庶民派貴族との開戦
サロンの噂は、瞬く間に王都リュテスの社交界を駆け巡った。
「王妃様が離宮の温室で、不浄な平民や下衆な商人を集めて怪しげな集会を開いている」
「貴族の品位を汚す愚行だ」
「いや、王妃の新しい道楽に過ぎまい」
保守派の貴族たちは、当初そう高をくくっていた。かつて贅沢病と叩かれ、ドレスと宝石のことしか頭になかった悪名高き王妃だ。どうせすぐに飽きて、また国庫から莫大な金を搾り取るだろうと嘲笑していたのだ。
だが、彼らは致命的な見落としをしていた。
サロンの開設からわずか二週間で、そこで生まれたフレーバーティー『王妃の微笑み』と耐熱ガラスカップの試作品が、王都の一角で試験販売されるやいなや爆発的な売れ行きを見せたのだ。
安価な地方のハーブと茶葉を組み合わせたそれは、今まで高級なお茶に手が届かなかった中産階級や裕福な平民の心を鷲掴みにし、さらには「王妃発案の最新トレンド」として、保守派とは距離を置く新進気鋭の若い貴族たちの間にも瞬く間に広がり始めていた。
そして、その動きに最も過剰な反応を示したのが——「庶民派貴族」を自称する一大勢力だった。
「失礼いたします、マリアージュ様」
午後の光が差し込む王妃宮の応接室。
重厚な扉を開けて入ってきたのは、二人組の男たちだった。
先頭を歩くのは、豪奢な金糸の刺繍が施された深緑の貴族服に身を包んだ男。ルテティア帝国の農務卿であり、地方貴族のまとめ役を自負するアルマン子爵だ。
そしてその背後に控えるのは、王都最大の貿易商会を仕切り、前回の街の視察時にもその私兵と出くわした「ガルニエ商会」の会長、ガルニエその人であった。肥満した体に丸眼鏡をかけ、揉み手をしながら卑しい笑みを浮かべている。
「急なお呼び立てにもかかわらず、お時間をご調整いただき感謝申し上げます、王妃様」
アルマン子爵は優雅に一礼してみせたが、その瞳の奥には冷ややかな見下しの色が明白に宿っていた。
「あら、アルマン子爵にガルニエ会長。ようこそお越しくださいましたわ。立ち話も何ですから、どうぞお掛けになって」
私はソファーを示し、穏やかな微笑みを返した。傍らに控えるロザリーが、手際よくハーブティーを淹れて二人にお出しする。
アルマン子爵は出されたティーカップを一瞥すると、口もつけずにテーブルの上にことりと戻した。あからさまな拒絶の態度だ。
「……王妃様。単刀直入に申し上げます」
子爵は身を乗り出すと、芝居がかった重々しい口調で切り出した。
「王妃様が離宮にて始められた『サロン』と称する集会……誠に微笑ましいお戯れかとは存じますが、そろそろお辞めいただきたいのです」
「お戯れ、ですか?」
「ええ。聞けば、王妃様は身分低き職人や下衆な商人どもを王宮に招き入れ、何やら卑しい商売の真似事をされているとか。我ら貴族は、民を導き、伝統と品格を守ることこそが誉れ。王室の頂点に立つ王妃様が、自ら泥を被るような真似をされては、帝国の威信が地に落ちてしまいます」
言葉こそ丁寧だが、要するに「おバカな王妃は引っ込んでいろ」と言いたいのだ。
ガルニエ会長もまた、揉み手をしながらニヤニヤと追従する。
「左様でございます、王妃様。それに、穀物やハーブ、ガラスといった流通は、我らガルニエ商会をはじめとする伝統ある商人が長年支えてまいりました。王妃様が気まぐれに市場を乱されては、商売の秩序が崩れてしまいます。民のためを思われるのでしたら、流通のことは我々にお任せいただき、王妃様は以前のように豪華な夜会でお楽しみいただくのが一番でございますよ」
二人の言い分を静かに聞いていた私は、思わず心の中で冷笑した。
(伝統? 品格? よくもそんな口が叩けたものね)
彼らが自称する「庶民派貴族」や「伝統ある商人」の実態を、私はすでに調べていた。
彼らは「民の味方」を装いながら、地方から王都へ至る関所で重税を課して物流を堰き止め、意図的に小麦や日用品の価格を吊り上げて莫大な暴利を貪っている利権集団なのだ。
私のサロンが正常な流通ルートを開拓し、安価で質の良い商品を直接市場に流し始めれば、自分たちの独占利益が脅かされる。だからこそこうして脅しに来たのだ。
「ふふ……ご忠告、感謝いたしますわ、アルマン子爵」
私は優雅にカップを手に取り、芳醇なハーブの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「ですが、お言葉ですが子爵。『伝統と品格』で、飢えた民のお腹が膨らみますかしら?」
「なっ……!?」
アルマン子爵の顔がピクリと強張る。
「私がサロンでやっていることは、気まぐれのお戯れではありません。停滞したこの国の経済に血液を流し込むための『改革』です。子爵方が『秩序』とおっしゃるものは、一部の者が暴利を貪り、民を苦しめるだけの『搾取の構造』ではございませんこと?」
「王妃様! 言葉が過ぎますぞ!」
アルマン子爵が激昂し、テーブルを叩いて立ち上がった。
「我ら貴族がどれほどこの国を支えてきたと思っているのです! 王妃様のような、何も知らぬお飾りの浪費家に何が分かりますか! 前言を撤回なさらないのであれば、我ら『庶民派貴族連盟』は貴族院にて王妃様のサロンへの予算凍結と、離宮の立ち入り禁止決議を提出いたします!」
「ええ、どうぞなさってくださいな」
私は慌てることもなく、静かに微笑みを深めた。
「ただし……その決議を出される前に、明日開催される『第二回・未来サロン』へ、子爵方もお越しになってはいかがかしら?」
「何……?」
「私のサロンがただのお戯れか、それとも国を救う新たな力か……ご自身の目で確かめてからでも遅くはないでしょう? もし私のサロンが何の価値も生み出していないとお感じになれば、私は即座にサロンを閉鎖し、二度と国政に関わらないとお約束いたしますわ」
アルマン子爵とガルニエ会長は顔を見合わせた。
王妃がここまで強気に出てくるとは思っていなかったのだろう。ガルニエが子爵の耳元で何かを囁く。おそらく「サロンの現場で王妃の無知を曝け出させ、徹底的に叩き潰せばいい」とでも言ったのだろう。
「……いいでしょう。そこまでおっしゃるなら、明日のサロン、拝見させていただこうではありませんか。王妃様がどれほど恥を晒されるか、楽しみにしております」
アルマン子爵は吐き捨てるように言い残すと、激しい足取りで部屋を去っていった。
翌日。
離宮のガラス温室には、重々しい緊張感が漂っていた。
約束通り、アルマン子爵率いる数十人の保守派貴族と、ガルニエ会長を筆頭とする利権商人たちが乗り込んできたからだ。彼らは高級な毛皮や絹服を身に纏い、温室の中に集まった職人や貧乏学者たちを、まるで虫ケラでも見るような侮蔑の目で見下していた。
「ハッ、見ろよ。あそこにいるのは落ちぶれた紡績職人のクロードじゃないか?」
「王妃様も焼きが回ったものだ。あんなゴミのような連中を集めて何ができるというのだ」
貴族たちの嘲笑が響く。サロンに集まっていた職人たちは身を縮こまらせ、恐怖で震えていた。
そこへ、私が姿を現した。
「皆様、本日は『第2回・未来サロン』へようこそ」
私は集まった人々の中央へと歩み出た。本日の私の傍らには、一人の若者が立っていた。煤けた作業着を着た、手垢と油にまみれた若い男だ。
アルマン子爵が鼻で笑う。
「王妃様、その汚らしい男は一体誰ですかな? 王宮の清掃員ですか?」
「いいえ、子爵。彼は王都の裏町で小さな工房を営む、羊毛処理と紡績の職人・クロードさんです」
「紡績職人だと? ハッ! ルテティアの繊維産業など、隣国からの安い輸入綿布に押されて完全に死に体だ! そんな倒産寸前の職人を集めて何の意味がある!」
子爵の言葉に、周りの貴族たちがドッと下品な笑い声を上げた。
職人のクロードは顔を真っ赤にし、唇を噛み締めて俯いてしまう。
私は静かにクロードの肩に手を置き、貴族たちに向き直った。
「確かに、従来のやり方では輸入綿布には勝てませんわ。ですが……もし、我が国の羊毛を、これまでの三倍の速さで、しかも極上の柔らかさに加工できる『新式の紡績機』と『特殊な洗浄法』があったとしたらどうでしょう?」
「な……何だと?」
貴族たちの笑い声がピタリと止まった。
私はクロードに合図を送る。彼が温室の幕を引き揚げると、そこには木と鉄で作られた、見たこともない複雑な構造の機械が鎮座していた。前世の産業革命期に存在した「ジェニー紡績機」をヒントに、私の知識とクロードの技術を掛け合わせて試作させた最新鋭の紡績機だ。
「クロードさん、実演をお見せしなさい」
「は、はい! 王妃様!」
クロードが意を決してハンドルを回す。
ガタゴトと心地よい機械音が響き、一束の羊毛があっという間に見事な一本の糸へと紡ぎ出されていく。その速度は、熟練の職人が手作業で行うものの数倍以上だった。
「な、なんだあの仕掛けは……!? 糸が、一瞬で……!?」
「バカな! あんなスピードで糸が作れるはずがない!」
貴族や商人たちが目を見張り、機械の周りに押し寄せた。
ガルニエ会長の顔から余裕の笑みが消え、冷や汗が吹き出している。
「子爵方、ご覧なさい」
私は紡ぎ出された糸で作られた、一枚の織物を掲げた。
「この機械を使えば、生産コストはこれまでの三分の一に下がります。つまり、我が国は隣国からの輸入に頼ることなく、安価で高品質な衣料品を自国で大量生産できるようになるのです。これは単なる『お戯れ』かしら?」
「くっ……! そ、そのような機械、どこに資金があって量産するというのだ! 王室費は底をついているはずだぞ!」
アルマン子爵が惨めに叫ぶ。私はニッコリと微笑んだ。
「資金なら、ございますわ。このサロンに参加している新興の商人の方々が、すでにクロードさんの工房へ出資を決定してくださいましたの。さらには……」
私は温室の入口を示した。
そこには、若き貴族たちや、地方で実直に領地を納めている実業派の領主たちがズラリと並んでいた。
「私のサロンの理念に賛同してくださった領主様方が、地方に新しい紡績工場を建設し、貧しい農民たちを雇用すると約束してくださいました。……子爵、これでも『品格が落ちる』とおっしゃいますの?」
静まり返る会場。
利権貴族たちの顔は青ざめ、手は激しく震えていた。
彼らが「利権」としがみついていた古い産業構造が、私のサロンが生み出した技術革新と投資の輪によって、一瞬にして打ち砕かれたのだ。
職人や平民たちからは、やがて割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。
「すごいぞ! 王妃様万歳!」
「これで俺たちの仕事がなくなるどころか、もっと増えるんだ!」
「マリアージュ様! ありがとうございます!」
民衆の熱気と歓声が温室を満たしていく。
その圧倒的な熱量に押され、アルマン子爵とガルニエ会長は、まるで逃げ出すようにサロンを後にするしかなかった。
熱狂のサロンが終わり、人々が去った後の静かな温室。
私は崩れるように椅子に腰掛け、深く溜め息をついた。勝ったのだ。利権貴族たちの脅しを跳ね返し、サロンの価値を完璧に証明してみせた。
「……見事な手際だったな」
頭上から、静かな声が降ってきた。
振り返ると、温室の陰から国王リュシアンが姿を現した。彼はサロンの最初から最後の一部始終を、陰で見守っていたらしい。
「リュシアン様……ご覧になっていたのですか?」
「ああ。保守派の連中をぐうの音も出ないほど叩きのめす様は、実に見物だった」
リュシアンは私の前に歩み寄ると、珍しく感心したように私を見つめた。
「お前が作ったあの紡績機……あれは本物だ。我が国の繊維産業は息を吹き返し、地方の雇用も劇的に改善するだろう。お前は本当に、たった数週間で国を変えつつある」
「……当たり前ですわ」
私は少し胸を張り、強気に言い放った。
「私はこの国の王妃ですもの。国を豊かにし、民を幸せにするのは当然の義務ですわ」
リュシアンは一瞬驚いたように目を見開き、やがてフッと柔らかく微笑んだ。
「そうだな。……少しだけ、お前を見直した」
そう言って彼が差し出してきた手に、私は自分の手を重ねた。
冷たかった黒銀の瞳に、確かな信頼の光が宿っている。
(勝った……第一関門は突破よ!)
しかし、私は知っていた。追い詰められた悪徳貴族や大商人が、これで大人しく引き下がるはずがないことを。今度はより陰湿で、危険な罠を仕掛けてくるだろう。
だが、恐れはない。
私には前世の記憶があり、このサロンがあり、そして何より……共に戦う仲間と夫がいるのだから。
贅沢病と叩かれた元王妃の改革は、いよいよ本格的な「戦争」へと突入していくのだった。




