎悪。
(……やってくれたわね)
首筋に、冷ややかな寒気が走る。前世のギロチンの記憶が脳裏をよぎる。
だが、今の私は怯まない。
これは、追い詰められた鼠が仕掛けてきた、最後の惨めな罠だ。
「リュシアン様」
私は隣に立つ夫の袖を強く握りしめ、まっすぐに前を見据えた。
「私を信じてください。……この罠、倍にして返して差し上げますわ!」
社交界に巻き起こった陰謀の嵐。
だが、私の「革命」は、こんな汚い罠程度で止まるほどヤワではなかった。




